東京は非常事態宣言が出るようですね。
でも、小池さんのロックダウン発言からしばらく経って、当初は買い占め、買い溜めに走った方々も、
そんな事をする必要がなく、またすべきでない事を報道から学んだのか、
今朝のOKストアは、ちょっと混んではいましたが、それ程ではありませんでした(堵)
先週は品切れだった納豆も、いつもとは別ブランドですがたくさんありましたし。
でも、ティッシュとかトイレットペーパーも、あるとは言っても、違うブランドの商品が並ぶのは、何故なんでしょうね?
普段、売れているブランドのは、何か別に優先度のあるところ(店、施設、販売チャネル)にまわされるのかしら?
まあ、それはさておき、
すでに一週間が経ってしまい、その間、別のイベント(奥さんの実家の法事)もあったので、
記憶に、やや新鮮さが薄れた恐れはありますが、
ようやく鹿児島旅行記を始めます。
まず、何故、この時期に鹿児島だったのかですが、
JALのマイルが切れるので、どこかに飛行機で行こうと計画したのが二カ月前。
行ったことがないところへ、と思い、一月には高知へ行き、
今回は、鹿児島にしました。
土佐、薩摩と行ったので、次は長州(山口)かな(後一回分のマイルがあるので)
敵地巡礼とでも言いましょうか(苦)
そして、コロナに関してですが、
決して甘くは考えていないのですが、私の日常は、散歩で出歩くものの、他人と接する機会はほぼなく、
奥さん以外からの感染確率は非常に低いので、おそらくキャリアにはなっていないはず。
(奥さんにも、そんなに近づかないし(笑)、奥さん自体かなりの潔癖症で、手洗いばっかやっているし)
それに、鹿児島の感染者が一名で、あちらで罹る確率も低いかな?
そして、人混みで不安症が出てしまう私ですが、人が少ないなら、むしろ今がチャンスかも。
折角、重たい腰をあげたので、行く前は自制、行っては自衛することにして出かけようかと思った次第です。
当初、旅程としては、
空港から路線バスを乗り継ぎ霧島神宮をお参りし、
電車で鹿児島市内に移動したら、午後に市内、二日目の朝に尚古集成館に行き、
一日一便のクルーズフェリーで桜島に渡って、ぐるっと回って、帰ろうと、
路線バス等の時刻表と睨めっこし、それはそれは綿密(厳密)な旅程を組んだのですが、
(これほど公共交通機関で観光地に行けないのは、、、車前提なんでしょうね)
直前で、予約したJALの鹿児島行き第一便が減便してしまったことにより(汗)
結局、空港連絡バスで鹿児島市内へ。
初日は、鹿児島市内観光、
二日目は、桜島という、割と余裕、余白の多い大雑把な旅程にしました。
また、鹿児島市内も桜島でも、観光ポイントを勝手に回ってくれるバスを使ったので、あれこれ行先、行き方も考え込む必要はなくなり、
私にとっては珍しく、公共交通機関の時間に追われぬ旅行になりました。
では、始まり始まり〜♪
朝一のフライトがキャセルされ、後の便に混ぜられたので、
普段起床している時間に起きて、羽田へ向かいました。
久しぶりの電車でしたが、時間が早いせいもあるとは思いますが、人は少なかったですね。
そして、空港も。
飛行機は、減便の影響もあるのか、そこそこ乗客はいましたが、
それでも、二人がけ、三人がけに一人以下、って感じで、ゆったり。
機内の飲み物サービズも、接触を避けるためでしょうか、コップに注いでではなく、紙パックのお茶が配られました。
(行きも帰りも、私は二個ずつ貰ったのですが、あれは何故だったのだろう?周りの人はもらっていなかったけど。。。)
それと、ちゃんと換気しています、と言うようなアナウンスもありました。
気圧、気温の関係があるので、飛行機の中の換気ってどうなんだろう?とは思っていたのですが、
後日、ネットで調べると、新幹線よりは飛行機の方が、ちゃんと喚気できているそうな(驚)
ところで、たまに飛行機に乗って、雲海とか眺めると、自然の造形美を感じられていいですね(感)
それと、いい写真は撮られなかったのですが、
着陸間際に、鹿児島の街並みが台地の上にあることがよくわかりました。
わかったと言うより、むしろ驚きかな。
私の田舎、東北地方は山あいですが、人が住んでいるのは盆地なので、山の間々に集落が見られるものですが、
鹿児島など九州南部では、海岸線から急に土地が盛り上がって、その上に街並みが広がっていて、
