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Retro-gaming and so on

ダンウィッチの怪

ちとうろ覚えの話をする。

70年代に入っては斜陽化してはいたが、一応この辺りまで超古典的なホラー映画、っつーか怪奇映画、っつーか、いわゆるモンスター映画は細々と作られてたと思う。1980年代に入るとほぼ消えちまったけどな。
亡くなった藤子不二雄Ⓐの「怪物くん」が登場したのは1965年なんだけど、ここに出てくるドラキュラ・フランケンシュタイン・狼男、ってのはこの辺まで一応銀幕スターだったんだよ。「だからこそ」漫画に登場したわけ。映画では死ぬほど恐ろしい筈のモンスターが藤子不二雄Ⓐの手によって「愛嬌ある」キャラクタとして描かれてたから人気が出たわけだよな。
言い換えると、1965年の時点ではこの三匹のモンスターは映画ではやっぱ「クッソ恐ろしい」現役のモンスターだったわけだ。
そう、当時の欧米の映画でもう「怪奇映画」と言えばドラキュラ・フランケンシュタイン・狼男で決まり、であって、日本での定番納涼怪奇映画の「東海道四谷怪談」とか「番町皿屋敷」なんかと合わさって「枠はキッカリ決まってた」んだ。これ以外はあり得ないだろ、と。

ところが1968年にトンデモない映画が現れる。それが「ローズマリーの赤ちゃん」だ。



まだSFXと言う程のSFXがない当時、「話だけで怖い」と言うこの映画は大ヒットして衝撃を与えた。先程書いた「三大モンスター映画」的な怖さとまた別の怖さをこの映画は持ち込んできたんだ。
ぶっちゃけ、現代の映画だったら「予算が無かったんだろう」と言われるような「撮り方」を「ローズマリーの赤ちゃん」ではしている。実際のモンスターもクソも映像としては出てこない。単に「シチュエーションが怖い」だけだ。でも「話が怖いだけでいいんだ」、つまり作劇上、「当たり前の事が一番大事だ」と言う事をこの映画は明確化したんだと思う。
そしてこの映画が呼び水となって1970年代のホラー映画ブームが巻き起こる。
人によっては「エクソシストが最初の作品だ」って考えるだろう。しかし、下地を敷いたのは間違いなく「ローズマリーの赤ちゃん」だ。エクソシストは「ローズマリーの赤ちゃん」で培った「話の怖さ」と70年代に発達しはじめたSFXのマリアージュの最初の成功例だったわけだ。
そして「ローズマリーの赤ちゃん」の成功から産まれたうねりは古典的なドラキュラ・フランケンシュタイン・狼男の映画を殆ど絶滅に追い込むのだ(※1)。

「ローズマリーの赤ちゃん」はサスペンス調で進んでいき、「何気ない日常だった筈なのにいつの間にやら異常に囲まれていた」と言う恐怖を描いてる。
人によっては、「妊婦特有の不安感の抽象化」とか言ってたりする。まぁそれもあるだろう。その辺は評論の専門家に任せよう。
ここではもっと下世話な話をする。
「ローズマリーの赤ちゃん」の表層的な「恐怖」のキーポイントは2つある。

  1. 悪魔の存在
  2. 異形のブツを胎内に妊娠する、と言う生理的恐怖
1. の方はエクソシストに受け継がれ、オーメン等、日本人の良く分からん「悪魔」の話として西洋的なホラーとして受け継がれていく。まあ、日本人的な「恐怖」には引っかかりづらいジャンルだがそれはそれでいい。
もう1つは、「人間じゃない何かを孕む」と言う話である。「ローズマリーの赤ちゃん」の公開直後くらいはこっちのコンセプトの方が関心を呼んだようだ。
まぁ、当然だよな。映画「ローズマリーの赤ちゃん」がSFXナシで何故にホラーとして成立したのか、と言うと、この「異形の、人間以外のバケモノを孕む」と言う設定のお陰ではあるんだ。自分の体内に「人間じゃない異物がいる」ってのは、男は妊娠しないにせよ、比較的分かりやすい「恐怖」でもある。

