持病の話なんぞ少々
タイにきて14年、移住したと同時に発病したのが片頭痛と思われる症状。
原因は何処にあるのでしょうかね。
慣れない気候や気圧の変化に体が対応できなかった?
知らない言語環境に囲まれて精神的に負担が増した?
強烈な紫外線に触れて眼底神経網に異変が現れた?
それとも単なる体質で?
分かりませんが、この病気は厄介です。
ひとたび症状が再発すると頭部がワレそうなほどの激痛に襲われます。
その程度は経験した者にしか分からない苦しみを与えてくれます。
例えていえば、プロフェッサーギルの笛の根に悶え苦しむジロー?
それとも頭の輪っかを念仏で締め付けられる悟空の痛み?
そういえばお分かりにまりますでしょうか(わかるわけないか…)
寝ると逆効果になりまして痛みが10倍増しという特性もありますから、とにかくひたすら耐えるのみ。
そりゃもう地獄も地獄、真面目に「早く殺してくれ!」と言っちゃうレベルの痛みなんですね。
冗談抜きで、この痛みと比べれば「死ぬのは天国」と言っても良いくらいの苦しみ。
頭痛薬はトリプタンをはじめ、どんな最新型の飲み薬も効果無しですから往生しました。
思い返せば初めて発作に襲われた日、うだるような極暑の中を歩いている時でした。
「バファリンでも飲んで寝てれば治るよ」と思い、そのまま強烈な日差しの中を歩いていたのですが、そのうちあまりの痛さに意識が飛んだのです。
気付くと道端にしゃがみ込んでいましたね。
こんな経験は初めての事で「ヤバい脳梗塞かもしれない」とパニックになりました。
それで近くの病院まで這うようにして到着すると、即入院です。
バタ狂う私に薬を飲ませてもゲーゲー吐き続けるだけですから、お尻に注射を打ちました。
なんの薬を注入されたのか分かりませんが、それが効きまして一命を取り止めた感じです。
ベットで目が覚めた時、「あれ?、ココ天国?」と思いましたね。
記憶が飛んでるしホントに天国かと思ったんですよ(笑)
それからというもの、発作が起こるたびに病院行き、そして尻から薬漬け。
こりゃいつか中毒で死んじゃうなと心配しながら3年後、日本の病院から処方されたクリアミンという薬が奇跡的に効果ありまして感激しました。
それからは、命のクリアミンを片時も離さず携帯するようになります。
でもこのクリアミンという薬、「ヤバい、これは来るな」と気づいた時にはサッサと飲んでなくちゃ効果が出ません。
首筋の所からズーンの重くなってきて、目の奥の方からズキズキしだして、頭のトッペン辺りにグイグイ締め付けが来て、おでこの辺りが冷たくなってしまうともう手遅れです。
そんな時は真っ先に病院に直行しないと恐怖の悶絶タイムが決定的になります。
しかし、どんなに気をつけていたとしても薬袋をカバンに入れ忘れる時があります。
そんなときに限って運悪く発作が襲ってくるわけです。
「しまった!」と思った時にはたいてい手遅れ、自宅まで数kmありますから近場の病院に直行して尻注射しかありません。
だから年に一回か二回は尻から薬物注入、少なくとも一か月に一回は発作でクリアミン投薬、この10年間はその作戦で凌いでおります。
クリアミンの成分を調べてみると、エルゴタミン、カエフィン、イソプロピルアンチピリン
の混合です。
片頭痛のほか、血管性頭痛と緊張性頭痛、群発頭痛の治療にも効果があるとのこと。
タイでも似たような薬を売っているのですが、成分が微妙に違ってまして飲んでみても効果がありませんでした。
そんなクリアミン、正直いつ効果が消えるのか気が気ではありません。
効かなくなって毎回尻注射に頼ることになった時、そんときゃ年貢の納め時と覚悟を決めております。
その前に画期的な新薬が開発されてれば嬉しいのですが、そうウマく行くかどうか。
それで思ったりするのですが、昔の人は大変でしたね。
薬が無い時代だけに、こんな症状に見舞われたならばもう人生の終焉です。
