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7-3-5 銀と香料

2023-09-13 03:15:42 | 世界史


『文芸復興の時代 世界の歴史7』社会思想社、1974年
3 大航海時代    
5 銀と香料

 コンキスタドレスには、自分の生命をも粗末にした者が多かった。
 彼らはスペイン中南米植民地初期の政治、軍事未分化の状態の産物であった。
 その後の中南米社会の主役は、カトリック教会の僧侶に肩がわりされる。
 ヨーロッパでとかく保守的反動的な役割を果たした僧侶たちも、中南米では積極的な社会建設の役割を果たすのである。
 このあいたにスペインの植民地経営方式は、コロンブス流の分配方式から委託方式というのに変わった。
 一五二一年からスペイン王が、原住民の保護を条件に、スペイン人領主に土地と住民を委託するということである。
 一五一七年からは黒人奴隷の輸入が、ネーデルラントの業者の請負として許可された。
 この権利は後に持ち主がジェノバ人に変わり、十八世紀はじめにはイギリスが獲得している。
 黒人人口の大量の流入で、中南米の人口構成は、白人とインディアンと黒人の三重構造になった。
 人種的偏見が少なく、この三者がかなり混血したということは、北アメリカにくらべると、はっきりしている。
 カトリック教会はこのことを教化の成功と誇っている。
 プロテスタントが人種的偏見において頑固だというのである。
 そういうこともいえるだろう。
 しかしスペイン人とポルトガル人は、古代以来地中海世界で黒人とよくつきあっており、イベリア半島での混血もそう珍しくなかった。
 また中南米植民地の社会構造は、本国の封建的な荘園に似た大土地所有の乱立というかたちをとり、それにインディアン古代国家の貢納夫役(こうのうぶやく)方式をうけついだ習慣が加わって、貧しいスペイン人の多数が農奴的労働人口にまきこまれた事情も、混血を促進した。
 こんにちの中南米がもっている諸問題は、やはりコンキスタドレスの時代に端を発しているのである。
 委託方式になってから植民地経営は軌道に乗り、インディアンのもっていたわずかな金を奪い、「かくしているだろう」と追いかけて殺す方式から、鉱脈をさがし、ちゃんと採掘するやりかたに変わった。
 その成果が期待以上にあがったのは、一五三〇年代からであり、四〇年代には、ペルーの有名なポトシ銀山も開発された。
 金と銀、とくに銀の生産の激増(十六世紀末には新大陸が当時の世界の金生産の六割、銀生産の約九割を算出したという)はヨーロッパの金銀の相場を大きく変え、銀の価格はこれまでの三分の一、ないしそれ以下にまでさがった。
 黄金がたくさん出るというコロンブスの宣伝は、場所に対する彼の錯覚はあったが、結果的には事実になったのだ。
 まず新大陸アメリカに進出したスペインは、かつてない景気のよい時代をむかえたが、この富は、スペイン王カルロス一世が同時に神聖ローマ皇帝(ドイツ皇帝)カール五世であったために、浪費された。
 また金銀の豊富なスペインは、それがだぶつきすぎて、ヨーロッパでもっとも物価が高い国になり(ヨーロッパ的にも、いわゆる「価格革命」が生じた)、一時さかんだった工業も十六世紀末には衰退した。
 そのかわりに台頭してくるのが、オランダとイギリスである。
 アジア進出に先がけたポルトガルは、その方面の貿易をほとんど独占し、リスボンは一時たいへんに栄えたが、けっきょくポルトガルもスペインに合併(一五八〇~一六四〇)などされているうちに、オランダにその地位を奪われてしまった。
 十七世紀はじめのスペインの文豪セルバンテス(一五四七~一六一六)は、ドン・キホーテをよぼよぼの名馬ロシナンテにうちまたがらせ、オランダの豊かな農村を思わせる大風車に突進させている。
 それは、コンキスタドレスの勇気と独善と虚栄のうらぶれた姿でもあろう。
 コンキスタドレスに中世騎士の美意識がなかったとはやはりいえないからである。
 ところで金銀とひきかえに、ヨーロッパから中南米の植民地人に対して日常必需品、とくに毛織物が輸出された。
 一方、ヨーロッパはアジアからの商品、とくに香料のために、金銀をあてねばならなかった。
 そこで毛織物生産のさかんな国は、新大陸の銀を手に入れ、それをもってアジア貿易に進出できるという一種の三角関係が生まれた。
 ということは、毛織物工業の発展がとまった国は、東西貿易において競争から脱落してゆくことを意味していた。
 皮肉なことにスペインがこの運命をたどって、イギリスなどにおくれをとるのである。
 ともかく十五世紀から十六世紀にかけてのいわゆる「地理上の発見」と、ヨーロッパ人の海外発展は、「黄金と香料」に対する貪欲な夢を原動力としていた。
 それはまた結果として、ヨーロッパに広く世界の市場と資源を与えるきっかけとなり、このいわゆる「商業革命」を通じて、近代資本主義が成立、発展するという大きな効果をもったといえよう。
 それからもう一つ、新大陸からきたものは金や銀だけではなかった。
 タバコと性病は有名だが、地味でしかも重大な意味をもったのは「じゃがいも」と「とうもろこし」である。
 これはヨーロッパの農業生産力を強化し、貧しい農民に生活力を与え、そのために農村の社会制度の保守性を強め、人口の増加を促進する意味をもった。
 絶対主義時代のヨーロッパの戦乱や人口増加などが、アメリカ大陸の白人人口を増加念せ、大西洋がキリスト教徒の内海になったのに反し、アジアは十九世紀までその文化とプライドを持ちつづけ、独自の発展をとげた。
 十七世紀はじめ鎖国直前の三十年間に最新の航海術を用いた日本人の東南アジア進出が行なわれ、いわゆる南洋日本人町が多数生まれたという事実は、やはりこの大航海時代の延長上にあるのである。
 (『大航海時代叢書』(岩波書店)はこの章に関する珍しい関係原典の学術的な翻訳である。)






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