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常識を変えよう! Change commonsense

常識が変われば 世界はもっと広がる

ポートフォリオとコミットメント

2013年01月28日 | 日記

ポートフォリオ(Portfolio)とは・・英語で『書類を運ぶ平らなケース』イタリア語で『札入れ』を意味する語句で、金融業界においては投資家が “自らの資産を複数の金融商品に分散投資する事“ を指します。しかし 現代では 貨幣市場そのものを事業として取り扱うために、金融経済学や数理ファイナンスを用いた金融工学によってはじき出される「安全資産と危険資産の最適保有率」を、リスクマネージメント的に考慮する手法として、このポートフォリオという言葉が使われるケースが多くなりました。

つまり、収益がある程度確定していて、リスクの少ない安全資産(預金・国債など)と、市場価格の変動による キャピタル・ゲイン(capital gain)【債券や株式などの資産価格上昇による利益のこと】とキャピタル・ロス(capital loss)【逆に価格が下がって損をすること】が発生するリスクの高い商品との“組み合わせ”を論理的に事業化する事。これがポートフォリトと呼ばれてるわけです。

その反対の言葉として、コミットというものが使われたりしますが、これは正確には コミットメント(commitment)となり、誓約・約束・公約・確約・義務・深入りなどの意味を有し、経済用語では「決意表明」と訳されることも多いようですね。これを簡単に申し上げれば、責任を伴う約束になり、この中には、責任を負う者の約束に対する強い決意や覚悟が含まれていて、近年では多くの企業トップが、株主、顧客や従業員、あるいは広く社会に対して自社が果たすべき役割をコミットメントと表明しています。

さて、ここからが本題ですが、人生にとって このポートフォリオとコミット。どちらが大切なのでしょうか? もちろん両方とも重要ですね。簡単に言えば、ポートフォリオは数学や科学であり、コミットは人の内面を示す自己認識と表現できるかもしれませんが、コミットの分析に面白いものがありますので、参考までに記載しますと・・・ 外部からの強い圧力で形成されたコミットメントは、十分に機能しない可能性が高い。なぜなら、外部からの圧力には、コミットメントが実現されなかった場合の人事的評価や処遇だけでなく、実現された場合の魅力的な報酬も含まれるからだ。つまり 昇給や賞与の増加である。要するに これらは 外部からの圧力に答えるための動機を外部の評価や物に求める行為であり、あくまで一時的効果しか生み出さないものである。よって 外部からの圧力は、一時的に人に何かをさせることはできても、本人の責任感を引き出すことにはつながらないものなのだ。社員のコミットメントを引き出すには、以下の5つのパターンがある。(1)組織のミッション、価値観、誇りを共有させる(2)業績・業務プロセスの透明性を高める(3)社内に幅広くチャンスを提供して起業家精神を鼓舞する(4)社員の個人的なビジョンの達成支援を行う(5)あらゆる機会を通じて社員の成果を認め称える 企業特性に応じて、これらのアプローチを組み合わせて実施することで、社員の内発的なコミットメントが促されるが、重要なのは、あくまで外部からの圧力ではなく、自らの意志で判断したのだと感じさせるプロセスを経て初めて、本当の意味でのコミットメントが形成されるという点である。そのようにして形成されたコミットメントを通じてはじめて、社内の意気高揚も長期的に効力が発揮されることになるだろう。

