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Retro-gaming and so on

原作と原案

前回、作品としてはともかく、ポテンシャルとしては「(漫画)原作付きアニメ」の完成度は、21世紀の現在だと極めて高い、と言う話をした。
既に原作を知ってる層から言うと、ほぼ満足出来るくらいの完成度のアニメを作れるようになってる、って話だ。そのアニメが面白くないとしたら、もう、原作そのものがダメなんだろ、って言えるようにはなってると思う。
(僕も実は基本的にはそうなんだけど)原作厨バンザイ!ってのが今の日本のアニメと言うか日本の世の中だ。

ちょっとここで視点を変えてみよう。唐突にハリウッド映画の話へと飛ぶ。
意外とハリウッド映画も原作モノが多い。このブログでもチラッとそのテの話を何回か書いたと思う。そしてそれらの「原作モノ」も多分、映画の題名だけ聞いただけで、「観たことあるなら」面白かった!って反応になるだろう。
しかし、それらの映画は、全部が全部そうじゃないんだけど、実のことを言うと、現代の深夜アニメとは違って「かなりの改変作」ってのが殆どなんだ。つまり「原作通り」ではない。
市場的に考えてみると、言っちゃえば、日本人は「原作」と言う単語にある程度「神格感」を感じていて、そして結構な確率で「原作厨」なんだ。比較的「原作準拠である」方が喜ぶ。
一方、ハリウッド映画を擁するアメリカだとそういう事はない。
言っておくけど、これは「どっちが良い」って話をしてるわけじゃなくって、ある種の国民性の違いの話だよな。もっと言うとアメリカ人はあまり本を読まん(笑)。つまり、殆どの人にとって原作なんてどーでも良くて、あくまで映画として面白いか否かってのが評価対象になるんだ。
んで、もっと言っちゃうと、現代アメリカだと有名作家ってのは殆どいねぇだろう。いや、歴史的にいない、って言ってるわけじゃなくって、現代社会で「誰でも知ってる」って思われる有名作家があまりいない、って事を言ってんだ。
例えばスティーヴン・キングなんかは有名だし、彼の作品はたくさん映像化されてる、ってのは良く知ってるだろう。逆に言うと、スティーヴン・キングくらいに知名度を持ってる作家、ってのがパッと出てこねぇだろ?言い換えると作家として考えた時に、現代アメリカではドル箱作家ってのがほぼいねぇんだわ。ヒッジョーに数が限られてる、ってのが現代アメリカでの小説家のポジションなんだ。良きにしろ悪きにしろ、「著名作家陣」ってのがまずいない。映画会社側から「すいません、先生の原作を映画化させてください」って土下座を敢行せなアカン「偉い作家」ってのがいない、って事なんだよな。
言い換えると、ある意味、「一発屋」は結構いる、って事になる(笑)。生涯かけて小説を書きまくって、それらが全部(とは言わんでも)「大ヒット作」なんつー作家がアメリカにはあんまいない。結果、日本みたいに「原作者はお偉い先生として扱われる」例が生じづらいんだ。

以前、ダイハードの話を書いたけど、例えば映画「ダイハード」には次のようなテロップが流れる。



"Based on the novel by"だよな。単純に「原作」とか訳されるんだけど、良く良く考えてみるとこのフレーズには、日本語で言う「原作」と言うニュアンスがない。あくまで「✕✕による小説を元にしてる」って言ってるだけ、だ(この辺ももとこんぐさんの専門だ)。

