「天狗の中国四方山話」

~中国に関する耳寄りな話~

No.448 ★ 【日本人学校バス襲撃事件】死亡した中国人女性を「英雄視」する当局の意向、遺族が拒否したワケ 東アジア「深層取材ノート」(第240回)

2024年07月04日 | 日記

JBpress (近藤 大介:ジャーナリスト)

2024年7月3日

写真はイメージ(写真:Woottichai Insawang/Shutterstock.com)

中国の日本人社会に衝撃

 まるでいまの時節の梅雨空のようなモヤモヤした昨今の日中関係だが、先週さらにモヤがかかる事件が起こった。

 中国時間の6月24日午後4時過ぎ(日本時間5時過ぎ)、上海に隣接した江蘇省蘇州市の高新区塔園路新地センターのバス停前で、蘇州に来て間もない52歳の周という男が、刃物を振り回した。周は日本人学校のバスに乗り込もうとする日本人母子に狙いを定め、凶行に及んだ。

日本人母子への切り付け事件があったとみられるバス停=中国江蘇省蘇州(写真:共同通信社)

 その様子を、バスの整理係だった女性・胡友平さん(54歳)が発見。自ら身を挺して防ごうとした。

日本人母子を刃物で襲ってきた男を阻止しようとして刺され亡くなったバス案内係の中国人女性・胡友平さん

 胡さんの勇断により、日本人母子は刺されたものの、軽傷で済んだ。だが当の胡さんは、男に何度か深く刺された。すぐに救急車で近くの病院に運ばれたが、2日後の26日に息を引き取ったのだった。

 まさに大都市の白昼で起こった惨事だった。すぐさま中国と日本で、胡さんに対する哀悼の動きが広がった。

胡友平さんの死を「利用」しようとする当局

 私は常々、中国のネットやSNSを見ているが、ここ一週間で胡さんについて、尋常でない数のコメントが寄せられた。

<平凡な英雄の一路平安、天界にはあなたの場所がある>

<まさに敬うべき善行! 天界にまた一人、天使が入った>

 この事件で犠牲になった胡友平さんには、心からの哀悼の意を表したい。その上で、私がいま注視しているのは、中国側の「二つの動き」である。

 一つは、胡友平さんの「英雄性」を強調することで、中国人の愛国心を鼓舞しようとするものだ。これは、2019年の年末、中国湖北省武漢市で、初めて新型コロナウイルスに対する警告を発し、その後自らも感染して、2020年2月6日に死去した医師・李文亮氏(享年34)に対して取った措置を髣髴(ほうふつ)させる動きと言える。

 当時の湖北省人民政府は、死後2カ月近く経った4月2日に、李文亮氏を「烈士」と称えた。この頃、突然全市をロックダウンされた900万武漢市民、及び14億中国人は、当局に対して憤懣やるかたない気持ちだった。それを当局は、李氏を「愛国烈士」に祀り上げることで、人々の怒りの矛先を、当局からコロナウイルスへと転化させようとしたのだ。

同様に、今回も胡さんが死去した翌日の27日、蘇州市公安局が、早くも「公示」を出した。その全文は、以下の通りだ。

市民の模範に

<(習近平総書記が唱える)社会主義の核心価値観を深く実践し、社会の正気を大いに発揚し、「見義勇為」(勇敢な正義の行為=孔子の言葉)の精神を提唱したことにより、『江蘇省見義勇為奨励保護人員条例』『蘇州市見義勇為称号評定実施弁法』の関係規定をもとに、蘇州高新区管理委員会からの申告があった。市の見義勇為称号評定工作小組で審議し、市政府が市民である胡友平に、「蘇州市見義勇為模範」の称号を、死後に授けることを提案申請した。

 公平・公開・公正の原則に基づき、胡友平の見義勇為の事柄の進行について公示する。公示期間は6月27日から7月1日までで、社会各界と多くの人々の監督を受けつける。もしも異議があれば、この間に蘇州市見義勇為基金会に来訪するか、電話、投函にて反映させてほしい。連絡電話:○○○○、住所:○○○○>

 以上である。ちなみに前述の李文亮医師は、遺言で、死後の大仰な扱いを固辞した。遺族の夫人も同様だった。そこには、当局の宣伝煽動に利用されることへの反感もあったのではないか。

「寄付は私たち遺族ではなくぜひ地域の基金会に」

 今回も、胡さんの遺族が地元の『蘇州日報』を通して、こんなコメントを発表している。

<ここのところ、各方面からの関心や慰問を受けており、心から特別の感謝を申し上げます。このような状況に遭遇したなら、正義と愛の心がある人であれば誰でも同様の選択をしたことと信じます。

