日本経済新聞 (編集委員:中沢克二)
2024年10月2日
石破茂が自民党総裁選の決選投票で逆転勝利した9月27日の前夜のことだ。中国大使館が都内のホテルで開いた建国75年を祝う国慶節レセプションで、日本の経済界代表から「紅」が目立つ華やいだ祝いの席の挨拶としては異例の発言が飛び出した。
その主(ぬし)は、日本と中国の経済関係で「井戸を掘った」と称賛される著名企業のトップ経験者。日本製鉄相談役で、対中ビジネスを支援する日中経済協会の会長を務める進藤孝生だ。日本企業による対中投資が進展しない状況を受けて、中国側に強く注文する厳しい内容だった。
反スパイ法、安全なビジネス環境で直言
「最も大切なことは、安心・安全なビジネス環境が維持されているのかです。昨年、改正された反スパイ法、国家安全に関わる法制度の運用には、多くのビジネスパーソンが懸念を示し、また6月の江蘇省(蘇州)に続き、先の(広東省)深圳における小学生男児襲撃事件は日本中を震撼(しんかん)させ、今なお深い悲しみと憤りのなかにおります。動機を含む事件の解明が待たれるところです」
9月26日、中国大使館主催の中国建国75周年記念レセプションであいさつする進藤孝生・日中経済協会会長(都内のホテル)
折しも中国で活動する現地日本企業の関係者からは、安全対策に関して中国側に対してだけではなく、日本政府や現地の大使館・総領事館にも有効な措置を求める声が出ていた。進藤の発信は、日本の経済界から出ている幅広い意見、指摘を受けたものだ。
ポイントは、中国の日本人学校に関係する蘇州や深圳での悲劇ばかりではなく、2023年7月に中国で施行された改正反スパイ法など国家安全に関わる法制度の運用の問題点に直接、言及したことである。
進藤は現役の日鉄会長だった今年1月、日本の経済界合同訪中団の団長を務め、中国首相の李強(リー・チャン)らと会談している。それでも中国で拘束中だったアステラス製薬社員の問題は解決に向かわず。その後、具体的容疑も不明のまま起訴に持ち込まれた。
1978年10月、新日本製鉄(現日鉄)の製鉄所を訪れた中国の鄧小平氏(千葉県君津市)=共同
アステラス製薬社員は、中国で活動する日本企業でつくる「中国日本商会」の副会長を経験した人物でもあった。中国に協力してきた親中色が強いとされる鉄鋼最大手トップ経験者の挨拶には危機感がにじんでいた。
日鉄の前身である新日本製鉄と中国の縁は半世紀前に遡る。1972年、当時の首相、田中角栄が電撃訪中し、日中両国は国交を正常化。78年には副首相だった鄧小平が日中平和友好条約批准のため来日し、新日鉄君津製鉄所に足を運んだ。
「同じ製鉄所がほしい」。生産現場をじっくり見学した鄧小平が示した希望も踏まえて動き出したのが、新日鉄と宝山鋼鉄の技術協力だ。中核となる上海宝山製鉄所は日本側から多くの人員を動員し、85年に完成する。
井戸掘った田中角栄元首相に口説かれて
宝山製鉄所の建設が新日鉄の協力で進んでいた80年代前半、若き石破は政界への道を歩き始める。当時、20代の銀行員だった石破は、ロッキード事件の公判中だった元首相の田中角栄から直接、口説かれて田中派の事務局員になる。亡くなった元自治相の父、石破二朗が田中を敬愛し、非常に近い関係にあったためだ。
石破は田中の非戦と対米自立の構え、日中国交回復という外交的な偉業に大きな影響を受けながら、86年衆院選で初当選する。29歳の若さだった。中国側で、日本との政治関係の「井戸を掘った人物」と称される田中と縁がある石破。そして日本との経済関係の「井戸を掘った企業」とされるのが、現在の日鉄だ。
田中角栄氏(右)と石破茂氏(1983年撮影)=石破茂事務所提供・共同
この夏、日中両国の政治、外交・安全保障、そして対中ビジネスなど経済に関わる大きな出来事が相次いで起きた。それは石破と日鉄の今後の行く末にも大きく関わっている。
自民党総裁選を前に、前首相の岸田文雄が不出馬という苦渋の決断を表明した8月14日、既に出馬の意向を固めていた石破は台湾にいた。台湾総統の頼清徳(ライ・チンドォー)と会談したほか、前総統の蔡英文とも会っている。
