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かりんとう日記

禁煙支援専門医の私的生活

別れのとき

2007年10月16日 | がん病棟で
ワタシは医者をやっているけれど、今まで一度も、子どもをとり上げたことがない。
医学部の産科実習で、普通分娩を2回、帝王切開を1回見学したのが最後。

悲しいことに、死亡診断書は今までに何十通も書いてきた。
その人のこの世との別れの時間、つまり死亡時刻を自分の腕時計で決め、皆に宣言し、診断書に記入してきた。
けれど、子どもをみずからの手でとりあげ、人生の始まりの時刻を記入したことは今の今まで一度もないのだ。

もちろん「死の看取り」は大事な医者の仕事のひとつと思う。
かつ難しい部分であるとも思う。
患者さんを見送ったあとはいつも『これでよかったのだろうか』と自問自答する。
医者としての挫折感を感じることも少なくない。
それに比べ、同じ医師という資格を持ちながら、「誕生」に関われる幸せな医師も世の中にはいるのだ。

いまの勤務病院に産科はないが、超多忙な一般病院に勤務していた時は、仕事に疲れると、よくブラリと新生児室をのぞきにいった。
産着にくるまれ、すやすやと寝ている赤ちゃんたちをみているだけで自然と心は休まり、そのたびに産科医をうらやましく思ったものだ。
もちろん、産科医にも厳しい現実はあるのだけれど・・・

死に立ち会うことに慣れてはいても、いざ、肉親や知り合いともなると・・・

死に至る病気なのか否か、人はどんなふうに死んでいくのか、などということをへたに知っているから、そんなときは気持ちはより複雑で、心の整理に余計な労力を要することになる。
そして結局のところ、行き着くのは『なるべく苦痛なく、大切な人たちに見守られながら、最期の時間をすごせていますように』と願うことだけ・・・
そしてできれば、こんなことはそう何度も経験したくないと願う。
勝手だろうか?







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