福岡県医療用ウィッグ(かつら)を作る再現美容師chikaブログ

美容師のわたし…シングルマザーのわたし…乳ガンだったわたし…更年期障害と闘ったわたし…素直な想いを綴り伝えたい

闘病中…ハサミを握った回数

2009-08-31 08:58:05 | 日記

スタイルを創りたかった。毎日シザー(ハサミ)を握りたかった。


闘病生活中で自身との約束は病に打ち勝つ事でした

上記に書き込みした言葉は闘病生活中に願っていた言葉です


病に打ち勝てば
願っていた事が叶えられる

サロンワークは私にとって楽園
早く帰りたいな


サロンワーカーとしてサロンに立つ自身を辛い時苦しい時も描き続けました。

だんだんとテンションが上がる度に、

春に相応しい服を購入しました
夏に相応しい服を購入しました


まだカムバックは無理だな

この服の御披露目は来年になるけど…まっいいか(笑)

お客様は私の服装をいつも楽しみだと言ってくれていました


自分を諦める心が一番怖い心だと感じています。


同じ癌フレンドは皆さんキラキラ輝かれていました

自分のためだけではなく 『ひとの為に』と言う気持ちが大きく感じました。


それぞれの愛する職業から

休職中はハサミを握ってスタイルを創ったのは
ウィッグを創った時
癌フレンドのウィッグを創った時
子供達の髪の毛だけでした

ずっとずっと高めていたんです

心から…
美容師としての社会復帰を



続・セカンドオピニオン

2009-08-31 04:21:45 | 日記

九州地方に所在している病院へ、電話をかけたのは、昨年秋だった。
お世話になっている病院が閉鎖し違う病院と確実に入れ替わると決まった頃でした
新たな病院の院長先生の、理念や患者や地域社会的に力になりたいと言う気持ちも勿論理解していましたがやはり癌に強い病院や病院システム的に組織が大きい病院が必要だった。
乳腺外科の医師がたくさん整っている病院が必要だった。
有難い事に私の主治医は、乳腺専門医・乳腺の名医だと噂だった。
触診で癌がわかる先生だと噂だった。
でも、退職が決まり違う病院へ移籍が決まっていました。
主治医一人だけに…気持ちが依存してしまうのが怖かった。
一般的な大学病院しか、関わりがなかった私には、がん専門病院が気になって仕方がなかった。
がん専門病院システムを知り、乳腺外科先生の整っている人数、乳腺外科のトップに立たれているドクターにセカンドオピニオンで、色々な事を聴きたかった。私には子供との約束がありました。


自分のサロンを持つ事

がんを患った時には、その夢も一度は白紙に戻した自身がありました。
闘病生活を乗り越える事、美容師として右腕にリスク負っても無事カムバックできるのか?
と言う大きな問題を現実的に受け止めて、今を一番に考えていました。
独立の夢より、先ず美容師としてしっかり歩める毎日を過ごす事の方が一番大切な事だと自身に言い聞かせていました


母子家庭で癌患者ってこの先行きしあわせってくるんか?


と問いかけられた言葉には勿論返す言葉すら浮かびませんでした
副作用から脱毛し一番辛い時期の心ない質問を受けて
必ずカムバックしてやると強い気持ち…ファイティング闘志が蘇った記憶があります


セカンドオピニオン

2009-08-29 21:09:15 | 日記

2009・2月
初めてセカンドオピニオンを受けました


セカンドオピニオンの大切さは、主治医から聞いていました


患者が不安になっていては病状もよくなりません。 主治医はセカンドオピニオンの事を私に説明してくれました。


山の頂上に上がる為には、色々な登り方があります。この方は右を
この方は左を

考える意見を二人に聞いて又考えたらいいのです。


セカンドオピニオンとは…

主治医が他の病院にも存在すると言う事です。


問いかけて聞いて考えて最終的に決断する事や安心できる最良な方法は…患者本人が決める事です。


私の主治医は告知前から退職が決まっていました。

このカルテには貴方の全てをきっちり書き込んで行きます。だから全てを正直に隠さずお伝えください。 将来的に貴方の身に何かしら起これば、信頼おける病院にこのカルテを持参してセカンドオピニオンを受診し…二人の子供達の為にも闘うのです。