さてさて。
ロジャー・コーマンと言う人がいる。人呼んで「B級映画の帝王」と呼ばれたりするんだが。



この人が「ローズマリーの赤ちゃん」ヒットにあやかってそれっぽい映画を作ろうとしたわけだ。
しかも原作にH.P.ラブクラフトを持ってきた。
そして「ローズマリーの赤ちゃん」の影響を受けつつ作った「クトゥルフ神話」映画が、ここで紹介する「ダンウィッチの怪」(1970年)だ。

ええと、一応解説しておくと、H.P.ラブクラフトの作品(小説)に「ダンウィッチの怪」(あるいはダニッチの怪)と言うのはある。
この映画は骨格、っつーか根底のコンセプトはそこから借りてきているが、それ以外はかなり大幅に改変されている。
そしてH.P.ラブクラフトのファンはそれら「改変」が大変気に喰わない模様だ。だから大体、H.P.ラブクラフト作品の映像化は彼らには評判が悪い。この映画「ダンウィッチの怪」も例に漏れない。
しかしちょっと待って欲しい。ラブクラフトファンには大変申し訳ないが。
そんなに言うほどラブクラフト作品って面白いか?
僕自身、教養の為に、ってぇんで創元推理文庫から出ているラブクラフト全集なるものを買い求めて読んだ事がある。ハッキリ言って4巻で挫折した。クソつまんなかったから、である。
人によると、「創元推理文庫版は訳が古くて・・・」とか言ってるらしい。いや、実際言われた事がある。
でもハッキリ言ってやるよ。訳が古かろうが何だろうが面白くないラブクラフトの小説は単につまらんのだ

んでな、ラブクラフトファンはラブクラフト原案の映画がB級映画程度で留まるのが許せないらしいんだよな・・・。ちと待て、原作通りに映像化したら、本当にA級、って言っていいような名作になる、って思ってる?マジ?正気か?
ハッキリ言うけど、ラブクラフトの小説の映像化、って改変して作るからやっとこさB級ホラー程度になれるわけ。仮にラブクラフトの小説をそのまま映像化したら間違いない、B級より酷いC級の映画になるだろう
そんな映画は一体誰が喜ぶんだろうか。人口比で存在率が5%に満たないラブクラフトファンが喜ぶだけとちゃうんか?一般の人が観て「楽しめない」映画なんて一体何の価値があるんだろうか。ラブクラフトのあの調子でマジに「完全映像化」して本当に面白い作品になる、って思ってるの?

