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聖なる医者 聖リカルド・パンプーリ  19:温故知新

2017-10-30 04:50:26 | 聖リカルド・パンプーリ
『聖なる医者 聖リカルド・パンプーリ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、19

 それにしても、かれは社会生活から離れることなく、新しい発明に興昧をもちました。その当時鉱石受信機のラジオがはじめて作られると、すぐそれを買い、それによって世界の動きを知るように努めていました。とはいっても、世間のことに心を奪われるようなことはありません。心の目はより高い所をめざしていたのです。

「まあ、なんと感心な人!」と、ある女性は感嘆するあまりに、かれに結婚を申しこみました。この女性もカトリック運動に参加する人で、りっぱな女性でしたが、パンプーリ先生は、親切な返事を書きました。それは、結婚生活をぎせいにして排他的に神にだけ仕えたい決心の手紙だったのです。それだけではありません、使徒聖パウロの言葉を引用して、かの女に修道生活に入ることまでもすすめたのでした。このようにかれは、自分の意見に確信をもって恐れずに人々にそれを現していました。

 病人の世話に献身的に働きながらも、ベレッタ神父と自分の召し出しについていろいろと相談をはじめました。まず第一の試みはフランシスコ会でしたが、健康のことからあっさり断られました。でもまだかれは、あきらめません。今度はイエズス会の戸を叩きました。今度も、同様に断わられてしまいました。こうなると、パンプーリ先生も考えざるを得ません、「神のみ旨は、わたしが世間に残って医者としての使命を果すことだろうか?」と。

 それから三年がたちました。かれのひとりの患者がかれの留守の時に亡くなったのです。これは、かれにとって大きなショックとなりました。そのために再び修道生活を考えはじめたのです。

 パンプーリは、シスターの姉に手紙を出して切なる願いをしました、「どうか聖霊に九日間の祈りをわたしのために捧げてください.わたしは世間に残るか修道生活に入るか、神のみ旨が知りたいのです」と。その二か月後のことでした、ベレッタ神父は、かれに聖ヨハネ病院修道会に入会をすすめたのです。さっそくミラノの管区長と話し合うことになりました。もちろん健康状態の問題もありましたが、かれの人格をみぬいて管区長は答えました、「この人が本会の一員として一日しか残らないとしても、わたしは大歓迎します。きっとかれは本会の守りの天使となるでしょう」と。


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