池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

JALのスマホスタンド

2020-01-21 16:47:00 | 遠足・旅行

一昨日、昨日と一泊二日で高知を旅行して来ました。

昨年、切れそうなJALマイルで唐津に行って、以後、定期的にどこか旅行に行こうと思ったものの、

遠出は、法事のための帰省に限られていました。。。

今回、まじでマイルが無駄になり始めるので、まだ行ったこのない県で、城のあるところから、高知を選択しました。

他にも、わざわざJALで行くとなると、鹿児島、山口、、、薩長土佐の倒幕派!

でも、フラッグキャリアのJALだからな〜

まあ、私の興味は、幕末ではなく戦国時代で、その観点でこれらの地は魅力的です。

 

 

で、旅行記ですが、、、

まだちょっと写真の選定、パンフなどもらって来た資料の整理などに時間がかかっており、明日以降になりそうですonz

なので、と言いますか、ですが何かしらの旅ネタは載せたいと思いまして、

 

JALのスマホスタンドのご紹介

 

搭乗する時、ドアのところで(大好きな)黒糖飴を鷲掴みにしますが、

スマホスタンドなるものが目に入りました。

機内では、眠って過ごすつもりだったので、往路は取らなかったのですが、

復路は、どんなものなのか記念にいただきました。

カードサイズのプラスチック製カードです(笑)

 

これを折紙建築のように折ると、、、こんな感じになります。

 

しかし、小さく軽いので、横置きしかできません。

縦に置くと、ひっくり返ります。

機内WiFiサービスは、機内でSNSができます的なアピールをしていますが、

横置き専用ということは、動画視聴の前提かな?

横置きのゲームもあるけど、両手で操作するのでわざわざスタンドは使わないかな。

(ちなみに、私のやるゲームは全部縦なので、iPhone、iPadを立てられず不便に感じています)

 

ちなみに、本来とは異なる使い方をすれば、縦にも置けます(笑)

が、触ると滑って倒れます。あくまで、縦の映像視聴用。

 

前面に重石を置くと、重さのバランスが取れて立ちます。

ちなみに、この重石は、ガラス製の箸置き。

しかし、ギリギリのバランスなので、こちらも操作はできません(笑)

 

私のは比較的小さいiPhone7なので立ちますが、それ以上のサイズになると立たないかな。。。

 

でも、軽いし、平らなカードに戻せるので、携帯するにはいいですね。

コーヒーショップやファーストフードで、Youtubeとかの動画を観るには役立つかな。

カバンには入れておこうっと。

ではでは


飯能のムーミン谷に行ってきました。

2019-10-29 18:00:00 | 遠足・旅行

昨日は、義妹、奥さん、私の三人(平均年齢50)で、ムーミンバレーパークに行ってきました。

 

混むと入場制限がかかるようですが、平日(月曜)なので心配はないとは思いつつ、念のため、Webから入場チケット(大人ひとり1,500円)のみ予約しました。

ムーミン屋敷のガイドツアーなど有料アトラクションは時間枠で、チケットを買っておかねばならないのですが、ゆっくりめに出かけて、3時間くらい滞在して、その足で義妹は和歌山に帰る予定らしく、

私もこの姉妹との付き合いは20年を越えて、こういう所へ行った時、どんな行動をとるかは容易に想像できるので、アトラクションチケットは無用と判断しました。

いつもの”どんな行動”とは、滞在時間を3時間とした場合、

  • 目に入ったグッズショップは全部入って、45分
  • 食事と休憩(疲れたとお茶)で、1時間以上
  • トイレに数回、15分
  • 施設やアトラクションにかける時間は、園内移動含めて、1時間未満

実際、だいたい12時から3時までいましたが、二人が展示を観賞していたのは、30分ありませんでしたね(苦)

 

行き方ですが、とにかく池袋に行って、西武池袋線の急行に50分乗ると、飯能に着きます。

そこから直行バスで10分です。

駐車場から、メッツァの敷地に入りますが、メッツァ(フィンランド語で”森”)の名の通り、自然の森の中を進み、気持ちが盛り上がってきます。

 

なお、ムーミンバレーパークがあるメッツァとは、普通のショッピングセンターを想像していましたが、ショッピングセンターではあるのものの、作りはロッジというかログハウスという北欧風というか、な感じでした。(確かに、イオンみたいのが建っていたら興醒めでしょうから)

建物には入りませんでしたが(入ろうものなら、更に、数十分を浪費することになるので)、

北欧風、オーガニック、アウトドア、輸入雑貨、セレクトショップ、etcな感じのお店が入っているようです。

 

目の前には宮沢湖が広がっています。

天気が良くて、ラッキーでした。

もう少しすれば紅葉も綺麗でしょうけど、寒くなってしまうでしょうから、昨日の天気、気温がちょうど良い感じであったのかも。

椅子にもたれてゆったりと景色を眺めたり、レジャーマットを持参して芝生で寛ぐのもいいですね。(慣れた方々も多数)

 

先へ進むと、湖畔にムーミン谷の風景が現れ始めます。

写真に写っているワイヤーは、湖の上空を渡るジップライン(別料金もの)です。

 

入口にきました。ムーミンの世界観の始まりです。

そして、案の定、二人は最初のトラップに引っかかりました。。。

私もグッズショップを見ないわけではなく、こういうの(手人形)は、コンプしたくなります(笑)

ただ、混んでいると苦しくなるので(病気のせいで。今回も、久しぶりの山手線と池袋駅構内の混雑で、ちょっと意識が飛んでしまい、慌てて薬を服用しました)、あまり居たくはないのです。

それに、普段から、うちの奥さんが雑貨屋で、ウィンドーショッピングにかける時間は半端なく、その間、ただ待たされるのも耐えられないのです(辟)

とはいえ、これは面白いと思った、ニョロニョロのバームクーヘン。

でも、持って帰りにくそうだから、やっぱり、買わない(苦)

 

水浴び小屋が湖に突き出ています。

中もちゃんと作られています。

ちょっと離れたところから、湖と青い空をバックグラウンドして、絵になります(感)

ただ、ジップラインのワイヤーが邪魔。

 

メイン広場には、キャラクターの着ぐるみ(と、ここでは言っていいのかな?TDLとは異なり)がいて、話しかけると一緒に写真が撮れます。

なお、この方々は縁のゆかりもない人たち。

写真を撮っているところを写真に撮るモデルにさせていただきました(謝)。

 

メインとなるムーミン谷エリア。

左が、ムーミン屋敷。右は、リトルミイのプレイスポット。その奥は、海のオーケストラ号。いずれも有料スポット。

ムーミンの家は、1,000円払って予約しないと中に入れてくれないという敷居の高さです(笑)

 

ここで、ひとまずランチと思って、コケムスという展示施設にあるレストランに入ろうとしたのですが、

機械から予約をして、一時間待ちでした。。。

中を見ると、全然混んでいないのですけど(疑)

待っている間、アトラクションを見てまわれるにしても、レストランとしての効率は悪すぎますね。

 

まあ、仕方なので、コケムス内の展示を見てまわります。

まず3Fは、ムーミン谷に迷い込んだ気分になれる体感展示「ムーミン谷の自然」です。

ちょっと、毒々しいですけどね。

私は子供の頃、TVでムーミンを観た世代ですが、今の子供達にとっての、ムーミンの知名度ってどのくらいあるのでしょうか?

大人は、アニメを懐かしいと思いつつ、原作のシュールな感じもわかって(ウォルト・ディズニーというより、水木しげるに近い)楽しめると思うのですが、小さい子がこの展示を楽しいとか、可愛いとか思うかどうか。。。

まあ、雰囲気の明るいオブジェもあるので、そちらで写真を一緒に撮るのはともかく。

あと、シュールと言えば、スナフキンですが、この味わいが、今の子供に通じるのか。。。

 

その先も体感展示が続きますが、テーマは絵本に変わって「それからのどうなるの?」

これも子供向けではないかな。。。

それにしても、今やどこでもプロジェクションマッピングですね。

 

続いて、2Fに降りますが、吹き抜けの上(3F)から、ムーミン谷のジオラマが見えます。

かなり、細部に拘った、精巧でムーミンの世界観が感じられるジオラマです。

ムーミン屋敷は回転して、内と外が観られます。

こういうシーンは映画で観た記憶が、、、

風の谷とは違って、全体的にはやはりおどろおどろしく、

(宮崎駿でもなく、やっぱり水木しげるの世界に近いと思う)

奥さんが言うには、トーベ・ヤンソンは戦争の影響を受けているから、と(そうなの?)

おねいさんのミムラかな。

ミーは、テーブルに乗って、用意している?つまみ食いしている?

ママの紅白エプロン、懐かしい。

 

2Fには、ジオラマだけでなく、物語の印象的な挿絵や言葉を展示した常設展「ムーミン谷のギャラリー」、ムーミンの変遷を展示する企画展「ムーミンとトーベ・ヤンソン」があるのですが、、、

お二人は、ジオラマもそこそこに、お隣のグッズショップへ行かれてしまいました(呆)

ので、待っているのも馬鹿馬鹿しく、一人常設展へ。

物語の挿絵を、立体絵本のように構成しています。

こちらも挿絵だったのかな?挿絵の原画(のレプリカ)?

企画展の方は、撮影NGなので写真はありませんが、絵の隅っこに黒い犬のように書かれた初期のムーミンを鑑賞したり、

ムーミンの世界観というよりは、トーベ・ヤンソンという人物について知ることができます。

 

私としては、こちらが一番落ち着いて鑑賞できてよかったかな、と。

続いて、ビデオ上映のコーナーもあったので、そちらを、と思ったら、「レストランの席が空いた連絡がきたよ」と、グッズショップの奥さんから電話が、、、レストランに向かいました。

 

で、レストランですが、やっぱり空いていて、、、

でも、席に案内されるのに、更に時間がかかって、、、

席に着いたら、注文をとりに来るのかと思ったら、、、

社食・学食のように一列に並んで、キッチンカウンターへ食事を買いにいかねばならず、、、

オペレーション悪過ぎます(呆)

ハンバーグ、ハヤシライス、チキンシチュー、、、それっぽい盛り付けですが、お味、お値段共に観光地標準でした(苦)

でも、値段については、この謎の予約システムのレストランが、一番マシだったかも。

屋台とか他のレストランでは、パンケーキが2000円以上、ホットドックが1280円だったかな?ポップコーンがムーミン屋敷型の入れ物に入って(USJのミニオンのやつみたいな)で2000円とか、、、

子供がポップコーンの屋台に走っていくのを、父親が阻んでいましたが、その子供が値段を見て「高っ!」と一言。お父さん、いい教育をしていますね(苦)

 

お二人は、お土産も買って、お腹もくちくなったので、すでにお帰りモードを漂わせています。

企画展とか常設展とかいいの?灯台のあるエリアとか行かなくていいの?と聞きましたが、

待っているから、行ってきて。

との”お達し”でしたので、一応、灯台のエリアを一人で一回りしてきました。

企画展とか常設展は、奴らがグッズショップに夢中の間に観ておいてよかった。

一緒に観ようととっておいたら観られなかったところでした。

ビデオは、結局観られなかったけど。。。

 

有料ですし、予約が要りますし、時間もないので、さっと通り過ぎただけの、リトルミイのプレイスポット。

海のオーケストラ号。

湖のこちら側から、メッツァの方を眺めるのもよかったですけどね(あの二人は見ていない)

灯台(パパがここに籠もって小説を書いている回を何故か、鮮明に憶えています)

入れませんが(上がれませんが)、水浴び小屋後同様、中も作られています。

これもムーミン絡みのオブジェなのだろうか???

それとも、ムーミンバレーパーク以前の宮沢湖のスワンボート?

