昨日で終わりにするつもりだったのですが、火曜日の晩に新潮社のPR誌「波」を読んでいたところ、「英語の害毒」(新潮新書)という少々ショッキングなタイトルの本の著者自身による書評(エスキモー研究者が見た「英語の脅威」)が面白かったので紹介する気になりました。(なお、この本自体は既にアマゾンでベストセラー1位になっておりカスタマーレビューも概ね好意的です。)
エスキモー語を専門とする著者は、アラスカ北部のエスキモーがみんな英語を話すようになった結果、村長も学校の先生もみんな白人となり、エスキモーの間に若者の自殺やアル中などの社会問題が蔓延しているという例を引いてから、「みんなが英語を話すようになると、ことばの障壁が失われてしまう」という弊害を説きます。(その結果として「英語の母語話者にとって有利な社会、つまり英語の文化的植民地になってしまう可能性がある」、さらに「英語を学ぶことは、自発的に植民地化を進めることでもある」とまで述べていました。)
続いて日本人の英語についての一面的な誤解へと話は移ります。著者によると「グローバル化社会では英語ができないとやっていけない」「英語の重要性は増していく一方」「就職活動では英語がものをいう」「英米式の英語が正しい発音で日本語なまりでは通じない」「英語が上手になりたければ早くからネイティブに学ぶべき」等々の「常識」はデータにもとづいて検証すればいずれも誤りなのだとか。(ついでながら隣の広告ページにも「日本英語はアメリカ英語よりも通じやすい」「企業は新人に英語力を求めていない」といった文字が並んでいました。うち前者は昨日採り上げた「へたな英語」でも全然構わないということをある程度裏付けてくれているように思います。(ついでながら、その記事で「話した内容の79%が通じた」として「通じやすさ第1位」に輝いたと紹介されているスリランカ人の英語を一度聞いてみたいものだと思いました。たぶん今までその経験はないはずなので。ちなみに海を挟んでいるとはいいながらお隣にあるインド人の英語はお世辞にも聞きやすいものとはいえませんでした。)にもかかわらず、このような英語観にもとづいて日本の英語教育は急速に変わりつつある、とのこと。確かに聞き捨てならぬ話です。
会話中心の教育、小学校への英語導入などはバイリンガルを究極の目的としているが、学校教育程度で完璧なバイリンガルが育つわけがない(これは全く同感)。日本人の多くが日常会話程度の英語力を持つようになるかもしれないが、それはエスキモーと同じように、ことばの障壁を失うということだ。社内で日本人が中途半端な英語力を持てば、外国人経営者が日本人社員を支配するということになるだろう。日本の植民地化が進むということだ(実例もあるような気はするが半分くらい同意)。
そもそも「書評の書評」をするつもりはなかったのに思いもかけず大量引用になってしまったので、この辺で終わります。(昨日と同じくネガティブ話は隔離することにしました。)普段私たちは「ことばの障壁」というとデメリット(負の側面)しか見ませんが、と同時に「失くしてはならない大切なもの」であるということに改めて気付かせてくれたのがこの書評の最大の収穫でした。
エスキモー語を専門とする著者は、アラスカ北部のエスキモーがみんな英語を話すようになった結果、村長も学校の先生もみんな白人となり、エスキモーの間に若者の自殺やアル中などの社会問題が蔓延しているという例を引いてから、「みんなが英語を話すようになると、ことばの障壁が失われてしまう」という弊害を説きます。(その結果として「英語の母語話者にとって有利な社会、つまり英語の文化的植民地になってしまう可能性がある」、さらに「英語を学ぶことは、自発的に植民地化を進めることでもある」とまで述べていました。)
続いて日本人の英語についての一面的な誤解へと話は移ります。著者によると「グローバル化社会では英語ができないとやっていけない」「英語の重要性は増していく一方」「就職活動では英語がものをいう」「英米式の英語が正しい発音で日本語なまりでは通じない」「英語が上手になりたければ早くからネイティブに学ぶべき」等々の「常識」はデータにもとづいて検証すればいずれも誤りなのだとか。(ついでながら隣の広告ページにも「日本英語はアメリカ英語よりも通じやすい」「企業は新人に英語力を求めていない」といった文字が並んでいました。うち前者は昨日採り上げた「へたな英語」でも全然構わないということをある程度裏付けてくれているように思います。(ついでながら、その記事で「話した内容の79%が通じた」として「通じやすさ第1位」に輝いたと紹介されているスリランカ人の英語を一度聞いてみたいものだと思いました。たぶん今までその経験はないはずなので。ちなみに海を挟んでいるとはいいながらお隣にあるインド人の英語はお世辞にも聞きやすいものとはいえませんでした。)にもかかわらず、このような英語観にもとづいて日本の英語教育は急速に変わりつつある、とのこと。確かに聞き捨てならぬ話です。
