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Captain Cook Yoshiki

私はフランスに住んでいます。プログを始めたばかりですが日々の記録を残していきたいと思っています。

【DJI OSMO POCKET】パリの穴場観光、【ショパンら、著名人の永眠の地】ペール・ラシェーズ墓地 WALKING TO THE CIMETIÈRE DU PÈRE-LACHAISE

2019-09-18 16:07:45 | パリ観光

【DJI OSMO POCKET】パリの穴場観光、【ショパンら、著名人の永眠の地】ペール・ラシェーズ墓地 WALKING TO THE CIMETIÈRE DU PÈRE-LACHAISE

 

 私はパリの東部、20区にあるペール・ラシェーズ墓地を訪問してきました。ここはエディット・ピアフ、ショパン、ビゼー、ポール・デュカス、プルースト、マリア・カラス、モディリアーニ、ジム・モリソン等の世界的な著名人の墓が多くあることで知られています。また、レ・ミゼラブルのジャン・ヴァルジャンもここにおります。 パリ・コミューン最後の戦いが行われた場所である。

 ペール・ラシェーズ墓地の正式名称は、東墓地(cimetière de l'Est )である。パリ最大の墓地であり(ただし、パリ郊外にはもっと大規模の墓地もある)、パリ東部の20区に位置している。ペール・ラシェーズは、世界で最も有名な墓地の一つである。年間数十万人以上の人々が、過去200年以上に亘りフランスの文化や歴史に名を残した人々の墓に参るため世界中から訪れるという、世界で最も訪問者の多い墓地だという人もある。ここには、5度の大きな戦争の記念碑もある。

 また、墓地周辺には花屋も多く、墓地の入り口で案内図やポスト・カードも販売している。ペール・ラシェーズ墓地はかなり広く、大小さまざまなお墓が無数にあるので、すべての有名人のお墓を探して回ろうとすれば、かなりの時間と体力を必要とします。墓標が小さかったり、古かったりして、見過ごしてしまうこともしばしば。効率よく回られたい方は、訪れたい有名人のお墓をリストアップしてから行かれることをお勧めします。

 また、墓地の入口には有名人のお墓の所在地が書かれた看板があるので、それを参考にすると良いでしょう。

 

 


【DJI OSMO POCKET】【4K】ヴァンセンヌの森を歩く〜BOIS DE VINCENNES〜

2019-09-18 15:54:17 | パリ観光

【DJI OSMO POCKET】【4K】ヴァンセンヌの森を歩く〜BOIS DE VINCENNES〜

 

ヴァンセンヌの森(Bois de Vincennes)は、パリ中心部から東に4kmほどの場所に広がる森林公園である。行政区画ではパリ12区になり、同森北側にヴァンセンヌ、サン=マンデの街が広がる。 森の広さは9.947km2であり、ロンドンのハイドパークの4倍、ニューヨークのセントラルパークの3倍の大きさである。

 この森はもともと王家の狩猟場だったが、フランス革命の後は軍の演習場になっていた。その後1860年にナポレオン3世によって市民のための公園になった。そして1929年にパリ市の12区に編入された。 森の北方にはヴァンセンヌ城がある。14世紀の王は好んでこの城に訪れた。森の南西には19世紀、ルイ・フィリップの時代に建てられた砦がある。東にはヴァンセンヌ競馬場と自転車競技場がある。また西には広さ14.5ヘクタールの動物園があり、アジアゾウを飼育しているほかムフロンの住む高さ65mの人口岩山もある。

 また、ヴァンセンヌ城の向かいには35ヘクタールのパリ花公園がある。 さらに4つの湖があり、これらはマルヌ川とつながっている。 万国博覧会の折にパビリオンとして建てられた仏教寺院がヴァンセンヌの森に移設された。(Wikipedia転載)

 


【DJI OSMO POCKET】ヴァンセンヌ城探訪 in PARIS〜Chateau de Vincennes〜

2019-09-18 15:42:11 | パリ観光
  1. 【DJI OSMO POCKET】ヴァンセンヌ城探訪 in PARIS〜Chateau de Vincennes〜

