今日、父が他界した。
今朝、病院から状態が良く無く病室を個室に移したとの連絡があった。
肺炎も進んでいるとの事。
私が仕事の日だったので母親が一人で行こうとしていて
大部屋から個室に移り肺炎が進んだとの病院の話を風呂に入りながら意味を考えた。
特別な感じを受けた。
病院から個室に移った事を告げる電話は父が入院して
七年間で一度だけ、その時も高熱が出て肺炎になった時だったが、当日に来いとは言わなかった。
会社には父の病気が悪化した為、遅刻するとの連絡を入れた。
病院に着くと案外、父は穏やかに見えた。ただ顔は赤く熱を帯びて居た。
私は安心して病室にあるテレビを付け飽きもせずワイドショーのセクハラの話題が気になった。
(先生も、大袈裟だな、これ位で呼ばれたら困るな、、、) とさえ思った。
14時位に先生の説明があると言うので待っていた。。。。
何気に、もう一度、父を見た。
赤いと思った父の顔が青く感じた。私は色弱なので母親に確認してみたら
母親も青いと言う。呼吸をもう一度確認してみる。
浅い、浅いが呼吸はしている。
じきに看護師が来た。
慌てた様子だった。
私は「痰が詰まっているみたいで、、、。」 と言ったら
驚くべき速さで看護師が痰の吸引をした。
その時、吸引の管を入れられても苦痛の表情を浮かべなかった。
父は既に深い昏睡状態に入って居るのだと思った。
少し安心した。
ナースステーションからは40とか30とかの声が聞こえて来た。
先生が来た。
聴診器を当て、脈を診て、瞳孔を見た。
個室に呼び出されてた。
この病院入ってからの7年の病状の進行について振り返り説明をした。
途中、個室のドアがノックされ先生が開け。
「呼吸が止まりました。」「解ってる!!」
とのやり取り、、、、。
個室に戻り再び先生が聴診器を当て脈を診て瞳孔を見た。
「後、1時間無いかもしれません。」と言って母と私を残した。
何をして良いか判らなかった。 手を握ってみた。母親にも促してみた。
母は触ったが手を直ぐに放した(この反応の真意は判らない。)
1時間も待たず、呼吸では無く心拍の問題で先生が来られて、、、。
時間を告げた。
葬儀屋は祖母の時の葬儀屋は避けた。(金銭的な好印象はホトンド無かった。)
特段安い訳では無いであろうけど別の葬儀屋を選んだ。
(明日、色々な打ち合わせに行く。)
弟夫婦を呼び、父にしてみれば孫にあたる1年と4ヶ月の幼子も来た。
遺体を葬儀場に移した。
近い親戚が既に葬儀場に集まって居た。
住職を来て御経を上げた。
深刻な空気が流れやすい状態なのだが
遺体の孫にあたる幼子によって葬儀場になる場所で
近い親戚が暗くならず、むしろ明るく場が過ぎた。
葬儀場の亡くなった父の横で、この子が「じいじ」と何度も言った。。。
弟も驚いた様子で泣いて居た。
3、4度程か存命中の父に会わせても泣きまくるのはデフォではあったが、、、。
まぁ、年寄りを見ると「じいじ」と呼ぶのかも知れないのだけでど、
存命中には父に近づけると泣きまくり近づけれなかったが
亡くなると自分で遺体の近くに歩み寄るのは不思議だった。
追伸
「命のリレー」と言う言葉について思う、
我々個人が、見届けられるのは現在では努力と運が重なって、せめて4世代か、、、。
今まで人類が誕生し何世代、代を重ねたのだろう。
感情的には「人は遺伝子の乗り物である」とは言いたく無い一日だった。
今朝、病院から状態が良く無く病室を個室に移したとの連絡があった。
肺炎も進んでいるとの事。
私が仕事の日だったので母親が一人で行こうとしていて
大部屋から個室に移り肺炎が進んだとの病院の話を風呂に入りながら意味を考えた。
特別な感じを受けた。
病院から個室に移った事を告げる電話は父が入院して
七年間で一度だけ、その時も高熱が出て肺炎になった時だったが、当日に来いとは言わなかった。
会社には父の病気が悪化した為、遅刻するとの連絡を入れた。
病院に着くと案外、父は穏やかに見えた。ただ顔は赤く熱を帯びて居た。
私は安心して病室にあるテレビを付け飽きもせずワイドショーのセクハラの話題が気になった。
(先生も、大袈裟だな、これ位で呼ばれたら困るな、、、) とさえ思った。
14時位に先生の説明があると言うので待っていた。。。。
何気に、もう一度、父を見た。
赤いと思った父の顔が青く感じた。私は色弱なので母親に確認してみたら
母親も青いと言う。呼吸をもう一度確認してみる。
浅い、浅いが呼吸はしている。
じきに看護師が来た。
慌てた様子だった。
私は「痰が詰まっているみたいで、、、。」 と言ったら
驚くべき速さで看護師が痰の吸引をした。
その時、吸引の管を入れられても苦痛の表情を浮かべなかった。
父は既に深い昏睡状態に入って居るのだと思った。
少し安心した。
ナースステーションからは40とか30とかの声が聞こえて来た。
先生が来た。
聴診器を当て、脈を診て、瞳孔を見た。
個室に呼び出されてた。
この病院入ってからの7年の病状の進行について振り返り説明をした。
途中、個室のドアがノックされ先生が開け。
「呼吸が止まりました。」「解ってる!!」
とのやり取り、、、、。
個室に戻り再び先生が聴診器を当て脈を診て瞳孔を見た。
「後、1時間無いかもしれません。」と言って母と私を残した。
何をして良いか判らなかった。 手を握ってみた。母親にも促してみた。
母は触ったが手を直ぐに放した(この反応の真意は判らない。)
1時間も待たず、呼吸では無く心拍の問題で先生が来られて、、、。
時間を告げた。
葬儀屋は祖母の時の葬儀屋は避けた。(金銭的な好印象はホトンド無かった。)
特段安い訳では無いであろうけど別の葬儀屋を選んだ。
(明日、色々な打ち合わせに行く。)
弟夫婦を呼び、父にしてみれば孫にあたる1年と4ヶ月の幼子も来た。
遺体を葬儀場に移した。
近い親戚が既に葬儀場に集まって居た。
住職を来て御経を上げた。
深刻な空気が流れやすい状態なのだが
遺体の孫にあたる幼子によって葬儀場になる場所で
近い親戚が暗くならず、むしろ明るく場が過ぎた。
葬儀場の亡くなった父の横で、この子が「じいじ」と何度も言った。。。
弟も驚いた様子で泣いて居た。
3、4度程か存命中の父に会わせても泣きまくるのはデフォではあったが、、、。
まぁ、年寄りを見ると「じいじ」と呼ぶのかも知れないのだけでど、
存命中には父に近づけると泣きまくり近づけれなかったが
亡くなると自分で遺体の近くに歩み寄るのは不思議だった。
追伸
「命のリレー」と言う言葉について思う、
我々個人が、見届けられるのは現在では努力と運が重なって、せめて4世代か、、、。
今まで人類が誕生し何世代、代を重ねたのだろう。
感情的には「人は遺伝子の乗り物である」とは言いたく無い一日だった。