タイで子連れ狼

何の因果か運命か、異国の地にて親父単独で二人の子を育てることに。

さあ大変の、てんやわんや育児&生活日記

昔話、おもいっきりタイ人から騙された想い出 その⑤

2016-03-26 11:18:31 | 日記
少し時計の針を戻してみよう。

今から25年~15年前の日本の地方なんてのは、バブルが弾けた余波が残るとはいえ、まだまだ金銭的に豊かで、財布の紐がゆるい人たちが多かった。
海外の民族的な商品が珍しくて、それに円高という追い風も影響して、何かを海外で購入して持って帰れさえすれば大概は売れた時代である。

売れないモノがあったとしても、値段を落としてゆけばいつかは売れるわけで、仕入れの失敗は単なるデーター取りと言っちゃえばいいほど気楽だった。

販売に定価なんて関係ない、テキトーに値付けをして半額と書いとけば飛ぶように売れるので在庫が増える心配もない。

特にチャトチャックマーケットや北タイのハンディークラフト商品はドル箱だった。

こんなボロい商売はなかった、後は販売チャンネルを増やすだけでいいのだから。



ホコ天が大流行り、少額資金でひと山当てろ!?


まあしかし、そんなウマい話なんてのは長く続くはずもなし。

雨後の竹の子のごとく増殖するする同業者にマーケットを浸食されはじめてからは、販売は頭打ち。

フリーマーケットなんかで原価の2倍程度で安売りする学生が増えてきて、やりにくいことこの上ない。

ヒッピー風の学生や運動家風のシロートさんは店舗もなければ従業員もいないわけで、基本運転経費はゼロ。
「次回の旅費が出ればいいや」程度の値付けで同じ商品を売ってくるから困ったもんだ。




また、関西周辺から進出してくる安売り業者なんてのは、定価からウチの半値に設定してくるわけで、その手口のエグさときたら、明らかに地元業者を駆逐する目算が感じられた。

駆逐した後は平然と支店を鎮座させて、さも「ウチが業界大手です」と老舗になりすます話は多かった。

攻めてくる外敵を迎え撃つ地元組は脆弱、大きな競争に晒されたこともない。

団結して向かい打つような試みもなく、個別に撃破されては消えていった。

もちろん地元組の中には大都市東京まで切り込んでいき、或いはイオンモールなどに店舗を出すといった巨額の投資に踏み切り、自らが大手となる道を選びサバイバルを模索する業者もあるにはあった。

それができる会社はほんの一握り、もともと土建屋や飲食業などの本業で成功している会社、つまり資本力がある業者に限られていたのだ。







翻って我が個人商店であるが、アイデア頼みで首の皮一枚、資本力など欠片もない。

それでも消滅するのを指をくわえて見ているほどの無策でもない。

「他社が資本力にモノを言わせた安売り合戦ならば、こちらは逆にオリジナルな高額商品を開発する」

そう思った私は、利益率の低い雑貨類から、なるべく毎年買い替え需要があり、しかも単価の張る商品に少ない資本を集中することにした。




そうこうするうちに、私の大嫌いだった業界、軽く浮いた感が漂うファッション業界とやらへの進出を余儀なくされる。

もともと趣味で母と叔母が創作服を作っていて、ギャラリーやデパートの即売会で販売していたので下地がないわけではない。

東京から都落ちして、無職だった私が初めに手伝った業態もこれだった。



写真は現在のバンコク、スクムヴィット通りの新しいデパートEmQuartierから


当時のバンコクには「ナライパン」という土産物デパートがあって、そこで幅広い商品群を物色しながらパトナムやチャトチャックといった仕入れのメッカで商品を調達していた。

そんな場所でオーダーしたりすると、とんでもないクオリティーの商品が、とんでもない時期に送られてくることは珍しくなく、しかもオーダーしてない別商品だったりするからのけ反りも派手になる。