ハッキリ言うけどそれらの意見は間違ってるんだよ。
ぶっちゃけ、ラブクラフトのアイディア、なんて良くてB級映画に届く程度のアイディアでしかねぇんだわ。

いわゆるラブクラフト原作の映画を腐す人は、ラブクラフトの小説に幻想持ちすぎだと思ってる。そういう人が多いんじゃないか。それでも存在率は全人口の5%に満たないとは思うが。
もうマジで創元推理文庫版、4巻で挫折したけど、頑張って読んだ俺が言うんだから間違ってねぇんだよ。そして頑張る必要が出てくる以上、面白くない、って意味になる。とてもじゃないけどエンターテイメントを読んでる気にならん。
そもそも俺はホラーを読んでた筈なんだがサッパリ怖くない。怖くないホラーは面白くないしつまらんのだよ。そして面白くなくつまらんホラーに対して如何に「分析」して「解説」されても面白くなくつまらんまま、だ。
なんつーの?例えば、つまらんギャグ漫画に対して如何にギャグを「分析」されて「解説」されてもそのギャグ漫画が面白くなるわけねぇじゃん。「へぇ」とは思っても「笑える」わけではない。笑えない以上、単純にギャグ漫画としては駄作だ、って事になる。
ラブクラフトの小説も全く同じなんだ。
もちろん、僕が日本人で、タコやイカやエビやその他海産物に恐怖心を抱かない、ってのは大きいんだろう。そうなんだよな、そいつらは喰う対象であって恐怖を感じる対象じゃあない。言い換えれば真っ当な日本人だったらラブクラフトの小説を読んでも食欲を感じるだけだろう。
しかしそれを差し引いてもつまらんと思うんだ。延々と独白しかねぇし。単一の小説にあるのはせいぜいワンアイディアだ。
断っておくけど、ラブクラフトはアイディアが貧困だった、って言ってるわけではない。むしろアイディアマンではあったんだろう。小説はつまらんけどな。
言い換えると、ロジャー・コーマンみたいな「B級映画にズッポリの人」ってのが映画のアイディア探すには彼の小説は良いフィールドだとは思うんだよ。そのワンアイディアを膨らませて改変して1つの「最低限マトモになる」映画にする。そして残念ながらラブクラフトの作品は、ハッキリ言うけど、そのテの「ネタ帳」以上の役目ってねぇと思うんだよな。
とにかくさ、今の「同人・設定廚の元祖」みたいなカンジでオタクがラブクラフトに親近感感じるのは分かる。でも設定廚の同人誌が全て面白いか、って言われれば違うだろ?って話だ。アニメだって「設定に凝れば凝るほど」中身が無くなる、とか良く見かけるし。なんつーの、ラブクラフトって「元祖オタク」的な気質が見えるから不必要に持ち上げられてる気がするんだよな。
いやさ、クトゥルフ神話TRPGとか、そういう「文化」が派生して出てきた、ってのは正直面白いとは思ってるんだよ。「現象として」はな。ただし、そういうのと「彼本人が書いた小説が面白いかどうか」は関係ないでしょ。ぶっちゃけ、彼の書いた小説関係なく、色々影響与えてある種の文化圏を作った稀有な作家、と言う捉え方しかしてねぇんだよな、個人的には。小説面白くないのに作家って呼んでいいのか、とか思うんだけど(笑)。ただ、そういうのはとても20世紀的な存在じゃないのか、とか思ってる。ポストモダンだ(謎
まぁ、いずれにせよ、彼の原作を「そのまま忠実に」映像化しても面白くないよ。むしろネタとして突き放して色々弄りまくってやっと「B級映画」に到達する程度のアイディアでしかない、ってのはキモに銘じてた方がいいと思う。ラブクラフトの作品「そのもの」に対して多大な期待をしちゃあダメなんだってば。

と言うわけで、このロジャー・コーマン制作の「ダンウィッチの怪」。H.P.ラブクラフトファン以外の目から見ると「そこそこ良くできてる」映画だ。決してA級じゃない。でも初めからラブクラフト関係なくB級を見る目で観てれば取り立てて「悪い」とか「ダメな」映画じゃあないんだよな。
この映画、まず謎の出産場面から始まり、続いてタイトルシーケンスのアニメになるんだけど、それがまた結構良く出来てるんだ。


いきなり「出産しようとする女」の喘ぎから始まる。
額になんかの魔術的紋章が。
「ローズマリーの赤ちゃん」が「事前」ならこっちは「事後」である。


「切り絵」なイメージのオープニングアニメーション。
何となく「モチモチの木」を彷彿をさせる(笑)。


H.P. ラブクラフト原作

ロジャーコーマン制作


またもや、オープニングアニメーションで「何かの妊娠」そして「出産」を暗示させる。

このオープニングアニメーションで流れているメインテーマがまた素晴らしい。
このモティーフが劇中、何度もカタチを変えて現れるのだ。



と言うわけで、ラブクラフトファンの「煩い」ノイズをシャットアウトすると、OPから期待大で結構楽しめる映画になってると思う。
原作厨(いや、原理主義的、って意味ではむしろ僕は本質的にはそっちに近いのだが)の口やかましい「批判」が邪魔になる好例なんじゃないか。

