『肖像画の中の科学者』
小山 慶太【著】
文藝春秋 (1999/02/20 出版)
“知らず知らずのうちに科学史を散歩できるミニ列伝”
肖像画から説き起こして事績を紹介。
『恋する天才科学者』
内田 麻理香【著】
講談社 (2007/12/20 出版)
“こんな「偉人伝」いままでなかった。”
これも上掲書に似ている。
肖像画や写真をきっかけに、イケメンであるとか何だとか論じ、私生活や女性関係などを重点的に論じる。
ユニークさを追求したが、その試みがどこまで成功したといえるのか、よくわからん。
唯一取り上げられている日本人の南方熊楠の項で、「1929年=昭和4年に昭和天皇が皇太子だった」という訳の分からない記述があって失笑苦笑。
完全に皇太子時代の昭和天皇に進講したと思い込んで記述している。どこで進講が実施されたのか、ちょっと確かめれば容易に避けられたことであると思われる。
原因は容易に推定できる:新・田辺市民読本「南方熊楠」より■進講・進献
①南方熊楠が昭和天皇(当時摂政宮)へ初めて粘菌標本を進献したのは大正15年11月10日のことで
②昭和4年6月1日。熊楠はこの日、フロックコートを着て神島に向かい、その後、お召艦で秘蔵の収集品をご覧に入れた
・・・上記の①=初めて標本を進献、と②=行幸の際に進講、の事実が一緒くたにされてしまったのであろう。
ネットなどから孫引き、ひ孫引き、玄孫引き・・・53世引き(あるかい!)して出来た出来たと思っているからこういうことになるのだろうな。
編集者は何を見ている?
と、鬼の首を取ったように言ってみても詮無いことである。
ところで、他の学者についても同様の頻度でトンチキ記載があるのだろうか。
かる~いノリで科学に親しみを持ってもらおうとの崇高な意図の下に書かれた画期的な本?なのだろうから、ごちゃごちゃ言う筋ではないのだろう。はいはい。
内田麻理香:カソウケン(家庭科学総合研究所)科学技術コミュニケーター、内田麻理香公式ウェブサイト。カソウケンとは家庭生活を科学する架空の研究所
本書の書評がリンクされている: 賞歴・メディア紹介歴
ま、がんばってください。
ついでに見つけた:1929年6月1日、天皇が南紀伊へ行幸された時、南方は田辺湾上神島近くで、お召し艦長門で進講した
「どこかで読んだエピソード」については根拠不明だな。本当ならば面白いのだが。
小山 慶太【著】
文藝春秋 (1999/02/20 出版)
“知らず知らずのうちに科学史を散歩できるミニ列伝”
肖像画から説き起こして事績を紹介。
『恋する天才科学者』
内田 麻理香【著】
講談社 (2007/12/20 出版)
“こんな「偉人伝」いままでなかった。”
これも上掲書に似ている。
肖像画や写真をきっかけに、イケメンであるとか何だとか論じ、私生活や女性関係などを重点的に論じる。
ユニークさを追求したが、その試みがどこまで成功したといえるのか、よくわからん。
唯一取り上げられている日本人の南方熊楠の項で、「1929年=昭和4年に昭和天皇が皇太子だった」という訳の分からない記述があって失笑苦笑。
完全に皇太子時代の昭和天皇に進講したと思い込んで記述している。どこで進講が実施されたのか、ちょっと確かめれば容易に避けられたことであると思われる。
原因は容易に推定できる:新・田辺市民読本「南方熊楠」より■進講・進献
①南方熊楠が昭和天皇(当時摂政宮)へ初めて粘菌標本を進献したのは大正15年11月10日のことで
②昭和4年6月1日。熊楠はこの日、フロックコートを着て神島に向かい、その後、お召艦で秘蔵の収集品をご覧に入れた
・・・上記の①=初めて標本を進献、と②=行幸の際に進講、の事実が一緒くたにされてしまったのであろう。
ネットなどから孫引き、ひ孫引き、玄孫引き・・・53世引き(あるかい!)して出来た出来たと思っているからこういうことになるのだろうな。
編集者は何を見ている?
と、鬼の首を取ったように言ってみても詮無いことである。
ところで、他の学者についても同様の頻度でトンチキ記載があるのだろうか。
かる~いノリで科学に親しみを持ってもらおうとの崇高な意図の下に書かれた画期的な本?なのだろうから、ごちゃごちゃ言う筋ではないのだろう。はいはい。
内田麻理香:カソウケン(家庭科学総合研究所)科学技術コミュニケーター、内田麻理香公式ウェブサイト。カソウケンとは家庭生活を科学する架空の研究所
本書の書評がリンクされている: 賞歴・メディア紹介歴
ま、がんばってください。
ついでに見つけた:1929年6月1日、天皇が南紀伊へ行幸された時、南方は田辺湾上神島近くで、お召し艦長門で進講した
「どこかで読んだエピソード」については根拠不明だな。本当ならば面白いのだが。