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4-7-5 王義之と顧愷之

2019-08-02 23:52:50 | 世界史
『六朝と隋唐帝国 世界の歴史4』社会思想社、1974年

7 六朝の文化
5 王義之(おうぎし)と顧愷之(こがいし)

 すぐれた造形性をそなえた漢字は、いつかそれが美意識の対象にのぼる可能性を、はじめからもっている。
 その可能性を発見し、書という芸術の一ジャンルを確立したのは、ものをめずる心をもった六朝人であった。
 中国には「六朝の書、唐の詩、宋の画」ということばがある。
 書こそが、六朝を代表する芸術だというわけである。
 書芸術の最初の完成者として不朽の名声をもつのは、東晋の王義之(おうぎし)である。
 かれには、つぎのようなエピソードがつたわっている。
 あるとき、扇売りの老婆から扇をとりあげて、どれにも五字ずつ書きつけた。
 ふくれっ面をしている老婆に、かれは言った。
 「王義之さまの書だといえば、大金がころがりこむよ。」
 はたして扇は飛ぶようにうれ、味をしめた老婆がまた扇をかかえてやってきたところ、かれは笑ってとりあわなかった。
 このように、かれの人がらは、その書体とおなじように洒脱(しゃだつ)であり、またかれの名声が、その在世中から高かったことがわかる。
 王義之の書の偉大さは、前人の技法を集大成したうえに、それをふかくゆたかな情感によって生命づけた点にある。
 「蘭亭(らんてい)の序」や「喪乱帖(そうらんちょう)」など、その筆になる名品は、いずれもそうである。
 その情感は、のちに唐の孫過庭(そんかてい)が、
 「陽に舒(なご)み、陰に惨(いた)みて天地の心に本(もと)づく」
 と評したように、天地宇宙の理法を体したものであった。
 当時の書や絵画の評論の多くは、技巧と自然の二面から芸術の価値を論ずるのが常である。
 自然とは「おのずからにして然(しか)るもの」という意味であり、人間のはからいが感ぜられず、造化のはたらきと一体であるものが、すぐれた芸術作品とされたのであった。
 王義之の書は、技巧はもちろんのこと、自然という点においてもすぐれていた。
 当時そのように評価されただけではない。
 それは時間を超越して、今日のわれわれの心をもうつ偉大な芸術である。
 王義之にややおくれる顧愷之(こがいし)の絵画が、「人類あってこのかた最高のもの」と絶賛されたのも、やはりおなじ理由にもとづくにちがいない。
 「かれの理念は造化にもひとしい」と言った評論家がいる。
 かれはパトロンであった東晋末の軍閥桓玄(かんげん)に、秘蔵の名画を厨子(ずし)につめ、封題(ふうだい)をしたうえあずけたことがあった。
 桓玄は厨子のうしろにこっそり穴をあけ、すっかりぬすみだしてからかえした。
 顧愷之が厨子をあけてみると、あるはずの名画がない。しかし、すこしも驚がずにこういった。
 「画のできばえがすばらしく、神霊と交感したものだから、仙人が天にのぽるのとおなじように、姿をかえて飛びさったのであろう。」
 彼自身も、じぶんの作品が自然の造化とひとしいという自信をもっていたのだ。
 ところで顧愷之(こがいし)は、謝鯤(しゃこん)の肖像画をえがいた際、山水のなかにその人物を配置したといわれる。人物画が主流であった当時としては、これは画期的なことがらである。そして後世の中国山水画の方向を、はやい時期に示したものである。
 山水が画面にとりいれられるにいたったのには、山水詩が生まれたのと同じ理由が考えられよう。
 謝鯤像は残念ながら現存しない。
 しかし、模本(もほん)として今日につたわる「洛神賦図(らくしんふず)」や「女史箴図(じょししんず)」の背景には、たしかに山水が描かれている。
 ところで、ここにとりあげた芸術家たちは、かならずしも書や絵画などにのみ傑出していたのではなかった。
 書や絵画のみを得意とする人間は、かえって職人としてさげすまれた。王義之の書や顧愷之の絵画は、あくまでかれらのゆたかな教養のひとつをあらわすにすぎなかった。そこに六朝人の精神を理解するかぎがひそんでいると考えられる。

「分離の教会」『汝巌なり』フランツ・フィンゲル神父

2019-08-02 02:44:51 | プロテスタント

フランツ・フィンゲル神父「分離の教会」『汝巌なり』山形天主公教会、1926年

 教会の創立と組織に関する聖書の言葉と象徴を調べてみますと、イエズス・キリストが数多の教会を創立しないで、唯一の教会だけを創立し、これに根本的の組織を与えたもうたというのは、確かな事実であります。

 現代では、キリストの定めたもうたカトリック教会のほかに、様々の比較的小さな他の教会が存在しますが、これらは、分離と離教の結果にほかならないのであります。

 この章では、まず、いわゆる分離の教会の話をいたしましょう。
 本章の3節は、「教会と国家」「ギリシア正教の起源」「ロシア正教のこと」であります。

1、教会と国家

 教会の目的は、イエズス・キリストの救世主たる使命を世の中に続けることであります。
 すなわち、イエズス・キリストの指名は、人々を罪から救い、善徳の道を歩ませ、天国の永遠の幸福に導くことであります。
 教会の使命もまた同じとおりであります。
 公教要理に書いてあるように、人のこの世に造り出されたのは、天主を認め、天主を愛し、天主に仕え、最終的に天国の福楽を享けるためであります。

