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常識を変えよう! Change commonsense

常識が変われば 世界はもっと広がる

世界一のエンターティメント国家 アメリカ

2021年05月25日 | 日記

アメリカはエンターティメントに長けた国。ゆえに、何かにつけて 世界一を堅持できる! 筆者は常々そう考えています。

最近は、米大統領選挙をきっかけに日本国内でも色々 米国内事情も露呈してきましたが、元々 米国は・・選挙体制に限らず、法律も税も抜け穴だらけ。ある意味「いい加減」良い捉え方をすれば「見せ方の上手い国」なんです。

裏と表の両面で、大量の戦略的資金を集中投下したり、特定の優遇処置を施し 持ち上げては足元をすくったりと・・自分のところは不備だらけでも、相手には筋書きを厳守させるなんてお手の物。日本のバブル他 様々な出来事もこの一環とするのが妥当に思われます。

もちろん、こういうのは米国だけでなく欧州の国々でもよく見られる傾向で・・つまり、両者共に何もないところからマーケットを作るのが上手。エンターティメントとしての演出が巧み。という事ですが、欧州と米国の最も大きな違いは、その設定時間の長さかもしれません。

もちろん、50年・100年計画なんて、ハードカレンシーである基軸通貨を保持する米国にしかできないのは当然でしょうが、それにしても かの国の施策はどれもこれもスパンが長い! いや長すぎる。計画が長期間に及び過ぎるため、誰も『それがマーケット構築』とは気づかず、自然作用だと勘違いしてしまう点が特筆すべき点なのです。

50年とは言わず、30年ほど前からの経過を辿りながら「もしも これが計画的に演出して作られたものだったら?」と想定してみますと、とても興味深いことうけあい。おそらく「たとえそうだとしても、そんなの誰もわからないし気づかないよ。」と感じられるでしょう。

現在の世界情勢を把握する場合、当然ながら米国が最も重要なピースなのは申し上げるまでもありません。ハードカレンシー・穀物や天然資源の価格決定も米国市場にて! など・・米国はやはり世界一のエンターティメント大国。これが彼の国の最大の強みと特色のような気がしてなりません。

生まれた時から、最高の音楽シーンや演劇ほか・・金融・ビジネスも含めた 巧みな脚本・演出に囲まれた空間で暮らす彼ら。エンタメ感覚そのものが生活シーンなら、これが肌へ染み付くのも当たり前の話では?

昔は日本にも、着物や器の柄へ季節を写し込んだりと・・自然の変化を楽しむ演出など 暮らしの中のエンタメが多々ありました。しかし最近はこれも薄れゆく傾向にあります。ならば、もっと生活の中にエンタメ要素を・・それがひいては日本経済をよくする秘訣と言えるのではないしょうか? 


知事や市長には個人訴訟のリスクがある

2021年05月20日 | 日記

元大阪市長の橋下徹氏は「国会議員とは異なり、知事や市長など 地方自治体の長には、行政行為に対し個人責任を問われるリスクがある。地方行政には 常に住民訴訟を起こされる懸念があって、慣例を打ち破り、新しい政策や行動をとろうとする時は、必ず役所から「訴訟リスクがありますよ」との忠告を受ける。それは政策で支出した予算が後から違法だと認定された場合「個人で」返還しなければならないからだが、首相や大臣にはこのような責任はない。」とおっしゃってますが・・

一連のコロナ対応を振り返るなら、やはり このような事も少し頭に入れた上で、検証してみるのも大切になってくるでしょう。

地方の支出に関して個人返還のリスクがついて回るなら、大胆な施策を打ち出すのは とても勇気がいる事。もう身の破滅まで覚悟してないと そんなの出来っこない。だとしたら、コロナ対応について各都道府県の知事さんが曖昧な表現に終始したり、国と相談しながら なるべく支出は国にやってもらうよう取りはからうのも うなづける気がしてきますよね。

筆者は都内在住ですが、なかなか 都知事選挙に〈これは!〉という人材が出てこない背景には、こういった行政のシステムが大きな障害になってる感じさえしてきますが・・ちなみに米国で尊敬する人物アンケートを取りますと、ベスト10には必ず歴代大統領が名を連ねます。

しかし国内では まず政治家は悪口しか言われないのが現状。おそらく これはメディアのせいかと存じますが、悪評しか立てられない役職に誰が好き好んでなるのでしょうか? 

