環境色彩デザインを考える人へ

長年の経験と実践の中から、色彩デザインに役立つ情報やアイデアを紹介して行きます。

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カタチ・色・素材

2011-04-18 21:06:42 | 似て非なるもの
最近スタッフとの会話に“さじ加減”という言葉がよく出てきます。全体のボリュームやディテールに対して、色相・明度・彩度をどの程度にし、数種ある場合はどの色・素材をメインにするか。そしてメインが引き立つようなその他の色、というように考えて行きます。

色数が増えると当然、相互間の調整が難しくなります。特にタイルやレンガ等の焼物と塗装色の組み合わせは、素材の質感の差異もコントロールする必要がありますから、毎回悩ましい部分です。

写真を整理していたら、“これ似たような色の建物を同じようなアングルで撮影したな”と気になりだして、ようやく見つけたのが以下の写真です。上段は以前、ローマで撮影したものです。深夜にホテルに入り、張り切って早起きしたのは良かったのですが、曇りで光量が弱かったため少し色が沈み気味です。

後で見返してみてもレンガ調のタイルとやや彩度のある暖色系の塗装色との組み合わせが、どちらもかなり主張は強めですが上手く馴染んでいます。色相・彩度はごく近く、明度の差を使った配色であることが見て取れます。色自体の主張、にギリギリ、なっていないと感じます。

【2007年夏・Romaにて】


一方、昨年都内で見かけた集合住宅。コーナー部分のタイル、“むら”がありそこだけ見ると少し年代を感じさせる、中々堅牢な雰囲気。ところが、組み合わせた(恐らく塗装部分だけは比較的近年改修したと思われます)Y系の基調色が、レンガ調タイルの色と色相が離れすぎている上に、彩度が高すぎます。

一つの対象に対し、まとまりのある印象(調和感)を感じさせるためには、色相(色み)が最も重要です。色相調和型・或いは類似色相調和型の配色は、環境色彩デザインの基本中の基本である、と考えています。純色と白と黒。その色の“もと”を辿って行き、同じ純色になるかどうか。色を見た時、色相が近似であるか否かを判定するには少し訓練が必要ですが、慣れると色判定がとてもスムーズになります。

【東京都内某所にて】


都内の例は塗装色の面積が多い、という理由もありますが、塗装色は面として印象が強いため、色の主張が強すぎると素材感を持ったもの(レンガ調タイル)が負けてしまいます。形態のボリュームや凹凸感といった特徴や変化が色によって消し去られる。色の主張が強い建築や工作物に遭遇するとそんな印象も持ちます(サインや1階周りの演出はまた別です)。

Romaで見かけた集合住宅は年季の入ったものばかりで、色鮮やかなものも多く見かけましたが、いずれも色が形に馴染んでいる、と感じました。その際のレポートは帰国後、スタッフと手分けをして項目毎にまとめてありますので、そちらも是非ご覧下さい。

普段の仕事では色そのものの質や特性を見極めることを重視していますが、それは他の材料との“相性”を考える際、大いに役に立ちます。対象となる建築や工作物の用途・規模・意匠との間を何度も行き来しながら、適切だと思われる素材・色彩を選定してきます。

色見本帳を見て、“この色がよさそう”と決めてしまったのが恐らく都内の例でしょうか。これを意図して決定したのだとすれば、設計者にじっくりその考え方を聞いてみたいような気もします…。
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時間の経過を読むことの必要性

2011-01-08 17:59:22 | 似て非なるもの
色を数値化し、客観的に把握することが重要な場合の例として、改修や修繕等の例が挙げられます。更に、保存・再生等のように、古いまちなみや特徴ある景観を再現する際には“もとの色”を正確に表すことが必要になります。それには幾つかの方法があり、例えば実際の建材を見本として一部保管しておくとか、その時に使用した塗料の色番号を控えておく、という事も大切です。

ですが、特に塗料の場合、数十年という時間の経過により“色が変化する”という事態が多く発生します。再現する段階(現状)を正しく把握すると言うことがやはり必要となるのです。



これは中国・北京市内で見かけた商業街。趣のあるグレイの煉瓦の壁面に彩度を抑えた赤系の格子が、新しい街区でありながらも落ち着いた風情ある雰囲気を醸し出しています。店舗の看板は壁面に直接取り付ける切文字で統一されており、まちなみとしてのまとまりもきちんと保持されています。こうした整備や再開発は北京オリンピック前に盛んに行われ、北京のまちなみは以前と見違える程快適になった、と現地の方から話を聞きました。