そんなことだから、どうしても店頭に重ねられている商品から程度の良いものを選んで買い進んでゆくスタイルになってしまうのであるが、店頭に置いてある商品は返品くらった欠陥商品ばかりってことも珍しくなく、
そんな笑えない包囲網を潜る努力は何処にでも用意されていた。

既製品を仕入れて日本に持ち帰り検品してみると、最低でも三割の商品は売れるレベルに届かない低品質なモノが混じり込んでいて、返品したいが税金上持って行けない輸入業者なりの頭痛のネタは多かった。

もちろん衣料品なんてのもトンでも品が多くて、どうしてもデパートなどで並べるような高額商品とはなりえないものばかり。

たまに有るとすれば、思いっきりハイソ系に振った高級シルク衣料で値段もとびっきり、日本とどっちがどっち?っていう金額だ。

デザインだって、タイの上流階級が好みそうなヒラヒラしたモノや、ラメがギラギラ入ったドギツイ色合いとなるので日本マーケットには合っていない。




「その辺りに隙間アリ」と考えた我々は、早速企画をたて、タイの小さな縫製工場を数軒選別し、小ロットから生産を開始した。

できた商品は、今までの既製品を拾い買いしていたものに比べて品質も良く、事業の根幹を成す商品ラインへと育てていくに十分な手応えを感じていた。




それでも、やはり幸運は長続きしない。

なにせタイは知的所有権といった文明社会の常識など通用しないコピー天国。

アイデアやデザインの横流しは日常茶飯事である。




少し詳しく説明すれば、ある業者が持ち込んだアイデアを、「しめしめ」と、「こんなのもウチでは作れますよ」と、他の業者に持ち掛けては仕事を得るような業態なので、結果的に同業者は同じような商品をそろえることになってしまう。

販売される場所がタイ国内であれ、また日本のような外国であれ、消費者としては同じ商品ならば安い方が良いに決まっている訳だからして、いつのまにか薄利多売の値段競争に晒される。




我々輸入販売業者ができることといえば、なるべくマーケットを拡大して数のメリットを生かす事。

組み合わせの妙で、客の目線をかく乱して魅了する事。

怒涛の販売力で、強引に売り上げを伸ばす事。

または、他社が持ちえないオリジナルな商品構成にすること、それくらいであろう。



変なTシャツはタイ人ユーモアの結晶、日本語をモチーフに使っている





ある時、先月オーダーした新しいデザインの商品がまだ入荷もしてないってのに、驚くべき事に、同業他社がすでに店頭販売してたことがある。

偶然イベントで横並びになったために発覚したのであるが、
「こ、これってワシのデザインやん!、なんでお宅が販売してんの?」、とも言えずに、
ガンガン売れる我が商品を横目に地団太を踏んだものだ。


その月末には渡タイして、「一言いってやらないと気が済まない」と商品を受け取りに生産工場へ向かったところ、「あの商品、まだできてませんね」という返事にのけぞった。




よく見ると、その商品が店頭サンプルで並んでたりするし。

「この商品じゃん、ここにあるじゃないよ!」と指摘したところで、眉一つ動かさずに惚け通すことはお手のもの。

「ああ、これね、どうしますかな? こちらはキャンセルしても大丈夫アルよ」
寛容を演出した慇懃無礼な物言いに、一言の苦情も受け付けないという態度が窺える。

それ以上追求したところで「文句言うんだったら他の店に行けばいいじゃん」と、「あんただってウチの商品からパクッてるだろ?、お互い様じゃん!」いわんばかりに奥に引っ込んでしまうだけなので、文句を言える状態でもなかった。




この私のオリジナル商品を横取りした大阪船場系の業者、大量買いの現金払いにモノを言わせて横取りしたことは容易に想像できる。
ライバルの商品だと分かれば、喜々として高値でも買うはずだ。

