「天狗の中国四方山話」

~中国に関する耳寄りな話~

No.35 ★ 「中国が最も恐れる男」が見据える対中関係の急所 「異能外交官」垂秀夫・前中国大使がズバリ提言

2024年01月28日 | 日記

東洋経済オンライン (西村 豪太 : 東洋経済 コラムニスト)

2024年1月24日

垂秀夫(たるみ・ひでお) 

1961年大阪府生まれ。1985年京都大学法学部卒、外務省入省。在外勤務は中国、香港、台湾と一貫して中華圏。2020年9月から2023年12月まで在中国大使を務めた。第二の人生では、長年の趣味である写真を本業にしたいという(写真:編集部)

2020年9月から2023年12月まで在中国大使を務めた垂秀夫氏は、中国の各界に深い人脈を持つ。対中インテリジェンスの第一人者として数々の武勇伝で知られ、アグレッシブな仕事ぶりから「中国が最も恐れる男」との異名をとった(参考記事:中国を知り尽くす異能の外交官 垂 秀夫 新中国大使)。

ともすれば「対中強硬派」と見られがちな垂氏に日中関係について見立てを問うと、独自の視点からの答えが返ってきた。

今は「3度目の日本ブーム」だ

ーー中国大使在任中は「中国が最も恐れる男」と言われました。民間人となったいま、日中関係の課題をどうとらえますか。

日中関係の基礎は経済交流と人的往来だ。とくに私は人的往来、なかでも中国から日本への人の流れに注目している。いま中国人が日本に大勢来ているが、私はこれを近代史で3回目の「日本ブーム」ととらえている。

アリババ創業者のジャック・マー(馬雲)氏などの有名人も日本に生活拠点を持っていることが知られている。この現象を、歴史を踏まえて観察することが必要だ。

ーーそれぞれ、どういうブームだったのでしょう。

1回目は、日清戦争が終結した1895年ごろに始まった。1898年に戊戌変法(清朝政府の体制内改革運動)が失敗すると、康有為、梁啓超などの改革派が日本に逃れてきた。孫文、黄興をはじめとする革命派も日本を拠点とした。

1905年に科挙が廃止されたことを受けたことも、行き場がなくなった知識人が新知識を求めて日本にわたる要因になった。明治維新の経験に学ぼうとする、そのうねりが辛亥革命(1911年)を実現したし、さらには日本に留学した陳独秀、李大釗(り・たいしょう)を創始者に含む中国共産党の建党にもつながっている。

なかでも中国で革命の父と尊敬されている孫文は、日本との縁が非常に深い。2023年の11月に北九州市にある「旧安川邸」で、中国から送られた孫文像の除幕式が行われた。安川電機創業者の安川敬一郎は辛亥革命の前後に孫文を資金面で支えた人物だ。私も大使として、式典のためのビデオメッセージを送った。 

当時の政府が総じて「ことなかれ主義」だったのに対し、民間には頭山満、宮崎滔天のような運動家から犬養毅などの政治家まで、中国での新しい動きを支援する人物がたくさんいた。100年以上前のできごとだが、こうした人のつながりが今に生きている。日中関係を動かす極めて重要な要素だ。

ーーその流れは日中戦争で一度は断ち切られたわけですが、やがて復活したのでしょうか。

文化大革命が終わり、1978年に鄧小平による改革開放が始まってからが2回目の日本ブームだ。当時の中国では、経済の現代化を進めるためにアメリカ、ドイツ、日本がモデルとして検討された。そして鄧小平が訪日し、新日本製鉄、松下電器産業(いずれも当時)の視察や新幹線への搭乗を経験したことが日本をモデルにする決め手になった。

鄧小平による改革開放政策の幕開けとともに、近代で2回目の「日本ブーム」が始まった。写真は広東省深圳市の広場に掲げられた鄧小平の肖像画(写真:ブルームバーグ)

このときは日本政府も積極的だったし、民間企業もそれに呼応した。協力したのは製造業だけではなく、銀行や証券会社なども積極的に研修生を受け入れた。大来佐武郎、宮崎勇など閣僚レベルのアドバイザーもいた。

1980年代に入ると、日本語学習名目で「就学生」が大量に来た。就学生には上海出身者が多く、帰国してビジネスで成功した人も少なくない。上海に日本にフレンドリーな気風があるのは、そのとき形成された人的基盤があるからだ。

