アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

ヤナギに学ぶ

2007-11-14 | Weblog
 断言する。

 この世で最もおいしい食べ物は、ヤナギガレイの半日干しを軽く焼いたものである。これをご飯で食べるのが、最上のごちそうである。

 断言するっていったら、断言するのである。


    ◇

 幼いころから魚が好きだった。小学校入学前は、ホッケの味りん干し。味りん干しは甘さ加減が子どもの舌にちょうど合ったように覚えている。

 母は、ホッケの味りん干しを板箱のまま買ってきた。ホッケは緑色の紙に包まれていて、箱から1尾ずつ取り出すのを私は、すごくドキドキして見ていた記憶がある。


    ◇

 小学生になってからは、とにかくサンマ。脂っぽいものを成長盛りの体が求めていたのかもしれない。また、港を訪れたときにサンマの水揚げに出あって、その光景が忘れられなかったというのもある。

 網が開かれると、無数のサンマが日光を反射しながらキラキラと輝き流れた。ひとつひとつの体が、研いだばかりの包丁のように美しかった。

 小学4年生のときの文集。「将来の夢」は「水揚げされたサンマ網に埋まって死にたい」であった。 


    ◇

 当時、目光という魚のてんぷらが地元の小学生の弁当を支配していた。今でこそ評判の良い魚だが、小学生のころに弁当の中のベシャベシャのてんぷらを食わされ続けた身としては、目光のよどんだ目の光より、サンマのキラキラと輝く目のほうがはるかにまぶしかった。


    ◇

 高校に入るころ、ようやく味覚が目覚め始める。はじめは強い味ばかり求めた記憶もあるが、すぐに飽きる。そうして、「味」を確認できるようになって、ヤナギに出合うのである。


    ◇

 肉薄の魚だけに焼き加減、さらに干し加減が実に難しい。微妙な加減によって最上の料理にもなり、台無しにもなる。「いい加減」「いい塩梅」が、いかに難しいか。私自身、「ヤナギの焼いたの」に学んだものは多い。


 最良のタイミングで干し、控えめな乾き具合のヤナギを控えめに焼く。ひいき目なしで、母の干し加減が、一番上手だ。


 30年以上も変わらない息子の大好物なのだ。母は冬のヤナギ・シーズンになると、庭にたくさんのヤナギを干してくれる。

 中学のころ、庭のすべての物干しにヤナギが下げられていた光景を見たときは、さすがに引いた。「売るのか」と思った。



   ◇

 午後の日差しがあるうちに、洗濯物のようにヤナギを取り込んだ。そうして食べる分だけ出して、あとは新聞にくるんで冷蔵庫へ。

 そんな中で、冷蔵庫の中で日にちの経つものもでてくる。臭いも出てくる。そうすると、母は「焼いておけば大丈夫」。臭っている魚でも焼いて食べた。

 大丈夫だった。

 ちなみに、生魚も冷蔵庫に入れて忘れてしまったこともある。

 ぬるぬるは「洗えば落ちる」。

 臭いは「焼けば消える」。

 確かに、生のときは排泄物のような臭いがしていた魚も、焼けば食べられた。


    ◇

 賞味期限でこんなに騒ぐなんて、やっぱりこの国はへんてこなのでは? と思うのだ。
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