身を粉にし、県民や市民のために尽力しても悪態しかつれないとしたら、優れた人材は政治ではなく、経済のほうへ身を投じるのは当然の話かもしれません。それでも売名や諸事情からではなく、本当にこの国のために身を捧げたいと思われてるなら、本当に頭が下がりますが、そんなスーパーマンのような有り様を求めるのは 如何にも酷な事に感じられてなりません。

いずれにしろ、出来ない・やれっこない・実務的に不可能! といった事象を放置したままでは、現状維持は否めません。やはり政治や行政を改善するとしたら、個人の資質や能力を問う前に、こういった システムやメディア対応などを根底から見直す必要が出てくるのではないでしょうか。


衝突を恐れないで事業をデザインする

2021年04月13日 | 日記

以前にも、このブログで書きましたが コーディネイト(coordinate)とは【各部を “調整” して全体をまとめること】です。

ここでの “調整“ とは「ある種の基準・手順・つり合いなどを保つ。矛盾や衝突を避ける姿勢。」つまり〈全体をまとめる = コーディネイトする〉 には《ルールを守り、諍いを避けることが重要視される》といった解釈ですね。

それに対して デザイン(design)とは【“目的“ をもって具体的に立案・設計すること】ここにおける “目的“ とは【実現しようとしてめざす事柄・行動のねらい。理性ないし意志が行為に先だち その行為を規定し方向づけるもの】とされています。

要するに、自分のやりたい事に関して〈社会や世間の理解・協力を求めるなら、物事をコーディネイトすべき〉であって、こういうのを無視し デザインした事業目的など描けば、社会からそっぽを向かれますよ! というわけです。

だから、昨今のネットビジネス中心のマーケットでは、ある意味 綺麗に飾った装飾的見せ方が必須! といった空気感も窺いしれる次第ですが、欧米でも公にコンサルタントと認められる「10社・10業種以上の経営経験を有する人たち」は、やはり全く違いました。

最初は、相手も意識していない・気づいてもいない事業形態を、いかに概念的にブレークスルーしながら、これは間違いない! としてもらうかどうか? がプレゼンの骨子であり、彼らは常に、プレゼンテーションとは、相手の同意を目算した調整型ではなく、対象が思いもつかないマーケットを提示するものだ! としていました。

IT全盛の現代において、不特定多数の購買者を顧客とするのは揺るぎないセオリー。したがって、世のスタンダードやお客様へ合わせるコーディネイト型になるのは避けられないでしょう。しかしながら、逆の側面から申し上げれば、ありきたりなものは 前提として過当競争の渦中にあることもまた事実なのです。

ならば 確率として、ありきたりなものをありきたりな調整の中で、いかに「機能するか? 受け入れてもらえるか? 」を模索するより、一旦は 世間の流れをはずし、目的へ向けての具体性をゼロベースで設計してみるのも一興かもしれません。

とはいえ、なかなか 相手とあえて齟齬を生み出すような・・時には衝突も辞さない生き方へ踏み切るには勇気がいるものですよね。石橋を叩いて渡る! 昨今の情報社会では、こういうバサラな感じの事業者はあまり見かけなくなりました。

ただ、普通のことを普通どおりに・・そういった道筋には、多くの企業や人が列を成してるのも確かでしょう。ならば「どうしたら良いか?」と詳細を殊更に論い 要素を揃えてゆくよりも、大胆なデザイン変更から もう一度物事を見直してみるのも良いかもしれませんね。

資金を拠出し、人件費をかけたら、なかなか後戻りはできません。でも、思考実験だけなら無料。頭の中のデザインならタダ! なのです。思考実験をコーディネイト型一色にするより、とことん デザイン型へシフトしたほうが有益かつ成功確率も上がるのでは? そんなふうにも感じてしまうのですが。


MOOCs(ムークス)来るべき新しい教育モデル

2021年04月08日 | 日記

皆さんは、MOOCs(ムークス)という名称を聞いたことがおありでしょうか?