 この世の中にある種々の国家及び教会の大きな差別を明らかにするために、キリストは御死去の日に裁判所で、
「我が国は、この世の国にあらず」(ヨハネ18・26)
 と、公に宣言されました。教会と国家とは、幾多の方面において関係があっても、その性質と目的とは違いますから、両団体の権威者が、各自の権限の範囲内にとどまるならば、衝突の危険は少しもないのであります。同じ人々が国家の臣民であると同時に教会の信者であるということには、何の差し支えもありません。公教会の信者であるから、国家に対する義務を十分に尽くすことができないというのは、愚かな話で、そんなことは全く讒言にほかなりません。むしろ、公教会の信者方こそは、公教に従って、信仰上かつ道徳上の義務を熱心に果たせば果たすほど国家にもなお忠実を守って、臣民としての一切の義務を一層熱心に果たすのであります。

 あるとき、多くの群衆は、聖なる教えを聞こうと思って、大なる熱心をもって、八方からキリストの許に集まって長くとどまりましたので、遂に持ってきた食料もなくなり、飢えても食べられませんでした。キリストは、群衆のこの有様を見て、深く同情し、彼らを助けるとともに、偉大な奇蹟をもって御自分が天の使者であることを、彼らの眼の前に、証明しようとして、神の全能によって
、5つのパンと2匹の魚とを大変に増やし、これをもって、5000人以上の群衆を満腹させました。群衆は、この偉大な奇蹟に感激して、キリストを自分たちの王に戴きたいと希望しました。キリストが、彼らの希望を知って、まず、彼らの前から御身を隠され、その翌日彼らの心を地上の事柄から天の方へと向上させるために、御聖体という最も意味の深い奥義のことを彼らに述べられました。このように群衆の信仰を試しつつ、あまりにも俗世間的であった信仰の足らない人々を御自分から去らせになりました。

 ユダヤ国に、ずいぶん勢力のある党派であった、いわゆるファリサイ人は、自分たちの俗世間的な利己心と、野心とに惑わされて
、宗教と世間のこととを混同して、宗教上の熱心の仮面の下に、皇帝に税金を払うことを否むほど、間違った思想を広めました。ある日、ファリサイ人は、キリストに向かって
 「師よ。あなたが真実に、真理によって神の道を教え、かつ、人にえこひいきしないことで、誰にも憚らないのは、私たちの知っているところです。そうでしたら、そうでしたら、ローマ皇帝に貢を納めるのは、良いことですか、悪いことですか。御考えを私たちに言ってください。」
 と言いました。

 イエズス・キリストは、彼らの問いに答えて、
「偽善者よ。どうして私を試みるのか。貢の貨幣を私に見せなさい」
 とおっしゃいました。彼らが、デナリオという銀貨を差し出したところが、イエズス・キリストは神にも皇帝にも相当な義務を果たさなければならないと教えて、この問題を解決して、簡単に
「だから、カエサルのものはカエサルに帰し、神のものは神に帰せ」(マタイ22・16)
とお答えになりました。
 イエズス・キリストは、彼らの問いに答えて、
「偽善者よ。どうして私を試みるのか。貢の貨幣を私に見せなさい」
 とおっしゃいました。彼らが、デナリオという銀貨を差し出したところが、イエズス・キリストは神にも皇帝にも相当な義務を果たさなければならないと教えて、この問題を解決して、簡単に
「だから、カエサルのものはカエサルに帰し、神のものは神に帰せ」(マタイ22・16)
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聖エウプリオ殉教者

2019-08-02 02:23:51 | 聖人伝
聖エウプリオ殉教者    記念日 8月12日


 ディオクレチアヌス皇帝の迫害の時代、304年にシチリアのカタニアでエウプリオという助祭が貧しい人々に福音を読んでいるところを発見された。早速、総督のカルヴィシアヌスの前に連れ出されたエウプリオは、以前から信仰のために死ぬことを予期していたので、「自分は殉教の覚悟をしている」と言った。
 エウプリオが四福音書を手に持っているのを見た総督は、このような本を持つことは不法だと彼を責めた。エウプリオは、キリストのために忍ぶ苦しみについての文章を彼に読んで聞かせた。
「義のために迫害される人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。」
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」
 カルヴィシアヌスは、エウプリオが法律に背いていることを白状していると思い込んで、彼を拷問台の上に横たえるように命じた。責め苦を耐え忍びながらエウプリオはなおもイエズスに祈り続けていると、カルヴィシアヌスは異教の三神のアポロとマルスとエスクラピウスを拝むように命令した。この瞬間に、エウプリオは三位一体に対する深い信仰をくり返して言い表した。
 「私はただ父と子と聖霊のみを礼拝する。他に神は存在しない」
 エウプリオを苦しめていた男達はまた拷問を続けた。彼は苦痛のため言葉が途切れて、ただ唇だけが動いているだけだったが、なおも祈り続けていた。ついにカルヴィシアヌスはエウプリオに斬首の刑を宣告した。
 死刑執行人はエウプリオの福音書を聖人の首のまわりにぶら下げた。しかし、これは「神々と皇帝の敵」として刑場に連れて行かれる時に、かえって彼の喜びを増したのであった。


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