写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

三蔵法師・・・

2013年08月03日 | 書・ことば

 

そもそも漢字は表意文字であり、いくら似た音だといって漢字を振り当てて「音訳」したとしても、その当てられた漢字そのものが本来、意味を持っており、カタカナとの決定的な違いがそこにある。

 三蔵法師には悪いが、当時から見れば格段に進歩している現在のツールや技術で、原典を(漢字による音訳を通さず)日本語に直接、訳してみてもらいたいものだ。

 

不遜にも、「釈迦と世尊  (2013年06月20日) 」で、上記のようなことを書いていたが、

120年ほど前に、河口慧海という方(僧だったが、晩年に還俗した・・・)が、同じ問題意識を

持ち、持ち前の行動力で、原典を求めてチベット、ブータンにまで赴いたのだという。

 

 

漢訳経典の限界」によれば、

  そもそも、日本に伝わり学ばれてきた経典は、サンスクリットなどインドの

  諸言語から漢語に翻訳されたものです。しかし、そこには言語系統も文化

  風習もまったく異なるインドと中国では正確に翻訳しがたい点があって意味

  不明、あるいは翻訳者の解釈などで加筆あるいは削除されてきたものでした。

 

  また、重要とされてきた経典には、インドや支那の学僧達によってさまざまな

  解釈・注釈が施された論書が著され、モノによっては絶対の権威あるものと

  して用いられていました。しかし、それらの中には明確な根拠のない解釈や、

  語義を敷衍しすぎ、抽象的に過ぎて逆に意味がわからなくなっているものが

  多数あります。

 

  ゆえに、漢訳経典を直接何度読んでも、いかんとも理解しがたい箇所が出て

  来るのは必然であり、「権威」に批判的な人がそれら注釈書を用いて読んでも、

  不審な点が出現するのは当然とも言えるでしょう。

 

  そこで慧海は、サンスクリット原典や、サンスクリット経典を忠実に翻訳する

  ためにつくられたチベット語に翻訳されたチベット語訳経典の入手を志すよう

  になります。時に慧海26歳のことといいます。

 

 

日本の仏教は、

  「少なくともシャカの仏教ではない」

  「葬式仏教である」

  「仏教というよりも日本教」

などと批判も多い、という内部告発のような批判も、このサイトの最後のほうにある。

 

 

河口慧海の批判は日本の仏教界全般にわたるものだが、特に、浮土宗、浮土真宗、

日蓮宗と、そのルーツでもある天台宗、最澄に向けられ、もともと間違って翻訳された

中国仏教で行われていた 経典解釈を、単に日本に輸入しただけだ、と厳しい。

 (要するに、三蔵法師もたくさんの間違った訳をしていた、ということ。)

 

浮土宗、真宗、日蓮宗などの宗派については、その時代の一般人民教化のために、

宗祖が特定のお経を主として、主義も局限して入信しやすいものとする努力をしたが、

元々が天台宗の判釈による経典解釈なので、どれほど細密に構成しても、天台宗の

判釈の外に出ることは出来なかった、つまり、間違ったまま後生大事に伝えられている、

というのが批判の概要である。

 

 

原典を求めてチベットに赴いた理由とは、チベット仏教やブータン仏教は、古代インドの

言語であるサンスクリット語を、漢訳を通さず、直接、その地の言葉に翻訳しているため、

インド仏教の伝統を正しく継承しているから、なのだという。

 

 

ブータン仏教から見た日本仏教」 によれば、日本仏教の特異性として、

妻帯している僧侶は日本だけ (チベット仏教でも、妻帯を許可している少数派もある

そうだが) であり、妻帯に伴う 「世襲」 があるのも日本だけなのだそうだ。

 

また、

仏教と言えば、お墓を連想するほど、お墓は仏教にとって不可欠のものと思いがちだが、

「初期の仏教」には墓はなかったし、僧侶も、葬儀には無関心だったとのこと。

今の日本仏教は、葬儀に関わっているだけでも、「初期の仏教」とは大きく違う・・・。

 

坊主に法名をつけてもらって、一旦 僧籍に入らなければ成仏できない、という 脅し

みたいな金儲けの教条・・・「丸儲け」には他にもいろいろあります・・・

 

 

チベット仏教では、土葬、水葬、火葬、そしてよく話題にされる「鳥葬」あるいは

「天葬」と、さまざまな遺体の処理方法があるが、いずれも、きれいさっぱりと、

自然に回帰させる。

 

火葬の場合の遺骨や遺灰なども、多くの場合は近くの川に流すだけである。

 

わざわざ「散骨」などとは言わない。

 

 

立派な石材で「先祖代々の墓」と刻む「お墓」は、江戸時代に、寺と石工がでっちあげた

風習であり、「友引」に葬儀をしないという風習は、明治の初め頃に、葬儀屋の休日を

つくるために、わざわざ「友を引くから」などという迷信まで仕立て上げて、寺と葬儀屋が

つくった嘘っぱちである。

 

だいたい、「先祖代々」といっても、せいぜい数世代(我が家は6代、文化文政の世から・・・)が

関の山であり、坊主によると、「3代」で 立派な 「代々」 となるそうだ。。。

 

 

「友引」などの「六曜」などについては、後日。