創価の彼、無宗教の私

創価学会の恋人との恋愛、その家族との問題。
現在は結婚し、脱会。それまでの経緯をそのまま残してあります。

普通の生活へ

2007年03月27日 | 学会員との結婚への道

 
 夫が脱会した経緯はこちらの記事です。
 
 
 今私達は創価学会とは無縁の生活をしています。
 普通の朝刊を読み、毎日同じ食事をして、一緒にテレビを見、週末にはぶらぶらショッピング。
 特に明記することがないくらい普通の新婚家庭です。
 そしてとっても幸せです。
 
 この記事で、またしばらくブログの記事更新は休眠状態になります。
 当分、学会に関する事件は起きないでしょうし、私が学会に関わる機会も現在ありません。
 
 ただひとつ、書いておきたかったのは、私達が今幸せだということです。
 
 恐らくここに辿り着いた人の多くは同じ悩みを持っている方です。
 学会員の伴侶や友人、家族などから、またネットから「脱会すると地獄に落ちる」などという言葉を見聞きすることが多いと思います。
 時には具体的な例を挙げられることもあるでしょう。
 
 そんな例ばかりではない、その一例として書いておきたかったんです。
 ブログの記事は全て残します。
 
 
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 最近、「新! 亭主関白宣言。」という本を店頭でちら読みしました。
「妻の顔は夫の通知表」というフレーズに私と夫は過剰反応して笑い合いました。
 以前、私は怒っているか、泣いているかばかりでした。
 ストレスから肌が荒れ、落ち込んだこともありました。
 年が明けてからは安心して生活を送れるようになり、お互いに笑顔の生活が続いています。
 それを思い出して、二人ともなんだか可笑しかったのです。
 
 


チョココは元気です。

2007年03月14日 | 学会員との結婚への道
 
 大変ご無沙汰していました、チョココです。
 まず、予告なく更新を停止したこと、ご心配をおかけした皆さんにお詫び致します。
 本当にごめんなさい。
 
 私は今、とても元気です。
 入籍してから半年が経とうとしています。
 
 結論から言いますと、「創価の彼」は「創価だった夫」に変わりました。
 昨年の終わりに彼自身が脱会したいと言い、彼一人で脱会届けを提出し、現在平穏な日々を送っています。
 簡単な経緯をお話します。
 
 
 最後の記事は10月ですね、新婚旅行直後です。
 
 
 この新婚旅行は私達にとって地獄のような海外旅行でした。
 彼の両親と妹夫婦が一緒で、毎日彼らの迎えがあり、毎日食事を一緒に取り、ホテルの前で待たれたり部屋まで来られたり、それでも交流を持とうと頑張っていた矢先。
 旅行中にあることが起こり、彼の両親と妹夫婦が私の命だけを軽視する行動を取りました。
 愕然としましたが、私だけ自分の子ではないので仕方ないと思い、自分の身は自分で守ろうとした時、夫は母の命令に従って、私の自分自身を守る手を制止しました。
 私を知る身内はそこに一人もいません。
 
 もし私がこの時、死んでいたら。
「嫁だけ創価学会ではなかったから死んだのだろう。 だから言ったのに」
 という言葉が聞こえる気がしました。
 
 何より、私の命よりも両親の命令に従った夫にショックを受け、ホテルに戻った私は結婚指環を薬指から抜きました。
 泣き叫んで怒りました。
 私にした事を、日本に帰ってから私の母と弟に話せるのか、と。
 もし子供ができた時にもこんなことではやっていけない、と。
 
 夫は一晩中、泣いて土下座して、どうしてあのようなことをしたのかわからないと言いました。
 しかし、わからない、では困るのです。
 
 この事件以来、夫は全てを失う恐怖を知ったと言います。
 さすがの私も別れを覚悟しました。
 
 それでも。
 最後にもう一度信じて、旅行後すぐ、挙式の話まで進んだ時です。
(順序が逆ですが↑)
 予想はしていましたが、彼の両親が挙式の形式について必要以上に踏み込んできて大暴れ状態になりました。
「お前は学会員なんだぞ」
 という、彼の父の脅し文句によって、夫の中で何かが切れ、夫は両親との連絡を遮断することを決意。
 挙式の件を白紙に戻すこと、脱会することを述べ、連絡一切の遮断を告げました。

 年末に脱会届けを提出し、夫はこうして創価学会との縁を切りました。
 
 メールだけは届くようになっていますが、それきり夫の両親からの連絡はありません。
 私と夫は、頭の中から「創価学会」というものを排除した生活を送ることに決め、今に至ります。
 
 夫は変わりました。
 無防備なほど柔らかい表情を見せるようになり、自分の感情を素直に口にすることへの抵抗がなくなったそうです。
 180cmのクリスマスツリーを買ってきて、生まれて初めて飾るその姿はまるで子供のようでした。
 新婚旅行を二人でやり直し、神社やお寺に入った時も、教会に足を踏み入れてみた時も、彼の目は好奇心で一杯でした。
 宗教に捉われず、過剰拒否したり過剰推奨したりすることなく、その歴史的建築物の素晴らしさであったり気持ちを楽しくさせるイベントを自由に楽しめる、それが今の、多くの日本人の特権だと私は思っています。
 いろんな価値観があるでしょう。
 全てを排除することが無宗教だと信じる人もいれば、私のように宗教という括りに捉われずに見聞きすることを無宗教だと思う人間もいます。
 
 ただカルトは私にとって不要である、それだけです。
 
 夫の騙されやすい体質を直すことは難しいようで、どこの宗教かわかりませんが訪問にきたおばさん達の話を「すみません、いらないので……」と言いながら追い出せずに話を聞かされていたり。
 私が不在している間に、訪問販売で8万円の換気扇フィルター三年分を買わされていたこともありました^^;
(その日のうちにすぐ自分で電話させ、クーリングオフさせました)
 
 私が出て、相手の話を遮断して門前払いする見本を見せて覚えさせたり、断る勇気、自分の目で見極める力を少しずつつけてもらえるように努力している最中です。
 
 今、とても幸せです。
 幸せそうな夫を見ることが何より幸せです。
 残された課題はまだまだありますが、まずは自分達の土台をしっかり築いていこうと思います。
 
 神様やら仏様やらよりも怖いものがある、それは奥様。
 今でも我が家の家訓です。
 何よりまず一番に信じるべきもの、信じてもらえるように努力すべきこと。
 お互いの存在を大事にしていこう。
 当たり前でも、やっと辿り着いた私達夫婦の結論です。
 
 
 助言、励ましのお言葉をくださった方々には本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。
 私が前を向いていられたのは、一人ではない、と教えてくれた、いつでも私に共感してくれるここの人達がいたからです。
 創価学会と対峙していると、とても大きな存在と、小さな自分一人が孤独に戦っているような錯覚に陥ることがあります。
 でも、私は一人ではなかったし、創価学会はたかがカルトなのです。
 心理戦で押し潰されない冷静さ、私の場合はですが、恐らくこれが一番大事だった気がします。
 人を傷つけるのも、人を守るのも、やっぱり人なんだな、とどこかで聞いたようなことを感じました。
 
 
 とは言え、まだ新婚ほやほや、初心忘れるべからずで毎日を大切に頑張ります。
 
 
 ようやく創価学会に触れる余裕ができた、チョココより。