その異なる雰囲気に驚きました。
(そのシラス台地の成り立ちは、桜島の噴火の歴史と一緒に、今回勉強できましたが、それはまた別途)
そして、定刻通りに飛行機は鹿児島空港に到着し、
市内に向かうために、空港連絡バスの乗り場へ急ぎます。
飛行機が10時に到着し、バスの時間は10時10分。
ただ、どの空港も、到着便の時間に合わせるので、急ぐこともないかと思いつつも、
トイレにも寄らずに、直行して実は正解でした。
バスは、私を含めて、乗客僅か2名で定刻に出発(驚)
急いでやってくるお客さんに運転手が「後続のバスをご利用ください」って。。。
でも、その意味はわかりました。
時刻表を見ると、連絡バスの運行会社が複数あり、10時10分のバスと、後続のバスは異なる会社でした。
なので、お客さんを待ったりすると、後ろのバス会社のお客さんを奪うことになるので、是が非でも定刻に出なければならないのでしょうね。
でも、そう言う競争(?)があるなら、値段(を含むサービス内容)も変えればいいと思うのですが、そこは共通のチケット1300円なんですよね、なんか変なの。
空港から鹿児島中央駅へは45分位で到着。
一日目の市内観光は、シティービューと言う観光バスを使おうと思っていたのですが、
(主要な観光ポイントをぐるぐる巡回している)
30分に一本なので、11:00のバスに乗りたくて、空港連絡バスの降り場から、ダッシュ!
で、なんとかセーフ(青いのが入ってくるところ)
市電、市営バス、シティービュー(観光バス)乗り放題で600円。
でも、結果的にはシティービュー(190円/回)に3回乗っただけだったので、運賃としては損しました。
が、黎明館の割引、翌日のフェリーの割引があったので、ちょっとだけお得でした(苦)
ちなみに、まち巡りバスと言う、ルートはほぼ一緒、でも共通ではない別の観光バスがあり、乗り間違えしないよう注意が必要でした。
そして、シティービューで最初に向かった場所は、照国神社。
幕末に、西郷、大久保などの人材登用を行い明治維新への道筋を作り、薩摩藩だけでなく日本の近代化をはかり、日本の産業革命を牽引した第11代藩主、島津齊彬公が祀られています。
”西郷どん”では、渡辺謙が演じたのかな(観ていないので)、私にとっては、”翔ぶが如く”の加山雄三のイメージが強いですね(弟の久光が高橋英樹で、その組み合わせもバッチリ合っていた記憶があります。ただし、西田敏行が西郷隆盛役だったのは、福島出身者としてはいただけなかったな(苦))
で、照国神社へは、その西郷隆盛像前で降ります。
軍服なので、上野の浴衣に犬を連れた西郷さんとはちょっと印象が違って、キリッとした感じがしますね。
なお、DQWの鹿児島土産を拾うポイントにもなっています、念のため。
そこから通りをちょっと駅の方に戻るところに(バス路線ではなく)
照国神社の大きな鳥居があります。
敷地も広いですね。
裏手は、城山(麓の鶴丸城の後詰の城、また西南戦争で西郷隆盛が籠って、自刃した場所)ですが、厳かなはずの神社を見下ろすホテルがなんかアンマッチに思えて。。。
さて、山門を潜って、
拝殿があります。
山門からの境内はそれほど広くなく、拝殿(本殿)もそんなに大きくはないのですが、
空間的には、なんだか開けた感じで、不思議です。
一応、お参りしました。
入口の方に引き返すと、資料館があり、齊彬公や島津家に関する資料の展示、それといくつかのビデオが上映されています。
時間があれば、ビデオをそれぞれ鑑賞することをお薦めします。
わかりやすく、面白かったです。
しかも、入館はタダですし。
ただ、展示そのものは、パッとしたものではなかったな(残念)
国宝の国宗、レプリカでもいいからモノで観たかった。。。
境内から、鳥居の方へ向かって左の方へ出ると、齊彬公の銅像があり、
その先は、ちょっとした庭園になっていて、そちらには久光公(弟で、藩主の息子と一緒に、兄の遺志を引き継いだ)の銅像があります。
そして、次は城山に登って、展望台から桜島を望観するのですが、
ネットで調べると、この庭園の裏に遊歩道の入口のひとつがあるとあったので、多分こっちかな?と右へ右へと歩いて行くと、標識があったので、それに沿って歩くと、城山公園の入口がありました。
