満ちるは桜。

好きなものを書いてる普通の人日記。

改めてダ・ヴィンチを読んだ。よ。

2016年01月31日 18時57分32秒 | A.B.C-Z
ダ・ヴィンチを読んだ理由はただ一つ。
アンケートに答えるためだけである。
面白かった作品、目当ての作品、
それは戸塚さんの連載で間違いない。
ただ、それ以外にも記事を読み、
アンケートに答えなければ単行本の要望も書けないと思い、
読んでみた次第である。

吉野北高校図書委員会を読んだ。
最後のページを読み終えた時、
誌面からあふれ出ていた感情の多さに驚いた。
こんなにも感情って伝わるのか。
面白そうだな、そう思った。
アンケートを出そうと思わなければ、
絶対読まなかったから、これも巡り合わせなんだろう。




戸塚さんの連載も改めて読み直した。
最終回を読んだ最初の感想を正直に書くと、
作文を読んだ感覚だった。
学校で友達の書いた作文を読んだ時のような感覚だ。
一瞬、最終回だからと編集者さんが配慮して、
なるべく戸塚さん自身が書いた文章をまるまんま生かそうとしたのかな、
と邪推したくなった。
でも、今回その感覚は薄らいだ。
むしろ、真摯に誠実に書いている印象を受けた。
前半は毎回記事をどう完成させていたか、という解説、
後半は、連載を行った事自体に対する素直な気持ちを書いているのかな、
と思いながら読んだ。もちろん厳密に配分を計算したら違うかもしれないが、
大体書かれている事はこの二つ。
文章全体に言える事は、正直に書かれていた事。
この、一種の素直さが戸塚さんの文章の最大の魅力なのかもしれない。

うん、面白かった。

最初はね、
いかに自分はこの連載を書くことが大変で、
大変で大変で大変で、
だから、連載ができた事とかを感謝はしてるけど辞めます。
だって連載を書くのはものすごく大変だったから。
という風にだけ読んでしまったのです。
だから、それが最終回に書く事?
今まで書いてきた事の締めくくりに書きたかった事がそれなの?
って、どうしても思ってしまった。
なぜそう読んだかというと、
この連載の完成過程にあると思う。
戸塚さんは何度も推敲を重ね、
編集者さんのアドバイスのもと、
この連載を完成させてきた。
けど、それは戸塚さんにとっては、
今までに経験した事のないしんどさもあったんだろう。
と、なると、詳しく行程を描くと同時に、
どれ位しんどかったかも描かれていってしまう。
その完成までの長さと大変さを丁寧に書ききったものだから、
読んだ私は


はぁ、そんな大変でしたか。


と思った。読んでいる側は楽しく読んでいたけれど、
戸塚さん自身は身を削るような、
本業に支障をきたしかねない程しんどかったらしい。
お疲れさまでした、としか言えなかった。
あと、ありがとう、か。
ただ、読者にとっては、いきなりの最終回。
なぜ辞めるか明かすのは、せめてもの誠意なのかなぁ、と。
だからこそ、どういう風に書いていたかを明かしていただけなんだろう、と。

ま、もっと正直に書くと、
完成過程の説明を連載の文章の約半分くらい書いてる。
そこには、戸塚さんの思いは書かれるけど、
大変だった、というのが主だった感情である。
それを最終回の半分。
最後ら辺は編集者さんと伊坂さんと阿部和重さんへの感謝。
もちろん、形的に読者への謝辞もある。
ただ、それって付け足し?って、思ったりもしたのです。
何だろうなぁ、終わり方ってこんな感じよね、位の感覚で書いたのかなあ、と。
私、今読み返して初めて、読者にもありがとうって書いてたんだ!と思ったもん。
だから、

誰に宛てた文章を私は今まで読んでた?

と、その時は一瞬理解出来ず、
その理解の出来なさが怒りになって、
頭にカーッと血がのぼる。

そうなると、

あの文章書くなら最終回で良かった。

って感想になってしまった。

もちろん、それだけではなくて、
戸塚さんは希望というか、何故連載をやめるのか?
という理由も書いてくれている。
その理由というのが、肝であり重要なのだ。
その理由を読んだから、私はそこまでダメージを受ける事はなかった。
むしろ、その理由を読んだら今後の戸塚さんに期待したくなった。

そして、ここまでダラダラ書き連ねてはいるけど、
それは私の感情の整理も兼ねているのであって、
誤解なきよう書いておくが、
私は、これからも戸塚さんが見られるのだ、
そう思えたから、そこまでショックではなかった。
連載をやめてしまう事は残念だけれど、
そこまでの怒りはない。

