「天狗の中国四方山話」

~中国に関する耳寄りな話~

No.621 ★ パリ五輪で中国人観客が自国選手に大ブーイング「醜いいじめ」は なぜ起きたのか?

2024年09月03日 | 日記

DIAMOND online (ふるまいよしこ:フリーランスライター)

2024.8.31

Photo:Unsplash

オリンピックといえばとかく「メダルの数」「国威高揚」となりがちだった中国で、近年、国民とスポーツの接し方に変化が起きている。「スポーツは勝負だけど、それだけじゃないよね」という見方をする人が増えてきたのだ。さらには日本でいう「推し活」的に選手を応援する、熱狂的なファンも増えつつある。こうした変化によって、アスリートたちは従来とはまた違うことに悩まされるようになった。ファンの愛情は時に暴走することがあるからだ。(フリーランスライター ふるまいよしこ)

中国で「メダルの数」が以前ほど話題にならなくなった

 パリ五輪が終わった。もちろん、28日からはパラリンピックが始まったが。

 五輪と言えばいつも「金メダルの数」にばかり注目が集まる中国で、今年の期間中に流れたコメントや起こった「騒ぎ」は、意外にもこれまでとはひと味違うものだった。もちろん、政府系あるいは大衆系メディアの報道は「金メダルの数」にこだわり続けた。中国の金メダルは最終的に40個とアメリカに並んで1位になったが、「台湾と香港を足せば、金メダル数はアメリカを抜いた!」という発言も飛び出した。

 だが、総メダル数ではアメリカに及ばない。以前もそのことが話題になり、それが議論を呼んだ。たしかその際は、中国では「スポーツ普及率が低いからだ」という意見で落ち着いた。つまり、一般庶民の生活にはスポーツが浸透しておらず、アスリートたちは日常のスポーツ活動の成績で抜擢されたわけではなく、特殊な手段で小さい頃から養成された「エリート」だからだという話だった。口の悪い人はそれを「金メダルマシーン」とまで言ってのけた。

 とにかく、数の上で西洋諸国を上回りたい、それでこそ国威発揚……そんな昔ながらの五輪評価は今も健在ではあるものの、かつては国の威信をかけて大騒ぎしていた五輪も、今や季節の話題程度に落ち着いた感がある。

五輪は勝負の場だが、それだけじゃないはず

 今回は特に、「競技の外」に注目が集まった。

 例えば、中国の国技と言われる卓球。女子シングルス2回戦で中国のエース、孫穎莎選手と対戦した、ルクセンブルク代表の倪夏蓮選手である。

 倪選手は1963年、上海生まれ。10代から20代にかけて中国のナショナルチームで活躍したものの、「勝つため」の卓球に嫌気がさして引退。英語を学んでからルクセンブルクに移住した。そこの卓球クラブで夫となるコーチと出会い、「楽しむ卓球」を覚えたという。

 今回、倪選手は2000年生まれの孫選手に負けたが、その試合が終わると夫であるコーチが歩み寄り、彼女を抱きとめてキスをした。健闘を称えられて幸せそうに微笑む「61歳のおばあちゃん選手」の姿に、中国人観客の間では「勝ち負けだけが人生じゃないよね」というメッセージも流れた。かつて、日本チームの一員として中国選手と戦った小山ちれ(何智麗)選手に向けられた罵声を思い起こすと、隔世の感がある。

 今回の五輪では「五輪は勝負の場だが、それだけじゃないはず」という声があちこちで上がっていた。銀メダルを獲得した女子バドミントンの何冰嬌選手が、自分との対戦中にケガで棄権した、リオ大会金メダリストのスペイン選手に敬意を表し、スペイン五輪チームのバッジを手にして表彰台に立った姿は、中国でも高い称賛を受けた。

 体操男子団体戦では、蘇イ徳選手(「イ」は火へんに「韋」)が鉄棒で2回も落下した。同選手はもともと「控え」で、選手村に入ってからも練習のチャンスを本メンバーに譲っていたという。だが、突然の出場命令に従ったものの落下、その結果日本の後塵(こうじん)を拝して銀に終わったことで、「金メダル至上」の観客から激しい叱責や罵声が飛んだ。中国メディアの映像では同選手がチームメイトから離れて1人ぽつんと座っている姿ばかりが流れていたが、実は香港メディアによると、チームメイトたちは現場でそんな彼の肩を抱くようにして囲み、一緒に結果待ちをしていたという。

