中欧の小国、スロバキア、面積は日本の7分の1ほどですが、実は100以上のお城があります。
ただ、残念ながらその多くは廃墟となっています。財政難によって、城の修復、保存ができないんですね。
デヴィーン城もまたそのひとつです。
夏休み中、デヴィーン城に行ってきました。デヴィーン城はブラチスラバの旧市街から10キロほど離れたところにあります。1世紀にケルト人によって城の一部が建てられてから、ローマ帝国時代には強固な城壁となり、1809年にナポレオンに攻め落とされるまで重要な要塞としての役割を果たしていました。
モラヴァ川(右)とドナウ川(左)の合流点に位置し、目と鼻の先の対岸はオーストリアです。
この川がローマ帝国、鉄のカーテン、そして現在はオーストリアとスロバキアの国境となっています。
地図上にあるVIEDENとはウィーンのこと。
デヴィーン城へは旧市街からバスかフェリーを利用して行くことができます。せっかくなのでお天気の良い日を狙ってフェリーで行きました。
ブラチスラバ城を横目にゆっくりと川を上って行きます。4隅に尖った塔のあるこのブラチスラバ城はひっくり返したテーブルとも呼ばれています。さすがはドイツからルーマニアまで流れ、産業に大きく関わるドナウ川、行き交う船の国籍は様々でした。旧市街からデヴィーン城までの所要時間は1時間半、帰りはバスで旧市街に戻りました。
デヴィーン城は首都ブラチスラバにある城なので、正直なところもう少し修復の進んでいる城だと勝手に思い込んでいたのですが、廃墟具合はスピシュ城と変わりありませんでした。スロバキアのお城は他のヨーロッパのお城のようにキラキラしていないんですよね。予算がないので仕方のないことですが。
数年前、スロバキア北部にある廃墟となったスクラビンスキー城が売りに出されたことがありました。村の予算では修復することができないので、新たなオーナーがせめて現状維持をしてくれるだけでも有難いということからでした。
スロバキアにたくさんある歴史的な建造物を未来へ残していけるといいですね。
デヴィーン城公式サイト
旧市街~デヴィーン城のフェリー運航に関して
ただ、残念ながらその多くは廃墟となっています。財政難によって、城の修復、保存ができないんですね。
デヴィーン城もまたそのひとつです。
夏休み中、デヴィーン城に行ってきました。デヴィーン城はブラチスラバの旧市街から10キロほど離れたところにあります。1世紀にケルト人によって城の一部が建てられてから、ローマ帝国時代には強固な城壁となり、1809年にナポレオンに攻め落とされるまで重要な要塞としての役割を果たしていました。
モラヴァ川(右)とドナウ川(左)の合流点に位置し、目と鼻の先の対岸はオーストリアです。
この川がローマ帝国、鉄のカーテン、そして現在はオーストリアとスロバキアの国境となっています。
地図上にあるVIEDENとはウィーンのこと。
デヴィーン城へは旧市街からバスかフェリーを利用して行くことができます。せっかくなのでお天気の良い日を狙ってフェリーで行きました。
ブラチスラバ城を横目にゆっくりと川を上って行きます。4隅に尖った塔のあるこのブラチスラバ城はひっくり返したテーブルとも呼ばれています。さすがはドイツからルーマニアまで流れ、産業に大きく関わるドナウ川、行き交う船の国籍は様々でした。旧市街からデヴィーン城までの所要時間は1時間半、帰りはバスで旧市街に戻りました。
デヴィーン城は首都ブラチスラバにある城なので、正直なところもう少し修復の進んでいる城だと勝手に思い込んでいたのですが、廃墟具合はスピシュ城と変わりありませんでした。スロバキアのお城は他のヨーロッパのお城のようにキラキラしていないんですよね。予算がないので仕方のないことですが。
数年前、スロバキア北部にある廃墟となったスクラビンスキー城が売りに出されたことがありました。村の予算では修復することができないので、新たなオーナーがせめて現状維持をしてくれるだけでも有難いということからでした。
スロバキアにたくさんある歴史的な建造物を未来へ残していけるといいですね。
デヴィーン城公式サイト
旧市街~デヴィーン城のフェリー運航に関して
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