告知直後の主治医の残された言葉には深い想いが伝わりました。


私は癌に強い心あたたかい病院を二年間ずっと探して来ました。


そして、2つの病院に電話連絡し…
九州福岡県に所在している病院へセカンドオピニオンを決めました。



主治医から言われていた事

2009-08-27 23:00:40 | 日記

闘病生活中で、子供達の習うサッカースクールのギャラリー見学を必ずする事

感動し感激し興奮する事は発ガン性阻止する治療法と言われました。


早く社会復帰できるように願って下さいました。


美容師は毎日たくさんのお客様と接します。
その空間と時間の中には、様々なドラマが訪れます。

お客様のお話の中で、感動し感激しワクワクできる時が毎日訪れます


美容師にカムバックすると毎日サロンで阻止治療に繋がると主治医は伝えたかったことに気づいたのは


8ヶ月の闘病生活を終えて美容師カムバックを果たした時でした


1日の中で何十回もの笑いと笑顔とありがとうと感謝と言う言葉の数々が繰り返されるこの喜びは


再発の恐れより以上にいや私は克服できたんだと言い切れる域に導かれたのも、セカンドオピニオンを受信してからだった

私にとって大きな転機を迎えたのは

2007…2年前の癌告知~

2009…今年阻止治療を目前

セカンドオピニオンの大切さを次回書き込みしたいと思います



闘病中決めていた事

2009-08-25 22:03:22 | 日記

苦しい中でも笑顔を絶やさなかった。
それはわが子二人がいつも笑顔をプレゼントしてくれていたからでもありました笑顔はひとをHAPPYに導く力がありました


シングルの私の医療費は、国が支援して下さっていました
癌治療には莫大な金額がかかります。


社会復帰できれば必ず同じ女性達に乳癌検診の必要性や早期発見早期治療で命拾いできる事を伝えたかった


美容師として社会復帰できれば、誠心誠意もって、癌闘病で脱毛になられた方脱毛症の方へのウィッグの調整カットやアドバイス似合うウィッグを作り上げお洒落を楽しみ、毎日を素敵にHAPPYなライフを過ごして頂ける提供をしたいと心から願いました。


私が闘病生活中で色々なウィッグを日替りで楽しみ、お洒落を楽しむひとりの女性としての喜びを伝えて行きたかった


髪型が決まれば気持ちも変わりますし何より笑顔に戻れますから


髪の毛は女性の命


美容を通じて社会貢献できるかつら再現美容師になろうと心に誓いました




闘病中の風の噂

2009-08-24 02:22:12 | 日記
スタッフには私のお客様には病状を正直に伝えるように告知後でミーティングに加わった時に伝えましたがスタッフは伝える事は出来なかった。それも配慮だったのだと感じています。 プロとして…
お客様に不安感を抱かせない配慮が私は伝えたかった

私のアドレスを知っている顧客は少なかったからこそ何とか伝える事ができないのか?と悩みました。


休職中に道端で一人の顧客と偶然再会できました

顧客は私の目の前で号泣してしまわれました


もぅ会えないと思っていました一度だけスタッフの方には尋ねたのですが…いいずらい雰囲気だったので悩んでいました。
友達の間では、もう戻って来ないと噂がたっていましたから…復帰されますか?
乳癌を患った事全てを私は話しました

