池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

鹿児島旅行記(2/3)

2020-04-08 16:06:17 | 遠足・旅行

昨夕、非常事態宣言が出ましたが、我が身に特別な事はなく、普段通り、朝は散歩に出かけました。

行先の洗足池は、外出自粛になってむしろジョギング、ウォーキングの方々は増えたような感じは変わりませんね。

人間界はコロナで大変なことになっていますが、

自然、季節の移り変わりに変わりはなく、真っ赤なツツジが、弁財天の赤の併せて綺麗でした。

 

また、帰りに寄ったOKストアも、お客さんが多いようでもなく、

皆さん、割と落ち着いているのかもしれません。

ただ、OKストアでは、お客さんは多くはないと感じたものの、店員のシフトは減らしたのでしょうか、

開いているレジが少なく、レジ待ちは長くかかりました。

まあ、仕方のないことです(礼)

 

さて、昨日は、先週の鹿児島旅行の一日目、

齊彬公が祀られている照国神社、城山の展望台から眺めた桜島、そして鶴丸城跡の黎明館を紹介しましたが、

本日は、その後に向かった、仙巌園と尚古集成館の紹介です。

 

まず、告白しておきますが、(私に、よくあることながら)ある勘違いに、現地に行くまで気がついていませんでした(恥)

 

というのは、

鹿児島に行くことを決めてから、観光ポイントをあれこれネットで調べましたが、

城山(鶴丸城、黎明館)、桜島、西郷隆盛像などの定番の観光地名に加えて、

”世界遺産認定”という文字もよくみられました。

鹿児島の世界遺産って、屋久杉以外にあるんだ、くらいの感じでしたが、一応、行ってみようと、さっと調べると

”仙巌園”という場所が出てきました。

島津家の別邸で、綺麗な庭園と御殿、そして桜島の風景画美しいらしく、

私は、安直に、その庭園が世界遺産に認定されたものと信じてしまったのでしたが、その顛末は如何に(苦)

 

さて、黎明館を見学後、薩摩義士碑前のバス停から、シティービューに乗り、20分程度で、

(直接行けば、もっと早いと思いますが、色々な観光ポイントを伝って行くので)

仙巌園に到着しました。

庭園だけなら1000円、御殿の入ると1500円の入園料。

そりゃあ、世界遺産は隈なく観なければ、と1500円。

(券売機ではクレジットカードが使え、日本にしては、行政にしては珍しい、とちょっと感動)

 

園内に入ると、「世界文化遺産オリエンテーションセンター」というものがあり、

そこで基礎知識を得る際に、ようやく、気付きました。。。

世界遺産なのは、仙巌園ではなく、併設というか、このエリアに建設されていた産業施設の尚古集成館の方(汗)

 

欧米列強に負けぬよう、大砲を鋳造すべく建設した反射炉の跡、

日本での鉄鋼業だけではなく、世界に認められる(輸出できる)工芸品を、と薩摩焼や薩摩切子の製造を進めた窯跡、

そして洋式機械工場である旧尚古集成館本館など、

明治の産業革命を支えた、設備跡こそが”世界文化遺産”でした。

これを推進したのが齊彬公で、若くして亡くなったのに、すごい人物だったのですね。。。

 

ということで、世界遺産の見所は、庭園や御殿ではなく(世界遺産でもない)

この反射炉跡、です。

オランダ語の技術書を、翻訳しつつ、トライ・アンド・エラーで、自分たちだけで開発、建設したというのは凄い。

敵ながら天晴れ、感心しました(感)

薩摩でこんなことしている時、会津はまだまだ侍の世の中でしたからね。。。

反射炉のために、水力発電もしていたそうな。

 

なお、仙巌園は世界遺産ではありませんでしたが、

(これから紹介していきますが)美しい庭園と御殿ですし、

工業設備跡、和式庭園+洋風文化が共存している、この仙巌園と尚古集成館の敷地全体が、絵も言われぬ味わいを醸し出しており、

反射炉跡だけみても、偉業は偉業でも、感動は薄かったかもしれません。

 

仙巌園のエリアを巡ります。

正門です。(先に入ってきたところは、現施設の受付)

