平御幸先生の弟子日記

平御幸先生 公式応援サイト

やっとわかりました

2010-02-28 22:47:12 | Weblog
先生は凄いなあ・・・といまさらながら感心しています。
多くのファンの方々からの深い敬愛と、熱い応援が、先生の全てだと思います。
『先生は幸せ者ですね』と言いましたら、『ボクは、幸いなる者だから』とおっしゃっていました。先生に託された神様からの使命は、確実に実を結んでいるなあと、思いました。
私は、ずっとわからなかったことが、今日、解決しました。
人は、どうして違うのか? という、私にとって超難問です。どうして私だけこんなに大変なの! と思ったり、どうして藤原紀香のように、美しく生まれてこなかったの! と思ったり、こんなに努力しているのにどうして報われないの! と思ったり・・・
答えは、人はみんな、神様から与えられた使命が違うからだとわかりました。先生の使命は、神様と人との橋渡しと、精神的・神霊的な啓蒙と、迷える人の世の光と、その他いろいろ、私には計り知れませんが・・・
その先生の使命のために奉仕することが、私の使命です。私がお役に立つことが少しはあるのかな・・・という感じですが、気持ちだけは大きいので、そこのところを神様はくみとっていただきたいなと思っています。
たぶん、私と同じ使命の方がたくさんいらっしゃると思います。

感動しました。

2010-02-26 23:04:01 | Weblog
感動をありがとうございます。
真央ちゃんの涙は、金メダルより輝いていましたね。
あの涙のあとに広がる真央ちゃんの未来こそが、本当の金メダルじゃないかな、と思いました。

私は、先生が落ち込んで死んでしまったらどうしようかと心配していましたが、無駄な心配だったようで、よかったです。ほっ・・
もうすぐ先生のお誕生日なので、ささやかなプレゼントをお送りして、少しでも先生のご機嫌がなおればいいなと、思っています。
先生、ファンの皆様、大変疲れましたね、お疲れさまでした。

泥の中には

2010-02-19 23:55:57 | Weblog
数日前に、泥土の入ったビニールの大きな鉢を頂きました。
「あまったのであげるよ、育ててみて」
 
さてさて、これは何でしょう?
何の種が入っているのでしょか?
『大賀はす』ですと。
大賀はす、ってなんだー!
「わからないことは、自分でしらべる!」 これは、先生の教えです。早速、自分で調べました。インターネットは、本当に便利です。調べてみて、驚きました。大賀はすは、いくつもの奇跡によって、生まれたからです。

 戦時中に湿地帯で草炭を発掘中に、古代の丸木舟を発見した。約2000年前と判明した古代船の発見によって、日本考古学研究所等が調査し、他の船と、はすの果托を発見した。はすの権威の植物学者 大賀一郎博士が地元のボランティアと遺跡の発掘調査をし、調査打ち切りの前日の夕方に、女子中学生が3粒のはすの実を発見した。3粒のうち、2粒は失敗したが、1粒は発芽し、ピンクの大輪の花を咲かせた。「世界最古の花・生命の復活」と賞賛され、『大賀はす』と命名された。

私がいただいたこの泥土の中には、たった1粒から生まれた2000年前のはすの種がねむっているのです。なんとしても育てたいと思っています。
いつか更新するとき、芽が出ましたよー って言えたらいいなと思います。

泥の中に根をはってこそ、はすの花は美しいのだと思います。何処で生きようと、どんな境遇で生きようと、すべてを受けとめて、自分の養分にすることが出来たら、そのとき、はすのように、美しい花となるのでしょう。

結果って、

2010-02-16 23:04:26 | Weblog
ずいぶん怠けていたと思われても仕方ありません。結果が全てなら、怠けていたことと同じですから。この世は、因果応報の世界なら、結果のないことは、原因もないことで、よい結果は、よい結果を生む原因があるに違いないのですから。結果に現われることなく、不遇のうちに一生を終えるという事は、因果応報の法則から外れているのではないのでしょうか。結果がないということは、本当に原因もないのでしょうか。原因にふさわしい結果は、必ず訪れるものなのでしょうか。理不尽な結果は、本当にそれにふさわしい原因があったのでしょうか。結果の原因を遡っていくと、何処までいくのでしょうか。それは、卵と鶏の争いに似ているのではないでしょうか。因果応報だけでは、解決できないことが多すぎるように感じることがある。因果応報を乗り越えなくてはいけない。因果応報を乗り越えるものは、ただ一つ、自己犠牲の精神だと思う、でも、まだまだ、私は因果応報に頼ってしまうなあ・・・