上記の分析で最も重要なのは『外部からの圧力ではなく、自らの意志で判断したのだと感じさせるプロセスを経て初めて、本当の意味でのコミットメントが形成される』という箇所でしょう。つまり、継続性を持ちえるための真の目的設定とは 【自らの意志で決意したコミットメント】ですから、これを第三者が自立支援する場合には相手に「これは自分自身が判断したことである」と感じてもらう事が重要とされるのですね。だからこそ、自らの意志でコミットメントしてもらうためにポートフォリオが重要となってくるのでしょうが・・つまり、ポートフォリオとは『安全資産と危険資産の最適保有率を、リスクマネージメント的に考慮する手法』ですから、この安全資産とは・・現状維持であって、従来から続く事象の保全にあたりますし、危険資産とは・・まさしく新しい事であり、以前とは異なる行いに挑戦していくことを指します。そして、以前に申し上げた通り、Risk management とは・・不測の損害を最小の費用で効果的に処理するための手法なので、これらをまとめますと【現状維持と新しい事とのバランスをとりながら 効果的に人生を送る】ことこそが、個人においてのコミットメント&ポートフォリオと成りえ、そのどちらが欠けても現実適応は困難を要するように思われるのです。

しかし、たまたま戦後からの数十年間「預金は勝手に増えていく。給料は年々増加する。土地は勝手に値上がりする。インフラ上昇で 借金はタダ同然になる」といった時代が続いてきたので、幸か不幸か 世間のスタンダードは安全資産を維持することだけに偏ってしまいました。でも 現代はどうでしょう? 預金は増えないどころか、給料は年々減少し、年金も健康保険も破綻寸前で、土地の価格は下がり、デフレで国や個人の借金はいっこうに減っていきません。どの職も産業も長続きせず、数年後には存在するかどうかさえも危うくなってきています。したがって、今後はこれまで不要だった ポートフォリオやコミットメントがどうしても必要になってくるはずなのですね。

ゆえに、これまでは受け身で良かった。しかし、ここからは能動的でなければ生活が成り立たない!ということになりますが、いったい何を現状維持し、どこを変えていけばよいのか? そういった選択と集中。自発的な自己啓蒙のやり方について、日々のあり方そのものを検証していくための指針として、ポートフォリオとコミットメントを活用するのも有意義なことではないでしょうか。


スティーブ・ジョブズ氏のスピーチ〜スタンフォード大学にて

2013年01月19日 | 日記

2005年にスタンフォー ド大学の卒業式で語られた スティーブ・ジョブズ氏のスピーチには興味深い教訓が満載。その骨子は以下の3点ですが、改めて検証してみたいと思います。

Connecting the dots
「点と点とのつながりはあらかじめ予測できません。あとで振り返って、それらのつながりに気づくのです。だから、今やっていることがどこかにつながると信じてください。何かを信じてください。あなたの根性・運命など、それは何でもかまいません。点がどこかにつながると信じていれば、たとえ他の人とちがう道を行ったとしても自信を持って歩んでいけるからです。この手法が私を裏切ったことは一度もないし、私の人生に大きな違いをもたらしてもくれました。」

未来は点でしか予測できません。あらかじめ予測できる“つながった線形の未来“なんてどこにもないのでしょう。だから描いた未来予測が正解かどうかは、後で振り返って検証するしか術がないように思います。人は堅実だからと【他と同じ道を歩みたがります】しかし、じつはそれさえも【実際には存在しない未来】です。どう考えようと、何を選ぼうと、どうせ未来が不確定ならば「君が描いた点が美しくつながる未来を信じて 人生を楽しむべきだ」と、ジョブズ氏は呼びかけてるような気がします。

Love and Loss
「私は自分の始めた会社を首になりました。しかし自分の仕事をまだ好きだったのです。追い出されはしたが、まだ愛していたのです。いま思うとAppleからの追放は人生最良の出来事でした。結果的に成功者としてのプレッシャーを、初心者の気軽さに変えてくれたからです。自信は失いましたが、同時に最もクリエィティブな時期を私に与えてくれました。この時期にNextとPixarを立ち上げ、将来の妻にも出会いました。のちにAppleはNextを買収。その技術はAppleの再建に寄与していきます。私がAppleにずっといたなら、これは起こらなかったことでしょう。とても苦しい処方箋でしたが、私にはこの出来事が必要だったように思います。どんな困難に出会っても自分だけは見失わないよう。あなたも愛することを見つけましょう。 それが恋愛でも仕事でも。自分の仕事が最高だと思いましょう。まだ見つかっていないなら探し続けましょう。愛すべきものが見つかった時はピンときます。なぜならあなたはそれをわかっているからです。」 