 
実際のトコ、件の記事にも書いたけど、この映画、アクション部分はかなり忠実に原作をなぞっている。
ただし、

  • 原作ではあくまで対テロリストの話だが、映画では言っちゃえば「テロリストのふりをした」(ある種?)強盗相手の話になっている。
  • 原作での主人公、ジョー・リーランドは退職警官だが、映画ではN.Y.の若手警官に改変されている。
  • 原作ではロサンゼルスに来たのは娘に合う為。映画では別居中の妻に合うため、と改変されている。
  • 原作では娘は最後にビルから落下して死亡する。映画では妻もビルから落下しかけるが、結果助かる。
  • 原作ではとにかく主人公の回想シーンが多くてかったるい。映画はそのテの話を一切ぶった切ってる。
と「かなり違う」。
うん、仮に深夜アニメになったら原作厨によって「炎上する」ってくらい変わってるんだ(笑)。
しかし、"Based on the novel by"だ。そう、これを敢えて日本語に翻訳すれば、「原作」と言うより「原案」なんだわ。かなりの確率でハリウッド映画の原作もの、ってのは「原作」と言うよか原案モノなんだよな。
そして敢えて言っちゃえば、確かにアメリカでは本が売れない。でもそれ以前に原作がつまらん、ってのがままあるわけ(笑)。その記事でも書いたけど、ダイハードの原作って読んでもかなり「かったるい」んだよ(笑)。
言い換えると、何らかのワンアイディアが光るトコがあれば、ハリウッドは堂々と改変を試みる。映画化権を含めてその辺が監督や脚本家の悪意、とか言うんじゃなくって、その辺の改変を含める事柄がかなりシステマティックになってんだよな。

なお、覚えておいていい事柄だと思うんだけど、例えばハリウッドで「原作者が超有名な偉い作家で」、その原作を完全に映像化したい、と言う試みがあった場合、大体のケースでは「(原作者の)✕✕」ってタイトルになってるんだ。


1981年の邦題「地中海殺人事件」(原題は「Evil under the Sun」。邦訳では「白昼の悪魔」として翻訳・出版されている。)。
見たら分かるけど、タイトルは「アガサ・クリスティの"白昼の悪魔"」となっていて、もうタイトルに「原作者」の名前を堂々と冠してて、マジメに「原作モノ」を作る場合、ハリウッドだとこういうタイトル付けをするケースが多い。

 

アメリカの超有名ホラー作家、スティーヴン・キングの映像化作品の例。
タイトルも「スティーヴン・キングのペット・セメタリー」となっている。
この辺、日本に入ってきた時、単なる「ペット・セメタリー」になってるが、ニュアンスとしては「原作準拠を目指してます!」と言う言外の主張があり、それこそ「あの人気作品を映像化しました!」と言う宣伝でもある。

 
 


逆に原作ファンが大激怒、なのがH.P.ラヴクラフトの映画だが、改変しまくりなのに映画のタイトルに「H.P. ラヴクラフトの」が冠されてる例(笑)。作者が既に死んでるから、だろうか(笑)。
しかし、言っちゃえば原作より面白い(と言うか可笑しい・笑)ので問題ナッシング、だと個人的には思っている、と言う事も以前書いた。

ラヴクラフト原作の映画はともかくとして、映画制作会社のスタンスでは、基本的に、「タイトルに作者名が冠されてる」ものは原作準拠を(成功にせよ失敗にせよ)目指した映画で、単に"Based on the novel by"と実際的には意味が変わってくる。と言うか、ある種、映画制作会社の扱いの「格」ってのが違うんだわ(※1)。

もっとヒドい例を挙げてみよう。
スティーヴン・スピルバーグの映画監督デビュー作、ジョーズ。実はこれも「原作付き」の映画だ。

 
ところがこの映画、原作付きにも関わらず原作者のテロップが全く出ない(笑)。殆ど原作者の存在が無視されている、って言って良いくらいの扱いになっている。
んで、「平和な海水浴場に巨大ホオジロザメが現れる」と言うコンセプト、そして登場人物も映画と同じなんだけど、これも色々と改変があるんだな。

  • 原作では、主役ブロディ署長の妻はビッチ。不倫してる。
  • ブロディ署長の妻の不倫相手は海洋学者のフーパー。
  • 原作ではフーパーもサメに襲われ命を落とす。
  • 原作ではサメは船(オルカ号)に打ち上げられて呼吸困難で死ぬ(爆
この辺は映画では全く改変してる。原作小説だとフーパーとブロディ夫人の不倫がダラダラ書かれていて、「本筋に関係ねぇじゃん!」と思わずツッコミたくなるほどの小説だ(笑)。
スピルバーグはこの辺をバッサリ斬って、海洋冒険アクションに再構成した、ってのは全くをもって正しいだろう。しかもサメが船にツッコんで来て甲板に打ち上げられて死ぬ、なんつー何とも締まらないラストを改変した、ってのも映画としては正しい。じゃないとカタルシスもクソもねぇ映画となってただろう。