習近平政権のもとでの生活に見切り

ーーそして3回目が現在ということですね。なぜなのでしょう。

いまや中国は共産党による「一党支配」から習近平国家主席による「個人支配」の国家になってしまった。国の将来を悲観して、多くの中国人が海外に渡っている。これまでなら国内で頑張ったはずの人も、子どもにまで習近平思想を教え込むような中国の現状には見切りを付け始めた。

行き先としてはアメリカ、カナダ、オーストラリア、シンガポールなどが候補になってきたが、いまは日本が一番ホットになっている。

それが大きくは東京や京都などでの中国人による不動産取引の活発化に、身近なところでは「ガチ中華」(現地そのままの中国料理)を提供する店の増加などに表れている。

以前と違うのは日本での対中感情が非常に悪いこと。そして日本に来る人の中に富裕層が多く含まれていることだ。

ーー習近平政権の統制を嫌ってということですが、日本はどうみられているのでしょう。

市民としての権利を求める公民権運動(維権運動)に取り組む中国人の眼中に、最近まで日本はまったくなかった。1989年の天安門事件の際に、日本はまっさきに制裁を解除した。そのことが共産党に塩を送ったという印象があるので、体制に距離を置く知識人は日本に関心を失っていた。

私は2002年に胡錦濤政権が成立したころから、中国の先行きを考えるうえで「民主主義」と「法の支配」が決定的に重要になると思っていた。そこで私は継続的に知識人を日本に招いて、現実の日本社会を見てもらうようにした。

そのなかには、国会議員の選挙を視察した人もいた。与党と野党それぞれの候補の演説風景を見たり、選挙カーやポスターをめぐるルールなどを知ることで、「民主主義」がどのように運営されているかを理解したようだ。

当時の安倍晋三首相が応援演説している際に握手した人は、大いに感動していた。「アジアに民主主義と法の支配がここまで定着している国があった」ということで、彼らにとっては「日本を再発見した」という思いだったろう。東日本大震災の際の日本社会の秩序ある対応に感動している人も少なくなかった。

ーー日本社会を知ってもらうことで中国の変化を促す、という期待があるわけですか。

中国をどう変えるかは、あくまで中国人が決めることだ。しかし中国が「民主主義」と「法の支配」を尊重する方向に変わっていくなら、それは日本にとってもいいことだ。そうした変化の担い手とのつながりをもっておくのは大事だろう。

いま日本に富裕層が多く来ているというのは大きなポイントで、彼らは今後中国が変化していくうえで重要な役割を担う可能性がある。現在の台湾の与党である民主進歩党はもともと体制外の活動家の集まりだったが、台湾の企業家たちがスポンサーになったことで政党として成長した。

中国マネーを地方で活用しよう

ーー日本社会は3回目のブームをどうとらえるべきでしょう。

中国の富裕層が日本の企業や不動産を買うことについて、日本社会には一部で反発もあるようだが、これには誤解が多いと思う。基本的に習近平政権から逃がれようとしている人が多いはずだ。

いま中国の人たちの目が日本に向いていることについて、ぜひ戦略的に考えてほしい。そのためには歴史を踏まえることが必要だ。いま両国関係は厳しいが、中国人にも日本の文化や歴史への敬意を抱く人は多いと感じる。たとえば私の知人にも、高野山に骨を埋めることを望んだり、法隆寺を見て「よくぞ唐代の建築を残してくれた」と感涙するような人物がいる。

投資をめぐって摩擦が生じる背景には、中国人側の知識不足があると思う。彼らは投資のため日本の不動産を買うときにも、東京、軽井沢、箱根、ニセコ、京都といった人気のある場所にしか目がいかない。ほかに思いつかないから決まった土地に投資を集中させ、その周辺の地価が上がってしまうわけだ。

中国人は認識していないが地元の人が投資を求めているような土地があるはずで、両者を結びつける機能が必要なのではないか。最近もある県の知事と話したら、「中国の富裕層には是非来てほしい」と言っていた。地域に還元されるかたちで投資がなされるように、地方自治体などが介在する仕組みがあるといい。

もちろん大勢来る中国人のなかには、中国政府の指示を受けて活動するような人もいるだろう。問題行動を起こす人物は国外退去させられるような法整備も急ぐべきだ。

*左横の「ブックマーク」から他のブログへ移動

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