「失う」という想いはプレッシャーしか生み出しません。何かに固執してきた人物が、すべてを失った後に成功するケースが多くみられるのも【失うという想いから解放されて】そこにリラックスが生じたからでしょう。集中とはリラックスの中にある! ジョブズ氏が示す Lossとは喪失、プレッシャー、義務感。つまり恐怖や不安かもしれません。これに対して、Loveとは感性を指すように思います。人生をジョブズ氏が推奨する“自分本位にさえ思える”あふれる感性にまかせた時、あらゆる出来事は豊さへとその色あいを変えるのではないでしょうか。

death - Stay hungry Stay foolish
「毎日を人生最後の日だと思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る。私は毎日 鏡の中の自分に問いかけます。今日が最後の日だとしたらどうするか? それが何日もNoなら、何かを変える時なのです。間もなく死ぬことを覚えておくのは、私が知る限り、人生の重要な決断を助けてくれる 最も重要な道具に思えます。なぜなら、ほとんどすべてのこと・・・つまり、他人からの期待やあらゆる種類のプライド、恥や失敗に対するさまざまな恐れ、これらは死を前にしては消えてしまい、真に重要なことしか残らないからです。あなたは初めから裸なんです。失うものは初めから何もありません。」

死生観とは まさしく哲学の神髄。美しさとは自然の中にあるもの。もちろん変わらぬ自然なんてどこにもありません。期待・プライド・恥・失敗などは すべて恐れに属するものです。ゆえに真に重要なのは、恐れが何であるかを知ること。やがてくる死は誰にとっても事実だし、哲学的解釈では 自己の存在以外に事実はありません。つまり、上記の【自己の存在(生)と自己の喪失(死)】だけが、この世にある唯一確かなことのように思われます。




他人の人生を生きて、時間を無駄にしてはいけない。
きわめてシンプルに表現すれば・・・彼が伝えたかったのは、まさしく自己と現実における関係性だったのかもしれません。人生を楽しみたいなら、是非ともリアリストになるべき。夢想家は、他人の人生を生きますが、現実主義者は自分の人生を生きようとします。つまり、他人や社会の置いた“点“に准じて生きるのか? 自らが信じて自らの手で置いた“点”に則して生きるのか?の違いでしょう。自らの感性に則して生きることを、彼は 『感性=Love』 と表現しています。そしてまた、そういった感性は ときには『Loss=喪失感』 によっても生み出されると。この喪失感の最大のものが死であり、それを受け入れる事こそが感性を磨く最良の術だと。もし毎日を “人生最後の日” と感じて生きるなら、人は時間を無駄に過ごすだろうか? 自身の人生を他や社会に委ねたりするだろうか? その答えがNoだったなら 「あなたはあたかも・・・人生の時間が永遠であるような錯覚の中を生きてることになりはしないか?」 彼は学生たちにそう問いかけているような気がします。


デザインの意味と重要性

2013年01月15日 | 日記

設計図がない建物ってたてられるでしょうか? ちょっと難しい気がしますよね。同じように 設計図がない企業や人生はどうでしょう? 臨機応変といえば聞こえはよいですが、これもちょっと・・という感じですね。もちろん 建築以外にも保険業界などで人生設計(ライフプラン)はたいへん重要視されてますが、このライフプランが会社や企業になると、事業計画(ビジネスプラン)へと名称が変わるわけです。

しかし 本当に設計って最も大切なんでしょうか? むしろ 設計する前のほうが肝心では?なんて思ったりもしますが・・そういった設計の前にくるのがデザインなんです。

たとえば、お家を新築される場合【建築プランを規定の設計重視で決めてしまう】とワンパターンになりがちでしょう。これは人生設計や事業計画においても同様のことが言える気がしませんか。なぜなら “最初に設計ありき! では何事もありきたりにならざるを得ない” からです。よって従来のパターンを打破するには、必ず斬新なデザインが必要になってきます。

