goo blog サービス終了のお知らせ 

常識を変えよう! Change commonsense

常識が変われば 世界はもっと広がる

科学(science)と工学(Engineering)について

2013年01月05日 | 日記

科学(science)とは・・一定の目的のもとに種々の事象を研究する認識活動。または、その成果としての体系的知識であり、その研究の対象・方法によって、自然科学・社会科学・人文科学へ分類されます。一般に哲学・宗教・芸術とは区別して用いられ、広義には学問、狭義では自然科学のことを指します。

ここで重要なのは、目的がなければ科学ではない!という事。そして、そこに成果がなければ、これも科学ではない!という点でしょう。つまり「何のために?」が明確に提示され、なおかつ「その目的に向けての成果がみられない」のなら それは科学ではないということになります。

また 工学(Engineering)とは・・基礎科学を工業生産に応用するための学問で、機械工学・土木工学・電子工学などのほかに、人間工学など、その研究方法を援用した【自然科学以外の分野のもの】を指しますが、他には科学知識を応用して、大規模に物品を生産するための方法を研究する学問としても捉えられ、ある物を作り出したり、ある事を実現させたりする方法・システムなどを研究する学問の総称としても用いられます。

つまり【工学とは自然科学以外の科学】であり、これは社会科学や人文科学に准じて駆使されるものなのですが・・よって 工学とは過去から踏襲された 従来の基礎科学の活用を意味します。要するに 現代人の言動や思想は、ほとんどが この工学を目的として行われていることになりますが、真の教育においては この工学の意味も広義ではなく、狭義で追及していくことが必要でしょう。それは従来の目的を『自然科学を排除した工学』におくのではなく 『自然科学から派生する工学応用』へ置く事に尽きるように思われます。これは工学の使用用途を工業生産の効率化や収益におくのではなく、個人や社会の未来へと転換し、それらを達成するために工学を用いる!といった方向へ変化することに他なりません。したがって 工学とは本来、新しい目的と成果のために用いるものであって、個人や団体の利益に利用するとした その動機自体が間違っているかもしれないということなのです。

たとえば、自動車を その従来からの使用用途に限定して、ただ効率化だけを目算したとしましょう。すると、その工学用途は当然、製造会社の利益に合致したものとなり、結果的に自動車という製品が新しい社会インフラへ発展する目さえ積んでしまうことになりかねません。つまり、この事態は、既存の巨大自動車メーカー(現在 最も効率化が図られている大企業)の既得権益保護につながり、結果として 異業種の業界参入を阻む事態を生じさせる現況ともなるわけです。したがって、もしアントレプレナー的に新規事業を考えるのであれば、この広義の工学概念を壊すところから始めねばならないでしょう。すなわち これは自動車という既存インフラを、従来とは異なる視点でとらえ直すことを指しています。

こういったことはグーグルが開発した 無人自動車などにもよく表されていますが、この概念を家電に応用すれば グーグルメガネに。流通になれば 3Dプリンター。工業生産となれば ロボット開発になってくるわけで・・これらの工学に対する概念変化は デファクト・スタンダードを生み出すことにも関連してくるでしょう。

上記の例は、すべて科学から工学へ! を定義している。つまり上記は 新たに設定した任意の目的と成果(科学)から、それらを実際に世に送り出すための工学へと進化させようと試みてきた典型例と感じるのですね。よって 個人の生活を改善したい人にとって 今後必要な概念は、自然科学への深い造詣であって、真の意味でのサイエンスに基づく 正しい工学認識となるかもしれませんが、これは同時に、科学という第一義の認識がなければ、工学にも意味を持たせられない!という 本来の趣旨に基づく観念にも思われます。

目的と成果をあげるには、まず 既存の社会科学と人文科学を頭から排除し、一切の倫理観と美学を消し去るところから始めねばならないかもしれません。ゼロベースシンキングを行うには科学に准じた生活習慣が不可欠。それは自らの未来地図を目的とし、ここへ向けての成果を求めていく。まさしく進化・向上・発展といった 人間本来の自然な行いによって成されるような気がします。