 やはり、かつて倪選手が嫌った「勝つだけ」のムードは、時代とともに変化しているようだった。

中国人選手同士の試合なのに、片方の選手にブーイングが……

 その一方で、議論を巻き起こしたのは「競技場の外」、中国人観客の態度だった。

 あからさまだったのが、女子卓球シングルスの決勝戦だ。対戦したのは、倪選手を破って勝ち進んだ孫選手と、ベテランの陳夢選手という最強の中国人選手2人。一部で「まるで国内選手権みたい」と言われながら臨んだ試合はその後、驚きの展開を見せた。

 なんと、ゲームの最中に中国人観客たちが陳選手の一挙一動に激しいブーイングを浴びせ続けたのだ。そのあまりの激しさに、観客席の外国人観客からはあえて陳選手にエールを送る声も上がった。また、観客席で「陳選手も孫選手も中国の選手。どっちも頑張って!」と声を上げた中国人観客が、孫選手を応援する観客に激しく詰め寄られたというエピソードもSNSで投稿された。

 最終的に、試合は陳選手が東京五輪に次いで孫選手を下し、金メダルに輝いた。だが、その表彰式でも陳選手の名前が呼ばれると、観客席からそれをかき消すように孫選手の名前の連呼が起きた。それについて、メディアにその理由を問われた観客のひとりは、「自分のお気に入り選手の名前を呼んじゃだめなの?」とうそぶいたという。

 五輪が「愛国精神」の発揚の場になりやすいのは前述したとおりだが、自国選手同士の試合でどちらか一方がブーイングやヤジの的になるケースは記憶にない。特に国技である卓球で繰り広げられた「自国選手いじめ」はあまりにも醜く、「一体どうした?」という声が内外から上がった。

一部の選手に牙を剥く飯圏(ファンダム)

 中国メディアはすぐにそれを「『飯圏』のなせるわざ」だと論じた。飯圏とは「ファンダム」、日本的には芸能人などの「推し」文化の延長にあり、一般的にいわれるファンたちの中でも熱狂的な行動を起こす人たちが形成したグループや団体が「ファンダム」と呼ばれる。

 しかし、なぜ五輪という「栄えある場」で孫選手のファンたちが自国選手の陳選手に「牙を剥いた」のか?

 ネットでは、ベテランの陳選手に対し、「孫選手は3種目に出場している。その疲れにつけ込むとは」「全国民が損選手の優勝を期待していたのに、お前がそれを潰した」「先輩のくせして、私欲で利益を奪うのか」「4年前(注:東京五輪)に監督はお前に金メダルを送ったのに、今回その恩返しをしなかった」「孫選手への愛惜があってもいいはず」などという“公開質問状”も流れた。

 どの意見もあまり筋が通っておらず、つまり、「陳選手はベテランなんだから孫選手に金メダルを譲るべき」と言っているのだろうか? だとしたら、それ自体がスポーツマンシップに反する要求であり、それで推しの孫選手が勝ったとしても決して喜ばしいことではないはずだ。一体どうしたら推しのために、そんな要求まで出てくるのか?

 飯圏と呼ばれる活動はそれだけではなかった。前述したように体操で失敗した蘇選手には、ネット上で激しい罵倒が続いたという。その罵りは選手だけではなく、彼の家族や友人、所属クラブのアカウントにまで及ぶほどの激しさだった。

 あまりの過熱ぶりに、中国当局は飯圏規制を呼びかけ始め、国内の主要SNSサービスはそれに応える形で、過熱した「ファン行為」を強制的に排除すると発表。また詳細は明らかにされていないものの、当局は「過剰なファン活動を行った」として29歳の女性を逮捕したことを発表。それに続いて、水泳男子混合金メダルの立役者である潘展楽選手がSNS上の自身のファングループ解散を宣言、その決断の素早さは周囲を驚かせた。

飯圏はリオ五輪から始まった

 中国メディアの報道によると、いわゆる飯圏活動が始まったのは2016年のリオ五輪がきっかけだったという。国際オリンピック協会(IOC)がオリンピックの現場でのSNS利用を解禁し、またそれまでオリンピック期間中にその施設内で撮影された写真などを無断で商業利用することを禁じていた「オリンピック憲章」の項目が書き換えられた。これを受けて、当時すでにSNSが隆盛を迎えていた中国の選手たちが一挙にアカウントを開設、選手村から選手自らがファンに向かってそこでの生活やトレーニング中のこぼれ話を発信するようになった。

 SNSは選手たちと観客たちの距離感を大きく縮め、プラットフォームや企業などを巻き込んでそれを活用したPRも行われるようになった。特に「エリート」アスリートである選手たちは長い間、卓球協会や体操協会といったそれぞれの種目別協会の管理下に置かれていたのが、SNSによって一挙に選手を囲んでいた壁が取り払われ、肉声が聞けるようになったことで多くのファンを惹きつけた。

