今日は忙しかった。大阪に行き京都にも行った。
つかれてくたくたさまである。新聞も読んでいない。もうそんなどうでもいいからお風呂にはいってねることにしょう。疲れはねるのが1番だから。夕食も今日も手抜になった。手抜すると夫の血圧があがるかもしれないと心配しながらも忙しい体、どうすることもできない。あ---しんど。また咳も出る。季節の変わり目、また風邪をひいたのだろうか。風邪の神さんはわたしのところにこないでちょう--だい。 . . . 本文を読む
夕方になると何もしたくない。このまま夫より先に風呂に入って布団の中でもぐりこみたいぐらいだが夕食の支度をしないではやっぱり寝ていることはできない。夕方6時半に2本の記事を片付け取材資料もパソコン入力をした。6時半、もう夫が帰ってくる。もう今日も手抜き料理である。 . . . 本文を読む
近年、余分な仕事が増えた。タクシーに乗ると流している近辺の地図を知らない運転手が多くなった。一緒に乗る私が説明をしなければならない。それも私が頭に地図が入っているときはいい。入っていないときはもう大変である。それで地図持参でタクシーをのるこの頃であるる . . . 本文を読む
寒いのか、温かいのか分からない3月の月末、今日は雨で寒いが明日はどうだろうか。一挙に温かくなってセーターを着ていると暑苦しいと思う日がもうすぐでやってくる。桜が満開になって雨がふると桜は一度に散ってしまう。桜吹雪は晴の日が春の風情がある。
桜の下で宴会する人えらい。弁当を作ってその場所までいかなければならない。ああ--面倒だけど外の空気を吸わないとあかん、あかんと自分に言い聞かせている。 . . . 本文を読む
曇っている琵琶湖周辺の景色、ここをふるさとにしていた男性のことがよみがえってきた。忘れていたことなのに琵琶湖の水面に私の若かった30代後半から40代初めのころがよみがえってきた。あのときは若かった。若かったから楽しい事も悲しい事も体いっぱいに受けて体験してきた。今はというと物分りのいい高齢者になっている。いやふりをしているだけである。けれど物分りのいい人になるのも楽であるる。がむしゃらに何かを追いかけていたときより楽であるる。それだけ私にエネルギーがなくっているということなのだろうか。どちらも私の生きてきたものです。
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また桜の咲くころまで冬の服、春の服とまよう。陽気な春の日差しと思ったらまた寒くなって「花冷え」になる。だから油断ができない。そうこうしているうちに初夏の日差しにあわてて冬の服を脱ぎ春から夏の服を出して衣替え、この間夏物をしまったのにもう衣替え、早いなあ。しかし加齢になって寒さがこたえる。これからまた迷う日々になるる . . . 本文を読む
19日、韓国対日本のWBCは終った。韓国は動乱後に生まれた世代が韓国社会の中核をになってきた。そしてそのこどもたちは比較的恵まれた環境の中で育った。韓国はすこぶる上等な国になっている。まだ儒教文化や村社会的な地域共生も残っている。もちろん外国人にたいする偏見は日本以上にある。しかし日本に対しては戦後発展した経済に憧れと羨望がある。しかし日本植民地支配の時代に教育を受けた人たちが指導者だった。その子孫である。わだかまりがあることを日本人は知ってほしい。 . . . 本文を読む
私が仕事にでると夫は何をしているかわからないがたぶんビール飲んでテレビをみているだろう。私は仕事がなくて1日家にいると食べることに追われている。私がいてもいなくても夫はビールの見ながらテレビで洋画や邦画を見ている。体に悪い過ごし方をしている。散歩といえば近所のスーパーに買出しに行く程度である。なんとか夫婦で奈良公園の散歩しなければと頭で考えるが実行ができない。私はパソコンに向かってしまう。夫婦不健康な過ごし方をしている。 . . . 本文を読む
3月18日土曜日、午後5時35分の奈良行き特急にのった。夕刊紙を1紙買って乗った。新聞をよんでいると女の子を連れた母親が乗ってきた。そして私の隣にすわった。小学生と思っていたらこの4月6歳になるという。しっかりしている。 . . . 本文を読む