5/30 クリムト スーさんを聞いていて
いろいろ知ったこともあるけど、思い出したこともあった。
あれは何年だったか。
クリムトの小さい展覧会があった。
場所は渋谷の東急本店の横の、名前が出てこない、なんとか館だ。
今、男の白鳥の湖を7月にやるところだ。
フランスでもヨーロッパでもクリムトは見たことがある。
有名な人、絵だったので、親戚の画好きの子供たちを連れて
見に行ったのだ。
おしゃまな女の子は教科書で見て知っていると接吻を見て言った。
でも今日のスーさんの収穫はゲストの浦島さんが
猫とフジタ ツグxx の画集が出版されたことを言ってくれたことだ。
フジタの絵はすごく特徴がありすぎて、大好きだとは言えない。
プリントを買って壁にかけたいとも思わない。
でも、見てみたい。 2000円くらいするから買えないけど。
フジタはフランスのランスという町に美術館かある。
シャンパンのランスだ。
何度かランスに行った時、時間のある時に見に行ったことがある。
フランスに帰化したフジタだけど、フランス人はフジタをフランス人と言う。
帰化したとは言わない。
この辺の感覚は日本人にはわからないと思う。
5/30 アムールトラのしょうへい 今朝聞いた話
どこの動物園か知らないけど、野生に戻したいのかいと聞きながら思った。
人間に慣れてほしくないらしいのだ。
見にくる人もショウヘイなんて呼ばないで見てほしいと聞こえた。
野生に戻したいなら仕方ないだろう。
でも、人間に慣れることは野生を失うことではない。
ライオンのエルザを読んだことはありますか?
エルザは母親が殺され、人間の夫婦に育てられたライオンのメスだ。
もう人間の親にベッタリで、それなのに、あるとき、その親がエルザを野生に離したのだ。
この本は日本語で読んでしまったので、親の真意はわからない。
なんで、なんなに何年も過ごしてから野原に戻したのだろう。
私は本を読みながらなんで、と何度も言った。
エルザは途方にくれる。
1週間かそこらして、戻ってみると、エルザはほとんど同じところにいた。
親を見ると喜んで駆け寄ってきて、持ってきた餌を安心して食べた。
でも親は再び、エルザをそこに残した。
それから1年か2年経って、エルザは子ずれで帰ってきたのだ。
親はもしかしたら、エルザが”男”を欲しているかもと考えたのかもしれない。
エルザと子供3頭?は親の家で暮らす。
子供たちは親にも慣れているようだったけど、時に野生そのもので親を軽くひっかいたり
噛みついたりしたらしいけど、
エルザは見て見ぬふり。
エルザの本は数巻にわたっているので、全部思い出せない。
でも、こういうエルザのような関係は肯定できませんか?
さらに先日投稿したばかりの野生のチータとチータの写真をそばで撮りたかった男の話。
彼は野原で、チータの側でジリジリと生活し、野生の動物によっては無害と判断すると
受け入れることもあるのだけど、このチータも男が側にウロチョロすることを受け入れた。
このチータも子供を産んだ。
4頭いたと思う。
男は子供がいてもチータに受け入れられた。
病気の子を治療して助けたこともある。
病院から戻ってきた、助かった子を母チータを迎え入れた。
やがて子供に餌がとれるほど育ててから、母チータは新しい男を求めて去った。
子供は残った男を母親代わりのように甘える。
でも、男はチータたちがしっかり野生に生きるようにこの機会に去ったのだ。
こういう関係はどうですか?
そのアムールトラが、檻の中で餌をあげた人が背を向けた途端に
噛みついてくるみたい関係にしておきたいのですか?
人間が愛してやることは野生を失わせることではない。
絶対にない!
