特攻花。ちぐはぐな名前だと思った。特攻という凄まじい行為と花という可憐な存在が結びつかなかった。あるいは,散華の様をいうのかとも思った。
特攻花とは「天人菊」という外来種の花だそうだ。それが特攻基地の後に作られた喜界島の飛行場脇に咲き乱れているという。戦争末期,そこから沖縄方面に向け出撃していった特攻隊(員)を偲んでいつからかその花を特攻花と言うようになったらしい。
しかし,この天人菊の謂われについてはよく理解できない。戦争中に外来種があったのかどうか。特攻隊員に特攻花を贈ったり,隊員が機上から投下するようなことが,あの敗色濃くとも軍紀の厳しい時に可能だったのかどうか。
一説に,ある隊員が九州から花を「輸送」し喜界島に植えたという(その隊員は直後に戦死)。それが特攻花の始まりだったのか。
いずれにせよ,多くの隊員は戦死してしまっており,遺族の方も少なくなっている。著者も言うように早く取材しないと間に合わない事態が迫っている。特攻花の謂われの真偽はともかく,それを生んだ思いがあることは事実だろう。戦争を憎み,犠牲になった人々を悼み,平和を願う気持ちは誰しも同じだろう。花に特攻などという名前をつけなければならない事態はご免だと思う。また,花で美化されるのはもっとご免だ。
しかし,極彩色の特攻花の写真を見ていると,火の玉になって突っ込んで行く特攻機を連想してしまうのだった。
■仲田千穂著『特攻花』ポプラ社,2009年7月刊.
特攻隊の飛行機は見たことが有りませんが特攻用の潜水艦『回天』を広島県呉市の江田島で見た事があります。
記念館やら実物を見た後、ただ涙が止まらず困ってしまった事だけ覚えています。
記念館で覚えているのは布の切れ端や小さな紙に自分の血で書いた家族に宛てた最後の言葉だったように覚えています。
ほんの一言、二言。
江田島市でした<(__)>
呉市に行く前に行っただけでした<(__)>
その記事,覚えています。昔の,前のサーバーの時代の記事だったと思いますが。
潜水艇という閉鎖空間を一人で敵艦を目指して進むことを考えただけで戦慄を覚えますが,当時はそれが「正常」だったのだと思います。(そのこと自体に戦慄が)
殺人兵器を考える人,それを操縦する人,命令する人。。。誰もが何かに押し潰されていたような時代だったのかも。しかし,肉親への情は抗えなかった。
だからこそ,特攻花のような話が成立するのではないかと思います。そう言えば「桜花」という特攻機がありました。人間爆弾ですが,これには花の名前が付いていたわけです。これも恐ろしい組み合わせではないでしょうか。