2019年2月26日(火)
引き続きこんちゃんのお城めぐりです😊
徳島城跡のある、徳島中央公園に来ています😌
徳島市立徳島城博物館の奥に、「阿波藩祖 蜂須賀家政公」の像がありました😊
幕藩時代を通じ蜂須賀家が十四代にわたって居城し、二百八十余年の間、阿波・淡路両国25万7千8百石を治めていたそうです😌
徳島城の山城部分には、本丸、東二の丸、西二の丸、西三の丸が置かれていたそうです😌
公園の園路の階段を上って行ってみましょう😊
ワタシがご案内します❗タッタッタッ🐾
園路沿いに石塁が見れました😃
園路沿いに石塁が見れました😃
当時のものでしょうか😌
石垣が残っていました😃
ゆっくり上って5分程で、東二の丸跡に到着しました😊
石垣が残っていました😃
ゆっくり上って5分程で、東二の丸跡に到着しました😊
「史跡 徳島城跡 東二の丸跡」の石碑が建っていました😌
奥にも石碑が見えますねぇ😃
「天守跡」の石碑でした😊
東二の丸には三層の天守が設けられていたそうです😌
東二の丸には三層の天守が設けられていたそうです😌
天守は城郭の最上部に建てられるのが一般的ですが、徳島城では本丸から一段下がったこの場所に置かれていたみたいです😊
なにか特別な意味があったのでしょうか😌
天守の一階は7間(約14m)四方と大きかったそうですが、天守台はなかったそうです😊
東二の丸跡の曲輪の、石垣の角です😌
東二の丸跡の曲輪の、石垣の角です😌
よくそのまま残っていてくださいました😊
東二の丸跡から、本丸跡へ向かいました😊
東二の丸跡から、本丸跡へ向かいました😊
見えてきたのは、本丸跡の石垣です😃
草木等が生えて趣のある石垣です😊
お城の遺構を後世に残すために、また、公園の園路の安全等考えると、修復が必要かもしれませんが、こうゆう雰囲気も残して欲しいですねぇ😌
本丸跡に来ました😃
本丸は、標高約61mの城山頂上に置かれた曲輪です😊
本丸は、標高約61mの城山頂上に置かれた曲輪です😊
山城部分のなかでは最も面積が広く重要であったそうです😌
本丸には、中央に置かれた御座敷と城山の管理人であった御城山定番の詰めた御留守番所のほか、弓櫓や東西の馬具櫓、武具櫓、火縄櫓が設けられていたそうです😊
櫓は戦いの際には防御施設となりますが、普段は武器を収めていたみたいです😌
藩主は城山麓の御殿で暮らし、城山に登ることは稀でしたが、この御座敷にも藩主専用の部屋があり、台所も設けられていたそうです😊
また本丸東部に置かれた鐘は城下町の火事の際に打ち鳴らされ、町人たちの危急を救いました😌
本丸の出入り口は東西の門が使われていたそうですが、北口には御座敷の建物で隠された非常時の脱出口(埋門)があったそうです😊
ここから城下町が一望できたのでしょうね😌
ここから城下町が一望できたのでしょうね😌
向かいには眉山が見えました😃
「弓櫓跡」の石碑がありました😊
「弓櫓跡」の石碑がありました😊
石垣の上に櫓が建っていたのですね😌
本丸跡から、西二の丸跡へ向かいます😊
本丸跡から、西二の丸跡へ向かいます😊
この辺りに、本丸の西の門があったのでしょうか😌
両側に石垣が残っていて、お城の形のまま公園に整備されているようです😊
両側に石垣が残っていて、お城の形のまま公園に整備されているようです😊
いいですねぇ😌
少し下って、西二の丸跡に着きました😊
少し下って、西二の丸跡に着きました😊
「史跡 徳島城跡 西二の丸跡」の石碑がありました😌
西二の丸には、鉄砲櫓と帳櫓が設けられていたそうです😊
「帳櫓跡」です😊
こちらには入口の石段も残っているみたいです😃
これより更に西側に、西三の丸跡があります😌
これより更に西側に、西三の丸跡があります😌
西三の丸には、材木櫓と平櫓が設けられていたそうです😊
西三の丸の跡地には、現在水道配水池が設置されているらしく、行けないみたいでした😌
石垣の遺構を眺めながら、山麓へ下りてゆきましょう😊
城山から下りてきて、今回のお城めぐりは、終了です😌
石垣の遺構を眺めながら、山麓へ下りてゆきましょう😊
城山から下りてきて、今回のお城めぐりは、終了です😌
山城部分には、思っていたよりもずっとお城の遺構が残っていて、素晴らしかったです😃
城跡として、石碑などの整備がされているのも、とても良かったです😊
それでは最後に城山を眺めながら、在りし日のお城の姿を思い浮かべましょう😌
…ハッ、
失礼しました、以上です😌
こんちゃんがお送りしました😊
また次のお城めぐりでお会いしましょう😌