MOOCs(Massive Open Online Courses)とは『インターネットを通じ、無料で有名大学の授業を受けることができる 新たな学習環境』のことですが、主なものには 以下の3つがあります。

●edX(エデックス)マサチューセッツ工科大とハーバード大が立ち上げた非営利組織。約120の大学や企業と提携した 2,800を超えるコースが提供されており、現在2,000万人以上が学ぶ。テストを受けて合格すると修了証を得ることもできるそうで、日本からは京都大学も参加して話題となっていました。

●Udacity(ユダシティ)190カ国以上で16万人以上が学ぶ。特徴は、プログラミング・機械学習・AIなど、エンジニア向けの講座が多い点ですから、いわゆる ビジネスパーソン向けに特化した教育と言えるでしょう。

●Coursera(コーセラ)スタンフォード大の教授が立ち上げた、196の大学・企業と提携、3700以上の講座と16の学位を提供する学びの場。イェール大・ミシガン大・東京大学などが参加しています。

では、大学以外はないの? といえば、小学生から高校生向けのものもありますよ。それが KhanAcademy(カーンアカデミー)です。算数・数学・物理・化学・歴史・美術など、様々な教科が展開されており、1万本を超えるビデオ教材や練習問題が提供されています。

これらのインターネット学習には、まだまだ「コンテンツが十分網羅されていない」といった問題点も散見されますが、利便性や価格・教育格差などの観点から考えれば、将来的には 十分 新しい教育の形となりえますし、さらに昨今の新型コロナの影響も加味すれば、授業へ出るのも留学もままならない。今後ますます注目されるのも当然の話に思われますよね。

教育事業を手がける身としては、当然コンサルタントの方々から、なぜ 国内の新設大学はこんなに増え続けるのか? 先進国で日本だけが どうして許認可制なのか? について色々と裏話をお聞きしてますが、詳細がわかればわかるほど、その利権構造の闇は深く「ちょっと今更 修正は難しいところまで来てるのでは?」と感じてしまうので、どこがダメなのか? をあまり知ることに意味はない気もしてしまいます。

むしろ制度の不備をあげつらって 枝葉を訂正してゆくより、技術やシステムで インフラごと根底から変えてしまうほうがスムーズに事も運ぶのでは? 何事につけても、政治や議論であまり世の中が変わった試しは見かけません。いつの時代も大きく世情が変化するのは技術の力にて! が歴史上のセオリーなのですから。

人々や社会が どう考えていようとも進化は止めようがないとしたら、新しい技術によって 教育事業にも新たなマーケットが生まれてくるのは必然。それが学ぶ方々にとっても、より便利で有意義なものとなり得る可能性を含んでるなら、あとは時間の問題と言えるでしょう。

教育の場所として 学校がなくなり、教材としての印刷物が消え、先生も一部を除き ほとんどいなくなってしまったら、教育の形は どんなものになるのか? なかなか想像できませんが、10数年前から始まった MOOCs が未来の新しい教育モデルの一端を指し示してる点については、もはや疑いようがないかもしれません。


マーケットは変わった? 時代も変わった?

2021年03月12日 | 日記

「商品購買層のターゲットとあっていない」そんな文言を、最近は マーケット広告などでよく見かけるようになりましたが・・これまでお会いした 凄腕経営者や営業マンは「トップセールスとは購買者を固定せず、誰彼構わず 売れるようにする人である」ともおっしゃってる。

はてさてどちらが古くて、どちらが新しいのか? 色々な見方が考えられますね。道理で考えれば「理屈はわかるけど、売れなきゃしょうがないでしょ。」これは 理想と現実の問題。「買ってくださる方を限定してたら顧客数も限られる。それではトップセールスになれるはずない。」 こちらは 目的と行動の定義。と言えます。

昨今は、ネットショップやyoutubeなど webコンテンツ全盛。とりわけ 購買層・視聴者層といったセールストーク。インフルエンサーやステルスマーケットなど、今までになかった言葉も耳に入ってくるようになりました。そう とらえると、足で稼ぐなんてオールド営業! といった言葉が踊るのも当然のことかもしれません。

若い方は合理的。理想と現実のギャップなんて、さっさと見切りをつけて、情報社会の波をかき分けてくのは慣れていらっしゃる。古い経営者の汗と涙の物語なんて興味なし! といったところでしょうか。

しかし、おそらくチェーンブロックや量子PCの到来はもう間もなく。巨大サーバーを介し、プラットホームで独占市場をなす 世界的大企業のアドバンテージが消えてなくなる日も近い。ポケベル・ガラケーと変遷を繰り返してきたように、いま流行りのSNSも将来 消えゆくのは確実でしょう。