このように、販売力、つまり購買力に勝る業者にアイデアが集まってゆく流れを塞き止める事は不可能である。

なにせ、生産セクションが簡単に「現金ポン」になびくのだから。

ゆえに業界内では「現金が最強」なんて云われていたのだろう。





ちなみに、今から10年以上前に私が持ってきたアイデア雑貨たちは、少し形を変えて、未だにバンコクやチェンマイの何処の土産物屋でも販売されている。

もちろん、日本のあちらこちらの観光地や問屋街でも売られている。

私が販売した量の数千倍、数万倍の量を生産販売しては、タイ人の生活の糧になってきた商品たち。

誰からも感謝はされないが、その商品を見るたびにイラッとくると同時に、少し誇らしげな気持ちになる時がある。

このような数限りない関係者たちのアイデア、歴史が結集して出来上がっているのが現在の陳列される商品群なのであるが、タイ人の手が加わると、なぜか的を外れた商品となるのはご愛敬。






そういうことで話は戻るが、大手に飲み込まれたり踏みつぶされたりして消えてゆくのも嫌だったし、だからといって、これといったひらめきや打開策がある訳もなし。

「なんとかせねば」と焦りながらも日々の業務に埋没していた時に、あの日本語の堪能な若夫婦と出会う事となった。




お互いの知識や経験がスパークして、新しい商売形態が生み出せる。

「もう失礼千万な横流し生産者たちに頭を下げて注文する必要もなく、堂々とアイデアを持ち込んで独自の高額商品を開発できる」と、生き残りに一筋の光明を見出せていた。 




ところが、この若夫婦に翻弄され、いいように操られてキャッシュマシーンと化してしまうのであるから人生は一筋縄ではいかない。 




いままで知らなかった真実の世界

綺麗事の通じない、人間の欲望と弱さを嫌というほど見せつけられる旅の始まりだ。                                                      

                                              つづくはず

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出国拒否、ハーグ条約って何だべ~?

2016-03-21 15:51:55 | 育児
今年で何回目かなぁ…

長男が3歳の時に保育園でお世話になってから9年間で、春と秋を合わせて12回以上は日本へ短期体験入学へ行かせてますね。

あの事件の時、事業資金すら枯渇して、倒産も止む無しの気分だった時期ですら、子供たちの日本行きイベントは継続してきました。




娘は今回で5回目かなぁ、一昨年の小学一年生の春は大変だったんですよ。

教室で荒れて荒れて、お友達とマジで喧嘩するし。

九州弁と北タイ弁で言葉が通じなかったからか、自分だけ疎外されたと勘違いする事も多かったでしょう。

先生の話によると、喧嘩時にはタイ語でギャーギャー捲し立てたそうです。

お友達、目が点に?? ?w(゜ー゜;)w

もともと我が儘ちゃんだし、不本意な状態に置かれて自分にキレてた部分もあるでしょう。

また先生の個人的な許容範囲ってのも影響するだろうし…、なかなか全ての条件がバシッ!とはまる事は稀ですね。

そうやって、徐々に自分の置かれた環境に順応していった経緯があります。




まあ今年も懲りずに大金を投じて日本行きのスケジュールを捩じり込ませたのですが、これもタイトなスケジュールを調整して世話してくれる姉夫婦、

そして仲間として暖かく接してくれる田舎の小学校の皆さまのおかげで様であります。




もちろん今年も行く気満々の二人のギャングは、行くと決まれば気分が高揚。

浮かれポンチでルンルン気分(;^ω^)

数日前には日本モードに切り替えを始めたようで、動作や態度、使うギャグまで日本仕様で固める用意周到さを見せつけてくれました。




といっても、今年は姉の仕事の都合で小学校の体験入学には参加できません。

春休み中から運動場に併設する「学童さん」に朝からお世話になる予定です。







出発前の夕暮れ

食事リクエストは空港のTG(タイ航空)レストランで激辛トムヤムクン対決


ゴロゴロ入っている大粒のエビを総取りして、

「うめー!うめー!」を連発しながら口に掻っ込む二人。

ウエイトレスの強面おばちゃんが気を利かせてくれて、わざわざプリック・キーヌー(青唐辛子)を別皿でくれたました。

でも、トムヤムとヤムウンセンには唐辛子を混ぜ混ぜして、ヒーヒー汗かく長男。

しばらくオサラバとなる激辛料理との別れを惜しんでいました。




このチェンマイ空港内にあるTGレストラン、10年前まではよく利用してたんですが、高い値段と店員の態度が釣り合わずに足が遠のいていました。

特に「太っちょ」と「強面」の二人のウエイター、それに大柄なウエイトレスの態度が悪くてですね、呼んでも来ないし、注文はイイカゲンで忘れるし、頼んでもない料理を注文したと言い張るし、そして支払い時にはその料理が請求されてたりww