会話中心の教育、小学校への英語導入などはバイリンガルを究極の目的としているが、学校教育程度で完璧なバイリンガルが育つわけがない(これは全く同感)。日本人の多くが日常会話程度の英語力を持つようになるかもしれないが、それはエスキモーと同じように、ことばの障壁を失うということだ。社内で日本人が中途半端な英語力を持てば、外国人経営者が日本人社員を支配するということになるだろう。日本の植民地化が進むということだ(実例もあるような気はするが半分くらい同意)。
そもそも「書評の書評」をするつもりはなかったのに思いもかけず大量引用になってしまったので、この辺で終わります。(昨日と同じくネガティブ話は隔離することにしました。)普段私たちは「ことばの障壁」というとデメリット(負の側面)しか見ませんが、と同時に「失くしてはならない大切なもの」であるということに改めて気付かせてくれたのがこの書評の最大の収穫でした。
上は「英語の害毒」をキーワードに検索して偶然見つけたブログですが、これからもしばらくは同書を題材にした記事が続くとのこと。楽しみです。
ところで先々週の研究室の宴会(田植祭)にこの3月県大を卒業してN大の大学院に進学した元学生が来ていました。あちらでは留学生の方が多いためゼミは全部英語で行われるのだとか。思わず「そりゃええわ、力が付くで」と言いましたが、院生となれば話は全く別です。今だけでなく将来も英語を必要とする確率は断然高いですから、教える側もやりがいがあるというもの。ということで「大学院教育を英語化する」という提案なら賛成するかもしれません。(本音としては、どうせやらされるならスペイン語で授業を、とは思いますけど・・・・ムリか。)たぶん反対多数で実現しないでしょうけど。
それとちょっと似ていますが、同じ英語でもUKの英語とUSAの英語では前者の方が圧倒的に聴き取りやすい。海外ドラマのDVDやブルーレイを毎日見るようになる前はNHK-BSの「おはよう世界」で放送されていたスペインTVEのついでにBBCやCNNのニュースも録画して帰宅後見ていました。英語ニュースのいずれも科学(とくに生物学)以外の話題では半分理解できれば上出来というレベルの私ですが、それでも両者を比べれば理解度に少なからぬ違いはあります。BBCの方が単語と単語の切れ目が明確ゆえ頭に文字が浮かびやすいのに対し、rの発音がキツくて「くどい」と感じてしまうCNNのアナウンサーに早口でまくし立てられると何が何やらサッパリということも多々。これが例えばセサミストリートでも時々出てくる南部の方言ならチンプンカンプンでもしゃーないと諦めもつくのでしょうが、「中西部の発音をもとにアナウンサー放送業界で定着した」らしき「標準アメリカ英語」(最も訛りのない英語)がこれでは・・・・・・通じやすさで9ヶ国中8位だったというのも肯ける話です。
実は聴き取りやすさという点でUK>USAであることは大学1年生の時に気が付いていました。教養部で新聞英語を読むというクラスを取ったことがあります。(簡単に単位をくれる先生ではなかったため人気はイマイチでしたが、面白そう&役に立ちそうだったので。)毎回授業の始めにはラジオのニュースを聞いて書き取るという小テスト(10点満点)がありました。私はいつも0点か1点。ところがある日、8点を取ったことがありました。(その内容は今も憶えています。東京六大学野球で東大が2連勝して勝ち点を挙げたというニュースでした。)いつもはVOA(Voice of America)だったのですが、なぜかその日だけBBCのニュースが使われていたのでした。(結局2点以上はその回だけでした。)けれども帰国子女で毎回高得点を取っていたクラスメートは「キングズ・イングリッシュはよくわからん」とぼやいていました。