瑞原唯子のひとりごと

「オレの愛しい王子様」第17話 バレンタインデー



「僕を待たせるとはいい度胸だな」
 翌朝、翼は西園寺邸の玄関でいたずらっぽくそう言って創真を出迎えた。まるで昨晩のことなどすっかり忘れてしまったかのように。創真は困惑するが、だからといってわざわざ蒸し返すようなことを言うのも躊躇われる。
「……悪かった」
「次はペナルティだぞ」
「気をつける」
 翼はふっと笑い、いつもと変わらない颯爽とした足取りで玄関をあとにする。
 創真はその後ろ姿をぼんやりと目で追うが、ほどなくして我にかえり、あわてて小走りで追いかけて隣に並んだ。

 昨晩はいろいろぐるぐると考えをめぐらせてしまい、ほとんど眠れなかった。
 帰宅して母親に尋ねたところ、桔梗との結婚については実際に西園寺から話があり、許可を求められたが、どうするかは本人に任せると答えたそうだ。それで創真が呼ばれることになったのだろう。
 昔から両親は放任主義で、創真にも兄にも好きなように生きればいいと言っている。父親の会社を継がせるつもりも特にないようだ。創真がずっと翼を支えると言っても肯定も否定もしなかった。
 今回の件についてもどうこうと意見することはなかった。いますぐ返事しないといけないわけではないんだし、頭を冷やしてゆっくりしっかり考えてみたら、と他人事のように言うだけである。
 もっとも自分の気持ちは考えるまでもなく決まっている。ただ、いつどのように断れば上手くいくのか、翼とどう向き合えばいいのかなど、これからのことを考えると悩みは尽きなかった。

「翼くん、これもらってくれる?」
「いただくよ、ありがとう」
 通学途中、何度も同じクラスになっている女子から小さな手提げ袋を差し出され、翼はよそいきの笑顔で受け取った。それがどういう類いのものかは聞くまでもなくわかっているのだろう。
 今日は二月十四日、つまりバレンタインデーなのだ。
 毎年、翼は義理から本命まで数多くのチョコレートをもらっている。かなり面倒だと思うが、そんなことはおくびにも出さずにいつも笑顔で応対していた。女子が求める理想の王子様そのままに。
 当然ながら今日も完璧なまでに理想の王子様を演じていた。しかし女子から離れるとふと目がうつろになる瞬間がある。よく見ていなければわからないくらいの変化だが、東條も気がついたようだ。
「なあ、諫早くんも翼もどうかしたのか? 元気ないみたいだけど」
「ああ……」
 昼休み、翼が女子に呼ばれたので東條とふたりで学食に向かっていたところ、彼から気遣わしげにそんなことを尋ねられた。自覚はなかったが、どうやら創真も元気がないように見えているらしい。
「もしかしてケンカしたとか?」
「そういうわけじゃない」
「翼には内緒にするから話せよ」
「西園寺の家に口止めされてる」
「ああ……そういうことか」
 東條は急にトーンダウンした。彼もまた西園寺家に口止めされている身なので、詳細はわからずとも事情は理解できるのだろう。ただ、ますます心配そうな顔になり創真を覗き込んでくる。
「大丈夫なのか?」
「……多分」
 何をもって大丈夫とするかはわからないが、翼はきっと元気を取り戻すだろうし、創真との関係も悪いようにはならない。根拠はないものの創真はそう信じていた。
「これやるから元気出せよ」
「えっ?」
 ふいに軽そうな茶色の小箱がふわりと投げてよこされて、あたふたと両手でキャッチする。わけがわからないまま目を落とすと、そこには有名チョコレートブランドのロゴが刻印されていた。
 まさか、これって——。
「あ、違う違う、俺がもらったものじゃなくて家から持ってきたんだよ。諫早くんにあげようと思ってさ。日本だと友達にもチョコをあげたりするって聞いたし」
「……男どうしではあんまりやらないけどな」
「そうなのか?」
 安価なチョコ菓子ならともかく、男が男友達にブランドチョコレートを渡すなんて一般的とは言いがたい。幼少のころに日本を離れたので日本独自の風習には疎いのだろう。
「ま、せっかくだからもらってくれ」
「お返しが面倒なんだよなぁ」
「ははっ、そんなの期待してないって」
「それなら……」
 ありがとな、と礼を言ってから上着のポケットにしまう。チョコレートは好きなのでもらえるのは素直にうれしいが、もらいっぱなしというのも気が咎めるので、やはり何かお返しはしようと思う。
 学食に入ると、カフェテリアでごはんとおかずを買ってから窓際の席をとった。スマートフォンを確認するが翼からの連絡はまだ来ていない。ひとまずふたりだけで向かい合わせに座って食べ始める。
「そういえば翼からはチョコもらったのか?」
 東條が箸を持ったままふと思い出したように尋ねてきた。結婚を前向きに考えるなどと話していたので真面目に気になったのだろうが、創真は思わず苦笑してしまう。
「あいつは自分がもらう認識しかないと思う」
「ああ……それなら催促すればよかったのに」
「別にこだわってないし」
 それは強がりでも何でもない。
 普通の女子みたいなことを翼に求めているわけではない。もちろんもらえたら素直にうれしいが、もらえなくても落胆はしない。それに——翼はいまバレンタインどころではないはずだから。

