この思考になれてきたせいか、悩みってなんだろうと思うようになった。
「悩みや心配事の多い毎日で、眠れない」
「あれもこれも出来ていない」「する事が溜まってしまう」etc~
問題を悩みにしない、はっきり区別する……
井上ひさしさんの言うとおり、なんかにつけ一呼吸おいて、受け止め考えるようにしている。
世の中多くの人たちはそうして毎日を過ごしているのだろう。
「誰が認めなくても、自分が自分を認めてやればいい」……村山由佳さん。
「自分を育てるには自分だ、と自覚することが、人生を豊かに生き直す秘訣だと思います」
被災者から「小説を読んでいる時だけ現実から逃れることが出来る」と。
「誰も不幸せになりたくないし、できることなら人を許したり、愛したりしたいし、
光が見たいんですよね。人は腹黒いことも考えずにはいられないんですが、
そういうものに足を踏み入れてもなお、目だけは光を希求している……」
★「珈琲片手のモノローグ」<12・2・2>
「ひとりでいいんです」(凡人会・加藤周一)
「ゲド戦記研究」(織田まゆみ) 「片手いっぱいの星」……
最近読んだ本たち。抑えきれない気持ちを話したいし、
共感持っている人の話を聴きたい。
昔は、お互いなんとなく珈琲飲みに行って話せる仲間が居た。
不思議なのだがどんなジャンルにも必ずオーソレティがいた。
例えば、マルティン・ベックシリーズや87分署シリーズ……
もう、箸のあげおろし(あれ、変か?)まで詳しい人がいる。
コミック、「11人いる」、SFの嫌いなわたしに紹介してくれ、
案の定はまってしまう。
その他映画、音楽、絵画、芝居~数知れず……
しかし、今日日のいま、そういう話し相手と触れ合うことは難しい。
こちらも自分の価値観をゆずらず、
其れゆえの遠慮と気まずい思いにならない様な配慮が邪魔をして話を
面白くなくしてしまう。
環境的に言えば、「話が好きで人の話も聴く事が好き」な仲間と
暮らせたらいいと思う。
ことを行うのに、誰かに負担が行くのが一番良くないと思う。
「ひとりでいいんです」を読んでひとりで支えきれないほど感動した。
そんな時に聴いてくれ、意見を言ってくれる人が
共感してくれる人がそばにいたら、どんなに良いだろう。
ささやかな望みではないだろうか。
リタイアしてきて時間が出来た。個人それぞれの事情があるだろう。
其れを乗り越えていける仲間たちがほしい……
そんな都合の良いことってないか?
寂しい人って多いと思う。それぞれ何かを求めている、と。
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<3・11>から1年8か月
上記のメモから9か月……この間よく乗り越えてきたなと思う問題が山積みだった。
☆『ひとりでいいんです』加藤周一
☆「問題が起こったら問題を解決して悩みにしない」井上ひさし
絶えずこの視線に立って、過ごしてきたような気がします。
また明日からもやっていけるでしょう。