1年半前に拙ブログに「
アニメ内における二引のファンネルマーク」というエントリを上梓しました。
今回はその続き、新たな作品が出現した報告です。
その前にまず軽くおさらいしておきますと、
ファンネルマークというのは汽船の煙突側面に描かれる塗装マーク。通常、運航者を示します。
「二引（にびき）」というのは日本の大手船社の
日本郵船株式会社の社旗の文様で、白地に赤い横帯を二条という意匠。現存会社の実在の商標です。同社では運航船のファンネルマークを「紺地煙突に二引」としています。
参考までに、同社の保存貨客船「氷川丸」（初代。1929年9月30日進水、元シアトル航路船。単煙突）の近影を掲げます。
さて先のエントリでは2例を紹介しましたが、筆者の観た3例目は2010年4月期の新作アニメ、『
閃光のナイトレイド』第2話「回想のロンド」（原作・アニメーション制作: A-1 Pictures、監督: 松本淳、脚本: 大西信介、絵コンテ: 小寺勝之、演出: 榎本守・佐藤和磨、作画監督: 佐野隆雄・清水裕輔）がそれです。
本作は1931年の上海が舞台でして、同話中、登場人物が日本から上海へ渡る描写の中で、岸壁に停泊する客船の側面中部が2カット映り、その船の煙突が「二引の二本煙突」だったのです。
そこで今回はこの船の元ネタを検証してみましょう。2chアニメ板けいおんスレに棲まわれる "特定班" と呼ばれるネ申たちには遠く及びませんが。
▼1931年当時の上海航路
当時、上海へは
政府命令航路の神戸―長崎―上海航路が日本郵船によって運航されており、「日華連絡船」と呼ばれていました。
同航路の新設（1923年2月長崎―上海間就航、1924年5月瀬戸内海経由で神戸延航）にあたっては同型の貨客船（長崎丸級）2隻が新造投入され、週2便運航、時刻表上の時間は長崎→上海の往航が当初25時間・のち26時間、復航が27時間でした。
両船は公試最高速力（常用航海速力ではない）がともに約 20.9 ノットであったことから「21ノットの快速船」として宣伝されていました。
◇「長崎丸」（1922年進水、総トン数: 5,272 GRT、載貨重量: 2,786 DWT、垂線間長: 120.39 m、1923年2月11日就航）
◇「上海丸」（1922年8月進水、総トン数: 5,259 GRT、載貨重量: 2,784 DWT、垂線間長: 120.39 m、1923年3月25日就航）
上掲写真でお分かりの通り、まさに「二引の二本煙突船」です。この点では考証は一応正しいです。
ところが長崎丸級は見ての通り、細長い後傾煙突が2本となっています。
筆者はオンエアで1度観ただけですので現時点でアニメ側を再検証できないのですが、
作中に描かれていた船の煙突は、上掲の「氷川丸」のような、太く短い煙突だったように思うのです。
▼昭和戦前期の日本郵船の二本煙突船
ここで、日本郵船が昭和戦前期に運航した二本煙突の船にはどんなものがあるのか洗ってみました。
◇「長崎丸」「上海丸」（長崎丸級、約 5,250 総トン、垂線間長: 120.39 m）
1922年進水、1923年長崎―上海航路に就航。1939年現物出資により航路とともに東亞海運株式会社へ移籍。1942, 1943年喪失。
◇「淺間丸」「龍田丸」（淺間丸級、約 16,950 総トン、全長: 178.00 m）
淺間丸級3隻の1・2番船（3番船「秩父丸」は単煙突）。1928, 1929年進水、1929, 1930年サンフランシスコ航路に就航。1944, 1943年戦没。
写真は日本の港を出港する「淺間丸」（初代）。場所は横浜港新港埠頭4岸じゃないかと思います。
◇「天洋丸」「春洋丸」（天洋丸級、約 13,400 総トン）
天洋丸級3隻の1・3番船（2番船「地洋丸」は1916年事故喪失）。1907年進水、1908年東洋汽船株式会社のサンフランシスコ航路に就航。1926年2月事実上の会社分割により航路とともに第二東洋汽船へ移籍、同年5月合併により航路とともに日本郵船へ移籍。1930, 1932年減船に伴い係船、のち売却・解体。
◇「さいべりや丸」「これや丸」（さいべりや丸級、約 11,800 総トン）
1901年進水、米パシフィック・メイル・スチームシップ・カンパニー
