今週末はお隣さんと一緒に両日スケート、スキーに行ってきました。近くのタトラ山脈のスキー場は高いので、タトラ山脈の見える村のスキー場へ。この冬、子供たちのお陰で私もスケートは30年振りくらいに(義母の古いスケート靴をもらい)、そしてスキーは10年振りに(お隣のお嬢さんのものを借りて)しました。自転車と一緒で一度覚えたら一生忘れないものとは聞くけれど、本当にそうですね。なかなか上手にとはいきませんがまぁできるものです。
今住んでいるところでは本当にお隣さんに恵まれ、子供たちは一緒によく遊ぶし、私たちも隣と家を行ったり来たり、遊んでいた子供をちょっと迎えに行ったはずがそのままあがりこんでワインを空けて帰ることもしばしば、夏は一緒にランニング、子供のことや、今回のようにスキーやスケート、お隣の奥さんは私のスロバキア生活の強い見方です。
さて、タイトルの国際結婚における障害です。先日、テーブルの上の私がむいたみかんの皮と、マルツェルがむいたみかんの皮を見て、ふとそのことについて思いました。マルツェルが初めて日本に行ったのは冬でした。みかんの美味しい時期で毎日たくさんのみかんを色んなところで食べ、マルツェルが気付いたのは「日本人てみんなみかんの皮のむき方が同じだね」。
確かに、そうしなさいと言われたわけではありませんが、みなさんみかんの皮はたいてい開くように、そして一枚につながった状態でむきますよね。一方のスロバキア人はむき方に意図はなく、むけたようにむきます。水平に2枚にむけたら2枚に、ちぎれてしまえば細かな皮をいくつもむきます。
「国際結婚て文化が違うのだから大変でしょう」とよく言われるのですが、私の返す言葉はいつも同じです。「文化の違いは気にならない。違いを感じるのはお互いの育った環境、それぞれの家庭の価値観・方針。だから国際結婚だから特別大変なわけではなく、それは同じ国の人同士の結婚でも同じだよ。」事実、文化の違いが原因で喧嘩したことってありません。
むしろ私とマルツェルがそろそろ迎えている障害は言葉の壁でしょうか。
私たちの言語環境はというと、私とマルツェルの共通語は英語、子供とはそれぞれ、スロバキア語と日本語です。マルツェルは結婚前まで(おそらく今も)英語よりもドイツ語が得意でした。私の使用可能な外国語は英語で、私もマルツェルも仕事で英語を使っていますがネイティブではありません。
夫婦が外国語で長年会話をしていると、語学力は上がっていくものと思っていましたが、下がってくることがわかりました(私たちの場合)。たとえば私たち、英単語、文法が適当に二人の中間ぐらいのレベルに調整されてきます。単語は英語の他、日本語とスロバキア語、ごく稀にドイツ語が混じり、文法やフレーズはスロバキア語や日本語に近づいてきて、だんだん収集のつかないことになってきます。そして流れる月日とともに言葉が足りないが故の誤解が生じてくるんです。結婚生活の会話って、「お塩取って。」「ありがとう。」だけではありませんからね。家のローンをどう返済していくか(短期間/長期間で返済するメリット)、子供の教育方針、私たちの見据える人生は何か、政治の状況を踏まえつつ、私たちはどこでどう生活すべきか、宗教について、哲学について、本当にありとあらゆる分野について話すもの、拙い外国語で話すには限界が出てきます。余裕があれば寛大に、辛抱強く耳を傾け理解、受け入れることもできますが、子供が生まれてから特に、疲れているとき、イライラしているとき、表現力の足りなさが原因で喧嘩することが結構あります。マルツェルはどちらかの母国語で会話しないとダメだ。日本語を勉強する!と言い出す始末です。マルツェルが日本語を習得するよりも、ここで生活しているだけ有意な環境にいる私がスロバキア語をもう少し極めるべきなのでしょうが、それほどの時間も根気もなく。私は二人で英語を習いたいと思う始末です。
そして、要は一緒に生きて行く上でこれだけ多くの物事の意見が一致しないといけないので、文化の違いよりも、育った家庭環境・価値観の方が大切だと私は思うわけです。
文化の違い、(もしかするとスロバキアと日本だから、そして私たちに限ったことかもしれませんが)、大概の文化の違いはみかんの皮の剥き方の違い程度で、それは面白い発見ではあっても障害ではないと10年ほど一緒に生活してみて感じます。
私は、チェコでチェコ人の夫と暮らしており、子供がいない点は違うのですが夫婦間の共通語は英語です。
本当に書いてらっしゃる通りで、英語力は下がる一方!毎日使っているのに!二人の間で通じれば良いので文法はオリジナルになってくるし、ボキャブラリーは増えないし。私も、私のチェコ語力を高めるべきだとはわかっているのですが、二人で英語を習った方がいいんじゃ無い?と思っています。
英語力は伸びることは無くても下がるとは思っていなかったので、誤算でした・・・。
文化の違いで揉めることは無いものの、言葉の壁は出来れば低い方が良いですねぇ。
共感していただけて嬉しいです。そうですよね、まさか私も毎日話しているのに英語力が低下するなんて思ってもいませんでしたが、確かに気ごころ知れているだけに気が抜けているし、お互いネイティブでもなければ、英語を話す国にも住んでいないので仕方のないことかもしれません。それに加え、もう相手も分かっているような気がして無意識の内に説明を省いていたり、言い忘れてることがあるんです。
ほんと言葉の壁というか、円滑なコミュニケーションは最近私たちの気になるところです。
コメントありがとうございました。
自分が住んでいる国の言語ができないと、税金、保険、子供の進学などの文書を夫に頼りきりになってしまいます。夫に先立たれたらどうしますか?さらに老後、子供は今の国に住み、自分の日本の両親も亡く、今の国に住み続けるしかない場合もありえます。成人した子供に頼るんですか?
若いうちに気付いて習わないと、語学は年とともに難しくなります。
私の場合、スロバキアのしかも地方暮らし、成長したら娘たちは国外に出て行くことと思います。
夫と仲良く過ごす老後は思い描いていますが、夫が若く先立つことは考えてもいませんでした。
まだ来て間もない頃、町のスロバキア語教室に3年連続申し込んだのですが、地方で外国人も少ない環境、定員に満たずクラスが成立しないとのことで語学学校に通うことは断念しました。根気強く義父母が話しかけてくれ、日常生活に必要なスロバキア語力は何とか身に付いたものの、これ以上はもう「自然には」身に付きません。特に文法には苦戦していて、8歳の娘に確認するほどです。
育児に仕事に忙しいから、語学教室がないから(プライベートレッスンはあります)、言いたいことが伝えきれないからつい英語で・・・言い分けはいくらでもありますが、おっしゃる通り、いつまでも言い分けをしてそのままにはしていられないですね。
少しずつでも勉強していこうと思います。
コメントありがとうございました。