オリンピックに夢中になって更新を怠けていたわけでは、ないのですよ。

雨にぬれて

2010-02-11 23:11:15 | Weblog
今日は、本当に久しぶりに友達と逢って、いろいろおしゃべりしていました。彼女が、目の手術をすることになって、落ち込んでいたので、慰めたり、励ましたり、それから、どうでもいいような話をいっぱいしていました。感じのいい喫茶店で、コーヒーと、甘いケーキを食べました。外は、雨がしとしと降っていましたが、お店の中は暖かでした。いろいろ話をして、彼女から、長崎二十六聖人の話を教えてもらいました。二十六人の内、二人は伊勢の人(親子)で、その一人の、14歳の少年の像が伊勢の小さな教会に建っていることをききました。長崎で処刑された二十六人の内、二人が伊勢の人だったことに、彼女はとても驚いていました。私は、長崎二十六聖人のこともよく知らなかったし、伊勢に少年の像があることも知らなかったのです。
もう夕方で、外は薄暗くなっていて、雨も強く降り出していました。でも、彼女は、今からその像を見に行こう、と私を誘いました。もちろん、私は行きました。車を走らせ、教会に到着して、マリア様の像を過ぎて、目立たないところに、14歳の少年の像はありました。雨に濡れていましたが、天に向かってりりしく立っていました。彼女も私も雨に濡れながら、ただ、佇んでいました。
帰ってから、彼女からメールが届きました。
『落ち込んでいたけど、全てを神様に委ねようと思いました。これからも、感謝して生きていきましょう』

手術が成功するよう、私にできることは、祈ることだけです。

なるほど!

2010-02-07 21:49:18 | Weblog
一つの球の回りに、同じ大きさの球をくっつける。そうやって、出来るだけ多くの球を、中心の球に必ずふれるようにくっつけた場合、最大何個まで並べることが出来るか、いくつまで中心の球に同時に接することができるか。
1694年 アイザック・ニュートンは12個、デイビッド・グレゴリーは13個と答えた。
  三次元接吻数問題だって・・・
1953年 クルト・シュッテの論文によって12個であることが証明された。

答えが出るまで、ずいぶん長くかかるものなんですね。超難問だったんですね。
誰でも知ってる、12支族・12弟子。どうして12なのかなあ・・といつも考えていました。答えは、接吻数だったのだと解りました。中心の球を囲みながら、同時にふれることの出来るのは、12個。だから神様は、神様の回りに置く選ばれた者は、12でなければならなかったのだ! とものすごく納得しました。

最初に、ニュートンが12個と唱えた年数にも、神様の暗示があるのかなあ、と思いました。

おいしかった 2!

2010-02-03 21:15:40 | Weblog
今日は豆まき、あの有名な恵方巻きの日です。あっ、節分ともいいますが・・・
立春を新年の始まりとすると、節分は大晦日にあたるとのことです。なるほど、節目の日だったんですね。
今日は、恵方巻きをいただきました。ご存知太巻き寿司で、丸かじりしました。何種類もの具が入っていて、すごくおいしかったです。私が食いしん坊だから、美味しい物をいただくのかな、と思いました。
節分といえば、もうすっかり、恵方巻きが有名になった感じで、バレンタインのチョコと同じ、定番になったのかな。おすし屋さんの戦略かなと思いますが、私たちは、そんなに甘くはないですね。戦略に乗るふりをして、きちんと選んで受け入れていると思います。誰でも、幸せになるために一生懸命だから、だと思います。
私も、とても美味しかったので、それだけで、幸せでした。



おいしかった!

2010-02-01 22:36:19 | Weblog
今日の朝は、どんよりとした曇り空で、いつもどおり先生に朝のメールをしていたら、ほんの少し雲の切れ間から光が差し込んできて、そのことを先生にお伝えしたら、先生から、『今日はきっと良い事がありますよ』と、返事が来たので、今日はどんな良いことが私を待っているのかしら、と期待していたら、ありました。赤福餅をご馳走になりました。出来立ての赤福餅は、つきたての餅が柔らかくて、あずきの香りとやさしい甘さが広がって、この上なくおいしかったです。
今日は、赤福の朔日餅を買いに行く日でした。いつもは一人で行くのですが、今日は会社の人が一緒に行くといわれたので、二人でいきました。その方が、ご馳走してくださったのです。寒い日でしたが、運ばれてきたお茶が暖かかったです。
今度先生が伊勢におみえになるときは、絶対、食べていただこう、と決めました。
一日早々、『棚からぼた餅』でした。
お餅をもらうと縁起がいいそうなので、これは春から縁起が良い良い!