前回、トヨタのM型やG型エンジンの出来の悪さについて紹介したのだが、このふたつのエンジンに匹敵するほど出来の悪いエンジンがもうひとつある。それはホンダの初代レジェンドに搭載されたC20Aターボである。初代の後期型に登場した2リッターのV6ターボエンジンで、ターボラグを解消するためにタービンのA/R比をフラップによって可変制御しているのが特徴だった。記憶力が優れているかたは『ウイングターボ』という名称を覚えているかもしれない。
僕がいじったC20Aターボエンジンはアイドリングに不調を抱えていた。原因はプラグコードだとすぐに判明したのだが、僕はホンダが久しぶりに作ったターボエンジンに興味が湧き、問題解決後もしばらくエンジンを観察。すると、金属製のオイルパイプの中間に全くなんの役にも立っていないユニオンボルトが埋め込まれていることに気が付いたのである。そしてこのユニオンボルト一個から、C20Aターボエンジンの問題点が判明することとなった。
ユニオンボルトとはボルトのねじ山部分に穴が開いていて、穴の中を液体が通れるようになっているものだ。通常はブレーキキャリパーにブレーキフルードのパイプを接続するために使用されていたり、ターボチャージャーの軸受け部分にオイルパイプを接続するために使用されていたりする。つまり普通は液体を通すパイプの接続に使用されるボルトなのである。なぜパイプの中間にポツン、とただ埋め込まれているだけのか。不思議に思った僕はさっそく電話をして聞いてみた。どこに電話をしたのかは全く覚えていないのだが、たぶんホンダのディーラーだったのではないかと思う。当時の僕は疑問点や教えてほしい事があると積極的にあちこち電話をしていた。些細なことでも答えを知らないと気が済まない性分だったのである。迷惑に思われていたかもしれないが、幸い嫌な対応をされたことは一度も無い。本当にありがたかった。
結論から言うと、このユニオンボルトはスラッジ確認用のボルトだったのである。つまり、このC20Aターボエンジンはスラッジが溜まりやすく、壊れやすい。このため、オイルパイプにユニオンボルトを埋め込み、ユニオンボルトの穴にスラッジが詰まっていなければ正常。もしスラッジが詰まっていれば要注意。壊れる危険性があるよ、とサービスの人間に教えるためのものだったのだ。すかさず中古部品会社の知人に問い合わせたところ、このC20Aターボエンジンはとても壊れやすい、との答えが返ってきた。
C20Aターボエンジンが登場したのは昭和63年である。昭和63年と聞けば、F1好きの人ならピンとくるかもしれない。そう、この昭和63年はホンダ製のRA168Eと呼ばれる1500ccV6ターボエンジンを搭載したマクラーレン・ホンダMP4/4というマシンにアイルトン・セナとアラン・プロストという二人の天才ドライバーが乗り、年間15勝という前人未到の記録をたたき出した年である。年間16戦中15勝。世界最高のF1という舞台でまさに圧倒的な強さを誇ったこの昭和63年に、ホンダはC20Aターボという壊れやすいエンジンを登場させたことになる。皮肉なことに、両エンジンとも同じV6ターボ。しかも、壊れやすいことを承知の上で登場させたのである。点検用ユニオンボルトなどというものをわざわざ埋め込む、という手法が確信犯であったことの証拠だ。エンジニアの方々は、これで良心が痛まなかったのだろうか。この昭和63年、という年はホンダという会社の光と影が極端に表れていた年であったように思う。
ちなみにC20Aターボエンジンはわずか二年間製造されただけであっさりと幕を閉じた。二年で製造を打ち切ったエンジン、というのは日本車史上でこのC20Aターボくらいなものではないかと思う。ホンダとしては登場させてみたものの、やっぱりダメだ、ということになったのだろう。良心が痛まないのか、と前述したが、壊れやすいエンジンを何十年と作り続けたどこかのメーカーよりははるかに良心的である、と言える。
さらに次回へ続く
僕がいじったC20Aターボエンジンはアイドリングに不調を抱えていた。原因はプラグコードだとすぐに判明したのだが、僕はホンダが久しぶりに作ったターボエンジンに興味が湧き、問題解決後もしばらくエンジンを観察。すると、金属製のオイルパイプの中間に全くなんの役にも立っていないユニオンボルトが埋め込まれていることに気が付いたのである。そしてこのユニオンボルト一個から、C20Aターボエンジンの問題点が判明することとなった。
ユニオンボルトとはボルトのねじ山部分に穴が開いていて、穴の中を液体が通れるようになっているものだ。通常はブレーキキャリパーにブレーキフルードのパイプを接続するために使用されていたり、ターボチャージャーの軸受け部分にオイルパイプを接続するために使用されていたりする。つまり普通は液体を通すパイプの接続に使用されるボルトなのである。なぜパイプの中間にポツン、とただ埋め込まれているだけのか。不思議に思った僕はさっそく電話をして聞いてみた。どこに電話をしたのかは全く覚えていないのだが、たぶんホンダのディーラーだったのではないかと思う。当時の僕は疑問点や教えてほしい事があると積極的にあちこち電話をしていた。些細なことでも答えを知らないと気が済まない性分だったのである。迷惑に思われていたかもしれないが、幸い嫌な対応をされたことは一度も無い。本当にありがたかった。
結論から言うと、このユニオンボルトはスラッジ確認用のボルトだったのである。つまり、このC20Aターボエンジンはスラッジが溜まりやすく、壊れやすい。このため、オイルパイプにユニオンボルトを埋め込み、ユニオンボルトの穴にスラッジが詰まっていなければ正常。もしスラッジが詰まっていれば要注意。壊れる危険性があるよ、とサービスの人間に教えるためのものだったのだ。すかさず中古部品会社の知人に問い合わせたところ、このC20Aターボエンジンはとても壊れやすい、との答えが返ってきた。
C20Aターボエンジンが登場したのは昭和63年である。昭和63年と聞けば、F1好きの人ならピンとくるかもしれない。そう、この昭和63年はホンダ製のRA168Eと呼ばれる1500ccV6ターボエンジンを搭載したマクラーレン・ホンダMP4/4というマシンにアイルトン・セナとアラン・プロストという二人の天才ドライバーが乗り、年間15勝という前人未到の記録をたたき出した年である。年間16戦中15勝。世界最高のF1という舞台でまさに圧倒的な強さを誇ったこの昭和63年に、ホンダはC20Aターボという壊れやすいエンジンを登場させたことになる。皮肉なことに、両エンジンとも同じV6ターボ。しかも、壊れやすいことを承知の上で登場させたのである。点検用ユニオンボルトなどというものをわざわざ埋め込む、という手法が確信犯であったことの証拠だ。エンジニアの方々は、これで良心が痛まなかったのだろうか。この昭和63年、という年はホンダという会社の光と影が極端に表れていた年であったように思う。
ちなみにC20Aターボエンジンはわずか二年間製造されただけであっさりと幕を閉じた。二年で製造を打ち切ったエンジン、というのは日本車史上でこのC20Aターボくらいなものではないかと思う。ホンダとしては登場させてみたものの、やっぱりダメだ、ということになったのだろう。良心が痛まないのか、と前述したが、壊れやすいエンジンを何十年と作り続けたどこかのメーカーよりははるかに良心的である、と言える。
さらに次回へ続く