おでかけ大好き!ピースくん

ぼくピースくんが色んな所に遊びに行った写真を発表しま~す!

日本100名城 76 徳島城のスタンプ(2019年2月)

2024年09月17日 | ぺろちゃんのスタンプだいすき
2019年2月26日(火)
ぺろちゃんでしゅ😊
こんちゃんと一緒に、徳島市立徳島城博物館に来まちた~😃

徳島城のスタンプ探ちに行ってきま〜しゅ😊

「日本100名城」スタンプありまちたよ〜😃
ペタコ〜ン❗❗

下乗橋と枡形の石垣でしゅね😊
こんちゃんが「しゅごい!」ってゆってまちた😌

JR四国の「四国お城スタンプラリー」のスタンプもありまちたねぇ😌
ペタコ〜ン❗❗

徳島城が1番でちたか😌

他にもスタンプありまちたよ😃
ペタコ〜ン❗❗

徳島市のイメージアップキャラクター「トクシィ」ちゃんでしゅ😊
水とともに発展してきたまちをイメージした、サカナの女の子のキャラクターで、藍色の振袖の阿波おどりの衣装に、市の花「サクラ」の花かざりをつけた編み笠をかぶっているんでしゅって😌
このスタンプでは、振袖の色は分からないでしゅけどね😅

もひとつありまちた😌
ペタコ〜ン❗❗

「トクシィ」ちゃんのお顔バージョンでちた😊


徳島城跡・2(2019年2月)

2024年09月17日 | こんちゃんのお城めぐり
2019年2月26日(火)
引き続きこんちゃんのお城めぐりです😊
徳島城跡のある、徳島中央公園に来ています😌

徳島市立徳島城博物館の奥に、「阿波藩祖 蜂須賀家政公」の像がありました😊
幕藩時代を通じ蜂須賀家が十四代にわたって居城し、二百八十余年の間、阿波・淡路両国25万7千8百石を治めていたそうです😌

徳島城の山城部分には、本丸、東二の丸、西二の丸、西三の丸が置かれていたそうです😌
公園の園路の階段を上って行ってみましょう😊
ワタシがご案内します❗タッタッタッ🐾

園路沿いに石塁が見れました😃
当時のものでしょうか😌

石垣が残っていました😃

ゆっくり上って5分程で、東二の丸跡に到着しました😊
「史跡 徳島城跡 東二の丸跡」の石碑が建っていました😌
奥にも石碑が見えますねぇ😃
「天守跡」の石碑でした😊
東二の丸には三層の天守が設けられていたそうです😌
天守は城郭の最上部に建てられるのが一般的ですが、徳島城では本丸から一段下がったこの場所に置かれていたみたいです😊
なにか特別な意味があったのでしょうか😌
天守の一階は7間(約14m)四方と大きかったそうですが、天守台はなかったそうです😊

東二の丸跡の曲輪の、石垣の角です😌
よくそのまま残っていてくださいました😊

東二の丸跡から、本丸跡へ向かいました😊
見えてきたのは、本丸跡の石垣です😃
草木等が生えて趣のある石垣です😊
お城の遺構を後世に残すために、また、公園の園路の安全等考えると、修復が必要かもしれませんが、こうゆう雰囲気も残して欲しいですねぇ😌
本丸跡に来ました😃
本丸は、標高約61mの城山頂上に置かれた曲輪です😊
山城部分のなかでは最も面積が広く重要であったそうです😌
本丸には、中央に置かれた御座敷と城山の管理人であった御城山定番の詰めた御留守番所のほか、弓櫓や東西の馬具櫓、武具櫓、火縄櫓が設けられていたそうです😊
櫓は戦いの際には防御施設となりますが、普段は武器を収めていたみたいです😌
藩主は城山麓の御殿で暮らし、城山に登ることは稀でしたが、この御座敷にも藩主専用の部屋があり、台所も設けられていたそうです😊
また本丸東部に置かれた鐘は城下町の火事の際に打ち鳴らされ、町人たちの危急を救いました😌
本丸の出入り口は東西の門が使われていたそうですが、北口には御座敷の建物で隠された非常時の脱出口(埋門)があったそうです😊