そういった兆候は、最近の世界的事象を見ても明らかですが、AIやIotの潮流が来ても ロボットとか自動運転の時代となっても、そこには人がいて・・供給側も人なら、購買側も人。という世のあり方が、人と人との繋がりとして存在するのは変わらない事実と言えます。

以前、マーケット調査で よく立ち寄るお店で聞き耳を立ててると、ある大学生に、これまた あるチェーン店経営者が相談をしている。話を聞いてると この大学生、アナログとデジタルを上手に両立させて、集客のカリスマとして 学生起業してる方のようで・・なかなかの論客。会話もロジカルで道理に叶っており、どうやら 20歳ほど歳の差がある経営者にコンサルティングしてる様子もうかがえました。

アナログを中心にした 人の数や会話の質が勝負どころ。デジタルはあくまで装置と割り切ってる。そんな柔軟な発想から・・きっと この方は卒業されても経営者として、時代の波に臨機応変 対応してゆかれるのでしょう。

マーケットは変わった? 時代も変わった? いえいえ、年齢が上とか下とか・・無関係! なのは いつの時代も変わりません。現実に則したものは機能する。則してないなら変えるしかない。もはやデジタルでもアナログでもなく、偏りなく 全てのツールは機能的かつ有機的に融合させてくのが重要! とよく理解できる一例かもしれません。


立ち位置を変えれば 違う景色が見えてくる

2021年02月16日 | 日記

近年、医療を勉強しなおしたり、新会社を立ち上げたりと・・1年以上にわたり投稿できない状態が続いておりましたが、そろそろ様々 プライベートな事象も落ち着いてまいりましたので、プログを再開することにいたしました。

まさに 多くの識者が予測してたとおり、2020年からは激動の時代に入りました。猛威を奮う 新型コロナ。米国の選挙を含む 多種多様な出来事。そして、自粛に伴う生活変化など、皆様も何かしらの影響を受け、大変な時期を過ごされてるのではないか? とお察しいたします。

かくいう私も、当初の事業プランでは立ち行かず、大幅な転換を余儀なくされたのは申し上げるまでもありませんが、現在は何とか臨機応変に対応してる状況です。

ただ 冷静に考えてみれば、時代やインフラが変われば、ライフプランや事業設計にも変化が生じるのは当たり前。いずれにしろ「いつ何時も変わるべきは自分自身のほう」なのでしょう。

見える世界が変わったから 仕方なしにそこへ合わせたのか? 自分を変えたら 見える世界が変わっただけなのか? は、意外に微妙なところかもしれませんよ。

地上にいる時の景色と、ビルの屋上からの景色では全体の見え方や把握の仕方も自ずと違ってきます。同じ事柄でも、自分の立ち位置を変えてみると、見える・感じる世界は当たり前のように変わるはず。

だとしたら、いつまでも考え方に固執したり、方策ばかり練って立ち止まってるより、大胆に立ち位置やスタンスを変えてみることも、時には必要ではないでしょうか。きっと見える世界も変わり、新たなことに気付いたりするかもしれません。

何もかもが大きく変わる時代には、柔軟な考え方だけに留まらず、柔軟なイメージや行動。いわゆる 柔軟な自分自身! であったほうが楽になれる。

今いる「ここ」から ただ見ているのか? 世の中は 変わるのが当たり前! と、自身のスタンスごと変えて物事を見直してみるのか? は大きな違いのように思います。


まだまだある 世界の親日国とその物語

2019年12月13日 | 日記

以前、このブログでも 黒川紀章氏が設計した カザフスタンの首都アスタナをご紹介しましたが・・世界の代表的な親日国には「国民の8割以上が親日的な国」として有名な インドネシア・ベトナム・フィリピン・タイ・マレーシア・台湾の他にも、インドやポーランドなど多くの友好国が存在してるのをご存知でしょうか。ここには たいてい、私たちの知らない 多くの物語があるのですが、今回は そのいくつかをご紹介してみましょう。

ウズベキスタンが親日国になった背景には、この国に抑留された457人の日本人捕虜と、彼らが首都タシケントに建設したオペラハウス「ナボイ劇場」があります。強制労働に加えて 粗末な食事しか与えらなくても、日本人捕虜が完成させた この「ソ連四大劇場と讃えられた中央アジア最大のオペラハウス」は、1966年に首都を襲った震度8の大地震の際、街はほぼ全壊したのに無傷だったそうで・・市民の避難場所ともなり得た! と聞きます。