たぶん、タイ航空の使えない社員の窓際対策か何かで経営してるんだろうと思って諦めていたのです。

「デカイ会社も大変だね、コネで入った使えない人員の解雇もできないし」と。




今回行ってみて、その仕事ぶりを観察するに、良い意味で給仕の動きや目配せに違いを感じることができました。

「太っちょ」と「大柄女性」の仕事ぶりや気配りがプロのそれに近くなっていますね。




自分の置かれた立場や期待される仕事内容を受け入れた証拠ですね。

「これは俺の仕事じゃねー、会社は俺を分かっちゃいねー」なんて腐ってたって、自分の人生の改善はありません。

与えられた仕事で最高の効果を追求する、これが次に繋がる秘訣ではないでしょうか。

もう一人の強面男性の姿は消えていますが、高学歴で有能という自己イメージに固執するあまり、自己変革に失敗したのかもしれません。




そんな自分の現実を受け入れる事ができない人は多そうです。

日本ではそんな人に対して、「お前には下働きが関の山、高度な判断なんて任せられるか!」なんて言っちゃう上司は多いのでは?

「自分で鏡を見てよ、その容姿でモデル気取りでキャットウォーク?」なんて言っちゃう人も多そう。




その点、タイは緩やかですから露骨な表現で否定はしませんね。

ひたすら待ちます。

オカマやトムボーイにだって市民権があるくらいだし?

マツコくらい太いのに、セクシー衣装で固めてたり?

自分で気付くまで待つ、それでも気づかないのならば、それはそれでOK。

そういう寛容な、懐の深さがありますね。

日本で寛容にしてると会社がつぶれちゃいますか?

どちらが良いとか悪いとかは分かりませんが、文化の成り立ちが違ってます。






さて食事を終えて、出発イミグレへと向かいます。

食った後は出すもん出して、浮かれダンスまで披露してるww


意気揚々と勝利の門を潜ります。




「僕のタマゴでぴーーーって鳴るかもね」、なんてギャグ飛ばしながらww




オヤジはガラス越しに「頑張って来いよ」とエールを呟きました。







ところが…

なにやら、出国でトラブってますね

姉が必死の形相で説明してますが、

子供の件で、何かのダメ出しを喰らった模様。

隣の外人さんが心配そうに覗いてます。




さっきまで浮かれダンスの長男は完全に固まってしまいました




ガビーーーーーーーン( ̄ロ ̄lll)…




荷物チェックの横にあるイミグレーションカウンターまで戻って来た姉は、なにやら女性職員さんに説明をして、私の方を振り返って手招きしました。




「よっしゃ!」と中に飛び込んで話を聞いてみると、どうやら長男の出国許可が出なかったようです。

父親か母親のどちらかが同伴ならばOKだと?

それ以外の人が連れていく場合は、書類を作成して県庁の承諾が要るととか?




いや~、マイリマシタ~、昨年の10月では問題無しだったんですが、何かルールが変わったのでしょうかね~




ハーグ条約なる欧米基準の国際ルールが発動したのでしょうか。

いやしかし、長男の親権は私にあるわけで、娘の親権は母親にあるわけで?

そんで、なんで娘はOKで、長男はダメなのだ?

さっぱり意味が分かりません。




ハーグって、やっぱり都合により無視されてる?