ところが、裏に回ってみると…。



見事に時間の経過の違いがわかる場面に出くわしました。左側の古めかしい外観と右側の新品の感じ。当然、新しいものは左のような旧来の様式を模したものだと思われます。或いは、建設当時はいずれもこのくらい発色の良い鮮やかな赤が展開されていたのかも知れません。

ここでも、私はただ右側の新しい鮮やかな赤の色が悪い、という事を言いたい訳ではなく、隣にある時間を経過してたどり着いた色との差異が適切かどうか、という事を常に考えています。新しい鮮やかな赤の出現により、時間の経過の価値がとたんに失われてはしまわないか。人の手がつくり出すことが出来ない、味わいや風情といった雰囲気まで奪い去ってしまうことが、その場において本当に適切なのかどうか。

時間の経過がつくり出したものに色を合わせるときは、どの時点に照準を合わせるかということが一番の課題です。既存の色が褪せて行く過程であるのか、既に落ち着いた段階なのか。当初の色との差異がどれくらいのものなのか。もう少し広域に見れば、色の褪せ方が建物個々で異なるはずですから、保存・再生のための調査の際はそうした差異を細かく測定する場合もあります。結果として、いっそ全てを建設当時の色に塗装しなおす、という選択の可能性もあることでしょう。

但し、塗料の耐久性は年々高くなっているため、鮮やかな色が昔の製品のように同じ歳月の経過で褪せては行きません。そうした製品の品質や性能についても、吟味が必要です。一口に色を合わせる、といっても実に多様な側面を検討する必要があり、そのような配慮を怠ると、ある時にはその地域が育んできた歴史や文化を失い兼ねません。
時間の経過の長短に係わらず、既にある色との色合わせにはいつも以上に気を遣う必要があると考えています。
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緑は眼にやさしいと言いますが…

2010-07-27 19:25:37 | 似て非なるもの
自然の緑が嫌いで仕方がない、不快だ、と言う方にはさすがにお目にかかったことはありません。あるいは、知らないだけかも知れませんが…。この時期、夏の暑さには辟易としてしまいますが、日差しに輝く庭園等の芝生や木陰をつくる緑は、やはり眼にやさしく潤いを与えてくれる存在だと思います。
これは先日訪れた原美術館の庭です。鮮やかな緑と大理石の白のコントラストが、何とも爽やかでした。



緑色はまた、信号機に代表されるように“安全”を表す色彩でもあります。日本は安全には本当にうるさいです。まちを歩くと、どこもかしこも安全のための対策で満ちあふれています。工事現場ではヘルメットをかぶった叔父さんが“工事中ご迷惑をおかけして…”と誤っていますし、文字表示は子供が読めないから危ない、等という意見が出れば、すぐに“キャラクター”が出現します。

…ところで、これはなぜカエルでなくてはならないのか。近年、道端で頭を抱えてしまうことが多々あります。
諸説あるようですが、“無事に家にカエル”説が最も有力のように思います。…まあ、そんなことはどうでも良くて。



カエルだから、緑。安全で自然なイメージの、緑?なのでしょうか。人目につくことが目的の侵入防止柵ですから、派手で存在感が必要だということは理解できます。ですが、カエルでなくても、ここまで鮮やかな緑でなくても、機能は果たせるはずです。100歩譲って、幼稚園等の通園・通学路にはあり得るのかも知れません。ですが、まちはテーマパークではなく、突然このようなものが(一時的であるにせよ)出現するのは、まちなみに雑然とした印象を与える要因の一つであると考えます。

公共空間において、いたずらにモノに頼るのは景観の面だけではなく、危険なことだと思います。注意を表示した、柵を設置した、ということで安心してしまい、人の注意力が働かなくなってしまうのです。
安全のため、子供のため、環境にやさしい…。これらの謡い文句が一度付けられてしまうと、そのわかりやすさに多くの人が惹き付けられます。色彩もイメージが独り歩きすると、周辺との関係性を無視した、いたずらに主張を展開する存在になりかねません。

こうした環境を構成する要素の色彩も、とても気になります。制作メーカーやデザイナーと何とか対話を持つことはできないか、等とも考えています。

…あるいは、“カワイイ”んだから、いちいち目鯨立てるな、と思いますか?
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カラーイメージは、あくまでイメージ

2010-06-04 18:23:42 | 似て非なるもの
色にはそれぞれイメージがあり…。
色彩学やカラーコーディネーター検定等の教科書には必ずと言っていい程、記載されている内容です。
色の持っているイメージはわかりやすく、概ね多くの人の共感を得られやすいものです。
ですから、私も実際の仕事の際は、そのイメージを活用しています。