エリアの一番奥には、スナフキンのテントがありましたが、スナフキンはいませんでした。

見知らぬおばさんが「これだけあってもねぇ。。。」と言っていましたが、同感です(笑)

 

先に駐車場(バス停)に向かうと、LINEが来たので、私も帰途につきます。

3時ちょっと前だったので、ショーが始まるの待つ人が増えていましたが、残念ながら見ること叶わず(悔)

奥さん達二人に追いつき、バスに乗って飯能駅に向かい、私のムーミンバレーパークはお仕舞いです。

 

行く前に、奥さんが「行った人に聞いたら二、三時間あれば十分だって言っていたよ。」と言っていましたが、

確かに、あなたにとっては十分だったでしょうね(苦)

帰路の電車の中でも姉妹で、「よかったね〜」「きれいだったね〜」と話していました。。。

義妹については、折角、和歌山から来てあれでよかったのか?と、ちょっと済まなく思うところですが、本人がよかったと言っているので、まあいいか。

個人的には、ムーミンに興味があった訳ではありませんが、ちょっと消化不良感は残ります。

しかし、まさか、一人で片道2時間以上かけて行く気にはなりませんし、

奥さんと二人では、デジャブーを見ることになるでしょうから、

我が人生におけるムーミンバレーパークはここまで、かな(爽)

 

一般的な感想としては、メッツァの施設も込みで(有料アトラクションは抜きでも)、一日、十分楽しめると思います。

(カヤックは乗りたかったな。。。)

ではでは


佐賀旅行(6)太宰府・福岡城

2019-04-11 23:26:00 | 遠足・旅行

さて、ようやく佐賀旅行の最終回、そして佐賀ではなく、福岡の観光地です。

しかし、今回の旅行は、まだ行ったことのない佐賀に行こうと思ったのが切欠で、5/6(6分の5)は佐賀ですので、佐賀旅行と銘打っています。

さて、吉野ヶ里遺跡を見終えて、吉野ヶ里公園駅に戻ってきて、鳥栖行きの電車を待ちます。

これまで、九州に出張できた時、何度となく乗り換えた(酒の飲み過ぎで、乗り換え損ないそうになった)鳥栖。今回も乗り換えだけです。

鳥栖で鹿児島本線に乗り換え、二日市駅に行き、そこで歩いて西鉄二日市駅に行き、西鉄で太宰府天満宮へ行きます。

時刻表は確認済みで、色々な乗り換え時間のパターンは控えてありますので、馴染みのない土地でも大丈夫と、万全を期していたはずが、不安なアナウンスが、、、

「鹿児島本線で車が橋桁に衝突した関係で、安全確認の為、運転を見合わせて・・・」

これでは、事前に確認した乗り換えのパターンが無意味に。。。

不安一杯で鳥栖に向かい、鳥栖でも、来た電車に乗っていいものか(二日市まで行くのか、快速って二日市で止まるのか、、、)焦りましたが

吉野ヶ里に二時間もいなかった場合の、一本前の電車が遅れてやってきたので、それなら二日市には行くし、止まるはずなので、一安心して乗ることができました(まだ、詳細は言えないのですが、ホント、段取りが変わってしまうと、不安感が半端なく襲いかかってくるのです)

さて、二日市駅でも、マップアプリを頼りに、商店街をギザギザ曲がりつつ、無事、西鉄二日市駅につくことができ、こちらの駅での電車の時間は、事前に調べてあったものにリンクさせることができました。

しかしまあ、鳥栖では毎度焦らされる(苦)

 

さて、太宰府駅に到着しました。太宰府らしいというか、、、個人的な意見ですが、こういうデコが安っぽくさせていませんかね。

由緒ある天満宮なんですから、厳かに格調高く行って欲しいのは、私だけ?

まあ、外国人には”それらしくて”いいんでしょうけど。駅の外観もなあ。。。

門前の装いも、、、まあ、仕方ないですね。

他方、今回の旅行で、一番観光地らしい賑わいですね。

しかしまあ、外国人だらけ。平日だから余計に、かな。

人は多いけど、朱色の橋を見て、やっと神様のいる場所っぽく感じます。

にしても騒がしい。外国語ばかり聞こえる、韓国語が多いかな。声がでかいんだよね。だから、大勢いるように感じる。

それと、和装の若者がたくさんいるけど、日本人ではないですね。ツアーや土産物屋のサービスなんでしょうね。

池の水全部抜く大作戦(テレビ東京)で水を抜いた池ですね。

駅から、随分な数の鳥居をくぐってきて

ようやく山門です。距離があるわけではなく、スムーズに歩けない観光客の数、というか今日の観光客のマナーのなさ?

本殿ですが、こうしてみると、そんなに大勢の人で混雑している風ではないんですけどね。

やはり、自然渋滞というよりは、路駐渋滞のようなものですね(苦)

立て札に参詣のガイダンスが書かれてあるものの、日本語だけで、ベトナムやインドで見慣れた光景のようにならないのか、と思ったものの、不思議と、ちゃんと四列で進む行列でした(失礼)。叶えてはもらえないとは思いますが、歳をとって頭が悪くなりましたが、歳のせいだけではないので、その歳のせいではない部分だけ何とかならないものでしょうか、とお祈りしました(これも背景はまだ説明できませんが、いずれ)

駅からの参道で、「梅ヶ枝餅」という餅?饅頭?が至る所で売られていて、箱でも買えるし、一個120円で買い食いもできるようでしたが、太宰府天満宮と梅の関係は?

と思ったところ本殿に向かって右側の梅のところに、「飛梅」御神木との案内が。

菅原道真が、太宰府に左遷されるときに、梅の木の花かけるように歌を詠んだら、梅の木が道真を追って、飛んできたから「飛梅」で、それをネタにすたお土産のお菓子でした。飼い主を追って、遠くからやってきた犬のような梅ですね。そして、飼い主の道真が死んでも、境内で待ち続けるハチ公のような。

 

天気がいいので、日陰で休んでいるのかと思いきや、人が集まっているのは、猿回し。。。

猿回しはともかく、欅が立派です。山門と比べて、いかに巨木かがわかりますね。

さて、喧騒に当てられ疲れたので、もう少しいるかと思った太宰府を30分かそこらで退却します。

めっきり人混みがダメになったわ。。。

昼時でお腹も空いたので、梅ヶ枝餅を買い食いしようかとも思いましたが、

奥さんへのお土産に良さそうなので、空港で買うことにしよう、手荷物で持ち込めるかわからないし、と思ってスルー

したのが、大きな過ちであったことを知るのは5時間後のことでした(苦)

 

太宰府駅に戻り、西鉄で、西鉄福岡(天神)へ。福岡に近くにつれ、車窓から見る景色が都会化してきます。

スケジュールの前倒し感があったので、福岡城址(舞鶴公園)へは、天神から歩いて行くことに。

明治通りを歩いていきますが、なんだか”とっぽい”おじさん、派手なおばさんが多いような。

それと、歩道が広いにしては、片側に寄るとか、すれ違い時に避けるとかしないけど、そういうもん?

 

さて、福岡城址、上之橋御門に到着。なんか桜が凄くない? 

東御門から入場します。桜が満開、超見頃。

そして、「福岡城さくらまつり」開催中。

木曜の午後にこの人出は何でしょう。私もその一人ですが。

歴史館の類は、この「福岡城むかし探訪館」だけっぽいのと、ネットで評判が良かったので、まずは情報収集。

城の模型です。さすが52万石の城ですね。ちなみに模型では天守閣がありますね。

幕府に遠慮して作らなかったとか、作ったけど十数年で壊したとか、はっきりしていないようです。

どちらにしても、外様の一二位を争う石高ですし、長政はともかく、如水は秀吉にも家康にも敬遠された経緯があるので、遠慮して然るべきですね。福島正則なんかは、広島城の無断改修で改易ですから。

官兵衛といえば、この兜。長政のでかい「銀箔押一の谷形兜」や「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」に比べると、小ぶりですし、戦闘向きでもないように見えますが、有岡城幽閉で足を悪くしていましたし、軍師ですから、兜で存在感をアピールする必要もなかったのでしょうね。

信長に拝謁した時に拝領した「へし切」のレプリカ。

福岡城の紹介ビデオを見て、城巡りに出発です。

本丸の鬼門(東北)に配置された祈念櫓を、桜越しに撮ってみました。

本丸に入っていますが、桜並木がすごいです。

こちらは天守閣があったのかなかったのかが議論中の天守台です。

天守台に登ります。

天守台からみる公園は、桜が満開でびっしり、登ってきた人が皆、私も含め、おーっと感嘆の声を上げています。

ここへ登ってくる人も半端なく多く、隣の人が「平日これじゃあ、週末はどんなんじゃろ」と話していましたが、全く同感です。

お隣の大濠公園の方角です。

その右側(北側)に目を向けると、「福岡タワー」と「ヤフオクドーム」でしょうか。ちょっと遠いな、この後行くには。

史跡を観るはずが、桜に目を奪われ、様相が異なってしまいましたが、改めて城跡に目を向けていきます。

まずは、足元の天守台跡。柱石が並んでいます。

埋門を潜って、裏側に回ります。

回り込んで、裏御門。迷路のようです。

私見ですが、文禄・慶長の役の後に建てられた城(熊本城、松山城など)は、朝鮮で得た技術を駆使した石垣が特徴的で、関ヶ原の後に建てられた城(この福岡城、姫路城など)は、城の構造で防御力を上げている感があります。

それしにしても、決して隈なく見ようとしている訳ではないのですが、迷うがごとく歩いていると、いろいろ矢印が誘うので、いちいち見て回ることになってしまいます。

名護屋城とはまた別の感覚でスケールがでかい。佐賀城も唐津城よりは大きかったのですが、構造はシンプルでしたね。30万石と52万石の差でしょうか、あるいは、幕府の警戒度の読み方、対応の仕方の違いでしょうか。

多聞櫓です。

ここで、一旦、城址の外に出ます。多聞櫓は、外側から見ませんと。

それで気づきましたが、石垣の外側も、綺麗に整備された公園(庭園風)になっています。

石垣の上、本丸も桜に覆われていましたが、石垣の外(下)も桜が綺麗です。

そして、三の丸の石垣の上に、多聞櫓を外から見上げます。

城の規模にしては、現存する(あるいは再建された)櫓が少なくて、天守もないのはちょっと物足りないかな。大きい大手門もなかったし。

太宰府もそうでしたが、欅が立派。

石垣と桜、そして青い空が綺麗。石垣の内側と異なり、人も少ないし。こちらは憩いの場です。

明治通りの方へ歩いてくると、外堀のところに、「潮見櫓」があります。しかし、移設前に本当に潮見櫓として使用されていたものかはっきりしないらしく「(伝)潮見櫓」と記載されています。

こちらは下之橋御門。大手門というのはなくて、上之橋御門と下之橋御門が、二つの大手門のようなものなのかな。

ちょっと離れたところに、外国人観光客が集まって写真を撮っていたので、行ってみましたが

なるほど、いい構図で写真が撮れます。

福岡城は以上ですが、兜とかはどこに保管、展示されてるのだろう。

と思いつつ、時間もないので、ちょっとだけ、大濠公園で時間を潰して空港へ向かったのでした。

大濠公園は、まさにその名の通り、大きな濠というか池。こちらも平日の午後に人がたっくさん。

なお、気づかないのが不思議なくらいですが、鎧兜などは「福岡市博物館」にあったんですね。

それと、「金印」ですよね、漢の倭の奴の国王、見逃した。。。これは心残りができた。

そして、空港で梅ヶ枝餅買おうと思ったのですが、保安検査場を過ぎたら、JALとANAの小さな土産物コーナーしかなくて、買えませんでした。

帰ってきてから調べると、空港で買えたはず。保安検査に直行してしまったからな。。。

それに、国際線の感覚で、液体とか液体を含むものが持ち込めない思い込みがありましたが、他の乗客の皆さん、山ほどお土産をX線通していますね。飲みかけペットボトルもOKなんだ、、、