っていうか、親権があっても関係なしで、何をするにもずっとタイ人親の許可が要るってことになりますから、もう喧嘩別れの場合はニッチもサッチも行きませんね。




こうなったら我々外国籍の親は、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び、屈辱に膝を屈して血の涙を流すことによる効果を期待するしかありません。







さて、いきなりの予期せぬ仕打にショックを受けた長男君、

イミグレ職員の女性の前で、ポロポロと大粒の涙をこぼし出しました。

(。・д・。)。。ゥゥ…




「お~おお~…」と慰めモードに入った職員さんは、「この書類に書き込んで、お父さんのパスポートコピーにサインして…」と矢継ぎ早にお助け策を授けてくれます。




「泣くんじゃねーよコラ、今度は別の窓口に行ってみろ」と策を授けながら、再度の出国カウンターへと送り出しました。




すると、やっぱり引っかかって足止め喰らってます。

先ほどの優しそうな職員さんに向かって、「ちょっとちょっとお姉さん?、またダメって言われてますが?」とお助けを促すと、「任せとけ!」とばかりにスタッと立ち上がって出国カウンターの方へ説得に向かってくれました。

(イミグレ内部で説得工作っていうのもスゴイ話ですが…(;^ω^)




「ま、ダメならダメでしょうがねーか」と、長男の旅費である3万数千バーツを捨てる覚悟でいたところ、数分に渡るお姉さんの説得工作が功を奏したのか、ヒョコッと通過する長男が見えました。




まーあの、ここぞという時の大粒の涙、あれも彼なりの説得工作技なんでしょうけど

子供の涙はハーグに勝るっていうか…

なぐさめの微笑みの国タイならではのエピソードだと、言えるのかもですね(^^;)


これですね、泣いてます(笑) 

そういうことで、無事に日本へ到着する事ができました┐('~`;)┌ヤレヤレ...




今回はいきなりガツンと世間の荒波に揉まれたわけですが、

きっと日本でも荒波の連続に涙を流すことがあるでしょう。





強く、たくましく、育って欲しい!



そういうことで、しばらくの間は食事係から解放されたオヤジ

こんなカップ麺など食べてみました。




ベトナム麺のフォーですね

パクチーをドっチャリ入れて



いっただきまーすO(≧▽≦)O ♪





オヤジに旨いもん食わせたって、これ以上は成長しないしね

これでイイのだ
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しあわせの 赤い半ケチ?

2016-03-19 09:40:11 | 育児
新築で家を手に入れて、はや10年が過ぎました。

ま、当時のタイ国はインフレ爆上げ直前でして、チェンマイの中心市街地区内の外れにある小さな団地の一軒家をローン購入したのですが、基本の値段がですね、今見ると笑っちゃうんですが約100坪の土地付きで260万バーツだったんですね。

日本円にしていくらかな、当時のレートは0.303ということで約860万円くらいでしょうか。

それに増築を施して4LDK+納戸に改造しました。
それでも諸経費込みの合計金額が340万バーツ前後(約1120万円)だったようです。

ちなみに今現在買うとなると、恐らく基本だけで6割り増しの400万は下らないかと思われますから、ビビって買わなかったかもしれません。

当時は日本に比べて激安でしたから、とりあえず頭金を100万入れまして、銀行から150万を20年ローンで借りたと記憶します。

無理して現金ポンってのも考慮したんですが、当時は嫁にブティック店舗を出してやったばかりで200万バーツ程突っ込んでましたから、資金繰りで心もとない状態だったのです。

もちろんフルローンでは借入比率がレッドゾーンに突入しますからNGとなりますので、なるべく頭金を増やしてバランスを取った形です。

なにせタイ国の住宅ローン金利ってバカっ高い。
20年後にローンを完済した時には、2倍の300万を支払った事になります。

現金を持っているならば、現金ポンが正解。
ぜんぜん日本とちゃいますね。


あ~振り返ると、なんだか、希望に胸を膨らませた当時の心境がよみがえってきました。

娘が生まれる直前の時期、「俺の家族、必ず幸せにしてやる」そう誓ったもんです。

その後、四年で家庭が崩壊して、醜い財産争いを演じなければならなくなりましたが、その話は過去記事の通りであります。


っそういうわけで本題に入りますが、

10年経てば、家電もボロボロになりますね。
洗濯機は某隣国企業サム○ンの8kgを使ってたんですが、これがまた頑丈な造りでして未だ不具合もなく元気に稼働しておりまして。
でも、子供二人が大きくなって洗濯が追いつかなくなりました。