ですが、あくまで色から連想されるイメージであり、固有の物体や現象そのものの色ではない、と考えます。
色のイメージに頼り、そのまま表現しようとすると、特に建築・工作物の場合は
形のボリュームや素材感と一体的に認識しますから、むしろ色のイメージが余計な・過剰な情報、になる場合もあります。

これはCLIMATの色レポでも紹介している、井の頭自然文化園の改修計画の例です。

既存の色彩は、“水生植物園→水→みずいろ”

なんとまあ、ある意味直球勝負、ストレートな表現がなされていました。
建物自体の形態に少し特徴があり、傾斜するラインが少しモダンな印象を感じさせます。
緑に囲まれ、なかなか趣のある施設だと思うのですが。
やや彩度の高いB(ブルー)系の色彩は周辺の自然の緑と対比的で、人工的で硬質な印象が強調されてしまっていました。

【改修前・水生植物園】


改修計画では、自然界の土や樹木(=大地の基調色)が持っている色相、10YR(イエローレッド)系の色彩を使用しました。
指定色は10YR 6.0/1.0です。彩度は1.0ですから、単色で見るとごく穏やかなグレーベージュです。

【改修後・水生植物園】


外装色を検討する際は、『自然文化園の中の水生植物園』ということを十分に考えました。
まず、自然文化園ですから、園内全体の自然景観が良好に見える環境を整える事が大切です。
そして、来園者は入園料を払って施設内の展示を見に来るわけですから、
いたずらに施設自体のランドマーク性を強調する必要はありません。
アミューズメント施設などとは自ずと性格が異なる、ということです。

そうした施設を取り巻く様々な環境を読み解き、どのような外装色がふさわしいか。
周辺の自然が生き生きと感じられ、また訪れたくなるような魅力ある施設づくりとは。

色彩選定にあたっては、そのような視点から候補色を検討しました。
イメージはイメージとして。
どのように取り入れるか、あるいは色のイメージと建築・工作物の規模や形態・素材がきちんと馴染むかどうか。
そういったことを総合的に、慎重に検討することが大切であると考えています。
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自然の色にはかなわない

2010-05-10 19:18:05 | 似て非なるもの
これから初夏にかけては、まちを歩いてると沢山の季節の花々と出会います。

昨日も、自宅近くではツツジが満開でした。
つい二週間程前まで、真っ白なユキヤナギが咲き誇っていた川沿いでは、鮮やかな黄色のショウブが咲き乱れています。

花の色は時としてはっとするほど鮮やかで、雨に濡れたさまなども、また何とも言い難い風情のあるものです。

美しいものを再現して、いつまでも楽しみたい、飾って彩りを添えたい、という気持ち。

残念ながら、それがあまりに短絡的に解釈された例(これは商店街の照明柱に取り付けられたもの)はまちなかに多く見られます。



とにかく造花がいけない、とは言いません。

人によっては、『遠目なら本物かどうかわからない』 とか、『いつまでも咲いていて綺麗』などと思うのかも知れません。

ですが、本当にそうなのか。
こういうものを、まちを彩る要素として扱うことには大変な抵抗を感じます。

私が考える理由は、こうです。

●自然の色は変化することが前提である。私達はその季節の移り変わりを慈しみ、愉しむことに、喜びを感じる。
●自然の草花は工業製品と異なり、姿形が同じものは無く、その色彩は微妙で繊細な幅を持っている。
●造花なら手間がかからなくてよいという粗雑な思いが、まちに対しての愛着や誇りに思う気持ちと相反する。

…他にもたくさんあるように思いますが、集約するとこのようなことではないでしょうか。

もちろん、私自身も自然の色彩に触発されて、デザインを考えることはあります。

その際重要なのは、『花を模す』ということではなく、
『花の色・香りなどがもたらす雰囲気を抽出してその場や空間にふさわしいカタチで再構築し、表現する』
ということだと思います。

自然の色にはかなわない。
そのことを充分に理解せずに、安易に姿形を模すことだけは、してはならないと考えます。

下の写真は、2007年夏に訪れたイタリアで撮影したもの。



鮮やかなマゼンタ系の花の色。
普段は、ちょっと重たく、ともするとくどく感じる色なのですが、建物外壁の素材感や色彩にはとても馴染んで、その地ならではの風景をつくっている、と感じました。

その場にふさわしい色のあり方。
自然の色から学ぶことは多くあります。
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