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第15章 17世紀、18世紀

2018-07-25 00:29:10 | 教会史
「第15章 17世紀、18世紀」『聖会史のはなし』浦川和三郎司教

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 第17世紀、第18世紀は、どのような世紀でしたか。

 フランスにおける第17世紀は、偉大なるキリスト教的世紀でしたが、第18世紀は反キリスト的で、大崩壊をはらんでいるのでした。

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 どうして第17世紀を偉大なる世紀と呼ぶのですか

 前世紀の中頃に行われた改革はその実を結び、17世紀に実に、信仰と聖徳との偉大な世紀となるきっかけとなりました。
聖人を挙げますと、前に申しましたサレジオの聖フランシスコは、ジェノバの司教でしたが、すばらしい柔和と深い学識によって多くのプロテスタントを改宗に導き、愛徳の姉妹会の創立者聖ヴィンセンシオ・ア・パウロは博愛慈善の天使として大車輪の活動をつづけ、聖ヨハネ バプチスタ・ド・ラ・サールは、キリスト教教職会を創立して、小学教育の先駆者となりました。

 その他にも、キリスト教の擁護に当たったのは、大雄弁家ボスエ、フエヌロン、ブルダルー、マッションをはじめ、名声かくかくたるパスカル等であります。

 国内の空気がキリスト教的でしたから、大罪人はその罪を償うために大いなる苦行をしました。大文豪コルネイユは所属協会の理事をつとめ、悲劇の大家ラシーヌは詩篇を翻訳し、回心者ジャヌ・ド・ランセは粛なトラピスト会を創立しました。

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 表面はそう輝かしくても、また暗い影もありませんでしたか。

 それはもとよりありました。
まず、ヤンセニウスの異端がオランダに起こり、フランスに広まり、天主の愛と慈悲とを狭め、天主は厳烈おそるべきもの、人はふるえおののきつつ天主に近づかねばならぬ、罪の償いは随分と長く続け、聖体は至極まれに拝領すべきもので、それには長い長い準備を要すると主張して
人々を秘跡より遠ざけ、それだけ信者の信仰を冷まし、非常な危害を及ぼしました。

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第18世紀に聖会はどのような困難に見舞われましたか。

 心の腐敗より不信仰が生まれてきました。
それは、プロテスタント派より起こった当然の結果で、カトリック教会を最も残酷に迫害したイギリスに起こりました。
 その賛成家は、唯理主義者とか、理神論者とか、自由思想家、または唯物論者とか呼ばれ、後では集まって秘密結社を組織しました。
この秘密結社は博愛、慈善を表看板にしていますが、実は宗教を滅ぼし、国家社会を叩き潰すのを目的としているのであります。

 この不信仰思想は、イギリスからフランスやドイツに流れ込みました。
フランスでは、ダランベールとかディドロとかいうような哲学者たちが盛んに不敬神きわまる言論をもてあそび、ヴォルテールなどは、「嘘をつけ、いつでも嘘をつけ、醜類(教会)を叩き潰せ」と叫び、聖会に向かって口からでまかせの悪口雑言をならべたて、ルソーは宗教、道徳、教育等について、とんでもない誤謬説をまき散らしました。

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 そうした不信仰より何が生まれましたか。

 宗教の基礎をなぎ倒した不信仰者たちは、それとともに社会の根底をもくつがえしました。混乱はどうせ免れ難く、大革命、大恐怖が起こったのは怪しむに足りません。

 フランス革命は、1789年、自由の名をもって開始され、10年間の久しきわたって迫害の大暴風を巻き起こしました。

 はじめ、離教的憲法を発布して、聖職者を教会から引き離そうとしました。(1790年)しかし、大部分の司祭はそれに服さなかったので、終にはカトリック教会を廃絶して、司祭や修道者はドシドシ断頭台(ギロチン)に送り、聖堂を閉鎖し、その財産を没収してしまいました。

 このようにして、無宗教家がフランスを支配し、数ヶ月の間に働いた彼らの暴行、崩壊は、蛮族の軍隊が10年間も暴力をふるった以上でありました。

結び--
 このように、宗教に忠であると否とは、国家社会の為に死活問題です。天主なき社会は、死滅するのみであります。


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