また、冷蔵庫は縦3ドアの東芝だったのですが、こちらは温度調節に不具合があり、常に全力冷凍&冷蔵、しかも室内灯が作動せず真っ暗な状態で1年間使用していました。

ガンバレ日本製!!

でも、もうそろそろかなと思い至り、トヨタ自動車のデューラー事業部を合わせ持つチェンマイ最大手の「ニヨム・パニッ」なる家電量販店へ向かいました。


日本メーカーでインバーター付き
我が家にちょうど良いサイズのモノといえば日立しかありません。


こちらですが、赤札が張ってますね。


ズームアップ  ドン!!!



おもいっきり凹んでます。
でも、性能には支障なし! 中も広いんでガラガラ状態。
これで食べ盛りの高校生と中学生の胃袋も満たせることでしょう?


次は洗濯機、ドン!!!



こちらも赤札の名に恥じず、見事に凹んでますね。




いや~、8㎏のサ○スン比べるとデカイですね、15㎏ですからね。
考えて見れば、我が家では初めてのインバーター
省電力で静かなんですか?(よく分からない)

これで、汗かき足クサ軍団のベトベト布団もガンガン洗えます?


お値段ですが、冷蔵庫の方はメーカー希望価格26000Btのところ、実に、15990バーツ(約52000円)でございます。

そして洗濯機、メーカー希望価格18900Bt(だったかな?)のところ
なんと、12990Bt(約42000円)

送料&設置はサービスですし、もちろん旧型はタダで贈呈してあげて

半分はケチった印象となりまして
〆て94000円のお買い物となりました。

やっぱりお買い物は、幸せの赤い半ケチですね((´∀`))


このようにして普段からケチケチ人生を心がけているワタクシなんですが、

その分をブラックホールのように吸い取ってくれる部門をちゃんと抱えております
↓↓


次回の予告


昨晩、子供たちは日本へ旅立つべくチェンマイ空港へと向かいました。

ここで予期せぬトラブルが勃発! さてどうなる、無事に日本へ行けるのか?

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1.2メートルの巨人と、チャオプラヤー川が汚い理由

2016-03-13 13:03:18 | 日記

二年生、最後の追い込みじゃ! 

このレベルで覚えられんのならば、夢の東京ディズニーランドは永遠におあずけじゃ!

ね、ちゃっかりニンジンぶら下げて、馬車馬のように勉強させるつもりが

そうは問屋が卸さない?

今年のタイ学校の夏休みは長いんです。

三月五日から五月十五日までと、なんと二か月半もあります。

サマースクールが始まるまで家で待機ってことで、

毎日グダグダと寝ちゃ食い寝ちゃ食い、どーんどん豚への道を爆走する娘。


ここ一週間で更に巨大化してですね
「1.2メートルの巨人」なんて呼んでるのですが(笑)

バイクの足置き場が狭くなっちゃってカブ系には乗れなくなっちゃいました。




先週は久しぶりにWAVE125iというカブ系バイクに乗せたのですが、
帰りに寄ったセブンイレブンで事件が勃発。

サイドスタンドが重量に耐え切れず、グラッと横倒し。

後の長男は片足着いてスバッと離脱したのですが、前に座る娘はなぜか完全ぶら下がり。

その重いこと重いこと…

なんとか踏ん張って倒さずに耐えているところ、

なぜかアクセルを握ってぶら下がる娘がいました。




つまり、アクセル全開

エンジンは「ぶお~~~~~ん!!!」と唸りを上げて私の左足を軸にアクセルターンをはじめました。

「やべえ!」と思うや否や、隣に駐車してたピックアップトラックめがけて突進!




