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マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

バレンタイン・デーの夜

2014年02月15日 | 子育て

息子たちは家に居ました。

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さりげなく 「今夜はデートは?」 と質問すると。

「特に ・・・ 

と 素っ気ない返答が。

そもそも商業ベースから始まった(と記憶しています)バレンタイン・デーに、いつの頃からか 『恋人たちの聖夜』 なんていう大仰な名称まで加わっています。 『ジューン・ブライド』 なんかと同様、企業戦略に すっかり乗せられてしまう例が多いのですが。

さすがは 我が息子よ!

そういった商法に騙されることなく、しっかり生きておる。

こう感じた次第であります。

そう。

私自身は、乗せられやすい、絵に描いたような能天気者であります

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透きとおった乱暴さ

2014年01月28日 | 子育て

司馬遼太郎さんのことを続けます。

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『坂の上の雲』 で、秋山好古が 名古屋師範学校 付属小学校に赴任したとき。 

同郷の先輩にあたる主事の口を借りて、こう書いています。 要約します。

「教育者はすこし乱暴なほうがいい」 「透きとおった乱暴さが必要だ」 「こどもは精気のかたまりだからね」 「その精気に負けない精気でぶつからないとこっちの魂がこどもに沁みとおらない」

司馬遼太郎さんは、史実を調べ抜いて小説を書くなかで、推測の余地が大きくなる登場人物の発言には 思い切った内容を含ませることがあります。

そして、それが時代の啓蒙になることが多いのです。 しかも、その言葉は 何年も経過して なお 輝きを失いません。 

たくさんの人が司馬遼太郎さんの作品に魅せられる理由の一つでしょう。 私も その一人です。

この章が連載されたのは、昭和43年。

いま聞いても、教育の本質を捉え 警告を与える言葉だと思います。

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大宰府天満宮

2014年01月24日 | 子育て

デートで大宰府天満宮へ行くと言う 次男との会話で。

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あまりにも 大宰府の事を知らないので。 「ひょっとして、初めて?」 尋ねると、その通り。

三人とも 高校受験は推薦やったから、行かなかったのかなぁ。 ところが、横に居た三男は 「俺、行った」 と。 そうなの?

聞けば、長男の高校受験のとき、まだ小学生だった三男は同行していたのでした。 まぁ、どこに行くにも いつの間にか付いて来ているようなタイプやからね。

そうやった。 長男が推薦入試の際には大宰府に行ったんや。 良く分からない推薦入試には一抹の不安があり、念のための 私立高校の合格祈願も あったし。

では、翌年の次男の推薦入試では?

もう 慣れて、安心していたのでしょう

ついでに。 これは 次男には秘密にしていたんだけど、合格していた私立高校に 入学の手続き(つまり入金)さえしていませんでした。

「俺、もしも推薦で落ちて普通入試でも落ちたら、どうなるん?」

そう質問されれば 返す言葉さえ無かったのですが   やっぱり 『慣れ』 なのでしょうね。 大宰府に連れて行かないどころか、ひどい手抜きでありました。

やっぱり、次男には秘密のままにしとこう

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秘密の写真

2014年01月16日 | 子育て

成人式から戻ってきた三男を 家人が撮ったもの。

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Photo

この衣装に加えて、小道具で 『名前入り 提灯』、『名前入り 扇子』 ついでに 『(全員の)名前入り 大旗』 が あります

『秘密』 の理由は、まったく本人の承諾を得ずに載せているから。

三男から訴えられないことを祈りつつ

本人のデジカメには、もっと良い写真があるのですが、データを盗む口実が ありません。

ちなみに 家人が ラインを使い 親戚に見せたそうです。

『応援団みたい 』  その感想コメントです。

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急性盲腸が

2014年01月14日 | 子育て

三男の成人式で思い出したことが あります。

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当時の成人式は1月15日。 当日、私は 病院のベッドでした。

腹膜炎で入院していたのです  急性盲腸が慢性化して、癒着を起こしていました。

発端は前年の11月。 初めて経験する鋭い胃の痛み。 友人が京都の病院に担ぎ込んでくれました。

診断は胃痙攣。 いやぁ、痛いもんです。 痛み止めで どうにか収まりました。

12月にも同じ痛みがあり、じっとガマン

そうして、年明けの1月10日過ぎに 友人の家で呑んでいたら、さらに激しい痛みが

またまた病院に担ぎ込まれ、即座に出された診断は 「盲腸!」

年末から親戚の店の手伝いをしていました。 その条件は 「バイト代は要らんけん、美味いもん喰わして、たらふく呑ませて」

呑みましたねぇ。 毎晩。 浴びるが如く。 小倉のキャバレーにも何度か連れて行ってもらいました

正月に突入、呑み続け

麻酔ってですねぇ。 体内のアルコールが過ぎると効かんのですね。 手術の途中で 痛みが襲ってくる!!

執刀中に申告するも まったく無視されて。

いやぁ、地獄を見ました

入院中も痛くて辛くて。 そして成人式当日。 友人が入れ替わり見舞いに来てくれますが、それどころじゃない。

辛~い入院中、私の心を唯一 慰めてくれたのは。

それは、『京都に戻ったら あの病院に放火してやる 』 という暗い決意だったのです。

さすがに放火は せんやったけど、仕返しは しました。

その内容は。

とても、ここには書けまへんなぁ。

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