綺麗な日本庭園の始まり始まり。

御殿の敷地に入る門で、錫門(すずもん、現地では読めなかった)

江戸城の大奥になんか似ていて、ここから先は当主(と後継ぎの嫡男)しか潜れなかったと。

こちらの御殿は、よくいうところの”奥座敷”なんでしょうね。

門を潜って目に入った建物、これは御殿ではなく、(後で立ち寄ったら)薩摩焼や薩摩切子のブランドショップでした。

こちらが御殿の入口ですが、

まだ入らず、庭の方に回ります。

風情があります。。。

 

で、御殿から、庭先からは、桜島が望めます。

錦江湾を池、桜島を山に見立てた造りですから、優雅と言うか、、、むしろダイナミック。

ダイナミックといえば、この自然石を使った石灯籠、デカイ。。。

獅子乗大石灯籠というのですが、傘の大きさは畳8畳分あると。

望獄楼。琉球国王から贈られたもので、齊彬公と勝海舟の会談はここで行われました。

庭園内を進んで、振り返ると山肌に文字が見えます。

千尋巌、と読めます。

揚子江の”赤壁”の文字のように、岩肌に文字を書くのは中国文化で、日本では珍しいそうです。

(大名庭園としては、ここだけ)

 

御殿の庭園を離れて、広い意味での仙巌園の敷地を歩くと、

石を巧みに使った造形美が鑑賞できます。

自然なものもあれば、

人工的なものもあり、

また、尚古集成館の設備の名残もそこ彼処にみられます。

なんだか、ギャップというか、江戸時代の和風の中に、近代的な洋風が混じり合っているような、、、

この感じって、なんだろう?

と思いつつ、石垣が苔むしているところで、、、

そうだ!ラピュタだ!

異論反論はあろうかと思いますが、私がラピュタっていうのわかりますよね。

石の建築物が苔むして、、、って感じで(感)

いや〜いいですね〜(はるばる来た甲斐がありましたよ)

 

さて、敷地の先端は、桜島展望ポイントと案内がありましたので、行ってみました。

ほんと、近い。

この日は、ちょっと雨が降ったりして上の方が曇っていますが、山肌、街並みはくっきり見えます。

(それだけ距離が近い)

 

尚古集成館絡みの建築物以外にも、いろいろありまして、

これは曲水の庭とか(ここで宴を開いて、歌を詠んだのでしょうか)

御庭神社。いい感じに寂れていて、かつ木漏れ日で柔らかく明るい(感)

これは、、、猫神さま。

島津義弘が秀吉の朝鮮出兵の際に、猫を七匹連れていき(瞳孔の開き具合で時刻を測った?)、生きて帰った二匹を祀ったと。

猫神様は日本でここだけ出そうな。。。

 

さてさて、敷地は一周したので、〆は御殿内の見学です。

順路としては、祐筆(秘書、記録、代筆する人)の間の方から。

中庭をぐるっと回るように各部屋を拝見します。

祐筆の間とか、家臣の詰所は展示場のようになっていました。

ニコライ2世に贈った薩摩焼の複製とか、

雛人形とか、

神社に奉納されていた神馬(の模型)とか。

 

それらを眺めながら進むと、謁見の間があります。

畳の上に、洋風のテーブルと椅子、そしてシャンデリアってのはオツですね。

(畳、痛まなかったのだろうか)

ここで、ふと現れた係員の人が、掛け軸の書は、島津忠義(明治維新の時の藩主、齊彬の甥、久光の子)直筆の書だと言っていました。

が、そんな貴重なものを、海に面した屋敷で、そのまま掛けて展示しておいていいのだろうか?

と思い、訊ねてみましたが、「そうですよね〜」って、あなた何者?(笑)

以降、生返事をしながら(苦)、しばらく、庭園越しに桜島を眺めていたら、

また別の係員が話しかけてきて、先に述べた、錦江湾を池、桜島を山に見立てて、、、を話し出し、

そこから、コロナの話題などをしつつ(鹿児島に感染者がいないのは、検査していないだけですよ〜って、ちょっと。。。)

「折角来たのに、雨模様なので、桜島が曇っていますね」と言ったところ、

「いえいえ、山裾までこんなにハッキリ見えるのはなかなかないですよ」と。

南の方を指差し「向こうに見えているのは、薩摩富士と呼ばれる開聞岳で、薩摩半島の南端ですから、天気には恵まれましたよ」と。

そうなのかな?