昨年末に事故ってペッしゃげてた前かごからグリグリと車の側面に擦り付けて、
やっと止まりはしましたが、でも重たいままのバイクは持ち上がりません。




完全ぶら下がりの娘が下の方から「ギャ~~~!!」とギャオスばりの悲鳴を上げてるじゃないですか。




「悲鳴はいいから早くアクセルから手を外せ、まず足をつけ!」と払いのけて、
やっとこさ騒音と重量から解放されましたとさ(;^ω^)




まったく、なに仕出かすのか予想がつかない娘。

幸いぶつかったのが工事車両で、はじめからボコボコの自動車だったから事無きを得たものの、もしベンツやポルシェだったならば、いったいどれほどの実損を丸かぶりしたことか。

前かごはペッタンコになるし、ギャオス鳴きで周囲の大注目を浴びるし、

ホント冷や汗タラタラの一日でありました(;´Д`)




どうもこのバイク、事故癖が着いちゃったようで?
欲しい方がいらっしゃいましたら3万バーツでお譲りします(誰もイラネーか…)


新しく購入したスクーターN-MAX155はサイドスタンドを出すとエンジンが停止するギミックが装着されています。
いちいちセルスタートさせるのが面倒だと文句をつけてましたが、これって実に使える安全装置だったんですね…知らなかった(^^;)




そんである朝、プラプラとピン川沿いを走ってたら、ちょうど川がUターンしてる場所に出くわしました。
珈琲を飲みながら、のどかな風景を眺めていたんですが、なにか違和感を感じました。




これか、これは洗剤だな?

調べてみると、少し離れた辺りに「スノウ・ホワイト」なる洗濯専門の会社がありまして、思いっきり汚水を垂れ流しておりました。

雪みたく白くしたいの?、「いいよクリーム色でも…」って思うのは日本人だけ?

川を汚しても自分の衣類だきゃーー真っ白じゃなきゃ気が済まないタイ人?

700km下ったバンコクのチャオプラヤー川がキタナイ理由
それは、こういう事情が積み重なっているからなのでしょう。


そして、右側に目をやると、なにやら網を投げて魚を捕っております。

実に、この魚が食卓に並ぶんですよね。

病気になるわけです。

少し下流へ行くと、大々的に魚の養殖場がありまして、そこの淡水魚が収穫されて町の市場やレストランへと出荷される。

さすがに人を食った(態度の)1.2メートルの巨人でも、この魚は食えないでしょう。

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あ、池で捕れた魚は比較的安全とは思いますよ。
でも、判別が難しいですよね(;´Д`)

通学路と学校通知

2016-03-05 11:18:44 | 日記
お弁当、気合が入りました! 

って、今回は日本から来てた伯母ちゃんが作ってくれたんですよね。
オヤジでは、こうはビシッとキマりません。


これは5年前かな、まだ家族が一緒で幸せな頃。
こんな感じでバイク三ケツで登校してましたね。


こんな道をトコトコと走って行きます。
ここはチェンマイ→ランプーン旧街道です。
数百年前、王族の嫁入り行列が続いた道だそうです。
象に乗ってたんでしょうね。

どーーん!!と、この木は巨大で立派。
ヤーンと呼ばれるこの樹木、樹高が50m以上にも達するそうです。
夜中に下から見上げると、あまりにもデカイので恐ろしい気分になります。
60mの巨人って感じで?r(^ω^*)))

しかしね~、学校からの連絡が読めなくて苦労します。

これは学年末試験の連絡と予定表だそうですが、
タイ語文字追い読みレベルの私では意味がほとんど分からない。

5年生のお兄ちゃんから読んでもらうのですが、どうしても取りこぼしがあります。

そのせいか、2年生の娘は成績がガタ落ち。
中間成績は32人中26番でした。

今回の期末テスト如何では、退学を宣告される恐れもあります。

算数を教えることは可能なんですが、
タイ語や歴史となると、もうお手あげですもんね(;-_-) =3 フゥ