少し寂しかっただけ。

こんないきなり最終回でそれなりにショックなのに、
一番に、しかも心から感謝するのはやはり伊坂さんなんだ、
何でなんだ、タイトルの事もあるんだし、
そりゃそうだって言われたら仕方ないけど、
やっぱり一番に感謝したい相手は伊坂さんなんだ。
そう思い込んでしまって寂しかっただけ。
ファンにはMステ事件で誤解されたくなかったとは書いていたけど。
謝りたかったと書いていたけど。
あの事件後にファンになったファンからすると、
あれの何に対して謝るのだろう?とも思うんだよ。
あとね、もうこんな書いてて多分読んでる人いないだろうから書くけど、
私、以前ブログに書いてるんです。
A.B.C-Zがブログを書く事が大変なら、
ブログをやめる事も選択肢のひとつだって。
やめちゃうのは寂しいけど、
やめる!って言ってくれたら、その方がハッキリしてスッキリすると。
だから、あー、ブログじゃなくてそっちをやめる選択しちゃったのかー!
って、思ったのもある(苦笑)。
だから、その選択に何も言えないし、言わない。
ただ、今後の戸塚さんに期待はする(笑)。

私は、
戸塚さんが頑張って書いてくれた、
という事以上にね、連載が面白かったからさ。
書籍化して欲しいよ。
形として残って欲しい。

あと、A.B.C-Zがこんな活動の仕方なら、
ジュニアのままの方が期待しなくて良かった

って書いていた方がいたのですが、

デビューしてなかったらA.B.C-Zが今存在してたかわからないですよ。
あの時あの瞬間ですら、メンバーは揺れていたんですから。
それは、一万字インタビューや、
河合くんが自虐的に話すA.B.C-Zの自己紹介からもわかりますよね。
デビューしてからもシングルCDを出せない事も気にしていたし。
何が言いたいかって言うと、
A.B.C-Zの皆は、結構アイドルとしての立ち位置を気にしてるんだよなぁって。
だから、デビューして良かった。
何より、デビューしてなかったらさ、
ちゃんずーもないし、CDやDVDという形に残るものもないし、
単独コンサートだって、無い。
多分A.B.C-Zの規模なら無いと思う。
それに私は多分戸塚さんの存在知らないと思う。
こんな今私が楽しんでるかわからないからさー(笑)、
やっぱりデビューして正解。
あー、うまく人に伝わるようには言えない。
ただ、年齢的にも皆このペースに焦りを感じるのかな。

話戻すと、
だからさ、形に残すって大事なんだと思うんですよ。
A.B.C-Zをデビューさせて、
事務所内のユニットからグループという形に。
A.B.C-Zがデビューしてからは歌はDVDやCD作品という形に。
コンサートを開催し、皆で楽しんでから映像化して作品に。
今までの軌跡を形に残してるわけですよ。
全部とはいかなくても。
そう、全部形に残るって訳じゃないのよ。
だからさ、戸塚さんの作品が形に残るって、
すごい事だし喜ばしいことだと思うんですよ。
一定数売れるって確証が無ければ作ってもらえないし。商売だから。
だから、書籍化してもらえないかファンは要望を出すし、
出して欲しいと期待する。


戸塚さんは頑張ってて、すごい。

そう思いながら、
私は出来ているかな?って、思い返してる。
明日も日々は続く。
申し訳ないような感覚とか、
色々な思いを抱えつつ会社勤めしてる訳で、

はー。

ってでっかいため息と、

戸塚さんを見るために頑張る。

って気持ちだけでお仕事してます。

戸塚さんの連載、面白かったです。
こんな感じで素直に読めない読者もいて、
戸塚さんは書くのも大変だっただろうと思う。

最後に。ずっと思ってる事。

Mステ事件を随分気にしてるけどさ、
カレンダーだってオマージュしてるんだし、
何に対して謝るのだろう?不思議。
Mステ=新規ファンを得るチャンス
カレンダー=戸塚さんを理解したファン向け
という図式だから問題無いのかな。
Mステに戸惑ったのもファンの筈なんですけどね。
カレンダーに何も思うところがないなら、
Mステ事件は誤解でも何でもないし、
堂々としてりゃあ良いのに。と、思う。
それが戸塚さん、で良いのにね。
それでファンやめたりなんてしないんだから。

私も色々頑張ろ。

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