リハビリと医療技術に救われ、一年とちょっとで、退院したのが先月。
そして。
自宅でベッドから起きようとして、顔面から床に激突したのが先日。
またまた、病院へトンボ帰りとなりました。
考えてみれば、去年倒れたときは、もっといろんなはなしをしておけば
よかった、と後悔したものです。
それなのに、元気になったら、なったで、そんなに話をすることもなく。
(ええ、もとからそんなに仲が良い父子ではないのです)
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ですから、母の戦争体験は日常的に聞いていたのですが
父のそれは、ほとんど聞いたこともありませんでした。
それは、私たちの仲が問題というより
本人にとって、いろいろと辛い話だったからかもしれません。
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とはいうものの。
彼は戦場へは行っていません。
なぜならば、体格がよろしくなく、徴兵検査で出た結果が
「丙種合格」(とにかく視力がよろしくなく、貧弱な体型だったとのこと)
現役の兵士には不適ですが、国民兵役には適するという判定。
つまり、戦地へはい行けない、ということ。
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今思えば、これは、とても幸運に思えますが
当時の若い男性としては、世間的にも自分の気持ち的にも肩身の狭いことだったのは
想像にかたくありません。
継母には、嫌味を言われ、職場ではいい様にこき使われ
自分の存在価値を否定される日々は、辛くないはずがありません。
しかし、そんな彼もついに戦場へ行くことになる・・・はずでした。
終戦を迎えなかったら・・。
玉音放送を、複雑な思いで聴いたといいます。
ああ、命拾いした、という気持ちと
中途半端な自分の存在への疑問。
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その後、母と結婚する際も、親戚のおばさんから
「兵隊にもいけなかったくせに」
と、ののしられたこと
(これは母方の祖母に聞いた話)
戦地でなくなった友達のお母さんから避けられたとか。
父は父なりに悩みながらも、彼なりに戦後を生き抜いてきたのでしょう。
そんな戦争体験のハナシでも聞きに行こうかと、会社帰りに病院に寄ってみれば
口を開けて眠っていました(笑)。
・・・声をかけることもなく、そのままドアを閉ました。
とにかく、命あってのこと。
命あっての。