舞台はマサチューセッツ州のアーカム、ミスカトニック大学から始まる(笑・※2)。


ヒロイン、ナンシー・ワグナー。ミスカトニック大学の学生。

主人公の1人、ナンシー。(ちょっと薹が立ってるが・笑)美人だ。
んでネタバレだが(笑)、彼女が「ローズマリーの赤ちゃん」でのローズマリーだ(爆
隠してもしゃーない。この映画は繰り返すが、「ラブクラフトを原作」と言いつつ、実際は「ローズマリーの赤ちゃん」の成功に続け、とばかり制作された映画だ。


ヘンリー・アーミテッジ博士。ナンシーの先生。原作でも一応主人公的存在。
演ずるのはエド・べグリーなる役者だが、この映画公開年の1970年に帰らぬ人となる。

物語はヘンリー先生がナンシーに、図書館に奇書「ネクロノミコン」(※3)を返しておくように頼むトコから始まる。



そこに現れる1人の謎の男。



彼は図書館が閉館間際にも関わらず、ネクロノミコンが見たい、と言う。
この男、ウィルバー・ウェイトリーが言わば第3の主人公だ。
ちなみに、原作ではバケモノのような容貌なんだけど、それじゃ映画じゃ進まないし出落ちになる(笑)。この辺もむしろ「原作通りじゃなくてよかった」範疇だ。



んで、ナンシーは、このウィルバーをひと目見ただけで気になる人になっちまったんだな。別に魔術的な意味じゃなくって。
これで彼女は不幸を招く(笑)。
で、何だかんだあって、ミスカトニック大学から遠いウィルバーの家。飲み会の後、ナンシーはウィルバーの家があるダンウィッチまで車で送る事になった。
止めときゃエエのに



そして送迎したナンシーは一応ウィルバーの家へと上がる。
しかし、隙を見て、ウィルバーはナンシーの車に細工をしてナンシーを帰さまいとする。



もうこうなったら何が起きても「犯人は誰?」ではない(笑)。あからさまにウィルバーは悪者なんだ、と分かる。
ラブクラフトの原作では出落ちだが、この映画でも早い段階から彼が悪いヤツだ、って分かる。
要するにこの映画、犯人は誰、ってのは分かるが、動機が何だ、ってのがキモになるわけだな(まぁホラーなんだけど大した話じゃあない。)。



ウィルバーは「お茶をご馳走する」とか言うんだけど、あからさまに薬を入れたりしてロクな事をしない(笑)。
車は動かないわ、ヘンなクスリは仕込まれるわ、で結局ナンシーはウェイトリー家の屋敷に泊まる事となる。

ウィルバーの爺さん。ウェイトリー邸で孫と2人きり?で住んでる。

結局ナンシーは週末をウェイトリー邸で過ごすわけだが。
ある時、ウェイトリー邸にナンシーの友人、エリザベスとアーミテッジ博士が訪ねてくる。ナンシーが大学をサボってるのでエリザベスは心配したのだ・・・でも何故にわざわざ先生まで呼んでくるのか(笑)。イマイチ意味が分かんない(笑)。



2人はナンシーに会うが、まだウェイトリー邸から帰りたくない、とナンシーは言う。



エリザベスとアーミテッジ博士はナンシーの意思を尊重し、ナンシーを残す。
しかしどうもナンシーの感じが「おかしい」事に気づいた彼らは、ダンウィッチでウェイトリー一家に付いての聞き込みを初め、そしてウィルバーの出生の秘密を探っていくのである・・・・・・。

と言うのが流れ。
まぁ、ネタバレすっと・・・っつーかよ、ラブクラフトの作品って結果殆どみんなそうなんですけど(笑)、宇宙や次元を超えたような怪物が出てくるんだよ(笑)。それがオチ。
ウィルバーも冒頭の「出産」で産まれたガキなんだけど、親父は実は、ヨグ=ソトースと言う神っつーかモンスター(※4)。映画上ではこんなの。