ただ、東京交通会館の「ザ・福岡」で買えるようなので、行く機会があれば買い求めることにしましょう。

 

さて、これで初めての佐賀旅行はお終いです。

心残りもありましたが、計画通りには楽しむことができました。

次は、どの”まだ行っていない”県(城)に行きましょうかね。

いろいろ調べて計画を立てるのもまた楽しいものです。

 

最後に、早朝の蒲田駅から京急蒲田駅へのダッシュ、疲れきって羽田に着いてからの、京急蒲田駅から蒲田駅への歩きは、早く何とかなりませんかね。

東急多摩川線が京急蒲田駅まで伸びるとういう、蒲蒲線は実現しないのかな。。。

ではでは。

 

 

 

 


佐賀旅行(5)吉野ヶ里遺跡

2019-04-10 19:22:07 | 遠足・旅行

佐賀旅行の第五回は、三日目、最終日の午前中、吉野ヶ里遺跡です。

私が高校生ぐらいの時、工業団地作ろうとしたら、すごい遺跡が発見された、というようなニュースで一躍有名になった記憶がありますが、ご存知ない方のために、以下、ご覧ください。

”吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡。国の特別史跡に指定されている。およそ50ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡で知られる。1986年(昭和61年)からの発掘調査によって発見された。現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部を国が管理する公園となっている。”(Wikipediaから引用)

私の興味は、第一には戦国時代ですが、古代も興味があるので、行ってみたかったのです。

まあ、ディスプレイ、ジオラマ好きなので、遺構に建築物が再現されているという点では、城と同様な理由から惹かれるのでしょうね。

さて、佐賀駅から長崎本線で、鳥栖行きに乗ります。佐賀駅からは数駅です。

「混雑時リックサックは前に・・・」というアナウンスが流れます。昨日と同じ、二両編成ですが、混雑する時があるのかどうか、、、

ところで、吉野ヶ里遺跡は「吉野ヶ里歴史公園」として整備されているのですが、公園としては広大で、最寄駅が、手前の神前駅なのか、その名を冠した吉野ヶ里公園駅なのか、地図上では微妙でしたが、まあ、名前が付いている方で遠いとか、迷うことはあるまいと思い、吉野ヶ里公園駅で降りるつもりで電車に乗ります。

しかし、神崎駅を過ぎる時、駅前に古代人の大きな像が立っていて、吉野ヶ里遺跡の方を指差していたので、すでに遅いのですが、神埼駅の方が近いのか疑念が、、、

そして吉野ヶ里公園駅でおりましたが、こちらは駅前に特にオブジェはなく、、、

どちらが近いか比較しようもないので、案内板に従って、吉野ヶ里歴史公園に向かいます。

どっちの駅からもちょっと距離があるんですよね。

一応、遺跡に近いのは吉野ヶ里公園駅という情報はありました。

この種の看板は、辻々に建てられてあり、方角(矢印)と、「あと◯m」と案内してくれるので、道に迷う心配はありませんでした。

歴史公園センターに到着しました。

9:00開園で、現在(この時)9:10。平日ですし、駐車場にはほぼ車がなく、ゆったり、サクッと二時間程度見回ることにします。

(11:32の鳥栖行きに乗って、次の目的地に向かう予定)

古代人の格好した係員が、所々にいて、いい感じ(鬱陶しくない、しつこくない)で案内をしてくれます。

その適当な指示に従って、遺跡エリアに入っていきます。

ジュラシックパークの入口とは大分、異なります(笑)

逆茂木があります。堀もあれば、柵もありますね。。。

係員さんのアドバイスに従って、まず展示室で基礎的な勉強をします。

これらは、甕棺です。

遺跡をひと通り観てわかりましたが、遺構に再現された建物もそれはそれで見所ではあるのですが、この甕棺こそが考古学的な観点で、この遺跡のメインでしたね。

甕棺は北部九州の特徴的な墓制とのこと。大きいのは成人用、小さいのは子供用。

このように入っているということは、甕を二つ合わせるようにして埋葬したんですね。

身分の高い人の甕棺は黒く塗られていて、弥生時代に農耕(定住、集団生活)が始まったことで、身分の差ができてきたんですね。

そして、入口に柵、堀、逆茂木があったのは、集団というか国というものができていて、他の国や集団からの防衛の必要があったのでしょう。

多分、刈り入れの時は、奪い合いが起きたはず。それは戦国時代まで続いていましたからね。武田や上杉の出陣の時期をみると明白です。

 

表に出て、「南内郭」から観て回ります。櫓門があります。

物見櫓もありますね。

それにしても、今日も青空です。

この三日間、本当に天候には恵まれました。晴れて空は青く、でも適度に寒くて、歩き回ってもそんなに汗をかかず、気温が低いので空気が澄んで、遠くの景色も鮮明に見えました。これが奥さんと一緒の旅行だと、なんで?というほど雨にやられます。(当日降られたり、予報で降ることになって日程を変更したり)

ほんと、日頃の行い、あるいは、奥さんの丙午生まれの性ですね。

さて「南内郭」は、王族の居住空間であったようです。

物見櫓には登れますよ、と声をかけていただき、登って景色を楽しみます。

「倉と市」のエリアです。

こちら側は「南のムラ」

足元の王族の家々です。

家は内部もちゃんと作られていて、こちらは大人(たいじん)の妻の家の内部。

大人というのは役割毎のリーダー、すなわち大臣のような立場の人らしいです。

遺跡を見て回ると、祭祀儀式を取り仕切る、外交を取り仕切る、裁定(裁判)を行うなど、大人の役割の記載がありました。

そして、王の身内だったのかな。王家の居住空間に住んでいることを考えると。

大人の家の中。夫婦で別の家に住んでいたんですね。みんなそうなのかな?このあと見て回る家々も”対”になっている感じでしたし。

王家の家屋は、さらに柵で囲われいます。

やはり、王様と王妃様は別居。

王様の家は、王の力を示す品々が枕元にあるのが、大人の家とは異なると説明がありましたが、それは遺跡からわかったんでしょうかね?恐竜の化石もそうですが、そのような品が置かれた状態で、この家が遺跡化した、その状況はなんだったんでしょうね。

これは何だったけな?会議とかで集合する建物だったけ?

 

お堀ですが、「環濠」というのが正式名称です。ぐるっと廓を囲っていますからね。

土塁にも囲われ、柵もあって、ほんと城です。

「中のムラ」というエリアですが、見た目は同じ家ですが、養蚕、機織りなど家には何かしらの機能、役割があてがわれていたようです。

 

「北内郭 」へ進みます。 

「北内郭」は、政治でもあり、祭礼でもある、”まつりごと”が行われた場所で、

祭殿が復元されています。中に入ることができます。

説明ビデオによると、王様が報告を聞いて、刈り取りの日を決める会議を行っているところを再現しています。

しかし、王様が決めるというより、王様は司祭に、いつがいいかを尋ねて、このような儀式を経て、王様にご託宣を伝え、刈り取りの日が決定されると。

結局、決めているのは司祭ということですね。王様は、決定というより、決裁権と責任がかかっていたようです。

それと、司祭は、おそらく神様の声を聞くことができるエスパーとより、天文、気象に詳しい一族だったのではないですかね。

(三国志で、赤壁の戦いの時、孔明が東南の風を吹かせたみたいに、神がかりではなく、独自の知識体系があって)

その後、朝廷で、暦を決める陰陽寮(占いもする)に変遷していったのでは?

これは、衛士の家だったかな。北内郭に住む必要があったのは兵士だけ、と説明があったような。

「墳丘墓はこっちですよ」という案内に、ちょっと逆らって、この遺跡のメインの前に、「中のムラ」にある倉庫をみるとに。

面白いのは、人の住む家は、地下とまでは言いませんが、地面を掘って、地面より低いところが居住空間になっています。

湿気がこもったり、雨水とか流れ込んで来ないのか、と疑問に思いますが、

そちらの方が、夏涼しかったり、冬暖かかったりしたのかもしれません。

他方、高床式なのは、倉庫です。

こちらは食料、穀物にしても、干し肉、干し魚にしても、湿度が低く、風通しのよい環境(腐らないよう)が望まれたはず。

それと、ネズミとかに食べられないよう、支柱を垂直に建て、ねずみ返しを設置しています。

昔、シンガポールに住んでいて、ラオスのシェンクアン(奇遇にも、石棺が大量に発見された村)に観光で行った時、

やはり倉庫は、高床式になっていたことを思い出しました。

ただ、その地は、ベトナム戦争中、北ベトナムの補給路を断つために、アメリカ軍が、山の形が変わるほど、ナパーム弾を投下した場所で、当時もボム・クレータ(爆弾による穴)がそこら中にありましたが、もっと驚いたのが、不発弾の鉄の薬莢を、倉庫の柱というか支柱に使っていたことでした。

理由としては、木だとねずみが登ってこれるが、鉄だと、滑って登れないから、とのこと。

 

さて、遺跡のメイン、「北墳丘墓」へ向かいます。 

手前には、「甕棺墓列」があります。なんかボコボコしているのが写真からもわかると思います。

こんな風に、甕棺が埋まっていた場所です。

その先、「北墳丘墓」の前には、祀堂があり、ここで祖先へのお供え、お祈りを行ったそうです。

盛りあがった「北墳丘墓」は、2100年前の時代の、王様やそれに近い身分の高い人が埋葬された墓地です。

裏側に入口が設けられいて、入ることができます。

14基の甕棺が出土したとのこと。

内部は湿度が高いと感じたのですが、遺跡の保存実験の結果から、そのように制御しているとのこと。最初に発見された時は、保存方法がわかっていなかったので、一旦、埋め戻したと説明ビデオが言っていました。

それにしても、本格発掘調査が始まったのは平成元年(私の記憶と大体あっている)だったんですね。

これまで訪問したことのある戦国時代の遺構なんかは、割と昭和の早い時期に行われていたりしていましたが、

あるとわかっていた場所と、工業団地の造成をしてみたら出てきた、のとでは大きく違いますね。

 

入口の展示室で、どのように二つの甕棺を合わせたのかという疑問は、この絵で解けました。

高貴な人の黒い甕棺の模型。

展示室からここまで、この黒い色がなんなのか説明を見かけなかったので、係員の方に質問してみたのですが、わかっていないとのこと。

内側の赤は漆らしいのですが、後でネットで調べたら、炭化物という情報だけありましたね。単純に考えれば炭(墨)のはずですが、わかっていないと敢えていうところが謎です。(そん人が知らないだけだったのか、本当にわかっていないのか)

外に出ます。

この側溝のようなのは、お参りのための道とのこと。まあ、科学ではなく、祭祀による時代ですから、自由気ままにお墓に近づくものではなかったはず。

「倉と市」のゾーンです。

これは、兵士の詰所だったかな。

結構、兵士(衛士含めて)が多かったのかな。集団の内部でも、外部からも争いは多くあったような気はします。決して豊かであったはずはないので。

「市楼」というものです。市の管理事務所的な。

それにしても、北内郭の祭殿もそうですが、このような建物(二階建てとか三階建て)を建設する技術があったんですかね?

展示されている、発見された青銅器とかから推測して、こういう建築ができる道具、工具があったかどうか。。。ただ、ここが北部九州であることを考慮すれば、大陸の文化や技術は、この時代、圧倒的に日本より進んでいるので、渡来人が住み着いての国造りであれば、可能性は否定できませんね。始皇帝が万里の長城を作った頃でしょうから。

しかし、絵があったわけではないと思うので、遺構から、どこまで建物高さや外観がわかるのかわかりませんが、忠実な再現なのか、ある程度推測や期待込みで再現しているのかは、気になるところです。

まあ、個人的には、平らな遺構、柱石を見るよりは、多少盛っているとしても、古代ロマンを掻き立てられるような再現が好きですね。

 

最後のゾーン「南のムラ」に行きます。

ここまで、偉い人の家、職人の作業場、祭殿、市の建物、倉、兵士の詰所などを見てきましたが、偉い人たちと同じような家に、一般の人たちも住んでいたのでしょうか?

