ジュディ犬気分屋ブロぐースタイル

ミックス犬ジュディよりも・・・その飼い主が日々経験したり感じた事柄を書いていく幅広めのブログです。

チビクロのこと(ワンコのおもいで)

2005-09-11 19:32:51 | ワンコ(犬)
今日のお話は私のブログのURLにまつわるお話です。
明日掲載予定分との合計2話のお話になります。

私のブログ、名前は<ジュディ犬気分屋ブロぐースタイル>ですが、サイトのURLはhttp~/chibikuro2005/
です。
Chibikuro=チビクロ。そう、別のワンコの名前から採りました。
今日はこのチビクロのお話です。
と言っても思い出話になりますが・・・・。
大阪が入梅した今年の6/5(土)の朝、8時20分にチビクロは天国へ迎えられました。享年、15-16歳でした。

チビクロは工場で飼っていた番犬ワンコです。
彼が工場にやって来たのは一説には1990年、それより前だと言うものもいますし、後だと言うものもいますが。正確な事はわかりません。
その頃、パートに来ていたSさんというおばさんが飼って貰えないかと連れて来たとのことです。
熊のぬいぐるみのようなモシャモシャした黒い毛で、胸には白い月の輪がありました。
それで付いた名前が「クロ」でした。
この時、工場には「シロ(別名 ジャンボ)」と言う白い大きな犬が番犬として居りました。(シロのお話はまた別の機会に書きますね。)
子犬だった、チビクロはこのシロを慕っていつも一緒について廻っていたそうです。この姿から、いつの頃からか「チビクロ」とも呼ばれるようになりました。

工場は田畑の多い所にありますので、シロもチビクロもあまり鎖に繋がれることなく割合と自由に暮らしていました。
(工場ではペット用の鎖も作っているのですが・・・)
シロは優しい犬でしたが、この辺りのボス犬でもあったようです。チビクロはシロに守られながら、結構腕白な犬に育っていったようです。
その頃には、畑を荒らしたとかで(畑荒らしの事実と、どの程度荒らしたのかは不明なのですが)農家の人により半殺しの目に遭ったらしいのです。
実際、肩の骨は変形していました。(それでも問題なくずーっと元気に暮らしていました。)
シロが引退すると、チビクロがボスを引き継いだようです。柴犬くらいの体格でしたが、かなり強かったようです。
チビクロの子供達がこの辺りには結構いるとのうわさも聞くのですが、いまだ、似たような姿の犬を見た事はありません。
これも地域限定の都市伝説のようなものでしょうか?

そうそう、若い頃のチビクロには自慢できる特技がありました。

ウソではなく、本当に、『おはよう』と『ごはん』が言えたのです。

ただ、1990年中頃以降は言わなくなってしまいましたが。(二十歳過ぎれば何とやらのようですね)

強いチビクロにも唯一苦手なものがありました。それが雷です。
ゴロゴロ言い出すと、急にソワソワし出し、しっぽの毛は逆立って最後にはブルブル震えだします。
そうなるともう、大好きな餌を見せても全く食べません。
恐怖の限界を超えるとお漏らしをしてしまう程、雷には全く駄目でした。
チビクロは先代の社長(父親)を信頼しておりましたので、雷が鳴ると、一目散に工場の中に入り、父親の足元に隠れようとしました。
そして、雷が完全に収まるまでは、決してそばを離れようとはしませんでした。

先代が亡くなった以降は、私の傍に来ていましたが、頼りないのか、結局はお漏らしをしてしまっていました。

半野良な生活を送っていたチビクロでしたが、ついに繋がれる時がやってきました。
先代が亡くなった年、1998年の初冬頃だったと思います。ある飼い主の方が、「散歩をさせているとチビクロが吠え掛かって来て困る」
と言ってきました。その方は、チビクロの事を良く知っている方でした。
吠え掛かる状況を聞いているうちに分かったのは、どうやらチビクロは散歩させている犬にヤキモチを焼いているようだと言う事でした。
そこで、思い切ってチビクロを鎖でつないで散歩させてみました。
するとどうでしょう、全く嫌がるそぶりも見せず、散歩に行くではありませんか。それも嬉しそうに。
散歩させている他の犬に出会うと、さも自慢げに歩くではありませんか。
思った通りです。クロは他の犬が散歩されているのが羨ましかったのです。彼の目には、お供を伴ってのお散歩に見えていたのかもしれません。

『どうだ、俺もお供連れでの散歩だ』という具合だったのでしょう。

その日以降、最後まで鎖につながれるのを嫌がることはありませんでした。

今日はここまでにします。もう少し続きますが、それはまた次に機会に。