ヤクルト・古田敦也捕手(39)が、ついに金字塔を打ち建てた。広島5回戦(坊っちゃんスタジアム=愛媛県松山市)の六回、三塁線を破る二塁打。プロ16年目で史上32人目の通算2000安打を達成した。大学、社会人を経験した選手としては初、捕手としては野村克也氏に次いで2人目の快挙。39歳8カ月は歴代4番目の高齢達成となった。
プロ16年間の結晶は、一瞬の沈黙の後、地鳴りのような歓声の中で生まれた。六回、古田の放った打球は、三塁・新井のグラブをはじき、ファウルグラウンドを転々。午後4時5分。安打を示す「H」マークを確認した古田は、二塁ベース上で満面の笑みをこぼした。
試合を中断し、記念のボールにその場で「2000本安打」と書き込むと、右翼スタンドの前へと一直線。「みなさんが喜んでくれれば、と思って投げました」。迷うことなく、ボールをスタンドに投げ込んだ。
試合前から考えていたセレモニーだった。昨年の球界再編騒動では、ファン120万人の署名を背負い、ストを決断したプロ野球選手会の会長。眠れない日々の中、精神的に支えてくれたのも、またファンの応援の声だった。だから記念のボールは、球場に来てくれたファンへプレゼントする。そう決めていた。
試合後の会見。涙はない。カラリと明るい笑顔で大記録の余韻を楽しんだ。立命館大4年の時、会見場のひな壇の上で朗報を待ちながら、まさかのドラフト指名漏れ。社会人のトヨタ自動車を経て2年遅れで平成2年、ヤクルトに入団した。挫折から始まったプロ人生は、恩師・野村監督の教えに必死に食らいつく日々をへて、ついに大学、社会人を経た選手では史上初の名球会入りという大輪の花を咲かせた。
すごいですね、古田選手。記念のボールをその場でファンに投げ入れるなんて^^ このボールを受け取ったのが野球好きなチビッコだったらしいから、古田の希望が叶った理想的な相手ですね。
この人の目は常にファンの方に向いていると改めて思いました。
プレーもさることながら、話の内容、頭の回転の速さはずば抜けてるでしょ。こういう人間になりたいものです。行く行くはチームの監督になるのは確実ですし、こういう人に将来コミッショナーになって欲しいです。今のオーナーやコミッショナーは自分たちの事しか考えておられない方々のような気がしてなりませんから。
プロ16年間の結晶は、一瞬の沈黙の後、地鳴りのような歓声の中で生まれた。六回、古田の放った打球は、三塁・新井のグラブをはじき、ファウルグラウンドを転々。午後4時5分。安打を示す「H」マークを確認した古田は、二塁ベース上で満面の笑みをこぼした。
試合を中断し、記念のボールにその場で「2000本安打」と書き込むと、右翼スタンドの前へと一直線。「みなさんが喜んでくれれば、と思って投げました」。迷うことなく、ボールをスタンドに投げ込んだ。
試合前から考えていたセレモニーだった。昨年の球界再編騒動では、ファン120万人の署名を背負い、ストを決断したプロ野球選手会の会長。眠れない日々の中、精神的に支えてくれたのも、またファンの応援の声だった。だから記念のボールは、球場に来てくれたファンへプレゼントする。そう決めていた。
試合後の会見。涙はない。カラリと明るい笑顔で大記録の余韻を楽しんだ。立命館大4年の時、会見場のひな壇の上で朗報を待ちながら、まさかのドラフト指名漏れ。社会人のトヨタ自動車を経て2年遅れで平成2年、ヤクルトに入団した。挫折から始まったプロ人生は、恩師・野村監督の教えに必死に食らいつく日々をへて、ついに大学、社会人を経た選手では史上初の名球会入りという大輪の花を咲かせた。
すごいですね、古田選手。記念のボールをその場でファンに投げ入れるなんて^^ このボールを受け取ったのが野球好きなチビッコだったらしいから、古田の希望が叶った理想的な相手ですね。
この人の目は常にファンの方に向いていると改めて思いました。
プレーもさることながら、話の内容、頭の回転の速さはずば抜けてるでしょ。こういう人間になりたいものです。行く行くはチームの監督になるのは確実ですし、こういう人に将来コミッショナーになって欲しいです。今のオーナーやコミッショナーは自分たちの事しか考えておられない方々のような気がしてなりませんから。