具体的に申し上げれば、デザインが斬新だったら できあがった住宅も斬新になります。その反対に設計そのものが斬新だったら、かならず構造上の問題が出てしまうのは請け合い。だから、デザイン先行で これを設計に反映できるかどうか? が肝心で、設計を決めて置いて これを後からいじると制限が生まれたり、その構造物自体に欠陥が出てしまう。このように、建築においては無理な設計変更が役には立たないとわかっていても、それがこと人生設計においては、まさに上記と同じような考え方に陥りがちかもしれません。

では 設計とデザインって どこが異なるのか? それは部分と全体の違い。もちろんトータルデザインなんて殊更に言わなくても、デザインがトータルなのは当たり前のこと。だからデザインは全体のバランスを基準に成されます。またバランスとは違和感の有無で判断されるものでもあるでしょう。しかし、設計はどうか? あちこち つじつまをあわせて修正されるものですから、きっと それでは違和感だらけになるのも仕方ないのではありませんか?

にもかかわらず、誰もが人生のつじつまをあわせがち。簡素に申し上げれば、違和感とは矛盾。つまり、あちこちいじって、無理やりつじつまあわせをしていても、矛盾のみが新しく生じるだけであって、いつまでたってもスッキリしないように・・人生もビジネスも設計変更では何も変わらないどころか、いじればいじるほど違和感の塊になるのも当然に思われます。

だったら、頭の中だけでもリセットして、まさしく一度ゼロベースで再構築し直したほうが合理的では? それが ライフデザインへの最初の一歩。つぎはぎだらけの人生をスッキリさせるには、ほころびがきたものをリフォームするのはあきらめて、新しくデザインされた 時代にマッチした装いへ着替えることこそが肝要になるわけです。

 


やがてくる ティピング・ポイント

2013年01月12日 | 日記

流行のプロセスを見ていると、どんな物事にも『ある一定の値を越すと一気に全体にいきわたる』そんな状態が顕著に表れていますが、この一気に全体に波及する分岐点をティッピングポイント(沸点)と呼ぶのですね。米国は 70年代までの「ものづくり」から90年代の「金融」ヘ。そして リーマンショックを経て、現在は「イノベーション産業の鼓舞」へと舵を切りましたが、このイノベーションへの国を挙げての喚起が ティッピングポイントの到来そのものを加速させる要因にもなってるような気がしますよ。

先頃、米Appleは【リキッドメタル合金】を開発した企業の買収へ踏み切ると同時に、ジルコニウム、チタン、銅、ニッケル、ベリリウムという5つの要素から出来たLiquidmetal Technologiesの非晶質金属合金(リキッドメタル合金)の利用について、家電製品分野での独占的利用権利をAppleへ与える契約を結びました。このLiquidmetal Technologiesが所持するリキッドメタル合金は、加熱すればプラスチックのように容易に加工でき、冷却速度が遅いので、なんと厚さ10分の1ミリ超の構造を形成することも可能にしています。しかもそれほど加工が容易であるにも関わらず、ステンレスより3倍も高い硬度も持っているそうですよ。

これまでAppleは、酸化皮膜処理したアルミニウムを製品に使い、本体強度とデザインを確保するために1枚のアルミ板を削りだしたボディ形成を行っていましたが、それは同時に 1枚の板から削りだしてボディを作ることになるわけですから、これは削りカスが大量に発生して捨てる原料が多くなるということでもありました。つまり、捨てる原料が多いという事はコストにも跳ね返りますし、地球環境的にも良い事ではありません。今後、Apple製品の製造にリキッドメタル合金が利用される事で金型に流し込むだけで、1枚の板から削りだして作るボディと同等以上の強度とデザインが創出できるようになれば、大幅なコスト削減が望め、価格的にも性能的にも、アジアの製品よりたいへん大きなアドバンテージを得るようになるでしょう。

