赤毛のアン・お稽古日記・英才教育について

12月2日
赤毛のアンお稽古日記
国連クラシックライブ協会  共催:さいたま市文化振興事業団
協賛:NTTドコモ

昨日の制作発表にて大変に疲れたのですが、きょうも10時から元気に出演者が集まり熱心に練習をしました。

父兄からNTTドコモ様よりのご協賛に改めて感謝したいとの申し出がありました。ずいぶん説明はしてきたのですが、活動の継続には支援団体の存在が大きいことをやっと分ってもらえたようです。本当に参加者一同感謝しています。

青少年の育成・若い芸術家の支援・地域文化への寄与というのは簡単だけれど、全てが目に見えるものではありません。私たちの努力も形を見せろといわれると何を見せたらいいのかなと迷います。ヨーロッパ公演んも成功に終わり、やっと世界で活躍する人材が見えてきました。でも実際には練習についてこられず途中でやめる人が多いのも事実です。
近年携帯電話の普及が青少年の生活自体を大きく変える要因になったことは確かです。「科学技術の発展」と「成長するのに時間を要する人間」との釣り合いがうまくとれていないせいだと思います。
生まれたときに携帯がある。携帯は作れなくても、もっといえばそのメカニズムさえも分らなくてもそれを使うことはできる。そのことが努力という概念を変えました。努力しなくても携帯を自由に使いこなす。そのための努力は目に見えるのでしいのでしょう。子供たちは実際に体を使う、頭を使う、努力結果はなかなか見えない、そういうことは嫌なのです。

昔私もラジオぐらいは分解したことがあります。時計も分解しました。
でももう私はもちろんですが、普通の人はテレビも時計も電話も作ることはでき無いと思います。
ということは私たちは無人島に流されれば原始人と同じになり、生活力がないだけすぐ駄目になってしまいます。
しかし今の日本人は原始人と同じに生れてくるのですが、すぐに電子機械を使いこなします。それは人間本来の進歩とは関係ないことなのですが、あたかも人間自体が進歩したような錯覚を与えています。

英才教育
英才教育が必要なのは人間は原始人と同じに生れてくるので、小さい時からいろいろ教えてさも“凄そうに見せるため”です。他の動物と区別するために。

今日は熱心に練習をしました。モーツアルトの魔笛・冒頭の「3人の侍女の3重唱」をベースに、セリフと歌詞を入れました。
楽譜を読むこと、歌を歌うこと、物語を読むことを今までやってきましたが、今日からそれに歌詞を入れて、セリフ入れて、演技入れての練習になりました。
何倍も難しくなり、何倍も楽しくなりました。はずです。

小さい人には難しいと思います。丸暗記することはできても理解することは大変だからです。モーツアルトは自分で作ったので難しくなかったのでしょう。
でも「魔笛」の楽譜を読む市民ミュージカルは他には無いのです。
バレエの基本をいやというほどやる市民ミュージカルもあまりないのです。
蜘蛛の糸・走れメロス・山月記を読む市民ミュージカルも無いのです。
何故かといえばすぐに振りや歌に入ったほうが楽しいし簡単だからです。でもそれでは終わった後楽しかったことだけしか残りません。
私はそれではもったいないと思っています。アンに参加した人たちが東京芸大に何人も入っていたり、四季で活躍したり、宝塚にいったり、あるいは司法試験・外交官・ドクターそしてなにより立派な社会人・母親になってくれるている、ここの活動がそのための「知識の栄養になっている」と誇りがあるからこそ、こんなに大変な練習も率先してやっているのです。

誰が大変って私が一番休んでいません。一番熱心ですよ!

若いお母さん方、英才教育とは正確な知識を子供に与えることです。子供が吸収するならどんなに与えてもいいのです。普通の子供はそんなに吸収し続けることはないからです。特別な才能をもった子供だけが天才として吸収し続けます。

でも子供は思いもかけない力を発揮するときがあります。4歳の子供の15分は大人の3時間に匹敵するといいます。
6歳の子が今日も6時間練習しました。大人の15時間分はあるでしょう。
だから考えられないほど上手になるのです。大人はそれだけの時間がとれません。

お母さん方がへばっていてはダメです。叱咤激励!
私が頑張っているうちはお母さん方も頑張って下さい。代表 小池雅代
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