「悪い、待たせたな」
 放課後、他クラスの女子に呼ばれて廊下に出ていた翼が、そう言いながら創真たちのいる教室に戻ってきた。両手に余るくらいたくさんのプレゼントを持って。
「またずいぶんたくさんもらってきたなぁ」
「僕のために用意してくれたのに断れないだろう?」
「まあ、そうだよな……」
 東條は自分のスクールバッグを一瞥してうんざりしたように同調する。彼もときどき女子に呼び出されてはチョコレートを渡されていて、ファスナーの開いたスクールバッグからあふれかけていた。
 しかしながら翼はその比ではない。大きな紙袋ふたつがすでにほぼ満杯で、いましがたもらったものも詰め込むとあふれんばかりになった。その紙袋のひとつを創真に押しつけるように差し出してくる。
「これひとつ家まで持ってくれないか」
「ん、ああ……」
 そんなことを頼まれたのは初めてだったのですこし戸惑ったが、中学のときよりも増えているし、全部ひとりで持つのは確かに大変だろうとすぐに納得した。ただ、複雑な気持ちではあるけれど——。

 校門前で東條と別れ、翼といつものように話をしながら帰路についた。
 ただ、話題となるのは学校のことや東條のことばかりで、家に関係することはそれとなく避けているように感じられた。もっとも、こんな往来できのうのことを話すわけにはいかないのだが。
「悪いが、僕の部屋まで運んでくれないか」
「……わかった」
 創真は頷き、翼につづいて西園寺邸に上がる。
 もしかしたら部屋に上げるための口実としてプレゼントを持たせたのかもしれない。何となくではあるがそう感じた。だが創真としても翼に話しておきたいことがあったのでちょうどいい。
「あら、創真くん」
 階段を上がると、ちょうど降りようとしていたらしい桔梗と鉢合わせた。帰宅したばかりなのか制服のままだ。翼が不快そうに眉をひそめるのを横目で気にしつつ、創真は軽く会釈する。
「おじゃましています」
「荷物持ちをさせられているのね」
「あ、いや……」
「ちょうどよかったわ」
 そう言うと、桔梗は紙袋からダークブラウンの小箱を取り出して、にっこりと華やかな笑みを浮かべながら差し出す。
「これ、もしよかったらもらってくれないかしら。これから家に届けに行こうと思っていたの。創真くんチョコレート好きだったわよね?」
「えっと……」
 目が泳ぎ、返事に詰まる。
 桔梗がどうして創真にチョコレートを用意したかを考えると、無邪気に受け取るわけにはいかない。翼のまえではなおのこと——その葛藤を察してか桔梗はくすりと笑って言い添える。
「これを受け取ったからといって結婚を了承したことにはならないし、迫るつもりもないわ。私の気持ちとして創真くんにあげたいというだけよ」
「…………」
 それでも受け取ることができずにいると、隣の翼が溜息をついた。
「受け取ればいいだろう」
 まだ迷っていたのに、その言葉に推されてつい手を伸ばして受け取ってしまった。瞬間的に後悔する気持ちが湧き上がるが、いまさらやっぱり間違いだったなんて言えるはずがない。ほっと息をつく桔梗を見たらなおのこと。
「ありがとう」
「いえ……」
 あっ——彼女と言葉を交わしているあいだに、いつのまにか翼は何も言わずにひとりで歩き出していた。創真はあわてて彼女にぺこりと頭を下げると、遠ざかる寂しげな背中を全力で追いかけた。