5/30 奈良の鹿 Nスタ 抱き上げるなんてもってのほか
奈良の人たちは鹿との共存をマスターしている。
ハセンさんの見せてくれた映像で横断歩道を人間と渡っている鹿を見て
いいね! と思った。
私は修学旅行で京都は行ったけど、奈良は記憶がない。
でも今は修学旅行生だけでなく、外国の観光客もたくさん来ていて
見ていてイラつくのは鹿せんべいを鹿にやるのにじらせる人がいることだ。
慣れているとはいえ、奈良の鹿はれっきとした野生だから
餌が目の前にあるのに食べられないとなると
餌をもっている人は”敵”にも見えてくるのだ。
鹿に頭突きを食らっても当然といえば当然なのだ。
今は鹿たちはベビーラッシュらしい。
小鹿は可愛い。
つい、餌をやるだけでなく、触ったあげくに抱き上げたりする人が出てくるのだ。
子供の頃、小鹿物語に猟に出た父親が小鹿に触れてはいけないよ
人間の臭いがすると、母鹿は逃げてしまう と言っているくだりがあるのだ。
父がその本を買ってくれた時は小学校3年くらいだったから
当時から私はこのことを知っていた。
そういうことを知らない人が大半ってことなんだろう。
小鹿物語は昔のアメリカが描かれているけど
動物、自然のことなど実に今でも通じることが書かれていて
この本は今でもあるだろうからぜひ読んでほしい。
熊が残虐な動物であることを熊騒動が起きていたころ書いたけど
小鹿物語で読んだことだ。
でも、私は逆の経験もしている。
フランスで友人宅に行ったときのことだ。
そこの犬が子供をもっていた。
その子の名前が今出てこない。
ベッキーだ、読み返していて思い出した。
日本ではあまり見かけない猟犬だ。
子犬はもうチョロチョロ歩きだしていて、まだ母乳だったけど
離乳食も食べる年になっていた。
私は食事の後に、子犬用にとっておいた肉片をやった。
母犬はそれをじっと見ていた。
私は彼女の顔をチラっと見て、許されていると思っていた。
その後だ、彼女の態度が変わったのだ。
私たちはもう顔見知りで、行けは喜んで迎えてはくれていた。
でもこの昼の一件のあとは、
彼女は私に甘え、お腹を見せてベタベタしてくれるようになったのだ。
小鹿の母親は側で見ている。
小鹿に何か食べ物をやって、それから母親がその人にどういう接し方をするか知らない。
でも、私が現場にいたら、小鹿のお母さんも探して、お母さん鹿にも同時に
食べ物をあげると思う。
ぐるみで可愛がるのが手っ取り早いのだ。
こういう共存ができれば、人間が出た!と追い掛け回すようなことをしなければ
熊や、イノシシ、猿なんかとも共存方法があるかもしれないと
私は思っているのだけど。
5/30 奈良の鹿 Nスタ 抱き上げるなんてもってのほか
奈良の人たちは鹿との共存をマスターしている。
ハセンさんの見せてくれた映像で横断歩道を人間と渡っている鹿を見て
いいね! と思った。
私は修学旅行で京都は行ったけど、奈良は記憶がない。
でも今は修学旅行生だけでなく、外国の観光客もたくさん来ていて
見ていてイラつくのは鹿せんべいを鹿にやるのにじらせる人がいることだ。
慣れているとはいえ、奈良の鹿はれっきとした野生だから
餌が目の前にあるのに食べられないとなると
餌をもっている人は”敵”にも見えてくるのだ。
鹿に頭突きを食らっても当然といえば当然なのだ。
今は鹿たちはベビーラッシュらしい。
小鹿は可愛い。
つい、餌をやるだけでなく、触ったあげくに抱き上げたりする人が出てくるのだ。
子供の頃、小鹿物語に猟に出た父親が小鹿に触れてはいけないよ
人間の臭いがすると、母鹿は逃げてしまう と言っているくだりがあるのだ。
父がその本を買ってくれた時は小学校3年くらいだったから
当時から私はこのことを知っていた。
そういうことを知らない人が大半ってことなんだろう。
小鹿物語は昔のアメリカが描かれているけど
動物、自然のことなど実に今でも通じることが書かれていて
この本は今でもあるだろうからぜひ読んでほしい。
熊が残虐な動物であることを熊騒動が起きていたころ書いたけど
小鹿物語で読んだことだ。
でも、私は逆の経験もしている。
フランスで友人宅に行ったときのことだ。
そこの犬が子供をもっていた。
その子の名前が今出てこない。
ベッキーだ、読み返していて思い出した。
日本ではあまり見かけない猟犬だ。
子犬はもうチョロチョロ歩きだしていて、まだ母乳だったけど
離乳食も食べる年になっていた。
私は食事の後に、子犬用にとっておいた肉片をやった。
母犬はそれをじっと見ていた。
私は彼女の顔をチラっと見て、許されていると思っていた。
その後だ、彼女の態度が変わったのだ。
私たちはもう顔見知りで、行けは喜んで迎えてはくれていた。
でもこの昼の一件のあとは、
彼女は私に甘え、お腹を見せてベタベタしてくれるようになったのだ。
小鹿の母親は側で見ている。
小鹿に何か食べ物をやって、それから母親がその人にどういう接し方をするか知らない。
でも、私が現場にいたら、小鹿のお母さんも探して、お母さん鹿にも同時に
食べ物をあげると思う。
ぐるみで可愛がるのが手っ取り早いのだ。
こういう共存ができれば、人間が出た!と追い掛け回すようなことをしなければ
熊や、イノシシ、猿なんかとも共存方法があるかもしれないと
私は思っているのだけど。