さて、何故に既にかなり古い映画である「ジョーズ」と「ダイハード」を取り上げたんだろうか。単純に言うとシリーズ物だからだ。いや、ハリウッドの場合、映画化権を入手する、ってこたぁかなり強権を発動するくらいの権利を入手してるんだよな。
要は、例えばジョーズは大ヒット作だった。当然続編を作ってまた当てたい。しかし、ジョーズ2って言う「原作小説」は存在しないわけだ。
従って、こうなる。



"Based Upon Characters Created by"だ。つまり、この場合、「(ジョーズの原作者である)ピーター・ベンチリーが作ったキャラクタを流用した」って意味になる。
これ、なんつーんだろ。深夜アニメの文脈で言うと、テレビ本放送が終わるだろ?そうしたら、原作にないエピソードでOVA作ったりすんじゃん?よう知らんけど。
実はそういうノリだ。いわば、今の深夜アニメで言うと原作者が介在しないスピンオフなんだよ。それでシリーズ4作作り上げてるわけだ。

4作目のJaws: The Revenge(邦題は「ジョーズ '87 復讐編」)でも「キャラクタは流用」と明示されている。

ダイハードはもっとヒドい。ダイハード2は次のようになっている。




原作小説として提示されてるのはウォルター・ウェイガーと言う作家の「58分間」、しかし、「いくつかのキャラクターはロデリック・ソープ(ダイハードの原作者)によるモノ」となっている。
つまり、ある人が作ったキャラクターで別の作家の作品を映像化した、と言うメチャクチャな構図になっている(笑)。まぁ、こんなの日本じゃほぼあり得ないよな(※2)。
だってよ。福本伸行の「アカギ」が人気あってアニメにして、いくらそれが人気出たから、と言って、アカギのキャラで続編として「咲 -Saki-」を作ります、とか(笑)。いくらなんでもそりゃ無茶苦茶やろ、って話になるだろ(笑)?
でもハリウッドってそれをやるんだよね〜〜。

ハリウッドは今まで見てきた通り、「映画原作権」を入手したらかなり自由に改変して、そしてヒットしたら原作が存在せんでも「続編」を作る事を厭わない。
言い換えると、作者が文句言ったり口出ししてこないくらいの原作料を収めてる、って事が言えると思うんだ。殆ど口止め料って言っていいくらいだと思うんだけど(笑)。だから原作者は大金貰ってる以上口出ししない。「こりゃ俺が書いたモンとちゃう」って思っても、大金貰った以上何も言わない。そして「俺が書いたモノは俺が書いたもの、映画は映画」と悟らざるを得ないわけだ。

ちょい前、映画「テルマエ・ロマエ」の裏話で、原作者のヤマザキ・マリが原作料は大して貰えなかった、って話が出て話題になってたけど、日本の「原作料」が安いのは「原作準拠」前提で、「原作者がある程度納得するもの」を作らざるを得ない、って背景のせいだと思う。逆にハリウッドだと「改変が当たり前」で、原作者がクチを挟みづらいシステムを作り上げてるわけだよな。金の力で(笑)。
どっちがいい、とは言わんわ。ただ、ハリウッド映画の「原作」及び「原作料」ってのは日本のそれとは元々かなり意味合いが違う、って考えていいと思う。単に海外での「映像化」の権利料が高いから、原作者には多額の金を払うべきだ、とかそういう話じゃあないんだよ。
高橋留美子だって安い原作料で「ビューティフルドリーマー」をやられたから怒ったわけでしょう、言わば(笑)。だから「自分の作品を・・・」って思ってたわけで、仮に原作料だけで何千万円も貰ってたら言うわけねぇよな(笑)。大金入ってたら「漫画とアニメは別物です」って言えてたかもしんない。そういうモンだわ。
繰り返すけど、深夜アニメのシステムとハリウッド映画。どっちがいい、とか言わない。ただ、ハリウッドの「原作もの」ってのは日本のシステムとは全く違うトコで作られてるんだ、って言うのをアタマの隅に置いておいて良い、たぁ思う。
そしてすべてのハリウッドの「改変モノ」が性交成功してるわけじゃない。それは今の日本の「原作もの」の深夜アニメの失敗率と大して変わんないと思ってる。向こうは向こうで「改変したからと言って成功する」ワケじゃないんだ。
ただし、日本のアニメに比べると、ビジネスとしては割に、「原作」に対しての金額的なフォーマットとか、かなりしっかり作り込んでるんじゃないかな、と。
そういう話だ。