王様の家があれなら、一般人はもっと粗末な感じか、というと再現されているのは同じような家屋ですね。

それと、一般の村にも「環濠」はあるんですね。

ずいぶんんと防備が、、、と思いましたが、日本で、街ごと城に入れてしまう「総構え」ができたのは、北条氏の小田原城からで、それを秀吉が真似て大阪城を総構えにしたのは16世紀ですが、

史記、項羽と劉邦、三国志などを見ると、村や町を城壁で囲んでいましたから、大陸からの文化と考えれば、「環濠」で囲むのも(勝手ながら)納得できます。

一般の人の家屋も、王族の家屋と変わらないように見えますよね。

それと、割と距離を置いて、いくつかの家屋のまとまりが見られますが、

何軒かの”集落”があって、それがまとまって”村”となって、またいくつかの村をまとめて、統治する王様がいたというヒエラルキーですね。

祭殿でも、村の代表から、報告を聞いているシーンがジオラマ化されていましたし。

そう考えると、王様は支配者(所有者)というより、行政官に近かったのかもしれませんね。

律令制度、荘園、一所懸命のような土地を所有し、人を支配するところまでは進んでいないのかな(あくまで私の感覚ですが)

 
さて、ざっと二時間、とても面白く、為になりました。
もう二十数年前になりますが、岡山の「中世夢が原」もこんな感じで楽しかったなあ、と懐かしく思い出しました。
(リンク貼ろうと検索したら、まだ存在していてよかった)
 
では、吉野ヶ里公園駅に向かいます。

次の目的地は太宰府、そして福岡城を観て、東京に帰ります。

ではでは。


佐賀旅行(4)佐賀城

2019-04-09 19:02:09 | 遠足・旅行

佐賀旅行の第四回、二日目の午後は、佐賀市へ移動します。

計画段階で、福岡空港の市営地下鉄から唐津までのJR筑肥線では、Suicaが使えることは確認済みでしたが、

実態がどうなのかはっきりしなかったのが、(名護屋城博物館に行った)昭和バスと、この唐津から佐賀への移動でした。

行き方としては、JR唐津線・長崎本線に乗れば、乗り換えなしで佐賀に到着するのですが、

切符販売機に貼ってあった注意書き(虹の松原駅にも貼ってあった)によると、事前に調べてあった通り、唐津と佐賀の間はSuicaが使えないと。

私はモバイルSuicaでもあったので、もし清算できなかったりしたら(手間が、時間がかかったりしたら)困るので、念のため、現金で切符を買って移動することにしました。

 

隣のホームには、前日、福岡から唐津まで乗ってきた、おしゃれなJR筑肥線の電車が。

他方、私が乗るのは、、、二両編成、ワンマン電車(とのアナウンス)

一時間ちょっと、車窓から長閑な景色を眺めます。

途中の駅は、どうやら無人駅。切符を箱に入れてくださいというアナウンスが、、、切符を買った判断は正しかったかな。

佐賀駅は途中の駅とは異なり、唐津よりも大きな駅でした。

そして、私の切符は自動改札へ。。。

ということは、唐津駅、佐賀駅そのものはSuicaに対応していて、その間の区間の駅がSuicaに対応していない、ということだったんですね(多分、いや間違いなく)

なので、私は唐津から佐賀までSuicaでよかったんですよ。昭和バスもそうですが、いらぬ心配をしたものです(私は本当に、気を取られ、神経をすり減らすんですよね。他愛もない話なのに)

 

まあ、仕組みが理解できた(多分)ところで、気を取り直し、佐賀城に向かいます。

駅前は、さすが県庁所在地、唐津よりは建物が多くて、高い(苦)。

でも、デパートらしきものはないんですよね。なんか違和感。

唐津では「唐津くんち」のお出迎えでしたが、佐賀では「面浮立(めんぶりゅう)

すみません、これは知りませんでした。

佐賀県を代表する民俗芸能とのことですが、佐賀市のものではないのでしょうか、土地勘がないので何とも言えませんが、「面浮立」に絡む情報は、これ以後、行き当たりませんでした。

さて、駅から大通り(というほど大きくはないのですが)を1kmほど南下すると、佐賀城址、佐賀県庁に行き当たるので、行きがけにある見所を巡って行くことにします。

 

まずは、「龍造寺八幡宮」です。佐賀八幡宮とも呼ぶようですね、写真にあるように。

なんか派手ですね。黄色い重石(?)が手前にもう2個ずつあるということは、この鳥居は、本来、後2本あるということ?それとも、幟立て?

戦国時代の九州は、九州三国時代とも言われ、大友、龍造寺、島津が有力で、当初は大友宗麟が勢力を伸ばしたものの、耳川の合戦で島津に敗れ、変わって勢力を伸ばしきた龍造寺隆信も、沖田畷の戦いで島津に敗れ、九州は、島津が統一する一歩手前になったところで、秀吉の九州征伐になりました。

佐賀藩の藩祖は、鍋島直茂ですが、そもそも鍋島家は、龍造寺家の家老格だったのが、龍造寺家が落ちぶれていく中、一大名として、秀吉にも家康にも認められた、直江兼続のような人物と理解しています(家老でありながら、主家の会津120万石とは別に、米沢30万石を拝領した。関ヶ原の結果、自領の米沢に主家を引き取ったような形になり、上杉家米沢30万石となりました)

他方、主家を乗っ取ったような形から、龍造寺家の飼い猫が、直茂に復讐を企てる化け猫騒動が語られたり、、、

話が拡散しましたが、私の好きな戦国時代の佳境においては、肥前といえば龍造寺であったので、龍造寺の名がついた八幡宮には詣でたかったのです。

ただ、後で調べると、龍造寺家とそんなに由縁があったわけではなかったようです。

あと、ここも間借りしているお社がありました。楠木正成神社。楠木正成と九州のつながりもよくわかりません。

 

通りに戻って、佐賀城を目指しますが、通りの所々にブロンズ像があります。

郷土ゆかりの偉人さん達のようです。

 

続いて「バルーンミュージアム」。佐賀では気球(バルーン)が盛んなんですね。

ただ、さほど興味はないところに500円払わなくいいかな、と思い一階に展示されているものを見上げるだけにしました。

さりながら、映像とかシュミレータとか、気球の仕組みを知ることができ、十分に楽しめるものかと思いますので、特にお子様連れにはいい施設なのではないでしょうか。(私も、史跡巡りがメインの旅行でなく、これが九段下の科学技術館にでもあれば、しっかり堪能すると思います)

 

さて、佐賀城はもう直ぐなのですが、ちょっと東(左手)に逸れます。

松原神社」と「佐嘉神社」を見るためです。

この小さな用水路は、「松原川」と言って、河童の住める清流を、というキャッチフレーズのもと整備したとか。

そもそもは佐嘉神社の堀であった松原川には河童が住んでいたから云々。

長女河童のみどりちゃん、湧き水のポイントらしいです。確かに、綺麗な水です。

こちらは、長男の河太郎。家族達が、ちょいちょい現れますが、写真はここまでにしておきます。コンプしてもしようがない。

 

まず、佐嘉神社です。佐嘉神社は10代藩主の直正(佐賀城本丸のところに銅像として立っている人)、11代藩主の直大を祀っています。

そして、お隣の松原神社へ。松原神社は、藩祖の鍋島直茂とその先祖を祀っています。

白磁の灯籠。貴重な(珍しい?)ものらしいです。

そして、ここからが、どこかで加減すべきだったんじゃないのかな、と思わせる話です。

松原川には河童がいたらしく、木彫りの河童が、門に掲げられていたようなのですが、どういうわけか、元々あった場所から外して、別にお社を建てて祀ってあります。

その祀ってある場所は、松原神社の入口の傍なのですが、

面白ネタにしているような、無駄にひと儲け感を出しているような。。。

境内では、ハトの餌を売っていて(今時、ハトに餌やりはむしろしないよね)、故に、足元に餌が欲しいハトがうようよて、あの目で見上げられます。

そして、左の荒神はともかく、右の黄色、恵比寿さん、、、

しかも、音楽がかかっていて、バンコクのキラキラ電飾の仏像なんかと比べれば、まだマシですが、本殿の荘厳さに対して、なんか余計なおまけ?デザート?お土産を足しているような。。。

まあ、いいです。これも旅の醍醐味ですね。

 

直ぐ先が佐賀城のお堀です。

佐賀市も桜が見頃な雰囲気です。

唐津城に比べると、お堀が広いし、城の構えが大きです。この入口と、反対側の方に本丸跡があるので、突っ切っていくのですが結構な距離を歩くことになります。

唐津藩12万石(島原の乱で天草4万石を取り上げられる前)と、佐賀藩32万石の国力の差を感じますね。

そして、翌日は、52万石の福岡城の大きさに、上には上がいることを感じることになります。

佐賀城の一画に入り、反対側の口(門はないので)の手前に、本丸跡があります。

本丸の西門から入ります。

内側の石垣は天守台とのこと。

天守台が満開の桜で隠れてしまいます。

見所の一つ、「鯱の門と続櫓」です。鯱鉾が載っていますね。

そして、門に繋がっているから、続櫓なのかな。

一旦、門から出た広場には、10代直正公の像が立っています。これから入る、もう一つの見所、「佐賀城本丸歴史館」は、この直正公の本丸御殿を(1/3スケールと言ってたかな)再現したものです。

ボランティア説明員(?)のおじいいさんから、スマホで各コーナー・展示物のガイドが読めると簡単な説明を受け、案内したそうなのを振り切って(全員がそうでないとしても、ネット情報では評判良くないし、私も自分のペースで観たいので)歴史館の中を見学します。

私の好きな、模型(ディスプレイ)展示。

おっ、お殿様がいる。

佐賀藩の産業は、農業が主体だったので、農業分野で改善を図ったり、輸出向けの有田焼を作って、輸入する兵器の対価にしたりしたそうです。

加えて、蒸気船とか兵器開発が先駆的だったようです。

まあ、私としては、こっちも好きですが。

あと、「葉隠」を説明するパネルもありました。

山本常朝が口述し、田代陣基が執筆した、武士として御家に仕えていくための心得です。

隆慶一郎(「影武者徳川家康」、花の慶次の原作「一夢庵風流記」で知る人が多いかな)の小説「死ぬことと見つけたり」(未完成の遺作)で知ったのですが、

”ぶしどうといふはしぬこととみつけたり”とは、死ぬ気になって一生懸命に物事に取り組むことの大切さの事であり、むしろ生き方に言及したものです。

”葉隠”というのも、葉の陰に隠れるような、陰の奉公からきているようです。

ところが、太平洋戦争においては、曲解させて、というか一部分だけ取り上げて、忠臣蔵と合わせて、忠誠を尽くして死ぬべき、のようなプロパガンダに使われてしまったように思えます。

 

さて、歴史館を出まして、天守台には登ってみます(人影が見えたので、登れるようです)

登り口発見。

歴史館が見えます。

もう一段登ります。

特に何かあるわけではありません。景色も別に。

しかし、佐賀城は、敷地は広いのですが、完全な平城なんですね。

ここに天守閣があっても、そんなに高いものではないでしょうね。

戦とか、守備のためではなく、行政の中心としての城という意識かな。

それに、30万石を超える大大名だから、天守閣で威容を見せ付けたりすると、幕府に目をつけられたりするから、作っても小さめとか。

翌日行く福岡城も、幕府に遠慮して天守閣は作らなかったとか、作ったけど破却したとかいいますし。

お堀も石垣で囲って、という風でもありません。

午前中に見た名護屋城の石垣もいいですが、こういうのも情趣があります。

桜並木も綺麗です。

 