この記事が公になった当時、メディアは 次期 iPhoneは、薄くて頑強で よりデザイン性に富んだものになると書きたてました。しかし、Appleがその後 “米国特許庁” に申請した内容は、そんな世間の予想を遥かに超えた驚愕に値するものだったのです。アップルが取得した第7862957号の新特許によりますと、注目のリキッドメタル合金は燃料電池の製造に活用されると明記され、水素でクリーンなエネルギーを生み出すとうたわれています。これは理論上、その新電池が搭載されたiPhoneやiPadは、フル充電状態から最低30日間はチャージ不要な超ロングバッテリーを実現するということでもあるのですが・・もしこれが市場に出回れば 世界のエネルギー事情も一変することになるでしょう。

このように、技術革新は 産業の再編成だけでなく、国や経済のあり方まで【そのたったひとつの技術】で一変させてしまう力を有してるわけで・・余談ですが、他にもAppleは、このリキッドメタル合金によってナノレベルのコーティングを施すとの特許申請もしています。要するにこれは、たとえば従来の防水加工サービスでは実現出来なかった生活防水レベル以上の効果が得られることを示し、製品内部にも防水加工ができることを表します。将来は 深海の撮影にも カメラではなく iPhoneが使われる。そんな時代がやってくるのかもしれません。

さらに Appleは以下のような特許申請もしています。●スクリーン上に触感を再現 する ”触感フィードバック” これは タッチパネルなどのディスプレイを指で触ったときに、そのパネルに映し出されている物体の表面をあたかも触っているような触覚を提供する技術です。●効果音が振動などの触感でも伝わる“4D体感” これによって、触感が音や映像の一部になったような感覚を受けることでしょう。つまり、視覚障害者もボタンやキークリック、スライドバーなどを、触感を確かめながら操作することが可能になるわけですね。上記の技術は、将来的には・・・たとえば オンラインショッピングで服を購入する際に、商品の肌触りや質感などをタッチパネルで確認して、実際にお店で買う時と同様の感じが味わえることを示しているのかもしれません。

ここからわかることは、GoogleやAppleが目指す未来が バーチャルリアリティー。つまり、人間工学の粋であり、大規模インフラの消滅であるのは明らかで、人が移動しなくても、その場で体感的にリゾート地を味わえたり、大きな発電所を作らなくても家庭で電気が効果的に蓄えられるようになったり、自分で車を運転しなくても勝手に目的地に着いたりするようになれば、もはや社会インフラそのものが不要になるということを指し示します。したがって、彼らイノベーターが目指すのは、国や地域・資源・大企業といった すべての川上経済の不要化であり、私たち個人という川下が、そこで自己完結し、あらゆるインフラ資源を循環サイクルできる!といった世の中なのは間違いありません。

しかるにイノベーションとは個人。もしくは個人の集団というイノベーション企業が起こすものであり、その“個人による変化が促される時期“には、反対に 団体が疲弊する事態がどうしても起きてしまう。要するに、変える側の個人と変えられる側の集団には、かならず時間差があり・・そうなると当然、変化の時期には、革新的な個人が富み、保守的な団体は疲弊する状況が生まれてくるというわけです。従って 現在は『新たな産業革命の夜明け前』であって、全体がその革新の恩恵をこうむるのは、もっと先であると言えるような気がします。

だから問題は・・後に来る 新たな産業革命のインフラが全体に行き渡って、世間が安定するまでの期間を、私たちがどのように乗り切っていくのか? ではないでしょうか。変化が完成するまでには必ず混沌の時代が訪れます。こういった流れを現実として捉える! そんな姿勢こそが重要で【現実逃避】とは、未来を直視しない事と同じ意味になるでしょう。ティッピングポイントが到来すれば『先んじて行動することではなく、何もせず ただその時期を迎えることこそが真のリスクになる』のかもしれません。