泣いても笑っても人生50年が人類の平均耐用年数ですからね。
私の場合は30代後半が寿命だったかもしれません。
仕事が溜まってようが、家に幼い子供が腹をすかして待ってようが関係なくサッサと逝くしかなかった。
まさに♪帰りゃいいが帰らぬときゃあ、この子も風ンなか土になる、この子も風ンなか土になる♪、という歌の情景を想起させられます。
現代のタイでは昔ながらの家族間の助け合い、日本では国による保護政策がセーフティーネットになっていますから、残された子供がすぐに土に成る確率は低いでしょう。
それにしても現代の80歳を越える寿命は医学の進歩により無理矢理伸ばした時間ですから、自然に反する行為だと言えそうですね。
強引に30年も伸ばされた老齢期の生き方なんてのは、過去の聖人や賢人たち、御意見番は語っているのでしょうか。
60歳から80歳の正しい生き方なんてのはあるのでしょうか。
現代の寿命増しで混乱した日本老人たちは若い頃の価値観のみを最高のものとして、いや幻想として追い求めているようでもあり。
薬物を使用してまで、つまり妄想に拍車を掛けて恋愛なり繁殖行動なりに明け暮れるという話は多いです。
医療と経済力は密接に連動しているでしょうから、これも裕福さゆえの文明病と言っちゃえば叱られますかね?
とはいえ、私の持病は完治する兆しもなく、毎月毎月繰り返し襲ってくるわけで、
それへの対処だけで手一杯、浮かれ楽しむ余裕などないのが実情です。
古来インド哲学では憂いがない事をもって「幸せ」だと定義されていたようですが、ほんとにその通りの人生になってみれば、もっともっと足りない分を埋めてゆく、即ちゲットするのが幸せだとされる現代人の通念は単なる幻想だということに気づくことでしょう。
日中50℃を超えるアスファルト上で溶けそうなサンダルの底を気遣っているうちに当初の記憶がぶり返し、そんな物思いに耽ってみました。
タイにきて14年、移住したと同時に発病したのが片頭痛と思われる症状。
原因は何処にあるのでしょうかね。
慣れない気候や気圧の変化に体が対応できなかった?
知らない言語環境に囲まれて精神的に負担が増した?
強烈な紫外線に触れて眼底神経網に異変が現れた?
それとも単なる体質で?
分かりませんが、この病気は厄介です。
ひとたび症状が再発すると頭部がワレそうなほどの激痛に襲われます。
その程度は経験した者にしか分からない苦しみを与えてくれます。
例えていえば、プロフェッサーギルの笛の根に悶え苦しむジロー?
それとも頭の輪っかを念仏で締め付けられる悟空の痛み?
そういえばお分かりにまりますでしょうか(わかるわけないか…)
寝ると逆効果になりまして痛みが10倍増しという特性もありますから、とにかくひたすら耐えるのみ。
そりゃもう地獄も地獄、真面目に「早く殺してくれ!」と言っちゃうレベルの痛みなんですね。
冗談抜きで、この痛みと比べれば「死ぬのは天国」と言っても良いくらいの苦しみ。
頭痛薬はトリプタンをはじめ、どんな最新型の飲み薬も効果無しですから往生しました。
思い返せば初めて発作に襲われた日、うだるような極暑の中を歩いている時でした。
「バファリンでも飲んで寝てれば治るよ」と思い、そのまま強烈な日差しの中を歩いていたのですが、そのうちあまりの痛さに意識が飛んだのです。
気付くと道端にしゃがみ込んでいましたね。
こんな経験は初めての事で「ヤバい脳梗塞かもしれない」とパニックになりました。
それで近くの病院まで這うようにして到着すると、即入院です。
バタ狂う私に薬を飲ませてもゲーゲー吐き続けるだけですから、お尻に注射を打ちました。
なんの薬を注入されたのか分かりませんが、それが効きまして一命を取り止めた感じです。
ベットで目が覚めた時、「あれ?、ココ天国?」と思いましたね。
記憶が飛んでるしホントに天国かと思ったんですよ(笑)