さて、佐賀市内観光で検索すると、評判が良かったのが、新県庁舎の最上階、展望フロア「SAGA360」

専用のエレベータで上がります。

ぐるっと佐賀市内の景色が楽しめます。

夜間はプロジェクションマッピングの上映もあるようです。

3月までは18:30からだったのが、4月からは20:00から。

午前中は名護屋城、午後は佐賀市内を歩き回って、20:00にまた県庁まで歩いてくる自信はないな、残念ながら。

 

残る、見所は、、、

徴古館」は改装、休館中。

旧福田家」は、先月開催されていたひな祭りの撤去で休み。

旧古賀銀行」も改装中で入れず、近寄れず。

旧古賀家」も、ひな祭り撤去中。

まあ、唐津でもそうでしたが旧家の類は、一応、チェックインしただけでよしとします。

以上、佐賀市内観光でした。

長崎街道(昔、小倉と長崎を結んだ長崎街道の一部)を歩いて、ホテルに向かいます。

明日、最終日は、吉野ヶ里遺跡、太宰府、福岡城の予定です。

ではでは。


佐賀旅行(3)肥前名護屋城

2019-04-08 19:26:24 | 遠足・旅行

佐賀旅行の第三回は名護屋城です。

唐津に一泊し、二日目の朝に行きました。

昭和バスで、大手口バスセンター(駅前ではなく、市役所の隣)から、名護屋城博物館入口に向かうのですが、

計画段階で、時刻表を見て混乱しました。

どの時間のバスに乗るかによって、運賃が異なります。かかる時間も異なるので、経路が違うのか?

それに、ジャンボタクシーというのは?呼子で乗り換える?

心配なので、初日にバスセンターの係員のおばちゃんに聞いてみたのですが、

このバスなら830円、こっちのバスなら1000円の切符を買えばいいから(値上げしてんじゃん)

向こうでは切符は買えない(じゃあ、どうすれば)、二枚買って(乗るバスで値段変わるでしょ)。現金でも払えるよ。

くらいしか説明してくれないので、

新たに時刻表をもらって、ホテルでにらめっこでした。

で、ようやく理解しました。

既成概念を振り払えば、実はシンプル。

つまりは、基本は、降りるバス停で運賃が変わる(整理券をとる)路線バスで、

私の常識と異なるのは、目的地まで複数の「系統(経路)」があり、系統が変わると、乗っている距離が変わるので、運賃が変わる。乗っている時間も影響受ける。

呼子行きだが、博物館に先に寄る経路の直行だと830円。

1000円は、玄海エネルギーパークを経由する遠回り。

朝と午後は、直通のバスがあるが、その間の時間は、呼子までしかバスは行かないので(この呼子行きは、博物館に寄らないというか、博物館直行とは経路が逆回り)、ジャンボタクシーというワゴン車で、博物館と呼子を移動することになる。

その運賃は一律200円、呼子とバスターミナルは750円なので、合計950円。

改定前の運賃の”理屈”もこの通り。

結局、7:55バスセンター発に乗って、名護屋城博物館へ向かい(830円)

城址、博物館見学は2時間くらいだと思うので、10:28博物館発のジャンボタクシー、呼子で乗り換えてバスセンターへ(950円)としました。

 

能書きが長くなりましたが、830円の切符を買って、7:55のバスに乗りました。

すると、バスの乗り口に、ICカードリーダーがありました。。。Suica使えんじゃん、おばちゃん言ってよ。

それなら、系統とかも深刻に考えなくてよかったし、切符買う必要ないでしょ。しかも切符買っちゃったら、違う時間のバスに変更しにくいじゃん。

(7:32の玄海エネルギーパーク経由に乗り遅れて、払い戻し、切符の買い直しをしている観光客のおじさんがいました)

車内のnimocaの広告には、昭和バスは5%割引とか書かれてあって、ICカード推奨している。

他方、なぜか、バスセンターには「Pay by Cash(支払いは現金で)」という張り紙もある。。。バス会社もキャッシュレスには混乱しているのかな。

 

さて、名護屋城までは35分。

田舎(というと失礼ですが)の路線バスって、なんだか和みます。(だからTV番組にもなるんでしょうね)

ハノイで、ゴルフや工業団地に行く時、田舎道を車で走っていた(運転手のおじいちゃん、元気にしているかな)長閑さを思い出しました。

ふと、降り口(運賃後払いなので前)をみると、傘が数本掛けてあります。

忘れ物を引き取れるようにしているのか、傘のない人に貸し出すのか、お年寄りは下車する時濡れないように、運転手さんが差してあげるのか、何れにしても田舎の優しさを感じるシーンです(違っているかもしれないが、そうあって欲しい)

 

そして、名護屋城博物館前というバス停に到着。ただ、真前ではないので、どっちに博物館なり城址があるのか迷いましたが、程なく発見。

博物館は超立派です。そして、平成5年(25年前)に開園したにしては綺麗でした(新しく感じました)

開館は9:00。まだ8:30なので、城址を巡ってから博物館を見学することに。

早速、石垣にテンションが上がります。

大手口から、本丸を目指しつつ、曲輪や櫓を見て回ることにしましょう。それにしても、ここも桜が見頃で綺麗です。

東出丸(右奥)に登ります。

陣立ての説明板に従って、

見渡します。

名護屋城そのものもスケールが大きいのですが、集められた諸侯の陣屋、兵馬が、ここから見える一帯に溢れていたと考えると驚きと感動です。

ちょうどBSで名護屋城の特番をやっていましたが、集められた兵は延べ30万人、陣屋は150以上、城下の住民も10万人(大阪並み)ここにひしめき合っていたそうです。

振り返ると、まだ開いていない博物館が見えます。それにしても立派な博物館です。

東出丸の櫓台です。博物館で「肥前名護屋城図屏風」を改めて見ると、一時的な城であったにも関わらず、天守とか櫓とかが多数、しっかりと(瓦屋根、白漆喰)造られていたようで、その支柱石、天守台、櫓台、門の石垣なども、しっかりしたものが現物として見ることができ、決して絵に描いた餅ではなく、現実に壮大な本格的な城であったことが想像できます。

三の丸跡です。

そして、この本丸大手口の先が本丸です。

本丸は、流石に本丸で、拓けています。

本丸を左手から回ります。

南西の櫓跡からの景色です。海が綺麗ですね。

多聞櫓のところには、陣屋の説明板があり、

そこからの景色です。

図面、模型を見てもわかりますが、本丸が海よりの場所にあります。

そして、城が建てられた場所が、岬なので、どの方向にも海が見えますし、

天守台も、本丸の隅に建設されていたので、海からも、陣屋からも、威圧されるように天守が見えていたのではないでしょうか。

(木碑には、私が天守台にいる時から、ずっとカラスがとまっていて不気味でした)

現在はこうですが、太閤さんが見た景色はどうでしたでしょうか。

「唐入り」ですから、海の向こうに思いを馳せていたのか、あるいは、天下人として、眼下にひしめく諸侯を見下ろしていたのでしょうか。

本丸の中心に置かれた石碑です。右奥が天守台。

本丸大手口から三の丸に降り、本丸の石垣と、三の丸の櫓台の間から、二の丸に向かいます。

本丸の石垣です。それにしても、重厚な石垣造りです。TV番組では、煌めいて見えるよう、石垣の表面は磨いてあったと。

そのような手の込んだ建設作業もそうですが、ものすごい量の石が、人馬、食料と共に運ばれ、その壮大な城が短期間で建設された状況は、どんなだったでしょうね。

池が見下ろせます。これは、史跡の一部なのでしょうか、公園として整備されたものでしょうか、マップには説明がないのです。

向こうに見えるのは遊撃丸ですかね。石垣が組まれその上が平らで、曲輪っぽさが見て取れます。

馬場(馬の鍛錬や、二の丸、三の丸間の移動に使われた)を通って、二の丸へいきます。

急に拓けましたが、二の丸です。三の丸跡とは異なり、広場のように整備されています。

長屋跡だそうで、二の丸には家臣の家屋が並んでいたので、このような広場っぽいのでしょうか。

二の丸の石垣(内側)です。

二の丸は桜が綺麗です。陽が昇って、空は青く、明るくなりました。

二の丸を後に、遊撃丸に向かいます。

遊撃丸です。寝そべったら気持ち良さそうです。

反対側にある弾正丸に向かいます。

特に何かある訳ではないですが、景色が綺麗です。本丸、天守台とは方角が違うように思えますが、岬のような場所に建っていて、入江も入り組んでいるので、海に囲まれているような印象です。

一通り、観て回ったようなので、降りていくことにします。

先ほど見えた、池に出ましたが、有料の茶苑があるところから推察するに、史跡ではなさそうです。確証はないですが。

庭園跡のように見えますが、こちらは史跡の一部でしょうか。

城址を観て回る所要時間は一時間強でした。ただ、休憩なくてくてく歩いて、なので、普通の人は一時間半から二時間かかるでしょうね。

これに、各陣屋跡を見て回るとしたら、一日二日では足りませんね。

さて、名護屋城跡を満喫しましたので、博物館を見学することにします。

 

立派な博物館は入場無料です。広々としています。

ただ、城が機能していた期間は短く、その後破却しているので、展示物に歴史的な貴重さはイマイチ感じられませんし、

名護屋城以前と以後の肥前の大陸との交流の話などで膨らましていますが、

名護屋城が佳境にあった時の情報、古代の北九州の大陸との付き合いを簡潔に理解するには適した内容とボリュームだと思いました。

 

さて、展示されている模型を見ると、城のスケール、加えて陣立ての壮大さが改めて理解できます。

それと、天守閣が、本丸の中心に重石のように乗っているのではなく、櫓の位置にあることが改めて確認できます。陣屋や海(自軍の船や、相手の使節)から、よく見えるように配置したのでしょうね、やはり。あと、秀吉さん自身も、景色や陣屋が見やすいように。権威というより、張り出した展望台のような実用的な話だったかもしれませんね。

 

先にちょっと書いた、「肥前名護屋城図屏風」ですが、こちらでも城の壮大さと、精密さがわかります。

一時的ななものでありながら、曲輪、櫓、石垣、堀などから城の造りは本格的なものであったことがわかります。

北条攻めの石垣山一夜城も、近年の発掘では、白い布を漆喰の壁に見せかけたりしたトリッキーなものではなく、本格的に建設された城であったことがわかっていますので、豊臣家というゼネコンは本当にすごい建築技術を持っていたのでしょうね。

陣屋の配置図ですが、全ては記載できないほど、密集していたのでしょう。

これも有名な蔚山城の戦いの絵ですね。加藤清正、浅野幸長達1万が、明軍6万に囲まれている様子で、迫力が伝わってきます。

ただ、大きさや距離感は、誇張されていますが、それだからこその、この時代の絵画は素晴らしい。

 

朝鮮軍(明軍)の武器としてフランキ砲の模型が飾ってありました。

この時期、国内で流通している鉄砲の数が最大であったとは言え、日本軍の火縄銃では、ちょっと火力に差があったかもしれません。

それと、ちょっと優雅にも見えてしまう安宅船と、

あくまで兵器であった李瞬臣の亀甲船では、戦況を逆転させるには十分な理由があったかもしれません。

 

 

さて、バス(ジャンボタクシー)の時間が近づいてきたので、博物館を出ましたが

地図や図屏風には、鯱鉾池という堀のようなものがあったようなのですが、それがどの辺か行ってみました。

山里口(城の出入り口)です。

こちらは上山里丸(だったかな?)