Pacific Mail Steamship Company 社船「Siberia」「Korea」として太平洋航路に就航。1916年「地洋丸」を喪失した東洋汽船がPM社から買船。1926年第二東洋汽船を経て日本郵船へ移籍。淺間丸級の就航に伴い係船、のち売却・解体。
なお北日本汽船のウラジオストク航路船「さいべりや丸」は別船（1909年進水、1934年命名、1944年戦没）。
1931年当時在籍していたもののほとんどは事実上の退役船で係船中。4隻とも煙突は細長いです。
◇「大洋丸」（14,458 総トン）
1911年進水、独ハンブルク南米汽船会社
Hamburg Südamerikanische Dampfschifffahrts-Gesellschaft 社船「Cap Finisterre」として就航。1920年第一次世界大戦の賠償船として日本大蔵省が受領、1921年東洋汽船が運航受託しサンフランシスコ航路に就航。1926年日本郵船が運航受託、1929年日本郵船が買船。1939年東亞海運が定期用船し上海航路に就航。1942年戦没。
淺間丸級の僚船。これも煙突は細長いです。
◇「大和丸」「朝日丸」（大和丸級、9,000 総トン級）
1915, 1914年進水、伊トランスアトランティカ・イタリアーナ
Transatlantica Italiana Societa Anonima di Navigazione 社船「Giuseppe Verdi」「Dante Alighieri」として大西洋航路に就航。1928年近海郵船株式会社が買船し神戸―基隆航路に就航。1939年合併により航路とともに日本郵船へ移籍。1943, 1944年喪失。
1931年当時は傍系会社の近海郵船（第1次）所属ですが、ファンネルマークはやはり二引で、当時から歴とした「二引の二本煙突船」です。これも煙突は細長いです。因みに2番煙突はダミー・ファンネル（飾り煙突）でした。
……ほぼこれ位しかいなかったようです。この他には第二次世界大戦開戦後に、帝國船舶株式会社管理船「帝興丸」（フランス客船「D'Artagnan」を帝國船舶が傭船）を日本郵船が運航受託しています（二引ファンネルではない）。
他はみな単煙突船ばかりでした。
こうして通覧したところ、太く短い煙突なのは淺間丸級だけです。
つまり筆者の記憶が正しければアニメのモデルは淺間丸級のほかに考えられない、ということになります。
淺間丸級は当時日本最大の客船であり、シアトル航路の氷川丸級・ロンドン航路の照國丸級と並び当時の日本商船界を代表する超有名船でした。
このため今でも近海航路の長崎丸級に比べて作画資料等の入手はより容易であったかもしれず、あるいはこの資料入手の都合が登場の決め手になったのかもしれません。
または、登場人物は特務機関員――軍で言えば士官待遇に相当すると思われる――であるため、より設備の高級な船を選んだのだ、として敢えて遠洋航路船の利用と設定された可能性もあります。
では、その「淺間丸」「龍田丸」は史実では上海に行っていたのでしょうか。
それとも二引の二本煙突つながりで、長崎丸級の替え玉として出演したのでしょうか。
▼当時上海に寄港した日本郵船の他航路
上海港に入港する日本郵船の定期客船は、日華連絡船だけではありませんでした。
歐洲航路（ロンドン航路）が国外最初の寄港地としていたほか、サンフランシスコ航路は日本から上海を経て香港まで延航していました。
ロンドン航路（横浜―神戸―上海―香港―シンガポール―コロンボ―マルセイユ―ジブラルタル―ロンドン）の就航船は香取丸級全2隻、諏訪丸級（全3隻中）2隻、箱根丸級全4隻、照國丸級全2隻の計10隻。いずれも単煙突。
サンフランシスコ航路（香港―上海―長崎―神戸―横浜―ホノルル―サンフランシスコ）の1931年現在の就航船は「淺間丸」「龍田丸」「秩父丸」「大洋丸」「春洋丸」の5隻。単煙突の「秩父丸」以外は二本煙突でした。
ということで、淺間丸級の「淺間丸」「龍田丸」のいずれかということで考証上も問題ない、という結論と相成りました。
写真は「龍田丸」（初代）。満船飾を施されていますが、時期と場所は不明です。
余談。
「淺間丸」（初代）の総トン数は 16,975 GRT と 16,947 GRT の2説あり、また「龍田丸」（初代）の総トン数も 16,975 GRT と 16,955 GRT の2説あります。
（特にトン数における）資料間の数値の相違は、艦船研究分野では昔からとても頻出の問題なのです。
日本郵船歴史博物館の