 そこから次第に飯圏が誕生した。その飯圏が企業スポンサーたちの注目を呼び、選手や協会とファン、そして企業を結びつける大事な役割を果たすようになったのである。

飯圏の暴走が止まらない

 しかし、ここに来て飯圏がここまで暴走することになるとは、当初は誰も考えていなかったのだろう。

 現実には推しの対戦相手に対する嫌がらせや誹謗中傷は、今回初めて起きたわけではない。だが、飯圏を通じて次第に、「推しが負けたのは仕組まれた試合だったからだ」とか、前述の陳夢選手に対してぶつけられたように「コーチや所属団体が優勝者を手配済みだった」などという批判が巻き起こるようになる。さらには、「推しの足を引っ張った」「仲が悪い」など、根拠不明の噂が流れるだけでチームメイトすらも攻撃の標的にされることが増えた。

 2021年の東京五輪で、わずか14歳で女子飛び込み金メダリストとなった全紅嬋・選手を巡っても、昨年の世界水泳でライバルの陳芋汐選手が同選手を抑えて優勝すると、「出来レースだった」などと激しいバッシングにさらされた。だが、2人は今回の五輪で女子10メートルシンクロ飛び込みでコンビを組み、金メダルを獲得している。

 また、過熱した飯圏では選手たちの個人情報も売り買いされるようになった。一部アスリートは、出先でファンにツーショット写真を求められ、それが「カップルの証拠」としてネットに流れたこともあると証言。また、プライベートな生写真も取引されるようになり、選手たちの日常生活にも支障が出る事態となっていると苦言を呈している。つまり飯圏の暴走ぶりはすでにスポーツ関係者の間では問題視されていた。

 それが今回、五輪という栄えある場で、世界中の観客の眼の前で吹き荒れたのだから、中国当局も黙っているわけにはいかなくなったというわけである。

テニスやバスケットでは、飯圏は暴走しない?

 ところが、である。

 女子卓球の優勝戦で陳夢選手が激しく罵倒されたものの、女子テニスの金メダルを獲得した鄭欽文選手の対戦相手には、観客の怒号が向けられることはなかった。銀に終わった男子体操選手に嫌がらせが殺到したが、準決勝にも進めなかったバスケットチームがバッシングを受けることはなかった。

 これはなぜなのか?

 そこには明らかに商業利益が絡んでいるとメディアは論じている。

李立峯、ふるまいよしこ、大久保健 他『時代の行動者たち 香港デモ2019』 白水社

 テニスやバスケットは、もとより商業性の高いスポーツである。それぞれの種目協会が主催する大会やイベントはチケット収入が得られ、グッズなどの関連商品は大事な業界収入となってきたし、企業スポンサーのおかげで入賞者の賞金も必ず保証されてきた。つまり、こうした種目ではファンたちの存在は自然に経済効果を生んできたのである。

 しかし、卓球や水泳、体操といった種目は、昔から中国では人気種目の一つであるものの、実は業界団体がイベントを開いても入場料を払って観に来る観客はほとんど期待できない。たとえ観客がいっぱいに入ったとしても、それは公的機関による動員や、無料チケット配布などの行為が習慣化している。そのおかげで、わざわざ高額なチケットを買い求めて試合を見に行くという意識が「ファン」の間に育っていない。

 その結果、経済効果の差は歴然となっている。中国メディアが引用する例でご紹介すると、プロ選手の収入を見ても、2016年の卓球トップ選手だった劉詩ブン(「雨」かんむりの下に「文」)選手の年収は699万元(約1億円。以下、レートは当時のもの)だったのに比べ、当時の人気男子バスケットボール選手は1000万元(約1億5000万円)、2000万元(約3億万円)を軽く稼いでいたとされる。

 こうした歴然とした「経済格差」の中で、種目別協会は競技人気を高めようと、金メダルや人気選手の話題を投げ込み、火に油を注ぐように飯圏を煽ったと言われている。

 しかし、今回の「事件」をきっかけに、中国のスポーツ総局は傘下の各種目別協会に対して、飯圏活動への厳しい対処を厳命した。それを受けて、体操協会、卓球協会が次々に「過剰なファン行為」に対し、「刑事罰も含めた処分を行う」と取り締まりを行っていくことをわざわざ宣言したが、それは実のところ、それぞれの協会による「立場表明」でもあった。

 いったん燃え上がった飯圏は、このまま沈静化していくのだろうか。中国のスポーツ業界は大きな困難に直面している。


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