そして、その前にある、堀っぽい一角、これが鯱鉾池のあった場所かな?部分的には、史跡の石垣みたいですし、ただ、整備された城址を出てしまうと、近隣住民の生活感が急に上がりますね。

バス待ちをしていたおばあさんに、この一帯そのものが史跡で、その中に住んでいるのってどういう感覚ですか?と聞いてみたら

「興味ないからな(笑)」

そういうものでしょうね。

ジャンボタクシーで呼子行って、バスに乗り換えて唐津に戻り、

次は、佐賀市に移動します。

では、次回は、佐賀市内、佐賀城などを紹介します。

ではでは。 

 


佐賀旅行(2)唐津城

2019-04-07 17:43:45 | 遠足・旅行

佐賀旅行の第二回です。

鏡山から虹の松原を堪能し、唐津市内にやってきました。

駅前に、「唐津くんち」曳山の像がお出迎えです。

佐賀に来るのが初めてなので、もちろん生で観たことはありませんし、画像、映像でも”でかい金魚”くらいのイメージ、よくいえば大迫力、悪くいえば”夢に出てきそうな”気味悪さですが、さて、「曳山展示場」で見る実物はどうでしょうかね。

さて、駅前は、駅前らしからぬ閑散とした感じで、、、メインの唐津城は海の方にあるので、駅から近い順に、目星をつけていた名所を巡っていくことにします。

線路と垂直で駅前の道ですから、”駅前の大通り”というか、大きくない道をてくてく歩くと、市役所に突き当たります。

う〜ん、、、唐津って、名前から”長崎みたいな”と勝手な思い込みがありましたが、どうも違うような。。。歴史なのか、単に古いのか。。。

肥後堀。

まあ、島原の乱前に12万石、以後8万石ですから、そんなに大きな城構えではないのは承知していますが、まあ、現存しているのがこれということで。

こじんまりとしたバランスはいいんじゃなでしょうか(すみません、決して、唐津をディスっているわけではないんです。ただ、ちょっとイメージが違っていたので、表現がどうしても、ちとマイナスな感じに、、、)

ちょっとしたスーパーとかバスターミナルのある”目抜き通り”を右に向かい、

旧唐津銀行本店の建物です。

九州って、明治維新で勝った側なので、明治期のハイカラな建物が多いですよね。

私の故郷の福島は、朝敵にされた側ですから、あんまりなくて、僻むよりむしろ、羨ましい感じがします。

平成9年までは、佐賀銀行唐津支店として、実際に使用されていたんですね。驚きました。現在は佐賀県指定重要文化財として一般公開。

当時のカウンターとか、

矩折(かねおり)階段とか、

吹き抜けにシャンデリアとか、昔はハイカラ、今はレトロな趣がいいですね。

 

続いて、唐津神社へ向かいます。

唐津くんち(唐津君の家に一見読めてしまう)は、唐津神社の秋の例大祭として行われるそうです。

大鳥居から徐々に入っていきます。白い鳥居ってのも、なんといいますか、とりあえず、青空に映えますね。

本殿です。

境内には、他にも色々な神様がお住いのようです。

ひとつふたつなら普通の風景(同じ境内に、お稲荷さんがあったり、厳島神社があったり)ですが、ここまで色々同居されているのは、私の”ツボ”にはまって楽しくなります。八百万の神様の国ですから、一箇所にたくさんいて欲しい、というのは私だけ?

お隣は「曳山展示場」です。(入場料300円)

一気に行きます。すごい迫力で驚きました。

でかい!

獅子頭と、

いました、金魚(実は鯛)

乗り物系(でいいのか?)もあります。金魚の隣は鳳凰、そして鯱かな(尾びれが反っているから)

こっちが龍か。

一応、乗り物カテゴリで浦島太郎。こういうもので出てくる亀は、縁起物とは程遠く、怪獣みたいなのもお約束か。

そして、兜。上に獅子頭みたいなのが乗っている兜も多いから、カテゴリーとしては一緒かも。

これら、思っていたのより大きいし、上映されている映像見たら、すごい迫力ですね。

なんといいますか、”顔”が立体的に迫ってくるし、重厚感、質量を感じるので

張りぼて?の、”ねぶた”とはまた違った迫力があります(”ねぶた”は”ねぶた”でいいんですよ。東北人としては)

ただ、”ねぶた(青森)”も”ねぷた(弘前)”も絵巻物なので、この”顔”が迫ってくるのとは違いますね。

博多祇園山笠とか博多どんたくとセットで観られたら、と思うのですが、唐津くんち単品で”東京から行く”のは、、、悩みます。長崎くんちとも一ヶ月ずれるしなあ。。。

 

ともあれ、唐津くんちの迫力に圧倒され、祭りの雰囲気に心惹かれながら、周辺の観光名所を巡りつつ、唐津城に向かいます。

 

三の丸の跡です。何かあるわけではないのですが、満開の桜が青空に映えます。

旧大島邸。駐車場の大きさに驚きました。

有料なので、門からちょっとのぞいて(笑)

続いて、「西の門館」とは?と思ったら、曳山の倉庫と、唐津焼の販売所。

ただ、単なるお土産物屋とは、ちょっと異なり、様々な窯元の作品を分けて、展示、販売していますので、一見の価値ありです。

次は、旧高取邸。ここも有料なので、外見スルー。

まあ、見所もあるのでしょうが、近代に入って、古い旧家の昔のものが飾ってあるのは、お金を払ってまで見る興味を覚えないんですよね。

すみませんね。

他方、埋門ノ館(うずめもん)ですが、

係の方に、説明をお聞きすると、

平成に作られた、昔の武家屋敷はこうだったと見ることができる、社会教育のための施設だそうです。

名前の由来は、先ほどスルーした高取邸の辺りに、砂浜に埋まったような門があり、それを再現したとのこと。

お花、お茶、お歌の会場として利用されていると。こういうのは私のツボです、むしろ。

時の太鼓。

時計が埋め込んでいるのが面白いですね。もちろん、算用数字ではなく、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥で、時間が記されています(午が0/12時です)

ニノ門堀の桜です。引き潮だったのか、ほぼ空堀状態。

 

そして、ついに唐津城が見えてきました。

気持ちが盛り上がってきます。なぜなら、唐津城こそが、今回の旅行第一のモチベーションですからね。

白壁に、天守の赤い欄干。なんか雰囲気が、会津の鶴ヶ城に似ているんですよ。

(しかし、それは10年ほど前までで、その時化粧直しされ、現在の欄干は赤くないんですね)

まあ、共感いただけるかどうかはともかく、本日のメインイベントに違いはありません(苦)

ところで、大手門とかはないんですね(?)

本丸というか、天守に登っていきます。

やはり、お城は遠目に仰ぎみるか、近くから天守を仰ぎみるか、ですね(個人の感想)

この画像なんか、ほんと昔の鶴ヶ城なんだけど(敵だったんだけど)

警備員の方から、天守に登って景色を見てから、降りて各階見るのがいいよ、というアドバイスに従い、天守からの景色です。

鏡山から見た、虹の松原です。カーブが美しい!

西の松原です。

いやー、海青いわ、濃いわ。

両サイドの砂浜は、松原が近くて厚いから、砂浜も海も鮮明ですね。いいわー!

これは、手前の本丸の広場です。

唐津の街中です。

松浦川。唐津城に大規模なお堀がないのは、海と、この松浦川に囲われていたからですかね。

 

場内の展示ですが、やはり唐津焼。

唐津焼って、先日、工芸館で備前焼を見たせいもあるけど、

荒々しい備前焼と真逆に、大物はなく、ぐい呑、小鉢、皿、更にはコーヒーカップ&ソーサ、箸置き。

色合いも、白、薄い灰色など、日常飾らずに使う感じで、落ち着いています。

器が存在感を示す備前とは違いますね。

西の松原から、唐津城を見上げます。

こっちもいいねー。

 

残りは、おまけみたいなもんだけど(苦)

三の丸巽櫓。

千鳥橋

そして、唐津天満宮

場所がわかりにくい。。。なんで、天満宮とか東照宮って。。。

でも、桜とか梅は綺麗なので、外せない(苦)

 

ということで、佐賀旅行の初日、唐津は以上です。

今日は、空は青く、風もなく、穏やか、暑くはなく、涼しいというよりは、歩きまくっても大丈夫な、ちょっと寒いくらいで、寒いくらいだと空気も澄んで景色も綺麗に見られてラッキーでした。(海が近いせいもあるかも)

さあ、朝も早かったし、生憎、名物も見当たらないので(調べたんだけど、、、)、ビール飲んで寝て明日に備えましょう。

ではでは

 


佐賀旅行(1)虹の松原

2019-04-06 12:32:33 | 遠足・旅行

さて、二泊三日で佐賀を旅行してきました。

厳密には、JALで福岡空港往復でしたし、太宰府、福岡城址(舞鶴公園)も行きましたので、佐賀・福岡旅行なのですが、きっかけは佐賀なので、佐賀旅行と銘打たせていただきます。

行き先は、唐津、佐賀、吉野ヶ里、福岡で、今のところ、6回に分けて、逐次アップしていきたいと思います。

(合間合間に、近所の花見や料理などの別ネタも随時アップするつもりなので)

さて、初回ですが、唐津の鏡山から見た虹の松原です。

唐津へは、JALの福岡行きの始発便、6:15発に乗るべく、

池上線の始発、蒲田から京急蒲田にダッシュして、京急蒲田から羽田への始発便に乗って、ギリギリとまでは行かないものの、まあなんとか。

超久しぶりの日本国内線でした。

国際線だと二時間前にチェックインするとか、手荷物にできるかできないか悩んだり、ベトナム国内線だと、時間通りには決して飛ばないし、チェックインも手荷物検査も列に並べない人で大混雑とか、いろいろ気を使うとか、ストレスフルですが、

日本の国内線って、、、楽ですね。

乗客が揃わず(ほんとこういう人は置いていけばいいのに、と海外ではいつも思っていました)、20分遅れで福岡に到着し(フライト時間は一時間半程度)、想定していたのから一本遅い唐津行きへの電車に乗ることになりました。

福岡空港から唐津へは、地下鉄がJR筑肥線に乗り入れているので、乗り換えなしで行けます。

雰囲気としては、東武東上線みたい。

地下鉄の端が姪浜という駅で、さしずめ和光、唐津は川越、とかつらつら考えつつ、車窓からの景色を眺める唐津への一時間ちょっと。

駅名にはほとんど馴染みがありません。滋賀、京都、大阪あたりなら、戦国時代マニアとしては、武将の名前や、戦の場所などに知識がリンクするのですけどね。九州も全く知らないこともないのですが、随分知識の深さに差があります。

地下鉄から上に出ると、景色はどんどん田舎に、失礼、のどかになっていきます。

波多江手前の土手で桜が満開だったり、福吉の手前が一面菜の花だったり、単線なのかな、駅で停車した時に顔を合わせる(すれ違う)電車が、銀色の車体に、顔とドアが赤くてキュートだったり、

旅は、目的地は確かにあるのですが、電車やバスで移動中ののんびり感がいいです。

さて、最初の目的地ですが、唐津までは行かず、手前の虹の松原駅で降ります。

鏡山という山があり、そこの展望台から、虹の松原を見るためです。

虹の松原」とは、「唐津湾沿いに、虹の弧のように連なる松原。唐津藩初代藩主、寺沢志摩守広高が、防風・防潮林として植林したのが始まりで、全長約4.5km、幅約500mにわたって続く松は、約100万本と言われています。今では、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられ、国の特別 名勝に指定されています。」