壊滅した街で 文化の象徴が無傷で残った! これを建てたのは日本人! この光景を目にした彼らの驚きを想像するに、その畏怖の念みたいなものが 中央アジア全体に広がり、時代も巡り巡って、その繋がりが無意識に 現在のカザフスタンの首都アスタナの設計を日本人へ委ねる事になった! そんな可能性も考えられますが・・物事をそのようにとらえますと、今更ながら やっぱり歴史とか つながりとか、そういったものって大切なんだろうなぁ! という気がしてきます。

また、以下の画像でもおわかりのように、親日国パラオの国旗は 日本の日の丸そっくりに見えます。

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この国旗デザインの由来には さまざまな説があり、公式には「背景の青は パラオが広大な太平洋に位置することを表し、黄色の円は 収穫や年中行事などに重要な役割を果たす月を表す」とされてますが・・非公式には「月は 日本の国旗 “日の丸の太陽” と対をなす友好の証。月が中心より若干 左へ寄ってるのは 日本に対する畏敬の念の表れ。」といった解釈もあるみたいですよ。この “奥ゆかしさ” が、いかにも日本的で・・日本へのリスペクトを表現してる! とも感じられ・・これは私の個人的に一番好きなエピソードの一つとなっています。

アジア各国での独立支援。台湾でのインフラ支援。杉原千畝氏による「命のビザ」発給。マケドニアの震災復興。フィンランドの領有権争いの解決。など、各国の親日理由は数え上げたらきりがありません。機会がありましたら、今後も そのようなエピソードをご紹介できれば幸いに思います。


能力へ翻弄されないために知るべき事

2019年11月12日 | 日記

人は生まれながらにたくさんの能力を持ってこの世に生を受けます。最近の研究では「生後間もない乳幼児は、どんな複雑な音も聞き分けられる」といった発表もなされてますが・・これは同時に【人は大人になるにつれ、聞き分け能力が低下する】といった解釈もできるかもしれません。

でも、それって 何も聞き分け能力だけにいえる事ではない! としたらどうでしょう? 母親なら皆さん、お子さんたちの習得スピードが大人のそれとは比較にならないのは よくご存知のはず。だとしたら、ひょっとすると、人って『暮らしの中で必要とされない能力が次々削除されつつある』のかも?

このように考えますと、能力って【そのうちの何を選び、どのように使うか?】で、有益にもマイナスにだってなり得るものですから、人生においてこういった“人が生まれながらに持っている能力“の中から何をチョイスし、それをどのような方向性をもって使用するか?は、とても重要な部分になってくるでしょう。

ただし “何かをチョイスする“には、当然ながら その使用目的がはっきりしてることが前提になってきますので・・目的が明確でなければ、そういった能力をどのような方向性を持って 使用するのか? 何を選ぶのか? も不明になりがち。つまり【何のために?という目的が存在しない】と、能力をどこの何に使用するのか? がわからず “その能力自体に振り回されてしまう事“ を意味するわけです。

要点を整理しますと「人は多くの能力を保持して生まれてくる⇒その中で何を選択して使用するか? は自由だし自分で決めている⇒しかし、人にはあまり目的が存在せず、それもはっきりとはしていない⇒よって、その能力の中から何を選択してどのように使用するのか?も支離滅裂になっている⇒そうなると当然、自覚もなしにさまざまな能力を無作為に使用することになる」といった構図も見えてきます。

目的があるからこそ、能力の使い道や方向性も決まる。けれど 目的がなければ、能力自体に振り回される。それが人の性ならば、やっぱり目的を決める作業って、人生において とても大切な事なのかもしれません。


支えて支えられて

2019年07月17日 | 日記

仕事上もプライベートでも 様々な出来事があり、激動のここ数ヶ月でした。それ故、このブログも随分とご無沙汰してしまいましたが・・過ぎてみれば早いもので、感傷に浸るヒマもなく人生は また次へと歩を進めねばなりません。

想い出として心へ留めおくべきもの、おぼろげな記憶として やがては忘れ去るもの。楽しい出来事、嫌な思い、すべては過ぎゆき変化する、人生の1ページにすぎないのかもしれません。その意味で やはり大切なのは未来! そして これから! のように思います。 

さて 忙しい日々を過ごしながら、最近 とくに実感するのは 何事も一人じゃ成し得ない! ということ。本格的にビジネスを始めてみて、これを たんなる概念ではなく リアルな現実として体験する毎日を過ごしております。

先日も、ある世界的に活躍されてるコンサルタントの方とお食事をご一緒させていただく機会があり「経済にはルールがある。絶対ではないけれど、そういったルールを知っておいたほうが成功確率も高くなる。」といった 貴重なお話を拝聴することができました。

私にも多少の経験はありますが、理論や学説を述べる 大学教授の授業にはリアルさがまったくありません。これを現実生活へ反映させるには、実経験を繰り返しつつ、理論と事実との乖離を ただひたすらに埋めてゆく! そんな作業が不可欠に感じます。

実際に実務でやってこられた方の話には力がありますが・・では その力とは何か? 面白さ・好奇心の鼓舞・リアルイメージの創出など あらゆる事象へと応用可能なファクトとしての魅力と言えるでしょう。つまり「現実ってこんなにも楽しいの? 是非やってみたい」そういった いわゆる、事に当たるための集中力を引き出してくださる点なのです。

自分にビジネスパーソンとしての資質があるかどうか? はわかりませんが、ここのところ 尊敬する先輩女性経営者や、優秀なコンサルタントの方とのご縁を多数いただき、幸いなことに「一緒にやりましょう」とのお誘いも頂戴いたしました。ここから心機一転! 新たな人たちとの新たな人生を歩んでゆく予定でおります。

“人” という字は、支えて支えられて! で成り立つ。出会いとご縁の不思議を感じつつも、新たな船出にワクワクしながら 今後も善き人たちと良き仕事ができましたら幸いに思います。


紙幣が20年ぶりに刷新へ 一万円札に渋沢栄一氏

2019年04月09日 | 日記

一万円、五千円、千円の紙幣(日本銀行券)を20年ぶりに刷新する! との発表がありました。

新札の肖像画には、一万円札が「資本主義の父」と呼ばれた実業家の渋沢栄一氏で 裏面が東京駅。五千円札は 津田塾大創始者の津田梅子氏で 裏はフジの花。千円札は 医学博士の北里柴三郎で、裏面には 葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の図柄が採用される見込みです。

20年ぶりの刷新は、最新の偽造防止技術を反映させるのが目的であり、実際の発行は令和6年(2024年)となる模様。新札では 以前から導入されてるホログラムが大きくなって、肖像画が立体的に見えるとの事。

経済界では「2020年の東京オリンピック以降、おそらく全体的な落ち込みが目算される日本経済において、ATMや駅の切符券売機などの改変によって もたらされる 数兆円単位の経済効果は大きい」と、概ね 好意的な見方が広がってるようですが・・他方では、来たるべき キャッシュレス時代において「そのような経済効果も限定的では?」との意見も聞かれます。

まぁ そのような理論は抜きにして、何でも新しいものが出てくるのは理屈抜きでワクワクするもの。AI社会に新元号、そして新札! いよいよ新しい時代の幕開け といった機運も高まってきた感じでしょうか。


インテル(Intel)の3D半導体技術

2018年12月22日 | 日記

最近は 国際ニュース・新技術のニュースが目白押しで・・ソースを一つずつ拾いながら、新たな考察を繰り返すにも なかなか骨が折れる毎日が続いてますが、なかでも この度、インテル(Intel)が発表した 3Dパッケージング技術「Foveros」は特筆ものと言えるでしょう。

なぜなら「CPU・GPU・AIチップなどの回路を垂直方向に増やすことを可能にした この技術は、まるでオモチャのプロックのように機能を積み重ねていける。」つまり チップ設計の常識を根底から覆す可能性を秘めてるわけですから。

もちろん、私もあまり この分野に詳しい人ではありませんから「何の使い道があるの?」と訊かれると困るのですが、やっぱり想像は掻き立てられますよね。従来からダボス会議でも示唆されたとおり、技術の洪水 テッピングポイントの2020年を迎えるにあたり「いったい どんな技術が? いかなる世の中になるの?」との 少しの不安と大きな期待は隠せないからです。

上記のような「空飛ぶ車=スカイカー! の実用化を2023年に導入」と政府が決めたり(タクシー・バス・電車・運搬会社などはどうなる?)理化学研究所が「髪の生える技術を2020年に市場投入」との発表があったり(アデランスやリーブ21ってどうするの?)とか・・色々興味は尽きません。だから、おそらく この3D半導体に関しても “量子コンピューター” が、じつは完成してるからかも? なんて勘ぐらずにはいられない次第です。

そのレベルはいかほどか? はわかりませんが、もしも この量子PCが想像してたとおりのものならば、実用化された数年後には 今あるすべての仕事・研究なんかが消滅して、今とは全く異なる世界が目の前に広がる可能性だって出てきます。昨今のニュースを見るにつけ、もう そんなSF映画のような未来も 目の前かも? と感じずにはいられません。

PCの登場をみてもおわかりのとおり、いつの時代も技術の進化のみが 大幅なインフラや世情の変化を生み出してきたのは歴史上の事実。さて、明日はどんなニュースが? そして ティピングポイント前年の来年はどんな事が起こるのか? 何だか楽しみになってきた今日この頃です。 


知られざる親日国と日本の天才建築家

2018年09月17日 | 日記

世界にはたくさんの親日国があるのをご存知でしょうか。マレーシアと接する東南アジアの国 ブルネイ(ブルネイ・ダルサラーム国)もその一つです。

昭和17年に 陸軍司政官として、当時の統治国ブルネイの知事となった 木村強氏は「生産力向上のため もっと圧力を強めて 現地人を奴隷化した厳しい統治をしろ」と 本国から再三にわたる通達を受けていたにも関わらず「私は日本人。けして奴隷化などしない。むしろ子や孫の世代にまでつながる協力関係を構築すべき。」と譲らなかったそうです。

それどころか 奥地まで電気を通すなど、インフラ整備を充実させては 現地の方のために尽くされた。木村氏の任期はわずか一年だったにもかかわらず、くしくも当時の秘書が、後の国王となる人物だった事もあり・・その崇高な姿勢は現在まで語り継がれる事となります。

このように “戦争中における 日本人の高潔な姿勢へ由来する親日国” は、インド・台湾の他にも とくにASEAN諸国にはとても多いのですが・・こういった事は 学校では一切習いませんし、あまり報道もされないのが現状でしょう。

また、よく言われるような アニメなどの文化的・経済的要素だけでなく・・日本の建築家の素晴らしさにも 親日国の多さが由来してる! そんな事実もほとんど知られておりません。

マケドニアの首都 スコピエを、地震災害による壊滅から救った 建築家 丹下健三氏は、イタリア・米国・ネパール・アルジェリア・サウジアラビア・イラン・シリア・ヨルダン・シンガポール・・マレーシア・台湾・ベトナム・フィリピンなど 多くの国の都市開発を手掛けています。

そして その功績は、まさに彼の門下生で天才だった 黒川紀章氏へ受け継がれるわけですが【下記動画】 彼が全てを設計した “カザフスタンの首都アスタナ” の現在の様子をご覧いただければ その素晴らしさも きっと実感されるのではないでしょうか。

海外へ出てみると、相手国の方のほうが 日本人の功績をよくご存知で、日本人の事を日本人だけが知らない! なんてケースも多々あります。そんなことにならないよう、海外から見た日本! このような視点でもこの国の事をよく見ておきたいものです。


エルトゥールル号遭難事件〜真心とは?

2018年08月29日 | 日記

真心とは「他人のために尽くそうとする 純粋な気持ち。偽り・飾り・私利私欲のない誠意。」を意味しますが、トルコと日本には、まさしく そんな真心を感じさせるエピソードが残っています。

現在のトルコ・・当時のオスマン帝国軍艦 エルトゥールル号の遭難事件は1890年に起こりました。紀伊大島に連なる岩礁に激突し、座礁したエルトゥールル号は、機関部へ浸水して水蒸気爆発を起こし沈没。600名以上が海へ投げ出されたのですが、これを知った 現在の和歌山県 串本町の人々は 総出で救助と生存者の介抱へあたったとされています。

けれど 当時の住民の皆さんは、台風により出漁できず、食料の蓄えもわずか! という状況。とても彼らを介護できる環境ではありませんでした。にも関わらず、浴衣などの衣類や卵・サツマイモ。それに非常用の鶏すら供出するなど、生存者たちの救護に誠心誠意努めたそうです。

その結果、お寺や学校・灯台などに収容された69名が命を取り留めたわけで、その後、ドイツの軍艦で負傷者は設備の整った神戸の病院へ搬送。翌年 生存者は、日本海軍の軍艦2隻によって オスマン帝国の首都・イスタンブールまで送り届けられたとのことですが・・それでお話は終わりではないのですね。

1985年のイラン・イラク戦争で イラクのフセイン大統領が期限付き無差別攻撃を予告。各国は期限までに イラン在住の国民を軍用機や旅客機で救出したものの、日本だけは『自衛隊機の海外派遣不可の原則』により これを断念。さらに JALも「航行の安全が保証されないなら臨時便は出さない」と宣言したものですから、これにより日本は 在イラン邦人を救出できない状況へ陥ってしまいます。

そこで 日本大使がトルコ大使へ この窮状を訴えると「ただちに本国から救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もが エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。」との返答・・即時、対応していただき、トルコ政府は 救援のための旅客機を増やして 215名の日本人はこれに分乗。その結果、全員トルコ経由で 無事 日本へ帰国できた! という次第です。

最近は この二つの物語は、愛知県の学校入試問題になったり、自由社と育鵬社が出版する中学校の教科書にも記載されてるらしいのですが、このような美しい物語を語り継ぐためにも、これを題材にした映画『海難1890』は、是非とも全国の小中高授業の一環として上映してほしいものの一つと言えます。


天才少年の今は?

2018年06月06日 | 日記

IQがとんでもなく高い子供達。「末は博士か? 大臣か? と持てはやされた神童たちは 今どうなってるのか?」 そんな記事があったので 興味深く拝見しました。

●高校2年生で相対性理論を理解。日本初の“飛び級”で、ある大学の工学部へ入学した方は、現在 トラック運転手。●司法試験一次を史上最年少の中学3年生で合格した方も、IT会社を起業! 解散! ●6歳の幼稚園児が書いた童話が SF童話大賞を受賞! と騒がれた方は 現在 弁護士。●日本漢字能力検定1級に小学5年生で合格した方は、現在 新聞記者。

と・・ある意味、普通の暮らしをしていらっしゃる。これを見ても、やはり 人生はそれぞれで・・周囲の期待へ答えるより 好き事をするのが一番かも! と感じてしまいますが、同時に あまり “学生時代の学力と仕事との相対関係はない” ようにも見受けられます。

ならば、社会人の能力とは? 仕事の遂行能力とは? いったい どんなものなのでしょう。試験で資格・昇進・立場などが決まる 公務員や“士”のつく職業といった特別なものを除けば・・机上と現実との差が大きく関係してるのでは?

筆者も いろんな資格を取得してますが・・たとえば 医療関係の資格だけで 患者さんのお役に立てるか? といえば、まったく自信もないし、できる気もしないのが実情。なので・・若い頃に取った資格で、本来 付くべき職種には就いてないんです。(大学まで行かせてくれた 親には本当に悪い事をしてますね)

けれど、こうも思うのです。学生がリアルな現実を知り 体験できる場所ってどこにあるのか? と・・キッザニアの職業体験とか、アルバイトや留学なんてものじゃなく、真の医療とは? 職業とは? 経済とは? 社会とは? これらを余すところなく 彼らが趣旨選択する目的で 必要なものを必要なだけ提供できる場や機会の事を申し上げてるのですが・・

もし、これらが無い! としたら、彼らは いかに将来設計をし、就職先や職種を決めてるのか? 当然、ネットの情報や周囲の大人・環境・勧めなどに、自身のイメージとなるのでしょうが、それらは皆、あまりリアルなものではない気がします。

どれだけ情報社会になろうと、いくら多様性の世の中と称されても、リアルに優るものなし! やってみる事の大切さや 社会経験を通じた人生実験を重ねる事など、自分でやらなきゃ仕方ない、身にもつかないものばかり。これが 学歴・地位・資産・立場・肩書き 偏重社会の実態かもしれませんが、私たち大人が 少しでも 彼らに現実を知り経験してもらうチャンスを提供してゆく! そんな社会になればいいなぁ。と常々考えてる次第です。