2005年にスタンフォー ド大学の卒業式で語られた スティーブ・ジョブズ氏のスピーチには興味深い教訓が満載。その骨子は以下の3点ですが、改めて検証してみたいと思います。
Connecting the dots
「点と点とのつながりはあらかじめ予測できません。あとで振り返って、それらのつながりに気づくのです。だから、今やっていることがどこかにつながると信じてください。何かを信じてください。あなたの根性・運命など、それは何でもかまいません。点がどこかにつながると信じていれば、たとえ他の人とちがう道を行ったとしても自信を持って歩んでいけるからです。この手法が私を裏切ったことは一度もないし、私の人生に大きな違いをもたらしてもくれました。」
未来は点でしか予測できません。あらかじめ予測できる“つながった線形の未来“なんてどこにもないのでしょう。だから描いた未来予測が正解かどうかは、後で振り返って検証するしか術がないように思います。人は堅実だからと【他と同じ道を歩みたがります】しかし、じつはそれさえも【実際には存在しない未来】です。どう考えようと、何を選ぼうと、どうせ未来が不確定ならば「君が描いた点が美しくつながる未来を信じて 人生を楽しむべきだ」と、ジョブズ氏は呼びかけてるような気がします。
Love and Loss
「私は自分の始めた会社を首になりました。しかし自分の仕事をまだ好きだったのです。追い出されはしたが、まだ愛していたのです。いま思うとAppleからの追放は人生最良の出来事でした。結果的に成功者としてのプレッシャーを、初心者の気軽さに変えてくれたからです。自信は失いましたが、同時に最もクリエィティブな時期を私に与えてくれました。この時期にNextとPixarを立ち上げ、将来の妻にも出会いました。のちにAppleはNextを買収。その技術はAppleの再建に寄与していきます。私がAppleにずっといたなら、これは起こらなかったことでしょう。とても苦しい処方箋でしたが、私にはこの出来事が必要だったように思います。どんな困難に出会っても自分だけは見失わないよう。あなたも愛することを見つけましょう。 それが恋愛でも仕事でも。自分の仕事が最高だと思いましょう。まだ見つかっていないなら探し続けましょう。愛すべきものが見つかった時はピンときます。なぜならあなたはそれをわかっているからです。」
「失う」という想いはプレッシャーしか生み出しません。何かに固執してきた人物が、すべてを失った後に成功するケースが多くみられるのも【失うという想いから解放されて】そこにリラックスが生じたからでしょう。集中とはリラックスの中にある! ジョブズ氏が示す Lossとは喪失、プレッシャー、義務感。つまり恐怖や不安かもしれません。これに対して、Loveとは感性を指すように思います。人生をジョブズ氏が推奨する“自分本位にさえ思える”あふれる感性にまかせた時、あらゆる出来事は豊さへとその色あいを変えるのではないでしょうか。
death - Stay hungry Stay foolish
「毎日を人生最後の日だと思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る。私は毎日 鏡の中の自分に問いかけます。今日が最後の日だとしたらどうするか? それが何日もNoなら、何かを変える時なのです。間もなく死ぬことを覚えておくのは、私が知る限り、人生の重要な決断を助けてくれる 最も重要な道具に思えます。なぜなら、ほとんどすべてのこと・・・つまり、他人からの期待やあらゆる種類のプライド、恥や失敗に対するさまざまな恐れ、これらは死を前にしては消えてしまい、真に重要なことしか残らないからです。あなたは初めから裸なんです。失うものは初めから何もありません。」
死生観とは まさしく哲学の神髄。美しさとは自然の中にあるもの。もちろん変わらぬ自然なんてどこにもありません。期待・プライド・恥・失敗などは すべて恐れに属するものです。ゆえに真に重要なのは、恐れが何であるかを知ること。やがてくる死は誰にとっても事実だし、哲学的解釈では 自己の存在以外に事実はありません。つまり、上記の【自己の存在(生)と自己の喪失(死)】だけが、この世にある唯一確かなことのように思われます。
他人の人生を生きて、時間を無駄にしてはいけない。
きわめてシンプルに表現すれば・・・彼が伝えたかったのは、まさしく自己と現実における関係性だったのかもしれません。人生を楽しみたいなら、是非ともリアリストになるべき。夢想家は、他人の人生を生きますが、現実主義者は自分の人生を生きようとします。つまり、他人や社会の置いた“点“に准じて生きるのか? 自らが信じて自らの手で置いた“点”に則して生きるのか?の違いでしょう。自らの感性に則して生きることを、彼は 『感性=Love』 と表現しています。そしてまた、そういった感性は ときには『Loss=喪失感』 によっても生み出されると。この喪失感の最大のものが死であり、それを受け入れる事こそが感性を磨く最良の術だと。もし毎日を “人生最後の日” と感じて生きるなら、人は時間を無駄に過ごすだろうか? 自身の人生を他や社会に委ねたりするだろうか? その答えがNoだったなら 「あなたはあたかも・・・人生の時間が永遠であるような錯覚の中を生きてることになりはしないか?」 彼は学生たちにそう問いかけているような気がします。