復帰必ずしますよ ご心配おかけしましたが、こんなに元気になりました復帰予定は10月…先ずは午前中だけの勤務と考えています右腕もこんなに上がるようになりました。


お客様はどんな気持ちでサロンの空間にいらしたのでしょう


もう迷惑をかけるのは今回限りでありたいな



脱毛、闘病生活中で…

2009-08-20 07:38:55 | 日記

ひとの白さとひとの黒さの両者をたくさん直視し感じました。

癌治療へ必要だと自宅迄に健康食品等の勧誘でした。

色んな治療方法は誰でも試されていて、情報交換も盛んでした。


何を信じ何を試しされ決断し継続するのも本人の意思を尊重してあげなくてはなりません。


残念な事ですが、勧誘だけの利益目的の方も多かったです


見極めの大切さを学べたんだと感じています。


どれがお勧めと言う事は、ブログに記載する気持ちはありません。
癌の種類やひとの体質もそれぞれだからです。


一番伝えたい事は


ストレスをためない事


感動する事


笑う事


プラス思考に変わる事


この事柄は、癌細胞を阻止する力があります


この数年、癌患者さんが本当に増えているストレス社会です


心療内科へ通院されている方も多い世の中です


心の疲れ=心労


と肉体的な病と繋がりがあります


ノンストレスをお互いに目指して行きたいものです



市役所の配慮

2009-08-17 06:42:18 | 日記

市役所の職員の方々は、母子であり、癌と闘う事をいつも応援して下さいました

その気持ちにも応えたい自身がありました。


シングルで8ヶ月の休職期間は経済的にとても苦しい事でしたが、会社の財形貯蓄や将来の夢であった独立貯金を全て生活費に回しました

市役所の方々は


社会復帰する迄の税金分等今の現状をレポート提出して社会復帰してから後払いする事をお勧めします。


告知から今の現状迄に、レポート作成し市長さんへ提出しました。


社会復帰してから後払いする案は成立しました


右腕の状態もかなり良好

会社の配慮から…サロンの受付をしないか?
と伝えて頂きましたが、お断りしてしまいました。


お客様は私を待っててくれていました
再会できてもスタイルを作ってあげれないなんて無理お客様を目の前にすれば、私が担当しますよって…間違えなくサロンフロアに暴走してしまいますから

サロン復帰するって事は、全ての技術ができるって事だと感じていました。


シャンプーやマッサージはアシスタントへ全て頼ればいい…と言う考えは嫌だった
スタイリストは私以外にたくさんメンバーが揃い、忙しくなった場合、サロンの流れに支障を作ってしまいます。


軽はずみに『YES』とは言えなかった。


外見は昔と変わらない元気な姿だけあって、右腕のリスクは見た目には分からない事


リハビリも最終段階に入ります。


ヘァデザイン作りは病院通院での中でも自然体に行っていました

頭の中で

はっきり言って職業病



ドクターストップから…

2009-08-16 01:40:52 | 日記

残す二本の抗がん剤点滴投与にドクターストップがかかりました。
私の骨髄がデリケートな為に略全ての副作用を受けた事、再発しているのならまだしも、阻止治療防止対策だった抗がん剤点滴治療の継続は新たなリスクを負い白血球激減から、抵抗力が無くなり、違う病気の細菌で命取りとなる恐れがあると伝えられました。

違う病院で抗がん剤をブレンドされているとの情報も主治医に伝えましたが、この時のセカンドオピニオンは強く反対されました
主治医は私に
「緊急入院以後は自宅で苦しんでいないか?どんな状態なんだろう?と自宅に帰宅しても気になって仕方がありませんでした。悪い部分は全て取り除いたのですあくまでも阻止治療なのです。よく頑張りました。体調次第で抗がん剤服用タイプに切り替えて阻止治療は二年間頑張って下さい」

主治医の配慮に感謝しました。


服用タイプの抗がん剤は、朝晩二回のカプセルでした

種類も極めて副作用が少ないと言われているタイプでしたが、最初の数日は高熱が出ましたがその時だけの副作用でした


抗がん剤服用タイプのお薬は、まず肝臓へそこから体内に行き渡ります。
ゆっくり行き渡る為、二年間の歳月が必要でした。
主治医の言葉の数々と
お薬の処方箋やお客様で薬剤師の方にもよく相談にのって頂いたおかげで不信感は全くありませんでした

ストレスは発ガン性する恐れが高いとも主治医から伝えてもらえたので、不安に感じたら素直に伝えて納得できる迄とことん向き合う大切さを私は学べました



右腕カムバックを感じながら

2009-08-14 23:59:03 | 日記

父親には…右腕の後遺症が致命傷で先行き美容師が続けれない場合を考慮して、体調が良い日は図書館へ通い何か違う資格を取るように勧められましたが私には美容師しか考えられなかった。


現実問題…右腕の後遺症が原因で仕事ができなかったら生活が成り立たない。

でも私が向かったのは図書館ではなく、グランド側にあった壁の前だった。


テニスしてリハビリしかないやん


自宅では…色彩感覚を身につける為に図画工作が大好きな息子と一緒に絵の具でお絵かき


美術館、京都寺院内での建築を観たり、アクティブに行動を起こしました。


時間を無駄にしたくなかったし、必ず美容師カムバックできると信じて必要で大好きな事を片っ端からやり続けました。


右腕リハビリは自分でも驚く程に動き始めました。

自分なら出来る

時にはバスに乗車し、大好きなサロンの前を往復して、スタッフの働く姿を観て、私もここに戻るからって強いイメージを描きました


私を待ってくれているお客様とスタッフが存在する事を常々脳裏に置きリハビリを頑張りました


待つひとがいなければ、こんなに頑張れなかったはず

ひとの力はスゴいなぁと本当に感謝の毎日でした