そこから遊歩道を進むこと、約1キロで展望台につきます。
途中、チラチラと桜島が見えます。
そして、展望台からの雄姿です。
まあ、空港連絡バスに乗っていても、見えてはいたのですが、こうして見ると雄壮ですね。
想像より大きいし、そして近い、です。
後ほど、資料館等の説明書きを読んでなるほどと思うのですが、
県庁から4キロの距離に活火山があるところは、他にないと言いますか、最短らしいですね。
まして、麓には人が住んでいますし(汗)
いずれにしても、驚きです。
しばらく眺めて、遊歩道をもうひとつの入口(出口?)の薩摩義士碑の方へ降ります。
この”義士”ですが、明治維新絡みかと思い込んでいたのですが、違いました。
幕府から命じられた木曽川などの改修工事で命を落とした人達の慰霊碑でした。
で、こちらから降りた理由は、
次の目的地、鶴丸城跡、
そして、黎明館(博物館)の入り口にあるからです。
鶴丸城は江戸時代に入って、薩摩藩が成立した時にできた城で、
戦国時代好きの私に馴染みの内城(戦国時代の島津氏の本拠)ではないのが、残念ではあります。
天守も再建されていないし、御楼門(大手門ではない?)も修復工事中でした。
上は敷地内から、下は外から。
石垣やお堀も、九十万石の大大名にしては小振りのような(内堀だから小さいのかな?)
石垣に、ボコボコ穴が空いているのは、西南戦争時の銃痕とのこと。
会津戦争での、会津と薩長との火力の違いは凄かったようですが、西南戦争は、更に武装の違いは大きかったでしょうね。
なお、内城跡地は、鹿児島駅(栄えている鹿児島中央駅の隣の駅)近くの学校になっているらしく、あえて観には行きませんでした。
敷地内には、西郷隆盛、島津齊彬、島津久光に続いて、篤姫の銅像がありました。
(観光ガイドには、銅像巡りコースが紹介されていました)
さて、黎明館に入ります。
(シティービューの乗車券で、400円→300円)
他県の博物館同様、時代を追って展示が進みます。
こう言うコロナの影響は、残念ですね。
入口でも、係員からチケット受け取る時、「ルールなので」と、まず手のアルコール消毒を求められましたし。
仕方ないけど。。。
館内、やはり、一番じっくり観たいのは戦国期ですね。
でも、ここで係員の方から注意を受けました。
このような展示物(↓)は撮影可なのですが、ショーケースの資料は撮影不可だと。
え〜、なんで〜、複製や説明パネルなのに、、、と言う気もしますが、これも仕方ないです、ルールなので。
まあ、私の好きなジオラマや模型は撮影していいので、じっくり鑑賞し、撮影もさせていただきました。
なお、これは”内城”の模型です。
戦国期の山城のスケールとしては、結構大きい方ではないかな。
模型から感じられる雰囲気は、春日山城に近い。
この城跡を周りたいものですが、、、土地が造成されてしまい存在しないものは、これも仕方ない。。。
なお、模型、ジオラマは精密なもの、大きく迫力のあるもの様々でした。
昔の家屋の造りがわかる細かな模型。
九州最大(?)の繁華街、天文館のレトロな街並み(1/2スケールくらいで、かなり大きい)
街並みかな?城内だったかな?
これは城館。
という事は、外の石垣、堀、楼門は城郭のではなく、城館のだから小さいのかも。
(でも、外堀とか、大規模な石垣は街を歩いていて目に入らなかったな。。。)
なお、写真に撮ることができた模型やジオラマに限らず、パネル展示、資料展示も豊富で、総合的にかなり楽しめる博物館でした。
二階に上がると、文化、風土系の展示が充実。
このフロアはどこまで撮影可なのかよくわからなかったのですが、
ショーケースに入っていないものは大丈夫だろうと。。。
いろいろ面白かったので、一時間くらいの予定が、三階の展示(刀、絵画、書など撮影不可なものがほとんど)も含めて、二時間以上鑑賞しました。
で、ちょっと時間が押した感があり、次の目的地、仙巌園へ(というかバス停へ)慌ただしく向かうことになりました(汗)
というところで、長くなりましたので、今日はここまでをさせていただきたく。
次回は、島津家別邸であった仙巌園と、世界文化遺産の尚古集成館を紹介したいと思います。
ではでは
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます