ブログ作成にあたって、彼氏には許可をもらいました。
それと同時に約束をしました。
◎このブログの影響で怒ったり嫌ったり呆れたりしない。
◎文句がある時はその時に言う、あとからは言わない。
です。
ブログを書く事によってケンカしたり別れたりするのでは意味がないので、約束してもらえないのであれば諦めるつもりでした。
でも、創価学会の件は友達にも、自分の親にも相談できないのでどんどんストレスが内に溜まっていくのが手に取るようにわかって。
身元がわからないようにするならば、という条件の元、許可をもらえました^^
こっそりやるのは「嘘をつかない」という私と彼のルールに反すると思ったのです。
彼と付き合って1年と2ヶ月(2006年5月現在)、創価学会について真面目に話したのは今月が初めてです。
いろいろと質問をぶつけてみました。
最初の記事に書いた彼のスペックはまとめると、
◎母親が1世で彼は2世
◎中学から大学まで創価学会の学校に通っていた筋金入り
◎活動はしていない
で、気になることを質問した結果わかったことは、
◎座談会に出席したことがある
◎折状したことはない
◎学生時代に初級所持
◎聖教新聞はずっと取り続けている
◎池田氏を尊敬している
◎御本尊は大事
◎本当は私に入会して欲しいと思っているが諦めている
◎彼の母は私に入会して欲しいと言っている
◎彼の父は結婚時に入会した
◎私と宗教どちらが大事か決められない、どちらも大事
◎題目については今は必要がない、必要になったらするかもしれない
私が意外だったのは、池田氏への尊敬と、私と宗教比べた時に悩まれた事(泣
しかし活動家の彼をお持ちの方に比べたらきっとまだマシなんだろうな……と思いつつ。
彼はどうやらあまり深く考えていないようで、どうしてそう思うのか、という問いに最終的に「30年以上そう信じてきたから」に辿り着いてしまいます。
彼が池田氏を尊敬している理由は、「いろいろ忙しく世界をまわって活動しているから」と「そのおかげで賞をもらっていること」と「ずっとそう教わってきた」からです。
例えば? と聞くと答えは返ってきません。
こう答えろと言われたことを口にしているだけだと感じます。
そこで、創価関連ブログ「創価学会の信仰に功徳はあるか?」さんの「池田大作氏の名誉や表彰 (創価の財務とは? その2)」の記事を声に出して読んで聞かせました。
例えばある会談は、その団体に学会が寄付をしている背景があって、寄付してくれている相手と会談したり持ち上げるのは当然だというくだり。
彼も知っていた、大々的に宣伝されたガンジー賞受賞だが、インド政府から与えられるインディラガンジー賞とはまったく別物のマハトマ・ガンジー賞であるということ。
彼は知らなかったそうです、それを記述せずに宣伝することをどう思うかという問いに彼は言葉を一瞬失い、ひとこと「確かに」と言いました。
それと私が不信に思っていること。
震災の際、松井秀樹が5000万寄付したのに対し、創価学会は500万。
彼は、それ以外にも色々と必要なのかもしれない、と言いました。
例えば? と言うと、お祈りする施設や学校……と声が小さくなります。
おかしいですよね。
両親を亡くした子、家を亡くした人々、今夜食べるものがない人々、そういう人たちへの援助よりも、極めて現状安全な日本の、お祈りするための施設への資金が先ですか?
世界平和やそういった事への貢献を売りにしているのに、それを後回しにしているのはなぜ?
本も多数出ているし、寄付もある、聖教新聞もある、そういう時に出すべきお金を集めているのなら、まだわかるのに。
そういったお金を前述の、会談するための寄付に使い、表彰され、池田氏は偉い、と言われる事になぜ疑問を抱かないのか。
池田氏が表彰されたのは、一般の学会員の寄付金のおかげであって、池田氏が偉い、尊敬できる人であるわけではないはず。
そしてそれ以外に彼は池田氏についてなぜ尊敬するのか、を答えられませんでした。
結局は「30年以上そう思ってきたから今更……」です。
ただの刷り込み、マインドコントロールなのですが今の所、この返答への対処が思いつきません。
私がそれ以上追求しなくなるから、彼もそれを多用するのかもしれません。
30年以上信じてきたことを覆される恐ろしさというのは計り知れないものがあるし、今はゆっくりと、創価学会だけが唯一の正義ではないこと、いろんな考えがあることをわかってもらえたらと思います。
なるほど、避難所と救援物資。
覚えておこうと思います、情報ありがとうございます。
確かに突然言われて、それはそうだけど、となるとどっと押されそうですよね^^;
ただこれは彼氏の事などを考慮に入れず純粋に、一般的に見ての私の意見ですが、それは若干「当たり前」ではないかと思います。
当たり前と言うと語弊もありそうですが、決して胸を張って自慢できる事ではないのではないでしょうか。
私も当時被災して体育館生活を強いられた一人なのですが、近所の食料品工場は工場にある食料を全てその日に無料配布してくれました。
料理屋さんはすぐに屋外で無料炊き出しを始めました、大人は老人を助け、若者は子供の面倒を見て、数限られた毛布を分け合いました。
(協力しなかった日蓮なんとかは論外だと思います)
それをしたから偉い、というわけではなくて、宗教だとか関係なく、人間として助け合う事はそれ以前の問題ではないでしょうか。
あの時その場にいて、みんなが自分のできる範囲の事を懸命にやっていました、団体や会社など関係なく。
創価学会の人が分け隔てなく物資を配る、分け隔てなく。
たったそれだけで評価されるのなら、やはり問題があるんじゃないかと思ってしまいます^^;
助言ありがとうございました、きちんと冷静に言い返せるように知識を少しずつ増やしていこうと思います^^
また覗きにいきます!
そうなんですか。大変でしたね。ご心中お察しします。
あの、もし宜しければその時のご経験や体験を書いて頂けないでしょうか?体験のHPやリンク、の紹介でもOKです。
池田大作氏の名誉や表彰 (創価の財務とは? その2)
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/47447c83d3867f085563ac035b3c9436
更新しました。
この日付なので、もしかして読んで頂いた後かな?
そちらのブログで頂いたレスのお返事について、このあと落ち着いて書いてみたいと思います。
その時の体験や経験というのは、震災の時の事で合っていますでしょうか?
宗教のお話と違った内容の記事になってもよければ、書かせて頂きます^^
更新された記事を読んだ後ですね、それで協力しなかった日蓮なんとかは論外でしょうと書きました。
すみません、実は日蓮なんとか、ていうのもまだ知識が十分でなくて、どこのブログさんでも名前が出てくるのですが元の知識が薄いために読んでも読んでもまだ表面的な事しかわからなくて、こういう書き方になりました。
厳密にまだよく知らないのでそれ自体を否定することは避けますが、震災時などのそういった行為は、それが教えとされているのであればその点については社会的に問題がある、と私は見なします。
まだ皆さんに比べてとても知識の薄い私ですが、無宗教一般から見た意見が必要な場合はぜひお声かけてください。
有名な○○団も
炊き出しをしていました・・。
ご参考までに。
ご挨拶頂けない方には配慮もできませんのでお返事は見送らせて頂きます。
よっぽどモテない人か?
早く別れなさい