これ、ちゃちなモンスターだ、とか言われてこの映画の評を下げる原因になってるんだけど、コーマン方式の低予算映画で原作通りのヨグ=ソトースを再現しようとすればこうなっちゃうだろ、ってな話(笑)。
誰が悪いか、っつーとむしろラブクラフトが書いた原作、っつーか説明が悪いんだよな(笑)。



結局、ウィルバーの目的は「邪神」にナンシーを犯させ、邪神の子供を産ませる事だったんだが、その計画の性交もとい成功を見ずにウィルバーは死ぬ(アーミテッジ博士の「呪文」で間接的に殺されたって事なのか)。
まぁ、ウィルバーは実は双子の片割れで、正直この映画だと「弟」が暴走するように見えるんだが、一体弟がどうなったのか、あるいは最後に出てくる「ヨグ=ソトース」が弟だったのか、イマイチわからん。
もっともラブクラフトの作品が「論理性がある」とは全然思ってないし、ラブクラフトをやりたくてやったんじゃなくって「ローズマリーの赤ちゃん」をラブクラフトで「焼き直ししたかっただけ」なんでこれでいいのかもしれない。
なんせオチは「ローズマリーの赤ちゃん」と同じく、ナンシーは邪神の子を結局孕んでるのだ。



と言うわけで、「エクソシスト」が出現するまでのツナギでH.P.ラブクラフト+ローズマリーの赤ちゃん、と言う映画があったんだよ、と言う話だ。
それだけ「人間じゃない子供を孕む」と言うのは、特に当時はなかなかショッキングなテーマではあったんだろう。

なお、本来ならロジャー・コーマン絡みはもっとエログロになってもおかしくないのだが、この映画でも「乳首」はチラッと出てくるが割にその辺は抑えめだ。
むしろ「祭壇」に寝させられてるナンシーの「チラリズム」の方がエロいかもしんない。




太ももから上、なかなか良い腰つきをしてると思う。
これがうねるんだから、この辺のシーンはそこそこエロティシズムに溢れている。

※1: 古典的なモンスター怪奇映画は70年代も多く作られるが、一応その時代だとドラキュラは1979年のコメディ、「ドラキュラ都へ行く」で打ち止め。フランケンシュタインは1974年のコメディ、「ヤング・フランケンシュタイン」で打ち止め。狼男は1981年の「狼男アメリカン」で打ち止め。
三怪物共、最後は「コメディ作品」になってる辺り、70年代を通して「怖さ」ではローズマリー「以降」の映画には太刀打ち不可能になってきた、と言う事が分かるんじゃないか。
そしてフランケンシュタインを除くと、ヴァンパイアとワーウルフと言う「種族」達は映画からRPGの世界へと移住していき、彼らは「現実世界の恐怖を司る者」から「ファンタジー世界の住人」へと変わっていく。

※2: 「アーカム」「ミスカトニック大学」と言う「単語」はラブクラフト作品に良く出てきて、パスティーシュやら何やらにも良く使われる単語だ。

※3: 単純には「死者の書」的な意味だが、この「ネクロノミコン」。ラブクラフトの小説や、あるいはクトゥルフ神話関係の色々にも良く登場するアイテムだ。
なお、この辺のシーケンスから考えると「ネクロノミコンを使って」授業をしてた、って事になるんだろうけど、一体何の授業だったんだろうか(笑)?

※4: 旧支配者とか邪神、The Great Old Oneとか呼ばれるモノ。
ぶっちゃけ、こういうセンスって「厨二的」以上になんと呼べばいいのかわからん(苦笑)。
みんな厨二病は若い時にかかるのかもしれんが、ラブクラフトとそのお仲間達は一生かかってた、ってだけの話じゃないか。
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