 家族で話し合って一致したこととして、あらゆるお金や物の寄付を受けません。同時に面倒なことにも関わりたくありません。ただ故人を安息にしてあげて、家族が一刻も早く平静な生活を取り戻すことを願うばかりです。もしも愛の心がある方が前向きな気持ちでお金や物を寄付したいのであれば、どうぞ各地域にある見義勇為基金会に行って下さい>

 周知のように、現在の中国は、不動産バブルの崩壊などで未曽有の不況下にある。失業者や就業できない人たちが各都市にあふれ、彼らは当局に対して不満を抱いている。

 当局としては、胡友平さんを「愛国の士」に奉ることで、そうした人々の不満を「愛国精神」に「浄化」させたいところだろう。だからこそ、公安局の公示の最初には、「社会主義の核心価値観を深く実践し」と記している。

 逆に、当局が最も恐れるのは、類似の凶悪事件が続発することだ。そのためか、公安は事件から一週間を経過した7月1日現在、犯人の人物像や犯行動機などを発表していない。発表したのは、上記のように「蘇州に来て間もない周という姓の52歳の男性」ということだけだ。

 犯人は、田舎で職がなくて蘇州に出てきたが、そこでも職にありつけず、むしゃくしゃして無差別の犯行に及んだ可能性がある。少なくとも、ゴリゴリの「反日人士」で、最初から日本人を標的にして犯行に及んだものではない気がする。

 さて、中国側の「もう一つの動き」は、日本とのこれ以上の関係悪化を懸念しているということだ。もっと端的に言えば、この凶悪事件を契機に、ますます日系企業が撤退したり、事業を縮小したり、中国への投資を控えたりすることを恐れているのだ。

監視社会なのに治安に不安も

 実際、「中国版LINE」であるWeChat(微信)を運営するテンセント(騰訊)は、6月29日に「中日の対立を煽動し、極端な民族主義の挑発に関連する内容を攻撃する」と題した公告を発表した。

<テンセントはインターネットの状態のコントロール活動を、常に高度に重視してきた。そして企業が主体的な責任を持って、グリーン、健全、文明的なインターネット状態の環境を厳格に履行してきた。

 最近、蘇州高新区で起こった傷害事件は、インターネット上に拡散し、世論の関心を引き起こしている。中にはインターネット上で中日対立を煽動し、極端な民族主義を挑発し、各種の極端な言論をぶち上げているものもある。

 プラットフォームでは、この種の違反した内容と登録番号に対して、決然と打撃を与えていく。すでに処置をした違反内容は836件、違反番号は61個に上る。違反状況とプラットフォームの規則を見ながら、禁止用語や番号封鎖などの処理を取っていく>

 それでも日本側の動揺は、現地の日系企業を中心に広がっている。6月28日、北京の日本大使館と上海の日本総領事館は、胡さんの弔意を示して半旗を掲げた。そんな中、金杉憲治駐中国大使は、7月1日に日本経済新聞に掲載されたインタビューで、今回の事件を踏まえて、こう述べている。

「中国東北部の吉林省でも10日、米国人の大学教員ら4人が刃物で刺された。中国に対する日本人の心理的な敷居がさらに高くなり、旅行や訪問に影響が出てこないか心配だ。

 中国は監視社会で自由が制限される半面、治安はよいとみられてきた。実際はそうでないと感じる人もいるかもしれない」

 5月14日に中国の日系企業の親睦団体である中国日本商会が発表した「日系企業1741社アンケート」は、現地の日系企業の中国に対する「消極的な態度」が、明確に反映されていた。例えば、「今年の投資額は昨年と比べてどうか?」という質問に対し、「大幅に増やす…2%、増やす…14%、前年と同額…40%、減らす…22%、投資しない…22%」との回答だった。

 今回の痛ましい事件を契機にして、日中関係は「雨降って地固まる」となるだろうか。現時点では、それほど楽観的にはなれない。

『進撃の「ガチ中華」-中国を超えた-激ウマ中華料理店・探訪記』(近藤大介著、講談社)

 

近藤 大介

ジャーナリスト。東京大学卒、国際情報学修士。中国、朝鮮半島を中心に東アジアでの豊富な取材経験を持つ。近著に『進撃の「ガチ中華」-中国を超えた?激ウマ中華料理店・探訪記』(講談社)『ふしぎな中国』(講談社現代新書)『未来の中国年表ー超高齢大国でこれから起こること』(講談社現代新書)『二〇二五年、日中企業格差ー日本は中国の下請けになるか?』(PHP新書)『習近平と米中衝突―「中華帝国」2021年の野望 』(NHK出版新書)『ファーウェイと米中5G戦争』(講談社+α新書)『中国人は日本の何に魅かれているのか』(秀和システム)『アジア燃ゆ』(MdN新書)など。

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