しばらく手前から、車窓に海が見え、これから登る「鏡山」が見え、気持ちが盛り上がってきます。

虹の松原駅は、それはそれは小さい駅なのですが、

Suicaに対応しています。もとい、九州では「Sugoca」ですね。

他に、JR九州ではない「nimoca」というのもありました。

唐津でバスに乗る時、バスターミナルやバス内で”推し”ていたのはnimocaの方でしたね。

チャージは現金からですが(チャージ機がバスターミナルにありました)、ICカード割引があるようです。

なお、Suicaで支払った時、ICカード割引はなく、切符の値段と一緒でした。

東京で、切符なら140円だけど、Suicaなら133円みたいのが、Suicaには適用されませんでしたね。

Suicaで東急や営団に乗っても割引があるのに、JR東日本のICカードで、JR九州は割り引かないのか、と疑問が残りました。

当然、翌日乗った昭和バスは、車内広告で”5%割引”を謳っていましたが、Suicaで割引はありませんでしたね。

さて、タッチアンドゴーで駅をすり抜け、鏡山に向かいます。

登山口へは、ちょっと距離があり、ネットでいろいろ調べたのですが(Google Mapなどでも)、イマイチ場所、距離感、そして展望台までの時間もはっきりつかめなかったので、

唐津観光協会」さんに事前にメールして質問したところ、親切に、丁寧な返信(Google Mapのリンク付き)をいただき、安心して登山口に向かうことができました。唐津観光協会の担当者さん、ありがとうございました。

展望台・登山口は東西に2箇所あるのですが、東の「ひれふり展望台」に向かいます。(↓駅の方から見る鏡山)

その「ひれふり展望台」へは、「虹の階段」というのがあり、それを登っていく予定です。

(ちなみに、車道もあって、15分で行けます(苦))

駅からは、国道202号線のバイパスに出て、東へ1キロ弱歩くと、

登山口(階段の登り口)ありました。(駅からは15〜20分くらい)

にしても「1,278段」ですって。

「毎日10km歩いて、健脚の方だと思います。」と観光協会の方には強気な発言をしましたが、さてどうでしょうか。

いざ。

結構、急です。

途中(下の方では)、車道を横切るのですが、なんかイラッとしてきます。

おおっ、結構登ったな、と思ったのは大きな勘違いで、二割くらいの地点。

黙々と登ります。

振り向くと、結構登ってきたな、と思うのですが、これでも半分くらいか。

まだまだ登ります。もうしんどいです。

後ろが開けて、太ももの疲労が、ちょっと癒されます。

が、現実は厳しいく、もう後ろは見ずに、展望台を一途に目指します。

そして、25分間、休まず(休むとむしろ辛くなるので)黙々と登って、

この景色が待っていました。

すごい。。。

あと、松林が深っ!

左手が唐津市内ですね、唐津城もちっちゃく見えます。

砂浜のカーブが綺麗で、さすが”日本三大松原”のひとつ。

それにしても、天気にも恵まれましたが、海(玄界灘)が美しいですね。

一息ついて、

ここは、目指した「ひれふり展望台」ではない、”名のない”展望台であることに気がつきました。

「ひれふり展望台」は右手の方へ少し行くとあるようです。

その前に、佐用姫神社にお参りします。

なんだか、色恋の伝説のようです。それはそれで結構ですが、こういうのは、、、

なお、この佐賀旅行で、ちょいちょい、真面目なのかふざけているのか、田舎ならではの微妙な感覚に遭遇します。

それはそれで、旅の醍醐味なんですけどね。

で、「ひれふり展望台」へ。

ちなみに”ひれふり”の由来は、佐用姫が領巾を振り名残を惜しんだことから、「領巾振山(ひれふりやま)と鏡山が呼ばれていた、と。(鏡山をそう呼んだのか、領巾振山がいつから鏡山になったのか?)

こちらからの方が、ちょっと高いところから、東西、開けて見えますね。

(パノラマに撮りたかったのですが、なんか上手く撮れなかった。。。)

続いて、車で楽に登ってこられる方々のための駐車場の方にある、鏡山神社へ(歩いてちょっと)

(駐車場真前にある)

そして、これは何でしょうか。。。

「?鐘をならすたびに、おかげ様の心。愛をよび?める運の強さ 佐用姫様の力が皆様に宿ります すべての人に幸あれ 愛しとーと❤️岩本初恵」と刻まれていますな。。。

まあ、これはさておき、美しい景色を満喫しましたので、下山し、唐津市内に向かうことにします。

なお、こちらも桜が満開のようです。

九州は南とはいえ、東京からはむしろ、西だからか、今年の開花日は東京と一緒でした。

東北は4月5日(@福島)に、ようやっとでしたね。

なお、別の登山道から降りようかとも思いましたが、どこに出るのか(そこから虹の松原駅にたどり着けるか)も不安だったので、登ってきた「虹の階段」を降ります。

降りるのは降りるで、注意が必要ですし、疲れるのですが、無事降りて、駅に戻る時

唐津方面の電車が目の前の踏切を。。。

計画を立てた時と、ダイヤが変わっていますね、4月1日を超えて。

駅で、時刻表見たら、変わっていました。駅探で、ちゃんと日にちを指定して検索したのに、ダイヤ改定の情報は反映されないものなのかな。

仕方なく、30分くらい、こういう駅で待つことになり、

次来た電車で唐津へ、タッチアンドゴー。

次回は、唐津市内で、唐津城、曳山展示場などを紹介します。

ではでは。

 

 

 

 


筑波山遠足報告

2019-03-19 18:40:23 | 遠足・旅行

元々のスケジュールでは、先々週末行くはずが、(奥さんも私も)仕事の都合で行くことができず、

梅が散ってまうで!と、やきもきしていましたが、

筑波山遠足計画(2019.3.3)」の通り、

先週末の日曜日、歩くのが嫌いな奥さんと(苦)、筑波山に行ってまいりました。

ゆえに、ケーブルカーもロープウェイも使います。なので、登山ではありません。

むしろ、遠出して、山にも登った挙句、一日の歩数が15,000歩いかないのではないかと心配しました。

(私は一日の歩数目標を、15,000歩にしていて、これを割ると、気分がよくないのと、いろんなアプリでのポイント入手の都合がよくない)

 

さて、つくばセンターのシャトルバス始発(8:00)に乗るべく、

かなりの早起きをし(お弁当は前日に作り置きしておきました)、早朝の秋葉原駅へ。

予定通り、”筑波山きっぷ(4,300円)”を購入し、予定よりちょい早い、つくばエクスプレスの快速電車に乗り、一路、つくばへ。

 

ちなみに、”筑波山あるキップ(3,300円)”というものもあると、駅員さんに丁寧に説明いただきました。

ケーブルカー、ロープウェイなしだと、1,000円安くなります。これも、価格的にはお得です。次回、奥さん抜きの時は、こっちだなと。

電車に揺られて45分。

7:15分くらいに着いてしまったので、チケットカウンターは開いていませんが、待合室は開いていて、暖房も入っていたので、こちらでバスを待つことにしました。

ただ、シャトルバスの①番乗り場には、寒い中並んでいる方も数名いらっしゃるのが気になって、気になって、落ち着かず、

7:40頃には、お互い「並ぶか?」と①番乗り場に向かいました。

でも、これが正解でした。

我々が乗り場に行ったタイミングで、シャトルバスがやってきたのですが、

我々が、”座ることができた”最後の二人でした。

そして、ちょうど電車が着いたタイミングだったのか、上の図で”TX A4”の出口から、多くの登山客が上がってきました。

奥さんと「あっぶなあ、、、40分立つところだった。」と一安心しました。

(その心根が、すでに、登山やトレッキングの精神ではありませんね)

通路に立つ人がいっぱいになったところで、バスは出発。定刻前の7:50頃。

結構な人が外にいるのですが、次の7:30まで待つのでしょうか。

それとも、同じ時刻で、何台か出るのでしょうか。そこは不明でした。

あと、バス小さいね。

 

1. 筑波山神社

30分程度バスに揺られ、”筑波山神社入口”に到着しました。

我ら以外は、結構それっぽい装備、格好をされており、

”始発”という時間が時間ですから、皆さん、登山道を登るんでしょうね。

ケーブルカー&ロープウェイな我らは、普通のタウン着&スニーカーでしたが。

鳥居をぬけ、

階段を上ると

筑波山神社の拝殿があります。

なんだか、崇高というか重厚で、迫力がありますね。由緒はこちらから。

ベトナム赴任前に行った出雲大社もこんな迫力だったような。

ただ、注連縄が細いな(って、観点がおかしいよね)

 

2. 自然研究路、男体山頂

左手に進んでいくと、分かれ道があります。

右側の石の鳥居は、登山道。左側の階段はケーブルカーの宮脇駅へ。

”予定通り”左の階段を進みます。

同じバスで、ちゃんとした装備をされていた方々は、もちろん、筑波山神社参詣の後、右の登山道を登っていかれました。

(次は、あっちのグループに入れてください)

 

さて、ケーブルカーの宮脇駅です。3月の始発は9:20なのですが、シャトルバスが早く出たこともあり、随分時間が余りました。

そこで、、、お腹が空いたので(売店も開いていないので)、お弁当(おにぎり等)を半分食べて待つことになりました。

自己正当化の理由は、、、朝早かったしね。

ちなみに、ここから見る景色も良かったですよ。

バスで結構、上に登ってきたことが分かります。

おにぎり一個食べて、卵焼きなどのおかずも胃に入れたところで、漸くケーブルカーが出発します。

なお、これは、職員を山頂駅に運ぶために、前に出発した緑のケーブルカー(始発前)

我々の始発は、山頂から入れ替えに下ってきた、赤のケーブルカーでした。

森の中を進むので、乗っている間、景色はさほどでもありませんでしたが、山頂駅でケーブルカーを降りて、登ってきた斜面を見ると、かなり急な勾配を登ってきたんだな、と思いました。

男体山はケーブルカー、女体山はロープウェイと、異なる乗り物が採用されてますが、地形の差もあるのかしら。

御幸ヶ原から見る景色です。更に高いところに来たな〜っと。

向こうに見えるのは、女体山頂。

我々はケーブルカーの始発で登ってきたのですが、すでに結構な数の人がいました。

皆さん、自家用車やツアーバスで来て、登山道を登ってきたのでしょうかね(9:30頃ですから、8:00に登り始めれば、着くはずですから)

さて、我々は、計画通り、自然研究路に行きますよ!

この”自然研究路”ですが、上高地の整備された遊歩道のようなものと、勝手に思い込んでしたのですが、、、

結構、ハードでした。。。

親鸞聖人ゆかりの”立身石”ですが、石を見上げて、写真を取るには、脇道に逸れて、急な自然石の足場を降りなければなりませんでした。

奥さんからは「危ないから止めな」の連呼。

そして、ちょっと先へ行くと通行止で、迂回路の道標があります。

ちなみに、あらゆるパンフに”一部通行止め”と記載(印刷)されており、先ほどの案内図の下にも、注意書きが貼られていました。

なんか、私って、いろいろ綿密に調べる割には、割と深刻な情報が抜けていたりするんですよね。。。

迂回路は、男体山頂に向かうようですが、こんな更にハードな道です。

なんとか、山頂に到着、、、

更に、一段、高いところからの楽しめます。が、身体的にはすでに疲労して、それが気持ちの盛り上がりを抑えてしまっています(苦)

あちらに、女体山頂が見えます。あっちに行くのも、こんな苦労が待っているのだろうかと、夫婦で表情が曇ります。

自然研究路に戻る迂回路も、ちょっと行ってみたのですが、、、

、、、御幸ヶ原に戻ることにしました。

下りるのに選んだ、通常の登り道は、自然研究路の迂回路と異なり、一部を除いて、まだ緩やかでした。が、後の祭。

御幸ヶ原に戻り、男体山頂を振り返って「キツかった。。。」(しかし、天気はいいなあ)

 

3. 女体山頂

自然研究路を逆から再出発することも可能でしたが、奥さんに反対されるまでもなく、私自身、気持ちは萎えており、女体山頂へ向かうことに。

こちらは、緩やだといいけどな。

と思いきや、そうでもありません。

途中、”ガマ石”がありました。

口を開けたガマに見えますが、私にはジュラシックパークのラプトルに見えましたが、いかが?