個人的には、青空をバックに、桜島から噴煙が上がっている方がよかったのだけどね。。。

 

御殿の見学に戻り、残るは生活スペース。

寝室。

先ほどの洋風テーブルから、ベットを期待したけど、布団でした。

なお、島津忠義さんは、近代化を推進し、科学や新しもの好きだったらしいのですが、

終生、髷を結って、日本文化や侍としての矜恃は損わなかったらしく、

そう言われてみると、ベットではなく、布団というのも納得(していいのか?)

これは風呂場。湯船ではなく、掛け湯のためでしょうね。

これは、、、居間だったかな?化粧の間だったかな?

どちらにしても、ここはソファですね。

正座するより、腰掛ける方が絶対に楽だろうし。

そこは洋風?

玄関先の間(玄関の間)は、元々は世継ぎの部屋。甲冑は忠義着用の複製品とのこと。

というところで、御殿を一周して玄関まで戻ってきましたので、御殿見学おしまいです。

全般的に面白かった。。。ラピュタっぽさが特に(笑)

 

雨曇りで、身体が冷えてきたので、ここで帰るかどうか迷いましたが、、、

尚古集成館の本館もみなければと、バスは30分後の便へ。

中は、撮影不可でしたが、工場の機械などが展示されていました。

反射炉のところで書きましたが、輸入してきた機械ではなく、手探りで作ったのって、やはり大したもんです。

そういう先人の努力と苦労の先に、日本の未来があったのですね(感)

 

さて、シティービューに乗って、鹿児島市内に戻ります。

(本日の観光はおしまい)

ホテルは天文館の方なのですが、手前のフェリーターミナルでバスを降りて、翌日の予習です(苦)

15〜20分間隔で、フェリーが頻繁に行き来しています。

24時間運行って凄いけど、そんだけ需要があるのだろうか?

翌日乗るつもりの、よりみちクルーズ(一日一便、15分で桜島に着くところ、50分かけて湾内をクルーズして桜島に到着する)は、何分前くらに来れば、余裕を持って乗られるのか、念のために切符売り場の人に聞いてみたところ、

「5分前に来れば、十分ですよ」

「切符を買う時間とか含めてですか?」

「ええ(笑)」

その理由は、別途、そのくだりで書きますね(苦)

 

フェリーポートから歩いて何分でホテルに着くか、というより翌日、ホテルから何分でフェリーポートに着くか測るため歩いてみたところ、

途中、ドルフィンポートという海沿いのショッピングセンターに通り掛りました。

「15年のありがとう!グランドフィナーレ」とありますが、この時は一体なんのことかわからなかったのですが、

ホテルに着いて、テレビのローカルニュースを見ていたら、

運営会社と鹿児島県の、県有地使用契約が15年で切れるので、この日が最後の営業だったと。

それほど儲かっていないところ、県から値上げ求められて折り合わなかった、ってところかな?

グランドフィナーレにしては、あまり人がいる雰囲気ないし。。。

 

で、天文館の方に向かって歩き出したら、すぐ天文館でした。

フェリーポートから15分も歩いていない近さ。

なお、事前情報で、鹿児島イチ、九州で有数の娯楽・歓楽街と聞いていたのですが、

コロナの影響もあってなのか、あまり栄えてはいないような?

東京に帰ってきて、改めて天文館をネットで調べると、空洞化が進んでいると、、、ドルフィンポート合わせて、繁華街のエリアが別の場所(鹿児島中央駅の方とか)にシフトしているのでしょうか。

なお、ホテルは通り過ぎていたので、引き返しました(ドルフィンポートからすぐだったので、フェリーターミナルへは10分かからないな)

 

ところで、テレビでは、ドルフィンポート廃業のニュースと同時に、御楼門の修復が本日完了し、4/11に式典を行うとのニュースもありました。

旅行の日程として、3/31故に、年度替わりのイベントを間近にできたと喜ぶべきかどうか微妙なところです(苦)

では、次は、二日目、桜島の紹介です。

ではでは



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