科学(science)と工学(Engineering)について

2013年01月05日 | 日記

科学(science)とは・・一定の目的のもとに種々の事象を研究する認識活動。または、その成果としての体系的知識であり、その研究の対象・方法によって、自然科学・社会科学・人文科学へ分類されます。一般に哲学・宗教・芸術とは区別して用いられ、広義には学問、狭義では自然科学のことを指します。

ここで重要なのは、目的がなければ科学ではない!という事。そして、そこに成果がなければ、これも科学ではない!という点でしょう。つまり「何のために?」が明確に提示され、なおかつ「その目的に向けての成果がみられない」のなら それは科学ではないということになります。

また 工学(Engineering)とは・・基礎科学を工業生産に応用するための学問で、機械工学・土木工学・電子工学などのほかに、人間工学など、その研究方法を援用した【自然科学以外の分野のもの】を指しますが、他には科学知識を応用して、大規模に物品を生産するための方法を研究する学問としても捉えられ、ある物を作り出したり、ある事を実現させたりする方法・システムなどを研究する学問の総称としても用いられます。

つまり【工学とは自然科学以外の科学】であり、これは社会科学や人文科学に准じて駆使されるものなのですが・・よって 工学とは過去から踏襲された 従来の基礎科学の活用を意味します。要するに 現代人の言動や思想は、ほとんどが この工学を目的として行われていることになりますが、真の教育においては この工学の意味も広義ではなく、狭義で追及していくことが必要でしょう。それは従来の目的を『自然科学を排除した工学』におくのではなく 『自然科学から派生する工学応用』へ置く事に尽きるように思われます。これは工学の使用用途を工業生産の効率化や収益におくのではなく、個人や社会の未来へと転換し、それらを達成するために工学を用いる!といった方向へ変化することに他なりません。したがって 工学とは本来、新しい目的と成果のために用いるものであって、個人や団体の利益に利用するとした その動機自体が間違っているかもしれないということなのです。

たとえば、自動車を その従来からの使用用途に限定して、ただ効率化だけを目算したとしましょう。すると、その工学用途は当然、製造会社の利益に合致したものとなり、結果的に自動車という製品が新しい社会インフラへ発展する目さえ積んでしまうことになりかねません。つまり、この事態は、既存の巨大自動車メーカー(現在 最も効率化が図られている大企業)の既得権益保護につながり、結果として 異業種の業界参入を阻む事態を生じさせる現況ともなるわけです。したがって、もしアントレプレナー的に新規事業を考えるのであれば、この広義の工学概念を壊すところから始めねばならないでしょう。すなわち これは自動車という既存インフラを、従来とは異なる視点でとらえ直すことを指しています。

こういったことはグーグルが開発した 無人自動車などにもよく表されていますが、この概念を家電に応用すれば グーグルメガネに。流通になれば 3Dプリンター。工業生産となれば ロボット開発になってくるわけで・・これらの工学に対する概念変化は デファクト・スタンダードを生み出すことにも関連してくるでしょう。

上記の例は、すべて科学から工学へ! を定義している。つまり上記は 新たに設定した任意の目的と成果(科学)から、それらを実際に世に送り出すための工学へと進化させようと試みてきた典型例と感じるのですね。よって 個人の生活を改善したい人にとって 今後必要な概念は、自然科学への深い造詣であって、真の意味でのサイエンスに基づく 正しい工学認識となるかもしれませんが、これは同時に、科学という第一義の認識がなければ、工学にも意味を持たせられない!という 本来の趣旨に基づく観念にも思われます。

目的と成果をあげるには、まず 既存の社会科学と人文科学を頭から排除し、一切の倫理観と美学を消し去るところから始めねばならないかもしれません。ゼロベースシンキングを行うには科学に准じた生活習慣が不可欠。それは自らの未来地図を目的とし、ここへ向けての成果を求めていく。まさしく進化・向上・発展といった 人間本来の自然な行いによって成されるような気がします。