浅間丸のページでは 16,947 総トンを採っています。
* * * *
アニメノチカラ枠は前作『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』もそうですが、背景美術だけはガチ。
ナイトレイドは公式見ると、美術のみならず設定の考証にはすごく力入っているようです。
超能力者モノなので、考証がしっかりしてたら即リアルに見えるかというとそういうことにはならないと思いますが、とりあえず設定厨を唸らせる（というより隙を与えない）のと、周辺設定の破綻から物語全体が白けて見えるのを防ぐ効能はあるかと。
ヲトは軍事モノとして見たらご都合が鼻につきました。個人的に。
余談その2。
ナイトレイド公式の
歴史年表のページ、リンク先が全部WPだw
つまり事項の詳細説明はWPに丸投げ。いいのかそれでw
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日本郵船株式会社
http://nyk.com/
日本郵船歴史博物館・日本郵船氷川丸
http://www.nyk.com/rekishi/index.htm
TVアニメーション「閃光のナイトレイド」公式サイト
http://www.1931.tv/
テレビ東京・あにてれ 閃光のナイトレイド
http://ani.tv/nightraid/index2.html
アニメノチカラ ｜ テレビ東京
http://www.tv-tokyo.co.jp/animenochikara/
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Summary of images:
Description = 「氷川丸」Hikawa Maru（初代） (ex: JGXC / Off.No. 35370) 左舷中部
Date = 2009-06-07
Source/Author = Vantey
License =
PD-self
Description = 「長崎丸」Nagasaki Maru (Off.No. 29052) を左舷前方より
Source =
http://homepage3.nifty.com/jpnships//company/nyk_taishoki1.htm
Date = during 1929 to 1939
Author = unknown
Permission =
PD-Japan-oldphoto
Description = 「長崎丸」を左舷後方より
Source = 日本郵船歴史博物館 「
航跡 第45回 関東大震災と援助活動」 『YUSEN』2006年1月号、日本郵船
Date = during 1929 to 1939
Author = 日本郵船株式会社
Permission =
PD-Japan-oldphoto
Description = 「上海丸」Shanghai Maru (Off.No. 29136) を左舷より
Source = 日本郵船歴史博物館 「
航跡 第45回 関東大震災と援助活動」 『YUSEN』2006年1月号、日本郵船
Date = during 1929 to 1939
Author = 日本郵船株式会社
Permission =
PD-Japan-oldphoto
Description = 離岸する「淺間丸」Asama Maru（初代） (VCFB / Off.No. 35342)
Source =
『世界畫報』昭和6年8月号
Date = during 1929 to 1931
Author = 国際情報社
High resolution =
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Asama-maru_1931.jpg
Permission =
PD-Japan-oldphoto
Description = 満船飾の「龍田丸」Tatsuta Maru（初代） (Off.No. 35362) 左舷
Source = 日本郵船歴史博物館編 『日本郵船歴史博物館 常設展示解説書』p.47、日本郵船、2005年
Date = during 1930 to 1940
Author = 日本郵船株式会社
Permission =
PD-Japan-oldphoto