ここから城下町が一望できたのでしょうね😌
向かいには眉山が見えました😃

「弓櫓跡」の石碑がありました😊
石垣の上に櫓が建っていたのですね😌

本丸跡から、西二の丸跡へ向かいます😊
この辺りに、本丸の西の門があったのでしょうか😌

両側に石垣が残っていて、お城の形のまま公園に整備されているようです😊
いいですねぇ😌

少し下って、西二の丸跡に着きました😊
「史跡 徳島城跡 西二の丸跡」の石碑がありました😌
西二の丸には、鉄砲櫓と帳櫓が設けられていたそうです😊

「帳櫓跡」です😊
こちらには入口の石段も残っているみたいです😃

これより更に西側に、西三の丸跡があります😌
西三の丸には、材木櫓と平櫓が設けられていたそうです😊
西三の丸の跡地には、現在水道配水池が設置されているらしく、行けないみたいでした😌

石垣の遺構を眺めながら、山麓へ下りてゆきましょう😊

城山から下りてきて、今回のお城めぐりは、終了です😌
山城部分には、思っていたよりもずっとお城の遺構が残っていて、素晴らしかったです😃
城跡として、石碑などの整備がされているのも、とても良かったです😊
それでは最後に城山を眺めながら、在りし日のお城の姿を思い浮かべましょう😌

…ハッ、
失礼しました、以上です😌
こんちゃんがお送りしました😊
また次のお城めぐりでお会いしましょう😌

徳島城跡・1(2019年2月)

2024年09月17日 | こんちゃんのお城めぐり
2019年2月26日(火)
おはようございます、こんちゃんです😊
徳島旅行3日目は、こんちゃんのお城めぐりから始まります😌

訪れたお城は、徳島中央公園にある徳島城跡です😃
下乗橋近くにあった案内板によると、
「徳島城は、天正13年(1585年)に阿波国(17万6千石)の領主となった蜂須賀家政(1558〜1638年)によって建設されました。
築城にあたっては、天下人豊臣秀吉の命により伊予の小早川隆景や土佐の長宗我部元親、比叡山の僧侶が協力しました。
徳島城は標高約61mの城山と、北を助任川、南を寺島川(現在のJR線路)に囲まれ、東には堀を設けた、自然の地形を巧く利用した城でした。
徳島城の構造は、山上の本丸、東二の丸、西二の丸、西三の丸、南麓の御殿(一部は現徳島城博物館)、西麓には隠居した藩主等の住んだ西の丸からなる平山城でした。」と説明がありました😊
現在では石垣や表御殿の庭園を残すだけとなっているそうです😌

それでは始めましょう😊
こんちゃんのお城めぐり第146回「徳島城跡」です😃
写真は、「国史跡 徳島城跡」の立派な石碑で、鷲の門の前に建っていました😃
平成18年に国指定史跡に指定されたそうです😊

モビちゃんを北東にある駐車場に停めて、南東の鷲の門へ向かいました😊
見えてきたのは、堀川に架かる数寄屋橋です😌

徳島城の鬼門(北東)にあたる門が、旗櫓の下にあった数寄屋門だったそうです😊
不明門とも呼ばれ、凶事の際以外には開かれることのない門だったみたいです😌
その東側の数寄屋橋は、長さ12m、幅3.5mの太鼓橋だったそうで、現在は往時をしのばせる木製の橋が架けられていました😃

石垣と堀川です😊
徳島城の東を守るために設けられた人工の堀で、徳島城の内堀となっているそうです😌
助任川から導水しており、黒鯛(チヌ)、ボラ、ウナギ、エビなどの姿をみることができるそうです😊