「すまなかったな」
 翼は部屋に入るなり創真に持たせていた紙袋を引き取り、ふたつまとめて学習机に立てかけるように置くと、スクールバッグもそこに下ろして振り返った。その真剣なまなざしに創真がドキリとしていると——。
「創真、おまえは桔梗姉さんと結婚すべきだと思う」
「は……?」
 いきなり思いもしないことを言われて頭の中がまっしろになった。鼓動がだんだんと速くなっていくのを感じながら、縋るようにスクールバッグのショルダーベルトをグッと握りしめる。
「あっ……さっきチョコもらったからか? 返してくる!」
 あわてて踵を返して部屋を飛び出そうとしたが、腕をつかんで止められた。そのはずみでスクールバッグが床に落ちる。振り向くと、翼はうっすらと物寂しげな笑みを浮かべていた。
「桔梗姉さんは個人的には気にくわないが悪いひとじゃない。創真のことも前々から気に入っていたから、きっと良くしてくれるだろう。何より正しく女性だ。桔梗姉さんと結婚すればこれまでの勉強も無駄にせずにすむしな」
「そんなの関係ない!」
 黙って聞いていられなくて食いぎみに声を上げた。さらに前のめりになり畳みかけるように訴える。
「翼以外となんて考えられないんだ!」
「……聞いてくれ」
 翼は静かにそう言い、創真の体から力が抜けたのを見計らって語り始める。
「きのう、あのあと父からいろいろと聞かされたんだが……母は、跡継ぎとなる男子を産まなければと追いつめられていたが、僕を産んだときのトラブルで子供を望めない体になったそうだ。そのせいで心を病んでしまって、僕のことを男だと思い込むようになったらしい」
「病んで……?」
「本来、本家に男子がいなければ分家の男子を養子にして跡を継がせていたそうだ。女子しかいないからといって男のふりをさせたなんて前例はない。あくまで母が勝手にしたことで、家族はみんな見て見ぬふりをしてきた……要するに母の精神安定のために僕は人身御供にされたんだ」
 そのひどく残酷な話に創真は唖然とした。
 翼はふっと自嘲の笑みを浮かべる。
「滑稽だよな。母に言われるまま西園寺を継ぐためだけに生きてきたのに、すべて嘘だった。あげく女のまま生きてきた桔梗姉さんに惨めに負けてしまった。未来を失って、空っぽになって、これから先どうやって生きていけばいいかもわからない。おまえも愛想を尽かすだろう」
「は、なんだよそれ」
 反射的に声が漏れ、それからふつふつと怒りが湧き上がってくる。
「そんなくらいで嫌いになるわけないだろ、決めつけるな!」
 十年も片思いをしてきたのだから簡単に心変わりはしない。すぐに裏切るような薄情な人間だと思われていたことにも、ずっとそばで支えるという誓いを信じてくれなかったことにも、ひどく腹が立った。
「なあ、なんで何もかも終わったみたいな顔してんだよ。未来をなくしたんじゃなくて自由になっただけだろう。自分の意思で何だってできるし何にだってなれる。オレらの年齢なら、まだ将来のことを決めてなくても全然おかしくない。これからゆっくり考えて悩んで決めていけばいいんだ」
 真摯に語りかけると、翼はわずかに目を伏せて考え込んだ。
「そうだな……言われてみればそうかもしれない。自暴自棄になるより、そうやって前を向いて生きていくべきなんだろう。だからといってすぐに気持ちを切り替えるのは難しいし、どうすればいいかもまだわからないが……すこしずつでも前を向いていけるように努力はしようと思う」
 ひとまず冷静にはなったようだ。いまはまだ立ち上がる気力まではないのかもしれないが、翼ならきっとまた未来を見据えて歩き出せるようになるだろう。もちろん創真も一緒に——。
「ただ、創真が僕を支えるというあの約束は破棄しよう」
「は?」
 反射的に眉をひそめて聞き返してしまったが、それでも翼は動じない。
「あれは僕が西園寺を継ぐという前提で交わした約束だ。前提が崩れた以上、このまま継続するわけにはいかない。桔梗姉さんと結婚すべきというのは言いすぎだったが、僕に縛られることなく、これからはおまえも自由に自分の人生を歩んでほしい」
 いつもどおり理路整然とした発言だった。
 じっと見つめると、翼は目をそらさずまっすぐに見つめ返してきた。しばらくそのまま黙って視線を合わせていたが。
「わかった」
 そう返事をして、挑むような強いまなざしでグッとこぶしを握る。
「オレはこれからも翼のそばにいたいし、翼を支えたい。だから自由にしろっていうならそうさせてもらう」
 それが創真の望む人生だ。
 約束なんかあってもなくても関係ない。西園寺を継げなくても関係ない。翼と一緒にいたい、最初からただそれだけなのだ。創真のことを嫌がっているわけでないのなら、離れる理由はない。
 だが、翼はその熱情に怯んだように瞳を揺らしてわずかにうつむいた。めずらしく当惑していることが表情からも窺える。しばらくそのままじっと思い悩むような様子を見せていたが、やがて——。
「二つ、頼みがある」
 静かながらも芯のある声でそう切り出した。
「一つは、桔梗姉さんとの結婚についてはいますぐ結論を出さず、もうしばらくあらゆる角度から真剣に考えてみてほしい。もう一つは、気持ちが変わったら隠さず正直に言ってほしい」
「……わかった」
 創真のためを思って、後悔させないようにそういう条件を出してきたのだろう。これからも気持ちが変わらない自信はあるが、それで翼が安心するのならと素直に聞き入れることにした。
 そうだ——。
 ふと思い出し、足元のスクールバッグを探ってチョコレートの小箱を取り出した。東條にもらったものでも桔梗にもらったものでもない。それを翼の胸元にまっすぐ突きつけるように差し出す。
「えっ?」
「もらってくれ」
「これは……」
「本命だからな」
 この日のために一週間も前から用意していた。
 ただ、きのうあんなことがあったので渡すのをためらっていたが、いまあらためて自分の気持ちを伝えておきたいと思いなおしたのだ。
「いただくよ」
 最初こそ翼はすこし戸惑ったような表情を見せていたが、すぐにふっとやわらかく目を細めてチョコレートを受け取り、軽く掲げる。女子に向ける完璧な王子様とは違った自然な顔で——。
 それを見てようやく創真は大きく安堵の息をつき、つられるように微笑んだ。




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