民主主義陣営の協力による抑止力が話題になったという頼清徳との会談に同席していたのが、石破新内閣で防衛相に起用された中谷元だ。防衛問題に詳しい石破は、防大卒の自衛官出身で、防衛庁長官と防衛相を経験した中谷と親交が深い。
その中谷は、超党派による「対中政策に関する国会議員連盟」(JPAC)の共同代表で、香港やウイグル族への弾圧など人権問題に積極的に取り組んできた。JPACは、国際的な議員連盟「対中政策に関する列国議会連盟」(IPAC)と連携している。
8月13日、台湾の頼清徳総統㊨と会談した石破茂氏(台北市)=総統府提供
石破の台湾訪問からほぼ2週間後、中国は日本の政権交代期の隙を突くように軍事的な動きを活発化させる。8月26日には長崎県の男女群島沖で中国軍の情報収集機が日本の領空を侵犯した。歴史的に初めての重大な事態である。
自民党総裁選さなかの9月18日には、中国軍の空母「遼寧」などが、台湾に近い日本の島である与那国島と西表島の間を通航。日本領海に隣接する接続水域に入った。中国の深圳で日本人学校に通う10歳の小学生が刺殺された事件が起きた日である。
8月下旬から9月中旬までの段階で、自民党総裁選の行方は混沌としていた。だからこそ、中国は空・海の両軍を使って日本を試しながら、新たな自民党総裁、新首相になりうる候補者らを強くけん制する行動をあえてとったとも考えられる。
「中国による一連の軍事的な動きの起点となるのは、岸田不出馬表明と石破訪台が同時にあった8月中旬と見ている。中国が台湾を巡る日本の政治家の動きを警戒していたのは間違いない」。この中国の内政に通じる識者の分析を敷衍(ふえん)すれば、中国軍機の領空侵犯は単なるミスではなく、故意の可能性も出てくる。
一方、日中の経済協力で井戸を掘った企業といわれる日鉄でもこの夏、歴史的な動きがあった。宝山鋼鉄との自動車向け鋼板合弁事業の解消だ。鄧小平時代からの日中企業協力の区切りを象徴する出来事に見える。そして9月26日、進藤は強い危機感から中国への注文を祝賀の席であえて口にした。
井戸を掘った政治家、田中角栄から大きな影響を受けたという石破は1日、首相官邸に入り、いま最も難しい対中関係のかじ取りという重責も担う。中国側は、台湾に関係する新政権の動きとともに、石破が提唱してきた「アジア版NATO(北大西洋条約機構)」にも強い警戒感を抱いている。ただ、今のところは様子見だ。
安保と経済のバランス、対中パイプに課題
石破官邸の防衛、安全保障に絡む目をひく動きは、首相の政務を支える秘書官を2人とし、そのひとりに防衛省の幹部だった旧知の人物を充てた人事だ。中国による軍事的な挑発が目立つ中、国防重視の姿勢が見て取れる。
男に刃物で刺されて死亡した男子児童が通っていた日本人学校前で献花する中国人親子(9月19日、中国広東省深圳市)=共同
ただし、中国では共産党総書記で国家主席の習近平(シー・ジンピン)に権力が極端に集中している以上、その習との直接対話なしに対中関係の安定はない。11月、ペルーで開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議や、ブラジルでの20カ国・地域(G20)首脳会議の場を利用した初顔合わせが焦点になる。
広東省深圳で日本人学校に通う10歳の男児が刺殺された事件の説明・解明、再発防止策の議論が進まないこともあり、日本の経済界からさえ中国のビジネス環境に対して歯に衣(きぬ)着せぬ厳しい注文が出ているのが現状だ。
新首相に選ばれた石破が新たな対中パイプを使って、どんな発信をしていくのか。そして安全保障面での抑止と経済関係のバランスをどうとるのか、大いに注目したい。(敬称略)
中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。
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