しーさるの鉄日記

北斗星を見送る


今日は、北斗星の最後の定期運転だというので、赤羽で葬式鉄をしてきた。

葬式鉄といっても、毎日仕事帰りに乗る列車は1852に上野駅15番線に到着するから、ここ半年はほぼ毎日葬式鉄なわけだが。去年の12月に撮った写真を見ると、ホーム先は10人もいなかったが、先週あたりから漸増してきて、ここ数日はホーム先端では身動きとれない状態に。昨日は上野駅から走り去るところを8号車辺りで撮影していたが、今日はいつもの列車に乗らず、赤羽で北斗星を待った。

そういえば、北斗星が走り出した88年春改正時も地平時代の赤羽駅で待っていたな。同じくその日に走り出した、京浜東北の快速と池袋発の高崎線(現在の湘南新宿ライン)を乗り継いで。ちなみに、この時の改正では長岡と金沢を結ぶ全席指定席特急「かがやき」がデビューした。そう考えると、27年前の改正とつながっているのだなと。

北斗星に初めて乗ったのは1999年2月、由利高原鉄道、仙台地下鉄の乗りつぶしを終えて、3日前に開業したばかりの札幌地下鉄宮の沢へ向かうのに利用した。風の影響で仙台発時点で1時間遅延、札幌到着時は2時間近く遅延していて、札幌滞在時間が1時間40分になってしまった。宮の沢へは行けたけど。この5ヶ月後の1999年7月、1往復がカシオペア化し2往復体制になった。翌年の2000年10月には、札幌から上野まで4号を全区間乗り通し、4年後の2004年9月にも南千歳から上野まで4号を利用した。この頃は寝台券を比較的入手しやすかったというのもあるけど、ぐるり北海道フリーきっぷで、ソロを含むB寝台が利用可能というのも大きかった。

北斗星の最後の利用は2008年6月、函館市電の停留所降りへ行く時に利用した。この時はB寝台で受信状態の悪いワンセグテレビを見た記憶がある。この頃になると、新幹線工事の兼ね合いで北斗星は1往復になっていた。
来春には新幹線が延びるものの、夜行が使えなくなる分時間が有効に使えなくなってしまう。貨物列車を残すことできるのだから、客車列車を残すこともできると思うのだけどね。やはり費用対効果なのだろうか。

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