なお、この”ガマ石”を見るまで、他の見所である”大石重ね”、”紫峰杉”をスルーしてきた事に気がつきました。

それほど、自然研究路と男体山頂への道が、我々を疲れさせていたのですね。

奥さまに至っては、登ること、足元に夢中で、この大きさな”ガマ石”にも気づいていませんでした。

(私に言われて、引き返して、一応、見てきたようですが)

こちらも、キツい石場を登って、女体山頂です。

この小ちゃい渡橋、”天浮橋”という見所(パワースポット?)らしいのですが、う〜ん、どうでしょう。。。

その先の岩場が混雑しています。

というのも、岩場がせり出していて、270°の絶景が楽しめます。

遠くに、霞ヶ浦が見えます。

ただ、本当に何もない岩場で、足場も良くないので、下の方を見ると(写真に見えるのは、ロープウェイのつつじヶ丘駅)、足が震えます(苦)

奥さまは怖くて登ってきませんした。と言うか、すでに心身共に、疲れ切っていたかも。

ロープウェイの女体山頂駅に向かいます。

駅の展望台からの眺めです。霞ヶ浦も見えるし、ここからでも結構いいですね。

後ろは、男体山頂、御幸ヶ原です。男体山頂と女体山頂の間は、結構ハードなコースであったんだと再認識しました。

なお、この時点で、まだ10:45。

予定より早いですが、11:00のロープウェイに乗って降ります。疲れましたね。。。

ロープウェイからの景色が、少しリフレッシュさせてくれます?

次は、梅園に行く予定ですが、12:00までバスがないので、

つつじヶ丘駅のレストハウスで、お弁当の残り半分を食べて、お土産を物色します。

茨城といえば、基本は、水戸黄門、納豆、そして

筑波山なのガマ、は分かるのですが、あまり齧り付きたくはないかな。

他のレストハウスは、かなりレトロにガマづいていますが、、、なんか、(地方の行楽地)らしいと言えばらしいかな。

 

4. 筑波山梅園

さて、シャトルバスで、朝降りた、筑波山神社入口まで行き、そこから徒歩数分、筑波山梅園です。

ちょっと都内、近所の梅園とスケールが異なり、驚きました。山肌に梅林が広がります。

梅の木の丈が短いかな。かがんで、森の中を進む感じは、ちょっとトトロっぽい。

入口には、白梅は”見頃過ぎ”、紅梅は”見頃”と掲示板があったのですが、むしろ白梅が満開で、紅梅は見頃を過ぎているような、、、

帰ってきてHPの開花状況を確認したら、案の定、逆でしたね(掲示板が間違っていたのか、それとも見方を誤っていたのか?)

そんな中、全体的に未だ綺麗に咲いている紅梅です。花見客が沢山なので、人通りが切れるのを随分待って撮りました。

梅は枝が上に伸びているところに、間隔をおいて、小さな花をつけるところが好きです。

何だろう、この感覚。バーっと広がる桜とは違って、もっとコマいところがいいんですよね、梅は。

ただ、広域にバーっとあるのもいいですね。手前といいますか足元に梅の花が広がり、遠目に関東平野が拡がる光景です。

こんなのもあったのですが、

何か由来がある梅の木ではなく、イベント的にお祓いをして、絵馬をかけているようでした。

う〜ん、まあ、お祭りですからね。

と言う事で、壮大な梅林を堪能できました。

願わくは、ベストであった、先週末に行けていたらなあ。。。

3/7(木)3/12(火)の開花情報が、白梅、紅梅共に満開となっているので)

まあ、来年こそは。

その前に、4月下旬から5月中旬のツツジですかね。

しかしまあ、今回、ケーブルカーとロープウェイで物足りないかな、などと。

毎日10km歩いているからと言って、慢心がありましたね。

平らな舗装路を歩くのと、丸太階段や不規則な自然石の足場を歩くのは全く違いました。

ちょっと鍛え直さないと、

歩くことだけに必死になって、全然楽しめないです。

それと、普段の散歩、ウォーキングでは、私としては緩めの靴がいいのですが、

山道は違いました。

グリップが効かず、危ないし、余計に疲れました。

”フィールドウォーキングシューズ”ではあったのですが、サイズを合わせた”トレッキングシューズ”が要ります。

反省しました。

と同時に、登山までは行きませんが、トレッキングへの興味は湧いてきました。

先月、何気なく本屋で買ったものの、パラパラとしか見ていなかった”ランドネ”を、まずは読み返します。

ではでは。


筑波山遠足計画

2019-03-03 15:12:52 | 遠足・旅行

こんにちは。

生憎の雨ですが、洗足池まで行くと、勝海舟夫妻の墓所の枝垂れ梅が、見頃になっていました。

IMG_1257.jpeg

お墓にも、手折られた梅の枝が供えてあり、厳かでありつつも、華やかさも感じられました。

さて、

日頃、池上・多摩川界隈、皇居周辺は歩いていますが、

その私の歩きに全く付き合わない奥さんから、たまには遠出をして、歩いたらという提案があり、

日帰りで、自然を満喫し、無理なく健康的に、、、と検討の結果、

筑波山に行ってみようということになりました。

選定理由
・つくばエクスプレスで、さっと行けるだろう=>つくばEXとシャトルバスで片道2時間程度
・山だから景色がいいだろう=>日本百景、日本百名山のひとつ。ただ、百名山の中では一番標高が低い。しかし、梅園も見ごろらしい。
・ロープウェーで昇り降りできたんじゃない=>ケーブルカー、ロープウェイで昇り降りできてしまう、登山というよりハイキング

という、いつの間にか奥さんに都合のよい、歩きについてはやや物足りない遠足に行くことになりました。

さて、私の悪い癖ではあると自覚はしているのですが、まずは、完ぺきな計画を立てたいと思います。


1. 秋葉原から“つくばエクスプレス”でつくばへ

つくばバスターミナルから、筑波山へのシャトルバスの始発が8:00ですので、それに乗られる電車に乗らねばなりません。(休日ダイヤで)

秋葉原 つくば
6:16 7:09
6:30 7:15 6:45 7:38 7:00 7:45

運賃は、秋葉原⇔つくば 1,190円(片道)、2,380円(往復)

ですが、“筑波山きっぷ”というものがあり、

下図の区間で、4,300円。

image001.png

シャトルバスの運賃が
・つくばセンター⇒沼田バス停、筑波山神社バス停:720円
・つくばセンター⇒つつじが丘バス停:870円
であるので、

つくばEXとシャトルバスのみで、3,970円(筑波山きっぷとの差額:330円)
ケーブルカー、ロープウェイ乗るなら、断然、お得。

なので、“筑波山きっぷ”を買うこと(秋葉原駅の券売機で購入できます)


2. シャトルバスで、筑波山神社(ケーブルカーの宮脇駅)へ

シャトルバス時刻表で見ると

つくばセンタからの行きは、8:00から30分間隔
つつじが丘からの戻りは、9:00から30分間隔 17:00まで 筑波山神社入口は10分後
つくばセンタ、つつじが丘間の所要時間は50分

期間別の本数の違いを見ると、やはり3月に行こうとすると混むんでしょうね。
(ダイヤが、平日と休日の区別がないという事は、平日でも混むのかもね)

運賃は上記の通りですが、“筑波山きっぷ”に含まれています。
(ちなみに、シャトルバスではSuica、使えます)

3. 筑波山神社、ケーブルカーで御幸ヶ原へ

筑波山神社を参詣します。

そして、ケーブルカーに乗ります。

運航時刻表によると、ケーブルカー、ロープウェイ共に、毎時、00、20、40と、20分間隔で出発します。

3月休日の、
ケーブルカーの始発は9:20、終発は17:00
ロープウェイの始発は9:20、終発は17:20
乗車時間は、ケーブルカー8分、ロープウェイ6分

8:00のシャトルバスに乗れば、8:36に筑波山神社入口に到着するので

9:20のケーブルカー始発まで、ゆっくり参詣、ちょっと休憩もできそうです。

なお、料金は“筑波山きっぷ”に含まれるものの、参考までに。

料金 ケーブルカー ロープウェイ
片道 580円 620円
往復 1,050円 1,100円

です。

・それぞれ往復できる切符 1,500円
・連絡片道 1,200円(片道を合算しただけで割引なし)
・ロープウェイ往復+筑波山京成ホテル日帰り入浴(つつじヶ丘隣接) 1,600円(風呂だけは1,000円らしい)

というものもあります。


3. 御幸ヶ原から、自然研究路、そして男体山頂へ

歩いて登るのであれば、登山コースがあります。

が、次回、一人で来た時に取っておくことにし、今回は、奥さんとケーブルカーで登り、ロープウェーで降りることにします。

御幸ヶ原からは、自然研究路(男体山頂付近をぐるりと周遊するルート)を、のんびり60分あるいて、

男体山頂に登り、景観を楽しみます(15分)

男体山頂から御幸ヶ原に戻り(15分)
おそらく、11:00くらいになっていることでしょう。

昼食休憩を取ります。(もちろん、お弁当は仕込んでいくつもりです)


4. 御幸ヶ原から、女体山頂、そしてロープウェイでつつじが丘へ

御幸ヶ原から連絡コースを歩いて、女体山頂へ(15分)

景観を楽しんだら、ロープウェイに乗って、つつじが丘へ。

かなりの確度で、レストハウスにて、奥さんのお土産物色に時間を取られることになろうかとは思いますが、13:00ぐらいに、降りて来ることになりそうです。(時刻表は、上記の通り)


5. 筑波山梅園

ここから、シャトルバスで、筑波山神社入口に戻って、筑波山梅園に行きます(バス停から徒歩5分)

筑波山梅まつり”の開催期間中ですので、いろいろ楽しめそうです。

14:00から15:00の間くらいですが、筑波山温泉に寄るかどうかは、その時の気分、体調ですね。

この後、秋葉原までは2時間はかかるし、朝も早かったことから。

帰りのつくばEXは、シャトルバスの時間次第で、事前に調べておく必要もないでしょう。

いかがでしょうか、この遠足プラン。

いろいろWEBで調べましたが、実は、筑波山きっぷのパンフ(表面中面)があれば、十分であったという気もしました。

しかも、これを作った後、仕事で秋葉原に行くことがあり、このパンフ含めて、梅園その他のパンフをみんなもらってこれたので、まあ、計画は“万全”と言えましょう。

ちなみに、 “ちゃんと歩こう”とする場合は、一人で(奥さんは絶対付き合わないはず)

登山コースの詳細に従って、

筑波山神社→御幸ヶ原→自然研究路一周→男体山頂→御幸ヶ原→女体山頂→つつじが丘

と歩き(休憩時間を含まず、4時間10分)、筑波山京成ホテルの温泉に入って帰ってくる、“登山”をしたいと思います。

あるいは、更に、来た道を、ロープウェー→連絡路→ケーブルカーで戻る、

登山もケーブルカー/ロープウェイからの景色も楽しむ、

“完全往復コース”(自分で命名)というのは、、、さすがに無理だろうな。

とりあえず、近々、楽なコースで行ってきて、ここでレポートしたいと思います。

ではでは。


現在までの変遷

「料理と散歩と仕事で海外」として、タイトルの通り、趣味の料理と散歩、そして出張する海外の情報を掲載していましたが、ハノイ赴任となり「ベトナム生活あらかると」でベトナム生活、近隣の国への旅行模様などを掲載するようになり、一時、仕事が忙しく更新が滞りましたが、2017年末に帰任し、2019年から改めて「池上優游涵泳」として、知識探求、スローライフを紹介しています。

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