最後に、参考までに数本、「原作付き映画」にどういうテロップが入ってるかを見てみよう。



ローズマリーの赤ちゃん(1968年)。"From the novel by"は新しく出て来た表現だが、"based on the novel by"よりかは直接的だ。従って「原作準拠を目指した」と言うニュアンスが伺える。

 



エクソシスト(1973年)。これも原題は「ウィリアム・ピーター・ブラッティのエクソシスト」となってる。当然、ウィリアム・ピーター・ブラッティは原作小説を書いた人で、この映画も「原作準拠を目指した」と言う意図となっている。

 




タワーリング・インフェルノ(1974年)。"Based on the novel by"として"The Tower"と言う原作名が挙げられてるが、同時に"The Glass Inferno"と言う原作も挙げられている。
これは元々、20世紀フォックスとワーナー・ブラザーズが別々に企画を立てていた「ビル火災もの」映画があって、片方が"The Tower"を元にした映画(ワーナー側)、もう一方が全く関係ない「The Glass Inferno」をベースとした映画(20世紀フォックス側)だったんだ。
ところが全く同時期に同じような映画を撮る企画を立てた事にお互い気づき、何故かそこで潰し合いをせずに「じゃあ、一緒に作んない?」となって超大作になってしまった、と言う逸話がある(※3)。
それが理由で、配給が、北米では20世紀フォックスによる供給、海外はワーナー・ブラザーズが受け持つ、と言う変則的なソフトと相成った。

 
 



マニトウ(1978年)。"Based on the Novel by"なんで「改変アリ」だと言う事が分かる。






遊星からの物体X(1982年)。これは今までのパターンから言うとちょっと変わり種だ。原題は言わば「ジョン・カーペンター版"The Thing"」となっている。そしてジョン・カーペンターは作者の名前じゃなくって監督の名前だ。
これは要は、1951年の白黒映画「遊星よりの物体X」(原題: The Thing)のジョン・カーペンターによるリメイクですよ、って主張してるわけだ(真意はさておき)。
エンディング・クレジットで"Based on the Story By..."が出てきて「改変アリ」だと言う事が分かる。

 



念の為に「遊星よりの物体X」(1951年)も見てみると、やはり"Based on the Story by..."になってて「改変アリ」だと分かる。
なお、前にも書いたが、実際、原作に近いのはむしろジョン・カーペンターによる「リメイク版」の方だ。

※1: これはイギリスの、しかもテレビシリーズの例だけど、ジェレミーブレッドが主演したグラナダTVのシャーロック・ホームズは、題名的にはテレビ上、"The Adventures of Sherlock Holmes by Sir Arthur Conan Doyle"となっている。
いずれにせよ、「原作者の名前を冠する」のは製作者側のそれなりの気合の現れだ。

※2: 元々、「ダイハード」原作者のロデリック・ソープは、ダイハード映画化の際に「原作のジョー・リーランドと言う名前は使わないでくれ」と言って契約したらしく、その結果「ジョン・マクレーン」と言う刑事が登場した。
故に、ジョン・マクレーンと言う「固有名詞を持ったキャラ」が別作品に出ようと、契約上構わない、と言う捉え方をする事が出来る。
むしろ「関係なくなっちゃった」にも関わらず、20世紀フォックスは義理堅く「キャラクターはロデリック・ソープのモノに準じてる」と表示してくれた、と言った方が正しいだろう。どのみち、ロデリック・ソープの作品には「ジョン・マクレーン」なる登場人物はいないのだから。

※3: 1960年代辺りまで、映画会社毎に「似たような企画を立てて」「殆ど同時公開で」潰し合い、ってのが実際良く起こってて、それによる反省、と言う面がある。
また、ハリウッドでの「金をかけた特撮映画」の黎明期、って事もあり、明らかに「ビル火災」だと予算が大きくなるのが分かってるのに「潰し合い」したら洒落にならん、と言った背景もあった。
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