それからというもの、発作が起こるたびに病院行き、そして尻から薬漬け。
こりゃいつか中毒で死んじゃうなと心配しながら3年後、日本の病院から処方されたクリアミンという薬が奇跡的に効果ありまして感激しました。
それからは、命のクリアミンを片時も離さず携帯するようになります。
でもこのクリアミンという薬、「ヤバい、これは来るな」と気づいた時にはサッサと飲んでなくちゃ効果が出ません。
首筋の所からズーンの重くなってきて、目の奥の方からズキズキしだして、頭のトッペン辺りにグイグイ締め付けが来て、おでこの辺りが冷たくなってしまうともう手遅れです。
そんな時は真っ先に病院に直行しないと恐怖の悶絶タイムが決定的になります。
しかし、どんなに気をつけていたとしても薬袋をカバンに入れ忘れる時があります。
そんなときに限って運悪く発作が襲ってくるわけです。
「しまった!」と思った時にはたいてい手遅れ、自宅まで数kmありますから近場の病院に直行して尻注射しかありません。
だから年に一回か二回は尻から薬物注入、少なくとも一か月に一回は発作でクリアミン投薬、この10年間はその作戦で凌いでおります。
クリアミンの成分を調べてみると、エルゴタミン、カエフィン、イソプロピルアンチピリン
の混合です。
片頭痛のほか、血管性頭痛と緊張性頭痛、群発頭痛の治療にも効果があるとのこと。
タイでも似たような薬を売っているのですが、成分が微妙に違ってまして飲んでみても効果がありませんでした。
そんなクリアミン、正直いつ効果が消えるのか気が気ではありません。
効かなくなって毎回尻注射に頼ることになった時、そんときゃ年貢の納め時と覚悟を決めております。
その前に画期的な新薬が開発されてれば嬉しいのですが、そうウマく行くかどうか。
それで思ったりするのですが、昔の人は大変でしたね。
薬が無い時代だけに、こんな症状に見舞われたならばもう人生の終焉です。
泣いても笑っても人生50年が人類の平均耐用年数ですからね。
私の場合は30代後半が寿命だったかもしれません。
仕事が溜まってようが、家に幼い子供が腹をすかして待ってようが関係なくサッサと逝くしかなかった。
まさに♪帰りゃいいが帰らぬときゃあ、この子も風ンなか土になる、この子も風ンなか土になる♪、という歌の情景を想起させられます。
現代のタイでは昔ながらの家族間の助け合い、日本では国による保護政策がセーフティーネットになっていますから、残された子供がすぐに土に成る確率は低いでしょう。
それにしても現代の80歳を越える寿命は医学の進歩により無理矢理伸ばした時間ですから、自然に反する行為だと言えそうですね。
強引に30年も伸ばされた老齢期の生き方なんてのは、過去の聖人や賢人たち、御意見番は語っているのでしょうか。
60歳から80歳の正しい生き方なんてのはあるのでしょうか。
現代の寿命増しで混乱した日本老人たちは若い頃の価値観のみを最高のものとして、いや幻想として追い求めているようでもあり。
薬物を使用してまで、つまり妄想に拍車を掛けて恋愛なり繁殖行動なりに明け暮れるという話は多いです。
医療と経済力は密接に連動しているでしょうから、これも裕福さゆえの文明病と言っちゃえば叱られますかね?
とはいえ、私の持病は完治する兆しもなく、毎月毎月繰り返し襲ってくるわけで、
それへの対処だけで手一杯、浮かれ楽しむ余裕などないのが実情です。
古来インド哲学では憂いがない事をもって「幸せ」だと定義されていたようですが、ほんとにその通りの人生になってみれば、もっともっと足りない分を埋めてゆく、即ちゲットするのが幸せだとされる現代人の通念は単なる幻想だということに気づくことでしょう。
日中50℃を超えるアスファルト上で溶けそうなサンダルの底を気遣っているうちに当初の記憶がぶり返し、そんな物思いに耽ってみました。