内堀と石垣がよく残っていて、素晴らしいです😃

鷲の門に来ました😊
徳島城の巽(南東の方向)に位置する表口見附のこの門は、造りが脇戸付の薬医門で、幕府に鷲を飼うからと申し立て建造したことからその名があると伝えられているそうです😌
昭和20年の徳島大空襲によって焼失してしまったそうですが、平成元年に復元寄贈されたそうです😊

鷲の門を入った先に、下乗橋があります😊
御殿への正面出入口にあたり、この橋を渡ると枡形が設けられ石垣や門によって厳重に守られていたそうです😌
橋の名前は、橋の前で駕籠、馬などの乗り物から降りて歩いて渡ったことに由来しているみたいです😊
以前は木製の太鼓橋でしたが、1869年に花崗岩製となり、1908年現在のように水平の橋に改造されたそうです😌

下乗橋を渡ってゆくと、枡形の石垣が迫ってきます😃
ここに、櫓門などがあったのでしょうね😊
想像してみましょう😌

矢穴跡のある巨大な石もありました😃
カッコいいですねぇ😌

枡形の立派な石垣が残っていましたね😌
感動です😃

枡形を抜けると、徳島中央公園お花見広場です😊
お城だった時は表御殿が建っていた場所になります😌
その奥に、徳島市立徳島城博物館がありました😊
ぺろ氏が、スタンプを押しに行っていましたね😌
旅行で訪れていたので、ゆっくり見学することが出来ず、残念でした😞

その代わりとゆってはなんですが、隣にあった、「旧徳島城表御殿庭園」は見学してゆきましょう😊
国指定の名勝であるこの公園は、もと徳島藩主蜂須賀公の居間や表書院の庭として作られたみたいです😌
上田主水(宗箇)の作庭と伝えられる桃山様式の名園なんだそうです😊
枯山水庭と築山泉水庭の二庭からなり、廻遊式で園内の散策が楽しめるらしいですよ😃

「名勝 旧徳島城表御殿庭園」のパンフレットに見所が載っていたので、そちらを見学してきました😊
こちらは、南側に位置した枯山水庭園です😊
「枯池に架かる自然石の橋」が奥に見えます😊

初代藩主蜂須賀至鎮公(義伝公)踏割の伝説のある長さ10.5m、重さ約13㌧の自然石橋(緑泥片岩)なんだそうです😃
義伝の踏割石、地団駄橋といわれているらしいです😌
とてもきれいな色の石で、その大きさに圧倒されました😲

「枯山水庭園の切石橋」です😊
御影石(花崗岩)を加工した、長さ6mの豪華な切石橋が架かっていました😌
桃山様式の庭園であったため、橋が多用されているそうです😊

「東部築山の陰陽石」です😊
子孫の繁栄を祈る祈願石で、この巨石は、また髑髏にも見立てられ、穴の内側に耳を寄せると、地獄の釜のたぎる音が聞こえるともいわれているそうです😅

「花崗岩のくりぬき井戸」です😌
旧藩時代の井戸なんだそうです😊
下部は緑泥片岩積みとなっていて、当時いかにして水を吸い上げたかは不明らしいです😌

「観音堂跡」です😊
藩主がくらした御殿の「鬼門」(東北)にあたるため観音堂を設け、観音を祀ったとされているそうです😌

「御祠堂跡」です😊
儒教方式の藩主墓所「万年山」(徳島市佐古山町)と連動し、安永9年(1780年)に設けられた先祖の祀堂があった場所みたいです😌

「心字池」です😊
草書体の心という字形に作られているそうです😌

水は自然湧出水で大体足りていましたが、地下樋道(現在は不通)により内堀と連結し、潮の干満とともに水位が変わるので藩主は居間に居ながらにして潮の満ちひきがわかったそうです😲
お殿様ってすごいですねぇ😅

「御影石をくり抜いた井戸」です😊
飲み水等の確保のため、城内にはいくつもの井戸が掘られたみたいです😌
こちらは他国産(阿波国外)の御影石をくり抜いて作った豪華な井筒なんだそうですよ😃

次は、本丸のある標高約61mの城山を登ります😊