 
アクセス(Acces) (RER) (A) : Vincennes (M) (1) : Château de Vincennes. (BUS) RATP 46, 56, 112, 114, 115, 118, 124, 210, 318, 325 
『歴史』 
 他のシャトー同様、ヴァンセンヌ城も狩猟小屋に由来する城で、ルイ7世によって1150年頃に、ヴァンセンヌの森の中に作られた。
 13世紀、フィリップ2世とルイ9世はこの地に大きな荘園を作り、そのルイ9世は第8回十字軍をこの地から出発させたものであると思われる。 ヴァンセンヌはより堅固な城になっていった。
フィリップ3世(1274年)とフィリップ4世(1284年)はこの地で結婚し、14世紀のルイ10世(1316年)、フィリップ5世(1322年)、シャルル4世(1328年)はこの地で亡くなっている。
 城は強化されていくにつれ、より大きくなり、14世紀後半にはかつての城にとってかわった。フィリップ5世による1337年から始まった工事で作られたドンジョンの塔は52mの高さを有し、これは中世ヨーロッパの砦の構造物としては最も高いものである。長方形を呈する外壁は二世代ほど後のヴァロワ家の時代の1410年頃に完成された。ドンジョンは王室の住居と見做されており、また図書館として開かれシャルル5世が勉学をした場所である事でも知られている。百年戦争期、フランスに対して優勢を誇ったイングランド王ヘンリー5世はこのドンジョンの中で1422年に亡くなっている。
 城内では荊の冠をサント・シャペルが受け取るまで保管されていた。その痕跡はサント・シャペル・ド・ヴァンセンヌに残っている。 17世紀、建築家のルイ・ル・ヴォーはルイ14世の為にアンヌ・ドートリッシュとジュール・マザランの為のパルテールを挟んで対になる隔絶された離れを作ったが、一旦ヴェルサイユ宮殿が全ての中心になるとその後の建築は許されなかった。壮麗な部屋にはルイ14世の初期のスタイルが見られる物もあるが、これらは例えばヴォー=ル=ヴィコント城を彼が表現した時より以前の物である。その城をル・ヴォーらに作らせたニコラ・フーケは哀しい哉、ルイ14世の嫉妬を買いヴァンセンヌに左遷され、不便な暮らしを強いられた。1691年にはもう一人の哀しき居住者、ジョン・ヴァンブルーが左遷され、作品のいくつかをこの地での経験から著したとされるが、これに関しては議論がある。 ピエール・ティリュー・ドーメニル「足が返されればヴァンセンヌを放棄する」
 18世紀に放棄されてからも、シャトーは国立セーヴル工場の有するヴァンセンヌ磁器の工場として存続し、そして刑務所となり、マルキ・ド・サドやドゥニ・ディドロ、オノーレ・ミラボー、有名な詐欺師のジャン・アンリ・ラテュード等が収容され、それはカンブレーに由来するイギリス・ベネディクト会衆会の尼僧の集会のようなものであったと形容される。1791年2月末、アントワーヌ=ジョゼフ・サンテール率いるコルドリエ・クラブに後援され、フォーブル・サンタントワーヌ(現在のパリ11区及び12区界隈)から始まった1000人以上の労働者の暴動はシャトーの周辺を行進し、これはバスティーユ襲撃のように王権の一部を政治犯に渡すためにバールやつるはしを用意させる元となったと言う風説もあるが、その動きは結局ラファイエットにより妨害された。
 フランス革命期に於いては特に城は役割を果たさなかったが、1796年に軍需工場が出来ると、現在の所有者であるフランス軍に渡っている。ナポレオン戦争期、ヴァグラムの戦いで足を失い木の義足となったピエール・ティリュー・ドーメニルは1812年にこの城の防衛任務を命ぜられた。ライプツィヒの戦いで大きな損害を被った直後に第六次対仏大同盟でパリが攻撃された戦い、パリの戦いで彼は「足が返されればヴァンセンヌを放棄する」(Je rendrai Vincennes quand on me rendra ma jambe、)と語った。
 この城は処刑の舞台でもあり、1804年にはルイ・アントワーヌ・ド・ブルボン=コンデが、1917年にはマタ・ハリがこの地で処刑されており、ナチスドイツの支配下でも1944年8月20日に30人の虐殺が執行された。 庭園は19世紀に英国式庭園で作られた。1860年、ナポレオン3世はウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクをドンジョンと教会の修復の為に雇用し、ヴァンセンヌの森を彼に与えた。 また、この城は参謀の勤務地でもあり、モーリス・ガムランが1940年にナチスドイツの侵入防衛の連合軍総司令部を置いていたものの、敗北している。現在では国防史編纂部の本拠となっている。
 様相 初期の城に関しては絵が一枚しか残っていないものの、14世紀以降に関しては多数残っている。城は長方形をしており、その外周は1kmを超えた(330m×175m)。城には六つの塔と三つの門があり、それぞれ元々は13mの高さである。城全体は深い石製の堀で囲まれている。ドンジョンは52mの高さがあり、その外壁は砦の西側を兼ねており、残りの城の部分とは堀で分かたれている。 大壁(grande enceinte)は壁の重さで自立しているのみである。(ウィキペディア転載)


DJI OSMO POCKET ルーブル美術館とチュイルリー公園めぐり〜WALKING LOUVRE MUSEUM AND TUILERIES GARDEN〜 【4K】

2019-09-18 14:29:22 | パリ観光

DJI OSMO POCKET ルーブル美術館とチュイルリー公園めぐり〜WALKING LOUVRE MUSEUM AND TUILERIES GARDEN〜 【4K】

 

ルーブル美術館チュイルリー公園を歩いてきました。


ルーブル美術館は誰もが知っている。


フランスを代表する美術館でもあり、


世界遺産でもあります。


チュイルリー公園は正式には庭園なのですが、


日本人には公園のイメージがあるので公園と表記したました。


ここら一帯はいわゆるパリの代表的な観光地であり


コンコルド広場、チュイルリー公園、オランジェリー美術館


少し離れたところにはオルセー美術館、


マドレーヌ寺院、グラン・パレ、プチパレ、ヴァンドーム広場など


代表する歴史的建造物がいたるところに点在しています。


徒歩で歩いても全て15分もあれば行くことができます。


これからパリの魅力、スポットなどお伝えしていけたらいいと思っています。


DJI OSMO POCKET シャンゼリゼ大通り 〜WALK TO AVENUE DES CHAMPS-ÉLYSÉES〜 【4K】

2019-09-18 14:17:46 | パリ観光

DJI OSMO POCKET シャンゼリゼ大通り 〜WALK TO AVENUE DES CHAMPS-ÉLYSÉES〜 【4K】

夏真っ盛りのシャンゼリゼ通りを歩いてきました。

 

ここにはルイヴィトン本店や

 

RESTAURANTフーケ(Fouquet's Paris)など

 

いくつもありセレブ感満載です。

 

凱旋門を中心に12本の通りがありますが、

 

なんといても凱旋門からルーブル美術館に続く

 

シャンゼリゼ大通りは圧巻です。

 

近所には日本大使館もあり日本人にとってなんか優越感!!

 

シャンゼリゼは地図でいうと北西に位置しております。

 

「♪おお〜シャンゼリゼ〜」と歌いながら歩いてきました。