台風(旧漢字で「颱風」)は明治時代末頃に、当時の中央気象台
(現・気象庁)で使われはじめ、1956年の国語審議会で、当時の
当用漢字表に則って「台」の字を使うようにさせられたという、
比較的新しい言葉であり、それまでは「颶風(ぐふう)」 などと
呼ばれていた。(現在は使われない。)
『台風』の由来(Wikipedia) によれば、「台湾方面から吹いて
くる大風」なんていうような俗説の記述はなく、ギリシャ神話の
風の神typhon(テュフォン)や、アラビア語で「嵐」を意味するtufanが、
英語でtyphoon、ロシア語でもтайфун(タイフーン)と呼ばれ、
それが颱風→台風になった、との2つの説が有力である、と紹介している。
因みに、台風の仲間である大型の熱帯低気圧は、どこに存在するか
によって名前が変わり、
インド洋、南太平洋に発生するものはサイクロン、
太平洋(赤道より北で東経180度より東)、大西洋、で発生すればハリケーン
と呼ばれる。
平安時代の頃から、台風は、野の草々を吹き分けるほどの
強い風、ということで「野分(のわき)」と呼ばれていたそうで、
紫式部の「源氏物語」第28帖は、もろに「野分(のわき)」 である。
『源氏絵尽大意抄』
枕草子の第二百段 では、
「野分のまたの日こそ、いみじう あはれ に をかし けれ・・・」
(台風の翌日は、普段とは違い、しみじみとして趣き深く思える)
から始まり、台風の猛威による翌日の、風景の大きな様変わりに
対しては「あはれ」と表し、それを片づける人たちの仕草などを
「をかし」、と表現している。
続けて、髪が風で少し乱されたひと と、庭掃除の使用人たちを
眺めている少女、という二人の美女の様子を、例の、細かな
観察眼で描写しているのだが、台風で大きな風景の様変わりと
言えば、昭和36年9月16日に富山を直撃した第2室戸台風
で、自宅の宅地の一角にあった杉の木 (幹の太さ約40cm!!」 )が、
真ん中あたりでボキッと、真っ二つに折れていた姿をはっきりと覚えている。
折れた方向が自宅の建物ではなかったことが幸いだった。
確かに、「あはれ」の光景だった・・・。
(第2室戸台風)
第2室戸台風と言えば、上陸時直前の中心気圧が 史上、最も
低い「強烈」な台風であり、最大瞬間風速も史上2位の「84.5m/s以上」と
されているが、これは、計測器の「目盛り」が 84.5 までしかなく、
それを吹り切ってしまった[スケールアウト]ので、そういう表現しか
できていないのだ、とのこと。
あるいは史上最強の台風 だったのかもしれない。(by Wiki)
富山県は、あまり台風の通り道にはならないのだが、最も甚大な
2年前に富山県を直撃している。
(伊勢湾台風)
既に勢力は衰えていたのか、全く記憶に残っていない。
ただ、「台風」と聞くと、「9月26日」を連想する、ということは
それなりのインパクトは あったのだろう、とは思う。
____________________________
平成15年8月9日(土)、中心市街地活性化事業の一環として
「なりひら風の市」が始まり、以後、毎年4月~11月の毎月 第二
土曜日に定期的に開催されるようになった。
(風の市)
その、記念すべき最初の日・・・平成15年台風第10号が
会場となる商店街を直撃するかもしれない、という進路予想が
発表された。
(T200310進路)
「なりひら風の市」は、多くの「一坪テント」を出して店舗を作っている。
「テント市」に、「風」は天敵以外の何者でもないのだ。。。。
ここは、断腸の思いで中止を決定。
のっけから躓いた恰好となった。
捲土重来を期した第2回目は、翌月の平成15年9月13日の
土曜日に開催・・・のはずだったが、さすが「『風』の市」と言うだけ
あって、今度は平成15年台風第14号が、島根県沖を北東に
進んでいた・・・・。
(T200314進路)
台風は、進路の右側、南東にあたる地域で被害が大きくなる、
その位置を台風が進んでいる・・・・
2回目も中止か・・・?
大きな決断が迫られる中、結論は
「時間的に、影響が出るようになれば中止、それまでは開催する」
というものだった・・・
以後、冷え切っていると言われ続けている地域商業界にあって、
今でも地元有志たちが必死で頑張っている。
2014年08月09日「なりひら夜市 いやさか縁日」16:00~21:00
弥栄 !!